長らく続いた、自民党政権による地方への大型公共事業バラマキ政治。
これらに疑問を呈し、中央集権型官僚主導政治に待ったをかけ、「コンクリートから人へ」という、地方分権と公共事業見直しを掲げて、2009年8月の衆議院総選挙で民主党は政権交代を果たした。
ダム事業の見直しで無駄を省き、徹底的な事業仕訳を試み、八ツ場ダムをはじめ、全国各地で国直轄にて計画着工されていた83か所のダム建設が凍結された。(そのなかに、下川町に計画されていたサンルダムも含まれた。)
これまで、一度計画されると必ず建設されるとされていた、「国策公共事業」を、政治主導を掲げる民主党政権が初めて止めたのである。
ところが、民主党政権による画期的な政治主導型取り組みも、あっという間に霞が関官僚と既得権益利権主義経済団体の圧力に屈し、ふたたび公共事業バラマキ政策に転がり落ちてしまったことは記憶に新しいところだ。民主党政権は、大型公共事業投資として、2012年11月にダム建設凍結解除・事業継続を次々と進めるだけ進めて、11月16日に衆議院解散へ突き進んでしまった。
2012年12月16日に行われた衆議院総選挙でも、震災被災地復興再生と原発事故収束の陰で、巨大公共事業の復活が一つの政策争点になっていたことは周知のとおりだ。
2012年12月26日、政権与党に返り咲いた安倍自民党は、政権政策ビジョンの目玉に「国土強靭化政策」を掲げた。「アベノミクス」の重要施策として、各種大型公共事業を怒涛のごとく復活させてきたのである。
社会のインフラ整備、全国公平なライフライン確保における公共事業は必要不可欠ではあるが、「初めに公共事業ありき」といった悪慣習が短絡的に復活してくる政治動向には注文を付けざるを得ないであろう。
3.11震災で大ダメージを受けた日本。いま、一番必要なのは、被災地復興・被災者避難民への確実なる手厚い予算執行ではないのか。
とりわけ、東電福島原発人災事故事件における、汚染された地域の補償と放射線管理区域に現在も住む人々のケアはどうするつもりなのか。
また、笹子トンネル天井崩落事故などにみられる、高度経済成長期に作られた人工構造物の経年劣化に伴う「補強・修繕・撤去」と、自然災害に強いまちづくりに予算執行していくべきであろう。
公共事業予算を投入する場面(ステージ)を、政府は間違えているのではないのか。
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これまでの自民党政権による、国民との合意形成無き【大型公共事業バラマキ国策(酷策)】は、地方を疲弊させ、より一層過疎化・高齢化に拍車をかけてきた。まさに、「国家による【国内植民地政策】であった」と言っても過言ではあるまい。
原子力核発電政策はもとより、ダム・高速道路・高規格道路・整備新幹線・スーパー林道・空港整備・港湾埋め立て整備などの国策公共事業政策は、いつの時代も地方に【屁理屈と詭弁に糊塗されたバラ色の夢】を振りまきながら、「水のない津波」のようにやって来ては、町を丸ごと呑みこんでゆく。
少なくとも、それらの巨大公共事業誘致によって、其処に住む人々みんなが【バラ色の幸せを手にした】・・・という事例を筆者は知らない。
地方の過疎地の町並みは、ここ20数年余りで、【市場原理の新自由主義経済(資本のグローバル化と均質化モデル)】の大波をかぶり、全国展開する大型ショッピングモールと、全国チェーンのファストフード店・ファミレス店、および全国チェーンのパチンコ店・コンビニチェーンに悉く占領されてしまった。
何処の町に行っても、町の中心部(駅前など)から離れた国道やバイパス沿いに『金太郎飴のような同じ風景』が展開され、本来その町が持っている重要な独自性は、完全に駆逐されてしまっているのが現状だ。
その姿は、もはや【地域の有機的空間細胞の死滅】を意味すると言ってもよいだろう。
ブヨブヨに肥大した高度資本主義経済(グローバルマーケット)の仕組みは、地方の町が綿綿と営んできた、「人を核とした有機的な歴史文化」を惨殺してしまったのである。
