○「歴史を考えるヒント」網野善彦(新潮文庫)より
(この逆さ地図を)見るとよくわかるように、日本海はほとんど湖同然の内海です。その周囲の列島は、実は全部狭い海で繋がっていると考えることができます。対馬と朝鮮半島の間は非常に狭く、対馬からは朝鮮半島がよく見えますし、サハリンと大陸の間も氷結したら歩いて渡れる狭さです。サハリンと北海道の間の海峡も、流氷に乗って動物が渡ってくることは容易であろうと思われます。
それを断ち切って、現在の領土の範囲で「島国」であると意識したのは、日本の近代国家です。明治政府は、近代国家として国境を明確に定め、その範囲の中で国民国家を形成しなければなりませんでした。したがって、四方の海は「国境」として守るべきものという考え方を国民に徹底的に刷り込み、私自身も日本は「孤立した島国」だと教え込まれて育ちました。
しかし、この地図をよく見ると日本列島は実際には、アジア大陸の南と北とを結ぶ架け橋のような存在だったと考えられます。この橋を渡って、北からも西からも南からも、あるいは東からも人や物が出入りしていたことは、疑うことのできない事実だと思います。そして、その人や物の流れが、旧石器時代から縄文時代にかけて、すでにフォッサ・マグナ(※)を境にして東と西とで異質な文化を生み出していったのです。
さらに、紀元前三世紀の弥生時代になると、列島西部の社会に大きな変動が起こります。朝鮮半島、中国大陸からの人と物の大波が日本列島に押し寄せてきました。
※フォッサ・マグナとは、日本の主要な地溝帯の一つで、地質学においては東北日本と西南日本の境目とされる地帯。中央地溝帯とも呼ばれる
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逆さ地図は「国境」という固定観念を払拭するのに役立ちます。日本の中央主権的な支配者層からみた日本列島と、交易を生業とする海人や商人が捉えていた日本列島とでは、全く異なっていたのではないかと思えてきます。
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☆発想の転換を視覚的に迫ってくる 『逆さ地図』 より、引用させていただきました。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=271418&g=121104
☆海洋政策研究財団
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