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戸田智弘のブログ

ライター&個人投資家&主夫

『自然との和解への道〈上〉 〈下〉(エコロジーの思想)』

2015年02月03日 | レビュー
自然との和解への道〈上〉 (エコロジーの思想)
 
みすず書房

『自然との和解への道〈上〉 (エコロジーの思想)』と『自然との和解への道〈下〉 (エコロジーの思想)』(2005年6月 、クラウス・マイヤー=アービッヒ)を読んだ。

著者は、1936年ハンブルク生まれの哲学博士。1972年から2001年までエッセン大学で自然哲学を講じ、現在はエッセン大学名誉教授を務めている。その経歴はユニークである。一つは、マックス・ブランク研究所で量子力学を研究した物理学者でもあることで、哲学者でもあり、物理学者でもある点で文理融合型の学者である。もう一つは、ドイツ連邦議会のエネルギー政策審議会の一員として、またハンブルク市の大臣として、環境政策の政治決定にも携わってきたことで、思想家でもあり、実践家でもある点だ。

さて、上下巻をあわせると六百頁にも及ぶ労作である。この作品をアービッヒは「人間の外にある自然は、われわれの自然的共世界である」(日本語版の序文より)と要約する。

自然的共世界とは「植物と動物、大地と海、川と湖、風と雲、空気と光は、もともとわれわれのためにあるのではなく、とりわけ世界のなかにわれわれとともにあり、すなわち、それらはわれわれとともにあり、われわれはそれらとともにある」ということを意味している。こういう思想の中には、われわれは自然に対して使用価値ではなく、固有価値を認めるべきであり、人間と自然は対立するものではなく、人間と自然はともにあるものあるいは人間は自然のなかにあるものであるという考え方が含意されている。

アービッヒが「自然との和解」というタイトルを掲げるということは、現状において人間と自然は敵対関係に陥っているという認識がある。その敵対関係--具体的にいえば人間が自然を科学技術の力で支配している関係--から自然との和解へと進むべきだ。アービッヒはそう主張する。

私がいちばん興味深かったのは、アービッヒの思想の中に、「人間を自然史の中に位置づけようとする視点」が貫かれていることだ。アービッヒによれば、人間は自然史的には多くの生物のうちの一つであるが、同時に、それらのうちでも特殊な存在である。どういう点で特殊なのか? それは、人間が表現能力や言語能力を持っていることだ。「自然を言語化し、そして自己にいたらしめることが、私の考えによれば地上にある数百万の動物種や植物種のなかで人間に与えられた課題である」と述べている。

<自然を支配する>生き方と<自然と和解する>生き方を考えたとき、私たちはどっちの方が「よき生活」を送ることができるだろうか? ここで私たちの前に「『よき生活』とは何か」という問いが立ち上がってくる。アービッヒは、「われわれは自然との和解においていまよりも本質的によく生きることができると、私は考える。」と述べ、「世界が、人間がいないときよりも人間とともにあるときにこそ真により美しく、またよい善きものであるような仕方で、われわれは世界のうちに善きものをもたらすことができないであろうか」と続けている。

「自然の支配」から「自然との和解」へという整理の仕方は、「物の豊かさ」から「心の豊かさ」へ、成長から成熟へという流れを考える際、もう一段、広い&深い&長い視点から考えるためのツールとして有効である。広井良典が『定常型社会』(岩波新書)で提示した「自然や共同体からの離陸」から「自然や共同体への着陸」へという整理の仕方にも通底するものを感じた。

 

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『研究計画書の考え方 ~大学院を目指す人のために』

2015年01月30日 | レビュー

 

本書の特長の一つは、「第5部 事例集:研究計画書サンプルとコメント」のところでしょう。実際の研究計画書をサンプルとして示し、それに対する筆者の詳しいコメントがつけられた事例が28件掲載されている。これが、どれぐらい役に立つかは読者によって違うだろう。いろんなレベルの計画書が紹介されている。「こんな感じで書けばよいのか」と参考になる例を見つけられるかもしれない。逆に、「この程度でよいのか・・・」と自信を持つ人も多いではないか。

二つ目の特長は、タイトルに表現されているように「研究計画書の書き方のハウツー本」ではなく、「研究についての考え方」、つまり「学問をするとはそもそもどういうことなにか」を懇切丁寧に書き表したところにある。研究者としては常識かもしれないことを、いろんな視点から、素人にわかりやすく伝えてくれる。