「疑似再配分体制」という「防腐剤・添加物の注入」により、少しのおカネ(補助金・交付金)と引き換えに、極めて無機的な空間へと変えていってしまったのだ。
中央集権型から地方分権へ・・・。というセリフが虚しく空を切るではないか。
話しをダムに戻そう。
河川は、森と海との重要な連絡回線。いわば、『大地の血管』である。ダムは、大地の血管に作られる【血栓】だといえる。巨大なダム建設は、住民生活はもとより、地域の歴史文化を封じ込め、河川流域の生態系を根本からズタズタにする。
全てのダムが不必要とは言わないが、目的を失ったなったダムの建設は、税金の無駄遣いに過ぎない。原発立地問題と同じニオイの毒饅頭が再びバラまかれる。それがアベノミクスの一片でもあることは、簡単に理解できるだろう。
筆者は、東京在住時代(1980年代~90年代)に、自民党政権が行った、『長良川河口堰』や『二風谷ダム』建設事業や、日本各地の「コアな山地・森林」に展開される『スーパー林道』建設事業に対し、大きな疑問を抱いた。そして、それらの市民活動に加わった。
ちょうどその頃、アメリカの開墾局の「ダニエル・P・ビアード総裁」は、重大な発表をしたのである。
『アメリカは、すでにダム建設の時代は終わった』・・・と。
ビアード開墾局総裁は、ダムによるデメリットを上げ、それよりも守るべき有益なものがあると語ったのである。
『これからの時代は、生態系をいかにして健全な状態に保ち、人類が綿々と培ってきた文化的側面に高い評価を付けて、それらをどう未来へ紡いでいくか・・・という方向に価値観が必ずシフトする。そのためにも、環境負荷の高いダム建設は不要になる』と。
以下、アメリカ開墾局 ダニエル・P・ビアード総裁の見解を、引用する。
~~~~~引用 はじまり ~~~~~~~~~~~~
ダニエル・P・ビアード
元アメリカ開墾局総裁 2003年12月
http://www.mm289.com/RPN/1192/biard.html
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2004年は、日本の河川管理政策に重要な変化をもたらす年となるであろう。
1995年に私は始めて日本の地を訪れ、当時アメリカで起こっていた河川管理の変化について議論した。その頃、私は世界で最も重要なダム建設機関の一つであるアメリカ開墾局の総裁を務めていた。
私は当時のスピーチの中で「アメリカのダム建設の時代は今や終わった。」と述べた。
ダム推進派はすでに大規模ダムの建設に対して市民や政治的支援を得られなくなっていたのだ。そして私はその時にダム建設の時代が終わり、維持可能な河川管理と河川再生を原則的指針とする時代がゆっくりではあるが到来するとも述べた。
私のこのような声明は、日本や世界のどこにおいても多くのダム建設推進者にとってはショックや落胆を招いたようである。批評家達は私のコメントを単なる私評であり、今後のトレンド示しているものではないと批判した。
ところが1995年以降の展開はこのような批評家達が間違っていた事を立証することになった。アメリカ合衆国では新たなダム建設事業のための資金調達は消え失せてしまった。
共和党政権下の議会、ブッシュ大統領ですらこのトレンドは変えなかった。世界ダム委員会が設立され、2000年には「大型ダムプロジェクトには技術的、財政的、経済的な面で大きな欠落点がある。」と報告している。彼らの報告書は世界中の大型ダム計画に反対する者達を強く反映しているのである。
そしてアメリカ合衆国においては、河川管理における新たなトレンドが現れつつある。
我々は河川の破壊ではなく、河川再生の時代に突入しつつあるのである。
今や、我々はダムやその他の構造体が根本的には川やその周辺に暮らす人々を変えてしまうことを知っている。ダムは役には立ってきたが、「あまりにも多くのケースにおいて、ダムの便益を確保するために受け入れられない、不必要な代償が支払われてきた。」とする
ダム委員会の見解に私は同意する。
