十勝の活性化を考える会

     
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「縄文の思想」の本

2022-01-06 05:00:00 | 投稿

岡山大学教授 瀬川拓郎著“縄文の思想”を読んだ。本には縄文文化のことなどが書かれていたが、その中に次のような興味深いことが書かれていた。

(前略) 縄文時代の社会は暴力と無縁であり、したがって平和もまた縄文の思想だったといそうです。ただしそれは、縄文時代の社会が外部を持たない、ひとつの巨大な閉じた糸だったからにすぎません。弥生時代以降、自由・平和・平等という縄文の思想をもつ人びとは、外部にとって無法であり、暴力を帯びた存在に他ならなかったのです

縄文の世界は、自由・自治・平等に彩られた世界でした。ただしそれは、動物の自然状態から長い時間をかけて生み出されてきた、他者とともに生きるための知であっても、近代の理念としての自由・自治・平等とは異なる、土俗世界の思想で思想であったといえそうです。

そこでの平等は、才能と野心をもつ若者の排除によって支えられていました。さらに自由・自治。平和・平等は、閉じた系のなかではじめて成立する思想であり、外部に対しては剝き出しの欲望や暴力にほかなりませんでした。

しかし、実態としての近代の自由・自治・平和・平等と縄文のそれとの間に、一体どれほどの違いがあるのでしょうか。私たち自信、国家という閉じた系のなかで欲望や暴力にとりこまれた存在ほかなりません。(後略)

思想には、縄文の思想と弥生の思想、自由主義思想と共産主義思想、近代思想と現代思想など限りなくあり、どの思想にも欲望とは切り離せないものではないだろうか。米中の対立をとっても、二国間の欲望が渦巻いている。人類の歴史を振り返ると戦争が絶えなかったが、その原因が東西冷戦の時のように人間の欲望が絡んでいたのだろう。

欲望あるいは欲求不満とは、動機の実現が意識的、無意識的に抑制されている状態をいう。例えば、「隣に住んでいる美人の奥さんと、肉体的な関係をもちたい」といった欲望は、実行すれば不倫関係になるので意識的に抑制されるものである。欲望が野放図になれば、秩序ある社会や国家の維持は難しくなる。

先日、経済産業省のキャリアだった二人が経営する会社の休業保障金の詐欺事件の判決が出たが、問答無用とはいえこれも欲望が関係していた。全ての事象に欲望が絡んでいると思うが、人間の本性であるから無くすことはそれほど簡単ではないと思われる。                「十勝の活性化を考える会」会員