私に刺さったところは、以下の通り。

●芸術と学問

芸術は美を求める人間の営みである。それに対して、学問は真を求める人間の営みである。

●学問の三つの方法

学問の方法は大きく分けて、三つある。1)演繹法と2)帰納法と3)意味解釈法である。たとえば、探偵が事件の謎を解くことを考えてみよう。1)がアリバイくずし、2)物証確認、3)動機推定に対応する。もう少し詳しく説明すると、まず証拠(データ)が集められ、事件の構成が推理される。これが2)の「帰納法」である。一方、犯人のアリバイに論理的な矛盾がないか検討される。これが、1)の演繹法となる。そして、これとは別に犯人の動機が明らかにされる。これが意味解釈法である。この三つがそろわないと事件は解明されたとはいえない。

●「正しい」とはどういうことか

大きく分けると、三つの「正しい」がある。一つ目は、検証可能性。論理的整合性があると、私たちはそれを「正しい」という。二つ目は、験証可能性。経験的妥当性があるときに私たちはそれを「正しい」という。三つ目は、意味解釈法。これは、正しい-正しくないという意味での仮設ではなく、ある価値観を反映したものの見方の表明に対して了解できるか、納得できるか、理解できるかという意味解釈法である。

非常にボリュームのある書籍(397頁)である。どんなレベルの人であれ、「なるほど! そういうことか!」と大きくうなずけるところに出会えるはずだ。

研究計画書の考え方―大学院を目指す人のために (DIAMOND EXECUTIVE DATA BOOK)
 
ダイヤモンド社
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『創造的論文の書き方』

2015年01月27日 | レビュー
創造的論文の書き方
 
有斐閣

この本のいちばんの売りは、概論編 第2章 第三節「三つの証拠、三つの説得法」のところであろう。論文の中核は仮説と証拠からなり、その証拠は1)データという証拠、2)熱い記述という証拠、3)論理という証拠に分かれ、それぞれその証拠を示すときに陥りやすいワナがある・・・というようなことが、きっちりと書いてある。このあたりの商品価値は極めて高い。どの類書にもこんなことまでは書いていない。実際に大学院で教員から論文指導を受ける中で、非言語的に何となく学ぶことになる事柄が、しっかりした論理で分かりやすく書かれている。すばらしい。

また、論文の書き方や研究の方法を学びたい人に対して、「文章が論理をドライブしてくれるような文章を書いていると思える人の本を、たくさん読むことを勧めますよ」と言っている。

文章が論理をドライブするとはどういうことか? 私なりの理解は次の通り。すべてを自分の頭で考え抜いて、それを文章にするのではなくて、キー概念の定義をしっかりと固めた上で、アウトラインを考え、あとはキーボードをたたく指に任せて惰性で書いていくようなイメージである。全部を頭で考えていると疲れてしまう。おおよそを頭で考えた後は、身体に任せる。

文章が論理をドライブしてくれるような文章を書いている人として、著者は、山崎正和、司馬遼太郎、福田恆存の三人を挙げている。山崎からは論理の展開、うねりやひねりを、司馬からは文章のリズムは人間を見る目を、福田からは論理を学んだと書いている。

論文の止めを書くときに気をつけるべき事として「自分を広げようとするな、自分は何の一部であるかを考えよ」とまとめている。この言葉も頭にずーーんと残った。

論文を書く工程での奥義を学べる本として、推薦したい。

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『四〇歳からの勉強法』

2015年01月26日 | レビュー
四〇歳からの勉強法 (ちくま新書)
クリエーター情報なし
筑摩書房

四〇歳からの勉強法
ちくま新書
三輪 裕範【著】

内容の濃い、確かな本!

うなずいたのは、本を選ぶためのチェックポイントのところだ。

著者については、「原則として、①ジャーナリストが書いた本を買わない、②大学の先生が書いた本であれば、助教授と講師が書いたものを優先する、③教授が書いた本であれば、できるだけ六〇歳以上の人が書いたものにする」と書いている。

②と③について説明しておくとーー。

基本的に、インプットの量がアウトプットの質を決める。そういう意味で、六〇歳以前の教授は学内業務や講演会や審議会なんかでやたら忙しいのに対して、準教授と講師はそれほど忙しくないために学習量も豊富である。また、准教授や講師は教授に比べて、世に出ようという野心とエネルギーにあふれているからよいものがかける。

この本に刺激されたので、私なりの「こんな本は買わない!」を考えてみる。

 その一。奇をてらったようなタイトルがついている本は選ばない。世の中のあらゆる事象は原則と例外に分けられる。この手の本は、原則事項を過小評価し、例外事項を過大評価、さらにデフォルメしてあるので内容が一面的で論理の緻密性が薄い。その出版社がどういう本を出しているのかという本のラインナップから類推することもできる。