アメリカでは、川の自然の状態を取り戻すためにダム、運河やその他のコンクリートの建造物がどんどん取り除かれつつあるのだ。健康な川は重要な生物学的原動力であり、自然の生物学的完全性や地元の地域社会の暮らしにとって非常に重要なものである。
このような方向に移行していくための鍵は、政府機関、NGO、研究者、ダム推進派、そしてダム反対派の間での建設的な対話である。我々皆が一つの部屋に集まり、この問題について議論を始めれば、意見の合意が生まれることが多いのである。そこでは、我々皆が建設的な対話や樹立された協力関係から恩恵を受けることができるのである。
このような対話に参加するのは時にはイライラするときもある一方で、その利益は大きなものである。アメリカ合衆国においては、関係者全てをこのような議論に招くことができた時に、河川再生に向けての実質的な大きな進展を見ることができた。
私は、日本は今その河川管理政策において大きな転換点に差し掛かったと感じている。
いくつかのダム建設計画は延期されたり、中止に追い込まれたりしている。さらには、河川再生が議論されるべき重要な政策問題として受け入れられつつあるのだ。日本は世界においてもダムの代替案を示すリーダーになることができるし、また、そうならなければいけない。
このような昨今の情勢下で重要な新たな展開は「リバー・ポリシー・ネットワーク」の設立である。この組織は日本の川の将来を考えるあらゆる組織の代表を結びつけるために設立されたのである。政府機関、河川環境活動家、研究者や多くの市民が、日本の河川管理の多くの面についての話し合いを本格的に開始するのである。
「リバー・ポリシー・ネットワーク」は、解決に向けて、対立的でない対話のもとで、このような議論を促進していくのである。
「リバー・ポリシー・ネットワーク」はそのような議論の幕開けとして、熊本においては2004年3月25日、名古屋では28日に重要な水資源政策に関するシンポジウムを開催する。
私はこの両方のイベントに参加することに合意している。
それは、「リバー・ポリシー・ネットワーク」が政府機関、河川NGO、研究者、そして市民との重要な対話を始めようとしているからだ。この二つのシンポジウムが建設的な対話の時代の到来を告げることになるだろう。
2004年が日本の河川管理政策の大きな転換点になることを心から願っている。
ダニエル・ビアード
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ダニエル・ビアードは30年以上もアメリカ合衆国の水資源政策問題に関わっており、ホワイトハウス、アメリカ下院、アメリカ上院、大手環境NGOに従事してきた。
1993年にはクリントン大統領によりアメリカ開墾局の総裁に任命されている。
現在はアメリカ、バージニア州マクリーン所在の国際的コンサルティングファーム、ブーズ・アレン・ハミルトンにて上級顧問として在籍。
~~~~~~~~~ 引用 おわり ~~~~~~~~
ダニエル・ビアード総裁の意を受けて、「ダム撤去」の最前線で活躍されているの、元アメリカ開墾局研究員「デビット・L・ウェグナー氏」(著書「ダム撤去」岩波書店刊)。
【2005年12月、旭川・札幌・帯広で開催された、ウェグナー氏による「アメリカのダム撤去」講演要旨】を、「北海道の森と川を語る会」から以下引用する。
~~~~~~~~~ 引用 はじまり ~~~~~~~~~~~~
ダムは発電や灌漑,飲料水や工業用水,治水など人類に貢献してきたが,その反面,河川の生態系を破壊し,魚の移動を妨げるなどの弊害ももたらしましてきた。人々は自然の川が経済的,社会的,環境的な恩恵を与えてくれることに気づいたのだ。またダムが寿命を迎えたり土砂が堆積するなど,安全性や維持経費などの問題も生じてきた。
このためにアメリカ合衆国ではこれまでの「ダム建設」から「ムダなダム撤去」へと大きく方向転換し,持続可能な河川管理と復元を目指してダム撤去に取り組んでいる。これまでに小規模ダム・中規模ダムを中心に数百のダムが撤去された。ダムが撤去された河川では,思ったより早く自然が回復している。
