ピアソン夫妻の十勝伝道
十勝監獄 典獄 黒木鯤太郎さんとの交流について。
黒木鯤太郎さんは、大分佐伯藩から慶応義塾を経て陸軍へ入省。
西南戦争従軍後、陸軍監獄長歴任 叙従六位を得ております。
明治36年 樺戸集治監から分監された十勝監獄が設置され、その初代典獄(所長)として帯広に赴任されました。
黒木さんについては、さまざまな評価があります。
若き頃クリスチャンとして洗礼を受けており、人道主義者とも言われますが十勝監獄、そして次の赴任地青森監獄に於いて、数百人の獄死者を出していることも歴史的事実です。
陸別開祖の関寛斎さんとは、地域の名士として親交があり、黒木さんの娘が関又一さんに嫁いでおります。
また、キリスト教を信仰していたため、当時アメリカから来日し、伝道のために北海道各地を巡回していた、ピアソン夫妻が何度も十勝監獄を訪れています。
そして坂本竜馬の甥にあたる、坂本直寛もクリスチャンとして足繁く十勝監獄に伝道に訪れております。
坂本直寛は、自由民権思想にも共鳴しており、板垣退助とのつながりもあったといわれております。
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■十勝監獄で起こった聖霊降臨
明治40年、十勝監獄をピアソン宣教師夫妻と坂本直寛牧師が訪問し、800名の囚人を前に神の愛を説きました。
この時、多くの囚人たちが、自らの罪を悔い改めて、500人が入信の決意をするという出来事が起こりました。講堂中に、囚人たちがむせび泣く声が響き渡り、看守たちも涙しました。
当時、十勝監獄に収監されていた囚人の多くは終身刑で、強盗、放火、殺人などの重犯罪者でした。
しかし、悔い改めて信者となった囚人たちは、喜びに満たされ、互いに愛しあい、よく働き、他の囚人の模範となったと言われています。
当時、十勝監獄の典獄(所長)だった黒木鯤太郎氏は、囚人たちの人格を尊重し、聖書を通して粘り強く、悔い改めと神の救いを説いていました。地道な働きが、多くの囚人たちの劇的な回心の下地となったのです。
出典:十勝聖書フォーラム 鹿追キリスト教会はこちらから
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坂本龍馬は「この国の洗濯」が終わったら、北海道に移住する構想があったと聞いております。この龍馬の構想を受け継いだのか定かではありませんが、土佐の下士であった坂本一族が強い信念を持って、北海道に入植し各所に足跡を残しております。直寛の孫である坂本直行は有名な画家として帯広に記念館もあります。
ところでクリスチャンである黒木鯤太郎が典獄を務めた十勝・青森監獄での行いについて地元研究者の間で解明できないことがあります。次回投稿しますのでぜひムベ様の見解をコメントして頂ければありがたいです。
ご紹介くださいまして感謝いたします。神さまの御わざをほめたたえる機会をいただきました。
坂本龍馬が聖書を知っていたということは、聞いたことがあります。