 その二。対談本は選ばない。選ばないが言い過ぎだとすれば、対談本は雑誌感覚で読むと言い換えてもいい。対談本とは二人の有名人を連れてきて、あるテーマについて話をしてもらってそれをまとめた本である。話し言葉は書き言葉に比べて冗長で論理性に弱い。二人の話がかみ合っていないケースも多い。テーマが拡散することはあれど、深まることは珍しい。したがって、二人がどういう人なのか知るための雑誌記事程度に考え、その人の単著へ至る通過点程度に期待値を下げておくといい。

 その三。あまりに量産する著者の本は選ばない。本は本から作られる。アウトプットの配分が多くなると、インプットへの配分が少なくなり、結果としてアウトプットの質が低下する。書きすぎの著者の本は中身が薄いのが通例である。

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『社会科学系のための「優秀論文」作成術―プロの学術論文から卒論まで』

2015年01月24日 | レビュー
社会科学系のための「優秀論文」作成術―プロの学術論文から卒論まで
クリエーター情報なし
勁草書房

 将棋や囲碁、柔道や剣道、テニスやバスケ、どれもこれも定石や型が存在する。それを確実にマスターするのが上達の早道であり、それを拒絶する者はその競技を続けていくことはできない。

 本書は社会科学論文の<型>を紹介した本である。著者によれば、日本においては、理系の分野では論文の型が標準化されているけど、社会科学(経済学や心理学を除く)の分野では論文の型が曖昧で体系化されていない。

 著者は次のような型を示し、解説する。

//////////////////////////

A:査読論文・博士論文向け

●演繹主義的アプローチ

①研究不足な重要仮説を検証
②疑わしい有力か説を検証
③論争に参加
④当然視されている前提の検証
⑤文献の盲点を検討
⑥越境型問題発見法

●機能主義的アプローチ

①異例発見法
②事例間ギャップ法

B:修士論文向け

概念対象型(査読論文・博士論文向けの①④⑤の応用系)
論争参加型(査読論文・博士論文向けの③と同様)
「古い仮説・新しいデータ」型

C:卒業論文向け

「古い仮説・新しいデータ」型

////////////////////////

 文章の型(文章と文章をどう接続していくか、パラグラフとパラグラフをどうつないでいくか)のパターンについては、『論文の書き方』『論文のレトリック』(講談社学術文庫、沢田 昭夫 )なんかに書いてある。しかし、論文の型のパターンについて書かれた邦語書籍は本書ぐらいしかない。そういう意味で本書は貴重な、貴重な本である。

研究計画書を書こうと思ったら、文法的に正しい文章を書くこと、文章の型を使いこなせることに加えて、論文の型を頭の中に入れておかないといけない。これから卒論を書こうと思っている人、これから修士論文を書こうと思っている人には、理解できない所が多くて難しく感じるだろう。しかし、分かる所だけ読み、論文を書きながら読み直すといい。絶対にもとはとれる!

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『退職金貧乏 - 定年後の「お金」の話 』

2015年01月24日 | レビュー
退職金貧乏 定年後の「お金」の話(祥伝社新書) (祥伝社新書 390)
 
祥伝社

 

『退職金貧乏 - 定年後の「お金」の話 』

祥伝社新書
塚崎 公義【著】
価格 ¥864(本体¥800)
祥伝社(2014/11発売)

読者のターゲットは、50歳から70歳ぐらいの投資の初心者だろう。「長生きして、その間にインフレになって、大切な蓄えが底をつく」、そういうリスクにいかに備えるかについて書かれた本。

インフレのリスクに備えようとアドバイスするものの、その一方で「日本政府は破産しないが、激しいインフレやドル高の可能性はある」「年金制度ははたんしない。目減りはするかもしれないが、過度な心配は無用」というように非常にまっとうな持論を展開する。

また、「毎月分配型投資信託、高金利通貨などへの投資は避ける」「賃貸用不動産への投資は避ける」「投資は、シンプルで分かりやすいものにする」などのコメントは、非常に的確である。

その上で、著者は70歳時点で目指すべき資産構成を次のように示す。

●金融資産の10%は銀行預金。その過半は小口に分けた自動継続型定期預金で、普通預金は少額。
●金融資産の10%は変動金利型国債。
●金融資産の10%は物価連動国債。
●金融資産の35%を日本株(JPX日経400連動型ETF)
●金融資産の35%を外貨。そのうち、外貨建てMMFまたは米国債が半分、外国株ETFが半分。