ダムは魚類の移動を妨げるために,とりわけサケ科の魚は生息地が分断・縮小されてしまい,絶滅の危機を増大させる。魚は魚道を通って遡上できたとしても,稚魚の多くは魚道を通って下流に下ることができない。ダム建設によって,魚の種数が減少することもわかっている。また,ダムに土砂が堆積してしまうため土砂が下流まで運ばれず,海岸線の浸食が深刻な状況になっている。ダムを撤去するには,縮小してしまった氾濫原を復元させることも必要になる。
こうした問題の解決のために,行政や研究者,技術者のほかNGOなどが情報を共有し,意思決定の過程を透明化して進めることが大切だ。
私たちは地球という惑星を,持続可能な状態で子孫に受け継がせなければならない。
・・・・・
川とは風景を作る力であり、人々に活力を提供し、国家の経済的なエンジンともなる。日本の歴史を鑑みても、人々は川に対して明らかに大きな価値を認めている。人々は川との関係を築いてきた。川は季節ごとに魚を運び、交通手段を提供し、また耕地や河口に栄養分も与えてくれた。ところが時が経つにつれて人々は川を支配できるものとみなすようになり、川に対する敬意の念を失ってしまった。このようなことが川を分断し、究極的には昔から続いた漁業の喪失を招き、河口や氾濫原への栄養分の供給を減らしてしまうダムや水の流れの操作へと繋がっていった。
いま、日本の川を取り戻すための旅が始まったのである。この試みは、政府、政治家、研究者、そして市民が共に働きかける関係を樹立することにより成し遂げられるであろう。この旅は決して容易ではないし、時間もかかるだろうが、しかし、この旅を始めた日本の人々の情熱の力で達成されるであろう。私は、一連の勉強会やシンポジウムに参加された人々が示した議論や情熱にとても勇気づけられている。
さて次のステップであるが、今回の新たな展開を契機として、日本の川の将来をめぐるオープンで透明性の高い議論を構築していくことが必要となるであろう。過去においては困難もあったが、いま踏み出した第一歩は、生態系の再生、および維持可能な水資源開発という将来像を確信させるものである。今後もリバーポリシーネットワークは対話と議論のための、そして最も重要な将来の河川政策の構築のための貴重なフォーラムを提供していくものと受けとめている。
~~~~~~~~ 引用 おわり ~~~~~~~~~~~
一方、その後の日本のダム建設政策はどうだったのであろうか。
ひとたびダム建設の計画が、国策公共事業として持ち上がると、見直されることも凍結・中止されることはなく、巨大な利権構造を伴って、驀進を続けて来たのである。
当初の目的が消滅しても、次々と目的を変更してダム建設は続行されてきたのである。これは、当時の建設省の『目的変更強行建設』と言われ、ハコモノ建設推進派の金科玉条でもあったのだ。
それは、まさしく、【ダムのためのダム】である。「原発ムラの利権マフィア」と同様に、巨大な「土建利権マフィア」が存在していることの証しでもある。
グローバルマーケットシステムが、一部の富裕層によって【経済のための経済】にされてしまっている事例と、根っこは同じである。
税金を大量につぎ込む巨大公共事業は、そもそもとして、「一部の人間がオイシイ生活を送るためのカネ儲けが全てである」といっても過言ではない。国交省河川局官僚は、大手ゼネコンとの【合法的汚職の構図】にうつつを抜かせ、退官後は天下る。残念ながら、その悪慣習は現在も水面下で脈々と続いているのである。
そのような、【『コンクリートが人へ』】という気流は、安倍自民党政権が掲げる【国土強靭化政策】にも、ありありと表現されているのだ。
ダム建設が再開されても、地方の零細土建事業会社には、それを請け負うだけの体力もなく、小さな下働きの仕事にありつくのだけで精一杯なのが実情だ。そうなれば、大手ゼネコンを親玉とする「ダム建設利権事業共同体」は、当然都会から多くの建設作業員と、多くの建設重機を投入して田舎町にやってくることになる。
