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十勝の活性化を考える会

     
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差別と区別の違い

2022-12-05 05:00:00 | 投稿

「差別」と「区別」は難しい問題であるが、本質的な問題である。「分ける」という行為に、非合理性を認識した時に「差別」という言葉が用いられ、合理性を認識した時には、「区別」という言葉が用いられる。

女性に選挙権が与えられないのは、「女性差別」とされる。それには、合理的な理由がないからである。一方、同じ日本人でも小学生に選挙権がないのは「区別」とされる。判断力の乏しい小学生に選挙権がないのは、合理的な理由があるからである。

しかし、この問題はそれほど単純ではない。何をもって合理的とされ、何をもって非合理的とされる理由は、それほど簡単ではないからである。「差別をしてはならない」というのは現代社会の鉄則であり、人権思想の高まりはその考えを強く主張してきた。 

アイヌは長い間、この差別に苦しんできた。そして差別は、いまも続いている。区別ではない。差別である。アイヌの差別の歴史は古い。差別とは、人にをつけ、自分とはの存在として一種の排除をすることである。

人間には、出自、能力、障害、外見などの合理的あるいは非合理的な様々な違いや差があることは否定できない。大切なことは、その事実を認めたうえでその違いや差によって人を排除せず、人間として共生していくことが大切であると思う。

差別には、人種差別、男女差別、宗教差別、身分差別、障害者差別、学歴差別、職業差別、コロナ差別などたくさんある。これらの差別は、人間が持っている我欲が原因だと思っている。社会生活のためには、この我欲を少しでも抑えることが必要となる。

なぜなら、人間は生まれながらにして欲望のもとに生き、人間社会はこの我欲で成り立っているからである。往々にして我欲は人間関係で衝突するため、社会生活の秩序として躾、道徳・倫理などがあるのだろう。

しかし、現在社会や世界情勢をみるに、イデオロギーや宗教の複雑化もあって戦争や内戦が絶えないが、ロシアの大統領を見ていると、人間としてのありように問題があると思っている。

「差別」と「区別」は難しい問題であるが、本質的な問題である。この問題はそれほど単純とは言えず、何をもって合理的とされ、何をもって非合理的とされるかはそう簡単ではない。本質的な問題とは、「我々がいかなる社会を目指すのか」、ということにもつながる。最後に一言。十勝だけには差別がないところであってほしい。

 「十勝の活性化を考える会」会員