読者にとっては、金融資産をいくらぐらい持っているかで類別した上で具体的な資産構成パターンを示している点が有り難い。文章も平易で分かりやすい。

嘘も誇張もない、安心してお勧めできる一冊である。

 

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『大阪人の格言』

2015年01月23日 | レビュー
苦しいときこそ笑わなアカン! 大阪人の格言
クリエーター情報なし
徳間書店

大阪人の面白い言葉の数々ーー爆笑と感動の格言 165個ーーを集めた本。

無理はせなあかん
けど無茶はしたらあかん

という教訓めいた言葉もあれば、

どうしたん
地球最後の日みたいな顔して

わからんんことは
ロマンやということにしとけ

というようなすぐに使えそうな文もある。

大阪ならではだなあ(ひねりがきいているという意味で)と思ったのは

崖におるヤツは
そっとしといたる
それがデリバリーちゅうもんや

指の先の
祝儀の魚の話ばっかりすんな

の二つ。

名古屋人の私としては、「大阪出身のやつって、こういうこと言う、言う」てな感じで読める。これだけ集めるのはけっこう大変だと思う。さらさらっと読める。

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『いなしの智恵  日本社会は「自然と寄り添い」発展する』

2015年01月21日 | レビュー
いなしの智恵 日本社会は「自然と寄り添い」発展する (ベスト新書)
涌井 雅之
ベストセラーズ

『いなしの智恵  日本社会は「自然と寄り添い」発展する』( ベスト新書  2014/3/8 涌井 雅之)を読んだ。

軽そうで重い本、読みやすいのに本質的な所をズバズバ付いてくる好著である。

「自然か、人間か」という問いはもはや時代遅れである。現在、すでに人類は地球1.5個分の負荷をかけながら生活している。このままでいくと、30年後には地球が2つ必要になる。地球は一つしかないから、ということは・・・。

著者は本の半ば当たりで「自然か、人間か」から「自然も、人間も」へと発想を変える必要を説いている。世の中の二分法に従って、とりあえずは話を進め、「自然も、人間も」という路線の重要性を強調する。しかし--、あとがきで次のように書いている。

現在、われわれが使っている「自然(しぜん)」という言葉は、十九世紀末に英語の
「Nature」が入ってきた際に訳語として用いられるようになったものだ。それまで日本人にとって、「自然」は「じねん」だった。
「じねん」とは「自ら然り」、すなわち「あるがままの状態」という意味だ。人間の世界に対して「自然」(しぜん)があるのではなく、人間の世界もまた「自然」(じねん)の一部であるという考え方である。

自然と人間は別個のものではなくて、自然の中に人間が含まれるのだから、「自然も、人間も」ということだ。私たちは、そろそろ「自然対人間」という二分法から自由にならなければいけない。少なくとも、日本人は--というところだろうか。 

おもしろかったのは、「バイオフィリア」と「トポフィリア」という概念だ。「バイオフィリア」とは、エドワード・ウイルソンが提唱した概念で、草花を愛でたり、自分とは種が異なる動物をかわいがったりする人間独自の行動特性をいう。「トポフィリア」とは、著者が提唱してる概念で、場所に対する人間らしい親和性を意味する。著者は、人間は、「バイオフィリア」と「トポフィリア」の交点にあるときが、いちばん幸せを感じるのではないかと考える。

最後に、著者が長年にわたって提唱しているフレーズを紹介しておこう。

<景観十年、風景百年、風土千年>

『里山資本主義  日本経済は「安心の原理」で動く』 (角川oneテーマ21 新書  2013/7/10 藻谷 浩介』、『自然との和解への道〈上〉〈下〉』(クラウス マイヤー=アービッヒ、 2005/6 みすず書房」と併せて読みたい。

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『実録! 刑務所の掟~その驚くべき日常~』

2011年12月28日 | レビュー
同僚から、『実録! 刑務所の掟~その驚くべき日常~』(本間龍著、サプライズBOOK)という本を借りた。労働時給6円、ム所の運動会、ム所のクラブ活動、週2回の入浴はたったの15分、同性愛者の入浴は? なんとエロ本読み放題! など、一般人にとって知られざる日常がおもしろおかしく紹介されている。

その中で私が注目したのは「刑務所のエリート、雑役(用務者)とは?」と「刑務所で一番人気の仕事は?」というページである。
 本書によれば、刑務所内の仕事は「生産作業」と「自営作業」に分かれる。生産作業とは木工加工、金属加工、印刷、革加工、衣料・洋裁などの作業であり、8割の人がこの作業についている。自営作業は計算(経理)、図書、炊飯、営繕、洗濯、雑役(用務者)に分かれており、2割の人がこの作業についている。

 著者の本間は、これらの仕事の中で用務者を刑務所のエリートとして位置づけている。用務者とは刑務官の補助役として一つの工場とそこで働く受刑者全体の進行管理をする人間である。ではなぜこの業務がエリートなのか? 