下川町商工会会長は、「それらの作業員が町に滞在してくれて、町にカネを落としていってくれる」と、歓迎ムードを漂わせているようだが、筆者は「そんなにうまくいくわけがない」と感じている。先に述べた「地方に進出著しい各種大型チェーン店の存在が、隣町名寄市にあるから」である。
そんな、短期的なバブル経済を夢見て、未来永劫【世界に胸を張って誇れる『サンル川』の環境】を台無しにしてしまって良いわけがない。
ましてや、下川町は、【環境未来都市】の認定を受けており、国内外的にも注目度の高い町なのだ。環境未来都市とサンルダム建設推進の整合性と矛盾は、果たして説明出来うるのであろうか。
◎「森をつくり、未来をつくる」⇒http://hokkaido-tree.main.jp/shimokawa/
◎「下川町 環境未来都市計画」 「人が輝く森林未来都市しもかわ」(平成24年5月計画策定)⇒http://futurecity.rro.go.jp/pdf/torikumi/plan/style1_2_shimokawa.pdf#search='%E7%92%B0%E5%A2%83%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E9%83%BD%E5%B8%82+%E3%81%97%E3%82%82%E3%81%8B%E3%82%8F'
◎「環境未来都市しもかわ 参考資料」⇒http://futurecity.rro.go.jp/teiansyo/shimokawa_sankou.pdf#search='%E7%92%B0%E5%A2%83%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E9%83%BD%E5%B8%82+%E3%81%97%E3%82%82%E3%81%8B%E3%82%8F'
◎「NPO法人 しもかわ森林未来研究所」⇒http://sri-shimokawa.com/
これらのどこを見渡しても、サンルダムに関わる文言は一言も上がってはいない。
「流域森林環境と流域河川環境、生物多様性や生物生態系、人々の生活環境」に対して負荷が高いダム建設について、「環境未来都市しもかわ計画」が完全スルーをしている点に大きな疑問を抱くのは私だけではあるまい。環境未来都市と、サンルダム建設は、意図的に切り離なされて進んでいると見られても致し方ないであろう。
2012年11月12日の国交省による「サンルダム建設事業継続再開決定」を受けて、もろ手を挙げて歓迎歓喜しているのは、【サンルダム建設と町の活性化を図る会】だ。翌日11月13日の新聞紙面には、「天塩川流域の悲願である、サンルダム建設事業継続再開は、非常に喜ばしい」という、安斎保下川町長のコメントが躍ったのである。
・・・・
サンルダム建設計画は、1968年に想定され、予備調査が始まった国直轄の事業である。1988年に「治水・利水」を主とした多目的ダムとして、本格的な調査が開始された。
その後、ダム建設の是非をめぐる多角的な議論の経過をたどって来た。しかし、そのダム建設目的の曖昧さが次々と露呈し、ダム建設推進目的の要である「流域治水利水」の数値的論理をも、ことごとく覆されているのが現状である。
◎サンル川を守る会⇒http://www.sanru-river.com/
◎北海道自然保護協会(社団法人)⇒http://nc-hokkaido.or.jp/index.html
◎北海道の森と川を語る会(facebook)⇒http://www.facebook.com/pages/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E3%81%AE%E6%A3%AE%E3%81%A8%E5%B7%9D%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B%E4%BC%9A/101905553243908
