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ときの備忘録

美貌録、としたいところだがあまりに顰蹙をかいそうなので、物忘れがひどくなってきた現状にあわせてこのタイトル。

再び、小田さん

2006-01-23 | 砂時計
昨日、何気なくチャンネルを合わせたら小田さんのドキュメントをやっていた。
「小田さん」
そう、オフコースの小田和正さん。
夫は、私がさんづけでよぶのが不思議ならしい。

番組では、58になる小田さんの本音、弱音が正直に描かれていて、興味深い内容だった。ある意味、年末恒例になっている民放のクリスマスの約束よりもずっと良かったように思う。
聞いているほうは、還暦間近な年齢になりながらも若いころとほとんど同じ澄んだ歌声をだす彼が、裏では相当な苦労があることなど知らずに、ただその声の美しさに魅了されていた。
だが、番組の中では、少しでも喉をいたわり、ステージで声がでなくなる恐怖と闘いながらの全国ツアーだということもさらけ出していた。

以前の砂時計に記したことがあるが、私は学生のころコネで5人のオフコースのメンバーとボーリングをし、パブで一緒に飲んだことがある。
そのときの小田さんは、ひとりファンの輪から離れ、誰も寄せ付けないような冷たいオーラを纏って飲んでいた。
ステージでも、ほとんど心から笑うことなどなく、ビジネスとしての笑いと、ショーマンとしての「アリガトウ!」を連発していた。(というように私には見えていた)
それでもあの透明感のあふれる声と、耳障りの良いメロディーラインに惹かれて聴いていた。
5人になってからのオフコースは、私の本来好きだったオフコースから離れ、ヒットチャートをにぎわすグループになってしまった。そのころから、私はオフコースへの興味は薄れていった。

番組の中で、小田さんがそのころのことを振り返り、
「あのころは、歌が好きで自分の作った歌を聴いて欲しくて、というよりは曲の構成がどうとか、こうすれば受け入れられるんじゃないか、とかそういうことばかりを考えて歌っていた気がする」というようなことをもらしていた。
やはり、パブで見たあの小田さんの冷たいカーテンは、私たちファンとの間に引かれたものだったのだ。
だが、58になった小田さんは、あのころよりずっと丸く、やさしくなっていた。
人間としての温かみ、体温を取り戻したようにみえた。

売れる歌、売れた歌を聴くのではなく、小田さんが歌いたい、と思って作った歌をもう一度聴いてみよう、そう思った。

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