理由は二つある。一つは「刑務官の手足となって働くため、ヅケと言われる評価がおのずと高くなる」からである。評価が高まれば出所を早めることにつながる。

もう一つは作業の自由度がきわめて高いからである。「・・・刑務所における作業は恐ろしく単調であり、作業中は基本的に他人と話すことは出来ず、勝手な行動はすぐに懲罰の対象に」なる。これに比べて「用務者の仕事は臨機応変に対処することが重要なので一日中工場内を動き回っており、意思伝達のための会話も黙認されているので気分的にも相当解放されている」からである。

娑婆で暮らすわれわれ一般人も、刑務所内で暮らす人も、より自由な生活を送りたいと思うのは同じなのである。


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ドローインで慢性腰痛をやっつける

2011年02月05日 | レビュー
1月の中旬から腰痛に悩まされ、2-3週間すっきりしない状態が続いていた。ところが<イブクイック頭痛薬>×<紹興酒>で、右腰に張り付いていたしこりのような重みがポロリと取れた。

1週間前、NLPの講習(主催:ソルチェ名古屋)を受けているとき、何だか頭がグリグリと痛み出した。その日は雪がぱらついてた。寒さのせいもあったのかもしれない。講習が終わる頃になると、頭がズキズキと痛んだ。このまま帰ろうか、懇親会に強行出場しようか。強行出場することにした。飲み会の前に薬局で「イブクイック 頭痛薬」を購入して服薬する。その後、懇親会に突入する。場所は中華料理店。楽しい飲み会で、あっという間の2時間。人肌の紹興酒をグビグビ飲む。

帰宅。そのまま風呂にも入らず眠る。翌日、腰がすっきり。それ以降、ほどよい状態がずっと続いている。

教訓1 頭痛薬×紹興酒は腰に効く

以上がイントロダクション。

ここからが本論。タイトルは「ドローインで慢性腰痛をなおす」。

厚生労働省が平成16年に実施した「国民生活基礎調査」によれば、日本人男性の約12人に1人、日本人女性の9人に1人が腰痛症に悩まされている。腰痛はまさに国民病と言える。

私の場合も、腰痛との付き合いというか、戦いというか--は20年ぐらい続いている。最初は30代の前半、バスケットでリバンドを取りに行ったときにぎっくり腰になった。同じように三回ぐらいやったかな。杖が必要なぐらい激しい痛みのときもあった。それ以降、完治することはなく、だましだまし来てしまった。

ほとんどの腰痛は医者には治せない。腰痛は、直立二足歩行したときからの人間の宿命である。私の場合。レントゲンの結果、骨に異常はなし。MRIの結果、椎間板にも異常はなし。医者が言うことは「腹筋と背筋をして・・・腰痛体操をして・・・」。整形外科に2年間ぐらい通って、牽引もやったが効いているのか効いていないのか分からなかった。逆に牽引することで具合が悪くなることさえ合った。マッサージにも通った。ヘンな民間療法にも少しだけ手を出した。ストレッチに力を入れたこともあった。ウオーキングもやった。腰に易しい椅子ということで西ドイツ製の10万円もする椅子を買った。ジムに通って腹筋や背筋を中心に鍛え直した。だが、どれもこれも決定打にはならなかった。

唯一、効果があったのが「ドローインで腰痛を改善する」という方法である。

腰痛を予防・改善するエクササイズがわかる腰痛を予防・改善するエクササイズがわかる
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2008-04-15



この本によれば

 腰痛症は、
 
1)骨性腰痛(骨折、脊髄腫瘍)
2)椎間板性疼痛(椎間板ヘルニア等)
3)根性疼痛(腰部脊柱管狭窄等)
4)椎間間接疼痛(椎間関節症)
5)筋・筋膜性疼痛(筋・筋膜性腰痛症等)