ダム建設に対する住民アンケートでは、「洪水・土砂災害に対する安全性は現状でもある程度担保されていると感じている」という回答が89%。「洪水対策として具体的に進めてほしいことでは、河川保護工・堤防の強化拡充を」という回答が62%に及んでいる。(北海道開発局アンケート:1998年実施結果)
洪水等の治水に関しては、戦後最大だった「昭和48年8月(1973年)洪水」の名寄川の最大流量をベースに「推定ピーク流量」を、現実に則して算出すれば、開発局が訴えているサンルダムの洪水対策論は破綻する。
水道水等の利水に関しては、流域の人口増加が望めない状況において、将来的に給水量が増えるとは考え難い。よって、サンルダムに安定給水を依存する論理も破綻する。
ダム建設による費用対効果の便益比アップは当然望めず(2008年:1,6)、洪水対策治水の論理も破綻し、流域市町村の水道料金の大幅値上げと流域市町村負担増・・・という、ダム建設の利点を探すのは、もはや困難な状況というのが現実なのである。
福島原発事故後、泥縄的に「代替エネルギー供給源として、ダムで発電を!」・・という声が断末魔の叫びのように挙げられてきているが、その発電量は「1400KW」と、微々たるものでしかない。ダムが出来たとしても、交付金は500万円に過ぎない。コストパフォーマンスの視点からも、エネルギー自給を目指すのならば、現在下川町が取り組んでいる木質バイオマス(2018年度内までに全町エネルギー自給を目指す)や、小規模小水力発電などの新エネルギーの開発導入に軍配が上がるであろう。
一方、ダム建設によって引き起こされる、流域の河川自然環境・公益的機能の損失は、「環境未来都市しもかわ」にとって、取り返しのつかない深刻な問題を孕むことになるだろう。そうなれば、下川町の環境価値の長期的損失は甚大である。「サンル川・名寄川の流域森林整備(みどりのダム化)」施策を、町民ベースで真摯に議論することによって、河川生態系保全にシフトすることが喫緊の課題であることは、もはや説明する必要はないであろう。
立松和平を父に持つ作家:林 心平氏は、「自然バンザイ!」(読売新聞のコラム:2009年10月9日付)の中で、サンル川についてこう書き記している。「サンル川の環境を守ることは、いわば自然に投資することである。北海道の豊かな自然は、高配当を生む力を有している。それは、そこに住む者たちにとって、財産そのものなのである。何にお金を使うのかを、一人一人が再考しなくてはならない。」と・・・。
当初算出されていた「ダム建設費用528億円」も、道道下川雄武線の付け替え工事などで、すでに301億円が使われている。これから本体着工となれば、さらに莫大な税金が湯水のごとく投入されることは火を見るより明らかなのだ。
それでもなお、ダム建設推進に固執する姿勢は、原発立地問題・新幹線誘致問題・高規格道路敷設問題などの、大型公共事業国策実行への常套手段であり、巧妙に利権構造を組み込んだ「巨大談合組織」が、バックに存在しているのである。(週刊金曜日:2009年769号P56~58:「談合の島北海道で全長9キロの魚道計画」、週刊金曜日:2012年922号P34~36:「水余りを生む詐術としてのダム」、いずれも、まさのあつこ氏(ジャーナリスト)に詳しい)
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2009年、政権交代後の民主党政権が打ち出した「コンクリートから人へ」政策の一環で、サンルダム建設が凍結されたとき、下川町民からは、「脱ダム」へむけた議論が活発化した。そのなかで特徴的だったのは、ダムの建設推進・反対という二者択一ではなく、「国が買い上げたダムサイト内に、自然河川に近い状態で遊水地や人工三日月湖をつくる」、「近自然工法に基づく名寄川の堤防強化」など、ダムに代わる第三の道を探る動きだった。(北海道新聞:2009年10月14日付、暮らしと政権交代)
