国交省のダム建設見直しに伴い、「サンルダムの建設続行は妥当であり、建設継続を決定する(2012年11月12日)」という判断がくだされた。
それを受けて、「流域の悲願である、サンルダム建設続行決定は非常に喜ばしい」と語ってはばからない、安齋保下川町長のコメントが新聞に踊った。(北海道新聞:2012年11月13日付)
環境未来都市認定を受ける下川町は、人口3600人ほどの、林業・農業・酪農業が基幹産業の町である。
とりわけ、原田四郎前町長の地域小流域森林の、持続循環型資源管理森林計画は、しもかわの森林100年の大計を目指す壮大な森林整備計画理論であり、森林の町しもかわの理念であった。
それらの「森林の公益的機能環境維持と、森林の持続的恒続的資源管理、森林と人との関係性を進化深化させる数々の仕掛け」などにまつわるさまざまな先進的な取り組みが、メディアに取り上げられることも多く、魅力と可能性に満ち溢れた町でもある。
だが、一方では未だに、「20世紀型の時代錯誤的大型公共事業誘致にすがる」という、旧態依然とした体質が残る町でもある・・・。この矛盾には大きな疑問と違和感を覚える。
15年前(1997年)に、私がこの町に移住してきたとき、就業先の林業事業体の直属の上司からこんな言葉を掛けられたことを鮮明に覚えている。。
【君は、東京在住時代もさまざまな自然環境市民運動をしていたようだけど、ここではサンルダム反対を発することはタブーだから、心の止めておくように】・・・と。
「はい、わかりました」・・・とは、即答できなかった私は、サンルダム建設事業に関するデータを多角的(推進側・反対側双方)に収集し始めた。
サンルダム建設は、計画は40数年前に立ち上がり、1988年に「治水・利水」などの多目的ダムとして調査が開始された。建設総工費528億円。。。細かなことは、ここでは割愛するが、建設の是非をめぐる多角的な議論の経過をたどっていくごとに、その目的の曖昧さが次々と露呈し、建設推進の論理がことごとく覆されていくことになる。
掘り下げていけば行くほど、自民党型公共事業バラマキによる、地方の国内植民地化政策に他ならない・・・と言うことばかりが浮き彫りになってくるのだ。時間の経過とともにそのダム建設の目的はコロコロと変わり、ついには《ダムのためのダム》へと変容していったのである。
これらの手法は、原発立地問題・新幹線誘致問題・高規格道路敷設問題などの、大型公共事業国策実行への常套手段であり、巧妙に利権構造を仕組んだ巨大談合そのものなのである。(週刊金曜日:2009年769号:まさのあつこジャーナリストが記した「談合の島北海道で全長9キロの魚道計画」に詳しい)
ダム建設による費用対効果は望めず、洪水対策治水の論理も破綻し、流域市町村の水道料金の大幅アップが必至・流域市町村負担増・・という、ダム建設の利点を探すのが困難な状況というのが現状なのである。
福島原発事故後、ダムで発電を・・ということが断末魔の叫びのようにあげられてきているが、その発電量は微々たるものでしかなく、エネルギー自給を目指すのならば、現在取り組んでいる木質バイオマスや、小水力発電などの新エネルギー導入に軍配が上がる。
さらに、住民アンケートでは、「洪水・土砂災害に対する安全性は現状でもある程度担保されている」と感じている回答が89%。。「洪水対策として具体的に進めてほしいことでは、河川保護工・堤防の強化拡充を」という回答が62%に及んでいる。(北海道開発局アンケート1998年実施)
2009年、政権交代後の民主党政権が打ち出した「コンクリートから人へ」政策の一環で、サンルダム建設が凍結されたときも、下川町民からは、「脱ダム」へむけた議論が活発化した。ダム建設を悲願だと思っている町民は存在しないのである。(北海道新聞:2009年10月14日付、暮らしと政権交代)
当初に算出されたダム建設費用528億円も、道道下川雄武線の付け替え工事などで、すでに301億円が使われている。これから本体着工となれば、さらに莫大な税金が湯水のごとく投入されることは火を見るより明らかだ。
サンルダム建設を続行させるということは、世界に誇れるサンル川を有する下川町の環境空間細胞を壊死させる自殺的愚行愚策であるのだ。。「環境未来都市しもかわ」が、そのことを理解できないはずはないと思いたい。
欧米各国では、河川の近自然工法や、ダム建設の中止・ダム撤去が進められている。。ハコモノ開発が美徳とされる「開発主義による画一的グローバル化時代」は、先進各国ではとっくに終焉しているのである。
事は、サクラマスや川真珠貝の生息環境云々だけの話ではない。
下川のあらゆる命を、未来永劫シッカリと紡いでいくために・・・天塩川流域の健全環境を維持するためにも、大地の血管であり重要な連絡回線であるサンル川に、「ダムという血栓」を作る行為は、合意形成も整合性もなく、多くの矛盾を孕んだ不釣り合い極まりないモノであると言えるだろう。
森林と海は恋人同士。。川はその仲人なのだから。。。
目的を失ったサンルダム建設・・・【ダムはムダぶつ】。
「環境未来都市しもかわ」の、賢明なる対応と決断を望みたい。
フォレスターでも
プランナーでも、ないと感じるんだ。
まず、必要なのは、カウンセラーだと思うよ。
そして、カウンセリングの結果を、行政や事業体や現場人たちでシェアして、適正なカンファレンスをすることだと思う。。
(森想心理研究室)
人間は、太古の昔から、【森の人】である。
「森に生まれ、森を食べて生活し、最後は森に食べられる」。。。
その生活スタイルのDNAは、現代を生きる私たちの中にも脈々と受け継がれている。
便利な生活の中で、忘れがちだが、人間は森林がなくては生きてはいけない。
人間は、いくら科学技術が発展したとて、水と空気をゼロから作り出すことはできないのだ。
この時代だからこそ、私たちは私たちの中に受け継がれる【森の人】としてのDNAに、真摯に耳を傾けなければならない。
森林と人間の関係性は、決して「支配」・「被支配」の関係ではない。
そして、「対等」でもない。。
人間にとって、森林は【絶対交換不可能な存在】であるのだ。
それらに鑑みるとき・・・
人間がその生活の中において、森林と向き合う方法・手法・姿勢・術・技は・・・、
「森が生活」
「森と生活」
「森だ生活」
「森で生活」
「森な生活」
「森に生活」
「森の生活」
「森は生活」
「森へ生活」
「森も生活」
「森や生活」
「森よ生活」
「森を生活」・・・
そのすべてが、正解となるのだ。
森林とのかかわり方は、無限大であり、千差万別なのである。
いまこそ、「ヒト」は、人間の短い人生スパンと、そろばん勘定で、森林を推しはかる愚行を改めるときだ。
森林では、「1+1」は、決して「2」だけ・・・とはならないのだ。
なぜならば、
森林には「嘘」がないからだ。
森想心理学: 椴熊 達彦