に分けられる。
 
 整形外科的な問題は見られず、何となく長びいてしまう腰痛のほとんどは、筋・筋膜性腰痛症等である。

 この本は、私たちが持っている間違った常識を正してくれる。
 
1)ウォーキングやランニングで足腰を鍛える。 → これらの運動は、必ずしも腰痛を予防、改善出来るとはいえない。間違ったフォームでやると逆効果のこともある。
 
2)ストレッチで体を柔らかくする。 → 筋肉の柔軟性の善し悪しは非常に大事ではあるが、直接的に腰痛症のリスクになるとはいえない。
 
3)腹筋を強くする。→ 腹筋運動のほとんどは腹直筋を主体に鍛える運動であり、腹横筋を十分に刺激できる運動は少ない。
 
4)姿勢を正す。もちろん姿勢は大事である。 → しかし、不良姿勢の改善よりは脊柱の安定性を高める方が優先させるべきである。

この本のポイントは次の通り。

●腰痛症の大半は脊柱を安定させる筋機能が低下したことによって起きる。
●エクササイズによって筋機能を回復、向上させるというのが根本治療である。
●脊柱を支えている筋肉は、インナーユニット(局所的脊柱安定筋群)とアウターユニット(大域的脊柱安定筋群)に分けられる。
●まずは、インナーユニットの機能を回復、向上させた上で、次に、アウターユニットの機能を回復、向上させ、さらにインターユニットとアウターユニットの協調性と連動性を図るというように段階的に全体的な機能を高めていく必要がある。

ということで、

第1フェーズから第4フェーズまでのエクササイズが紹介されている。

このエクササイズのポイントになるのがドローインという動きである。お腹を引っ込める動きであり、「世界一きついズボンをはいてジッパーを上げる」という感覚と表現される。

教訓2 ドローインでインナーマッスル(=インナーコルセット)を鍛えなおすこと--腰痛改善への道はここから始まる。

筆者の野口さんから個人指導を受けることも可能。私は恵比寿駅近くの極真会館ビルにて2回ほど個人指導を受けました。


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「患者さま」は戦略的エラー

2011年02月01日 | レビュー
大井玄の

人間の往生―看取りの医師が考える (新潮新書)人間の往生―看取りの医師が考える (新潮新書)
価格:¥ 756(税込)
発売日:2011-01



を読んだ。

この本のP50に「『患者さま』は戦略的エラー」という文章--著者の大井玄が、2006年10月に、東大医学部同窓会雑誌「鉄門だより」に寄稿した文章--が掲載されている。

要旨を一言でいえば、「患者さま」という呼称を使い続けることは、医療の自壊をもたらす戦略的エラーであるということである。自壊とは、「自然にこわれること。外力によらず内部からくずれること」(広辞苑 第五版 (C)1998,2006 株式会社岩波書店)である。

大井は、

「患者さま」という「一般呼称」は成立しないばかりか、論理、倫理、心理の三点で危険である
という。

論旨を私なりにまとめてみる。

 ある時期から、いろんな医療機関で、「患者さん」ではなく「患者さま」という表現を使うようになった。これによって、「患者は、医療サービスの消費者である」という歪んだ意味が生じてしまった。
 
 大井は言う。「患者と消費者を同列に置くことはできない」と。
 
 なぜか? こうなふうに考えてみる。支払い能力のない消費者はサービスを受けることが出来ない。これはこれでかまわない。お金のない消費者は車を買えない。じゃあ同様に、支払い能力のない患者は医療サービスを受けることができないのか。これはおかしいだろう、やっぱり。少なくとも日本ではおかしい(アメリカではおかしくないのかもしれないが・・・)。お金がない人でも医療サービスを受ける権利がある。そもそも医療サービスは「生老病死という必然の自体に対応する社会的対応」でああり、「皆が大切に使うべき公共財」である。そういう意味で、車のような通常財とは異なる。よって、患者は消費者であるというのは、乱暴すぎる。こういうことで得をする人間もいるが、みんなの得には決してならない。
 
 別の視点からこれを見てみる。「患者は消費者である」という常識が世の中に広まるとどういうことになるか、いやいや、そういう常識が広まってしまって、現場でどんな事態が起きているのかということである。
 
 人間は誰しも勘違いをしがちである。「自分は、患者さんではなく、患者さまである。どうしてかって? それは、患者さまはお客様であるからだ。ところで、三波晴夫は〝お客様は神さまです〝って言ってたよな。よって、患者である自分は神様である。神様はエライ! 何をやっても許される。」というように思考は暴走していく。クレーマーの出現である。こうなると、限られた公共財を皆のために公平に用いる仕組みは機能しなくなっていく。
 
 もう一つは倫理の問題。
 
 限られた医療資源を患者にどのように配分するかはきわめて倫理的な問題である。そういう意味で、大井が言うように「医療者は生殺与奪の権限をもつ『神』に似た役割を演じなければならない」のである。そう、患者が神であるのではなくて、医療者こそが神なのである。ただし、この場合の神とは、「お客様は神様である」(三波晴夫)というようなふにゃふにゃした意味合いではなくて、人間離れした高潔な人格を要求されるという意味合いで使われている。