しかし、民主党政権時に、国直轄の計画中のダムを検証する目的で国交省内に設置された「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」(座長:中川博次 京都大学名誉教授)に基づいて設置された「サンルダム建設事業の関係地方公共団体からなる検討の場」(2010年12月~2012年7月、計5回開催⇒http://www.as.hkd.mlit.go.jp/chisui04/kentou/kentou_top.html)では、「ダムによらない、治水利水等の検証」は、一切なされていない。
それもそのはず、検討の場の構成メンバーは、「サンルダム建設を中央に陳情した流域自治体首長と、ダムを含む整備計画を認定した北海道知事」であったのだから。したがって、検討の場は、「サンルダムの早期着工と完成を求める陳情合戦」と化したのである。
また、検討の場の陳情合戦を受けて、2012年9月21日に開催された、「北海道開発局事業審議委員会」では、サンルダム事業の再評価について、僅か2時間で「事業継続は妥当」という結論を出したのである。
本来、検証とは・・・、「実際に物事に当たって調べ、仮設の真偽を確かめること」を指すはずである。その本質的な部分をおざなりにして、サンルダム建設推進ありきで進んでしまうということは、検証会議体・検討の場の責任放棄であり、本末転倒なのである。しかも、そのプロセスは「充分な可視化・情報開示」がなされておらず、極めて非民主的だと言わざるを得ないであろう。
これに対し、北海道自然保護協会など6団体は、「サンルダムに関する検討についての要望書」を、今後の治水対策のあり方に関する有識者会議に送った。
要点は以下の通り。
(まさのあつこ氏ブログ:晴れの日は楽しく、雨の日は静かにhttp://seisaku-essay.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-5172.htmlより抜粋引用転載。加筆は筆者による。)
1. 北海道開発局住民アンケートではダム希望は7%にすぎない。
1998年に北海道開発局が、天塩川流域約5,000世帯に行なったアンケート結果では、洪水・土砂災害に対する安全性で危険と思う意見は2%だった。洪水対策でダム建設希望は7%に過ぎなかった。
2. 地域振興のためにダム建設をすすめるのは許されるか?
サンルダム建設をもっとも強く主張しているのは、ダム建設の現場である下川町だが、治水目的ではなく、地域振興(ダム建設による町の活性化)のために要望している。
これは、ダム建設工事中の町内経済活性化と、ダム完成後の観光化策に過度な夢を描き町民を誘導洗脳するものである。
そもそもとして、地域振興のためにダム予算を用いることは、税金の使途方として誤ってはいないか。
3. サンルダム建設ではなく、名寄川の河道掘削案がベスト。
北海道開発局が作成した代替案では、サンルダム案(1案)と河道掘削案(2案)の主な違いは河道掘削量で、2案は1案より約180億円多いが、ダム案にはデメリットがある。世界的に魚道でサケ類の保全に成功した例はない。サクラマス、ヤマメの漁獲量と遊漁などの損害、魚道建造費とその維持管理費を含めると、少し長い目で見ると180億円の差は逆転する。
4. 漁協との約束、前川北大名誉教授の意見を尊重すべき
2012年8月23日に行なわれた、有識者の意見聴取などで出た漁協や有識者からの意見を尊重すべきだ。無駄をなくすために、ダムを造る前に魚道の効果をきちっと調べる必要がある。など。
北海道自然保護協会HP:http://nc-hokkaido.or.jp/index.html
このように、掘り下げて行けば行くほど、サンルダム建設の目的はコロコロと変わり、ついには【ダムのためのダム】へと変容していった・・・とうことが良く理解できる。
下川町において、サンルダム建設を悲願だと思っている町民は、ほぼ存在しないのである。
「森林と海は恋人。川はその仲人」なのだ。
自民党に政権が戻ったいまだからこそ、「環境未来都市しもかわ」としての、未来に紡ぐ賢明なる対応と判断決断を望みたいところだ。
【 ダムはムダぶつ 】・・・合掌。