十勝の活性化を考える会

     
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登山

2022-05-26 05:00:00 | 投稿

 私は社会人になってから、登山を始めた。日本百名山のうちで23座を登った。大学の友人は、福島県にある安達太良山(1,699m)と山形県にある鳥海山(2,236m)を除いて98座に登っているので、もうすぐに100座を制覇するであろう。ところで、フランスの詩人“アラン”は、こんな言葉を残している。

『名高い山頂まで電車で運ばれた人は、登山家と同じ太陽を見ることはできない。』

そんなアランが、第1次世界大戦前後に執筆した文章のなかから、「幸福」をテーマとしたものが、1925年の著『幸福論』である。アランは、46歳で第一次世界大戦に志願し従軍しているが、これは、戦争の愚劣さを体験するためだったと言われている。

彼の合理的ヒューマニズムの思想は、20世紀前半のフランスの思想に大きな影響を与えた。独立したコラム的な形式で書かれているのが特徴で、93編の文章から成っている。その名言集の中で好きな文章は、以下のものである。

・幸福だから笑うわけではない。笑うから幸福なのだ。

悲しみは病気にほかならず、だからこそあれこれ理屈なぞ考えずに、病気としてがまんしなければならない。

・自分で放ったすべての矢が自分にもどってくる。自分こそ自分の敵なのだ。

・自分の外部に言いわけをさがす人たちが決して満足することがないのに反して、自分のあやまちにまともに立ち向かい、「おれはまったくばかだった」と言う人たちは、そのあやまちの経験を消化して、強くまた快活でいるということだ。・社会は、何も要求しない人には、何ひとつあたえない。ここで要求するというのは、たえずつづけて要求することの意味だ。
・浮ついた拝金主義者は裁かれる。浪費したがる者は、すこしもかせげないだろう。これは当然の裁きだ。彼がしたいのは、浪費することであり、かせぐことではないからだ。
・だれもがゲーテではない。しかし、だれでも自分ではある。ゲーテでない人間は、ゲーテであろうとは欲しなかったのだ。・習慣は一種の偶像であって、私たちがそれに服従することによって力をもつのだ。果実でさえも味をよくする方法があるのだ。結婚とか、その他のすべての人間関係に関してはなおさらのことである。
・社会というものは、天気や風のぐあいで居心地がよくなったり悪くなったりする木陰のようなものではない。それどころか、魔法使いが雨を降らしたり、天気にしたりする奇跡の場所である。

「十勝の活性化を考える会」会員