最近

「患者様」が医療を壊す (新潮選書)「患者様」が医療を壊す (新潮選書)
価格:¥ 1,155(税込)
発売日:2011-01


も出た。たぶん同様のスタンスで書かれている本だろう。内田樹さんが推薦文を書いていた。

大井さんといえば、

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)
価格:¥ 735(税込)
発売日:2008-01


も非常に良い本である。タイトルだけ見て遠ざけるのは得策ではない。医療者の立場から、文明論や比較文化論(つながり的自己 VS アトム的自己)をしっかりと語っている。お薦めです。

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『プレイフル・シンキング 仕事を楽しくする思考法』

2010年12月29日 | レビュー
プレイフル・シンキング プレイフル・シンキング
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2009-07-03

を図書館で読む。

読みやすい語り口で書いてあるが、本質的なことが説かれている良書である。

●Can I do it ? と How can I do it ?

他人から何かを頼まれたとき、あるいは自分で「こんなことをやってみたい」と思うとき、--どういう思考方法を取るか。ある人は、Can I do it ? (=できるかなあ?) と考える。別の人は、How can I do it ? (どうやったらできるかなあ?)と考える。前者の心の奥底には<恐ろしい>があり、後者の心には<楽しい>がある。

●すべては状況のなかにある

世の中のあらゆることは、それだけが独立して存在しているわけではなくて、ある状況下において条件付きで存在しているに過ぎない。

こんな言い方も出来る。可能性は状況の中にある。つまり、可能性はあなたという個人の中にあるのではない、あなたを取り巻く状況に埋め込まれている。

状況に埋め込まれている--どこかで聞いたことがある。

このあたりの論は

状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加 状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加
価格:¥ 2,520(税込)
発売日:1993-11

の影響を感じる。

●体験と経験

体験+意味づけ=経験

経験として身につくと、特定の状況だけでなく、他の状況でも応用できる。これを「転移」という。

●分かちもたれた知能(=distributed intelligence)

課題解決に必要な知識やノウハウは、ひとりの個人の頭の中にだけあるのではなく、それに加えて、状況や道具や人のネットワークの中に分散している。

●憧れの最近接領域(=Zone of Potential Confidence)

「あの人とだったらできそうだ」という他者含みの自信のことをいう。上田さんがつくった言葉だという。

根拠のない自信を持つことが大切だ、といわれる。が、楽天的だから根拠のある自信を持つことができ、悲観的だから根拠のある自信を持つことができないというのは正しくない。それよりも、以下のような考え方の方がよいと思う。自分だけで閉じた自信だと根拠のない自信を持てる状況は限られてくる、一方、他者含みの自信だと根拠のない自信を持てる状況は広がってくる。

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『本の読み方 スロー・リーディングの実践』

2010年12月16日 | レビュー
本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)
価格:¥ 756(税込)
発売日:2006-08-17


を読んだ。

ある作家のある一つの作品の背後には、さらに途方もなく広大な言葉の世界が広がっている。

一般的に一冊の本を書くためには100冊ぐらいの本を読む必要があると言われている。ある小説家は「・・・一冊の本を書こうとすると、本棚の一つの段が資料でいっぱいになる・・・」というようなことを書いていた。ということは、一冊の本を読んでいる私は、実は100冊の本を読んでいるのと同じだということになる。

100冊の背景から生まれた本(=質の高い本)と、ほとんど背景ゼロのそのまんまの本(質の低い本)とを比べてみる。

後者の本は内容が浅いので速く読める。一気に読める。しかし、そんなものを速く読んでも仕方がない。速く読めるというのは、作者の知的レベルと自分の知的レベルにそれほどの差はないということだろう。自分に関して何の化学変化も起きない。

前者の本は内容が深いので速くは読めない。速く読めないばかりか、行きつ戻りつして同じところを何回も繰りかえして読んだり、本に書き込みをしたり、文章を写したりしてけっこうな時間がかかる。速く読めないということは、自分の知的レベルよりも作者の知的レベルの方が高いということだ、おそらく。しかし、速く読めなくても何ら問題はない。後者の本を読む時間の10倍かかったとしても、100冊の背景を背負った本なんだから、まだ10倍のアドバンテージがあることになる。自分に関して何らかの化学変化が起きる可能性が高い。

読者が本を選ぶように、本もまた、読者を選ぶのである。会話の中で、聴く気のない相手に対して、人が「この人に、話しても仕方がない」とそっぽを向いてしまうように、「なぜ?」と疑問を持たない人には、本は永遠に口を閉ざしてしまうだろう。
本を選ぶんじゃない。本に選ばれるんだ。



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ウイトゲンシュタインを極めよう!

2010年10月28日 | レビュー
マイジョブ合宿@浜松であまり理解できなかったウイトゲンシュタイン--ノートを取りながら少しずつカラダに染みこませていこうと思う。

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む (ちくま学芸文庫)ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む (ちくま学芸文庫)
価格:¥ 1,260(税込)
発売日:2006-04


を読み進めます。

図書館で

ウィトゲンシュタイン―ネクタイをしない哲学者 (哲学の現代を読む)ウィトゲンシュタイン―ネクタイをしない哲学者 (哲学の現代を読む)
価格:¥ 3,045(税込)
発売日:2009-11


を発見する。論文ではなくてエッセイのような柔らかい語り口で、レビナスも出てくる、借りる。

そのほか、来週の勉強会のテキスト

「内発的発展」とは何か―新しい学問に向けて「内発的発展」とは何か―新しい学問に向けて
価格:¥ 2,310(税込)
発売日:2008-11-18


を借りる。

内発的発展--懐かしい響きです。25年ぐらい前にタイムスリップしたような気がします。

たまたま、浜松のホテルに泊まったとき、新聞の広告で見つけた本

頭がいい人の1日10分文章術―ゲーム感覚で楽しく身につく頭がいい人の1日10分文章術―ゲーム感覚で楽しく身につく
価格:¥ 1,470(税込)
発売日:2008-04


を借りる。ぱらぱらと見た感じでは良い本です。まったく文章の書き方を習ったこともなく、文章をまったく書いたこともない若者に文章の書き方を面白く学ばせるにはこの本で紹介しているような方法を試してみるのも面白いんじゃないかと思った。

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『人に向かわず天に向かえ』(篠浦 伸禎著)

2009年02月23日 | レビュー

人に向かわず天に向かえ (小学館101新書 18) (小学館101新書) 人に向かわず天に向かえ (小学館101新書 18) (小学館101新書)
価格:¥ 777(税込)
発売日:2009-02-03

<概略>

 ストレス社会と言われる現代、多くの人が体や心の不調に悩まされている。こういう変調に対して医師ができるのは、抗うつ剤や精神安定剤を処方することぐらいである。しかし、これはあくまでも対処療法にすぎず、根本的かつ持続的な解決方法とはいえない。

 そんななか、著者が患者さんの回復に対して一番の手応えを感じたのは、人間学に関する本(『安岡正篤 人間学』)を渡したケースだった。「実在の人物たちが述べた人間の生き方に対する簡潔明瞭な言葉を何度も読み返し」ていくこと、「これらの言葉を知ってそれを実行していくことこそが、患者さんに対してどんな医学書や脳科学よりも有効なのではないかと感じるようになりました」という。

この本のキーワードは「公」である。

<引用>
 
 あらゆる人が幸せに生きていくことができる社会を目指す、これが人間学の示す「公」の精神である・・・
 
 「公」を、私は人類が人として進歩すること、あるいは進歩させる働きを助ける「公共性」と定義したいと思います。人類が進歩するとは、次に続く世代が少なくとも前の世代よりも幸せに生きることができるという意味です。強者だけが生き延びるのではなく、弱い人もそれぞれの能力を生かして幸せに生きることのできる社会です。ただやみくもに発展し、便利な世の中にするのではなく、調和と平和を大切にした持続可能な社会を作ろうとする「志」。それが「公」の概念です。
 
 西郷隆盛の「人に向かわず天に向かえ」(『西郷隆盛南州手抄言志録』)という言葉は、「私の幸せ」「私の不幸」というたったひとつの価値観で自分を決めつけてしまわず、もっと広く多様な価値観で自分を見つめ直してみるということ
 
「志は気の師なり」(孟子)

どういうことに「足る」を知らずに努力し、どういうところに「足る」を知るべきなのでしょうか。・・・・人間学で「足るを知る」と言っているのは、この「私」に関してでしょう。・・・・「志は気の師なり」は「公」に関して述べたこと・・・・

「志」を持つことは、夢や目標を実現させるために必要なことであると同時に、様々なストレスや困難を乗り越えるための大きな原動力になります

「やる気」というのは言い換えれば、人にやらされるのではなく自分からやりたいと行動を起こす「自発心」です。

「失敗は失敗でなく、ひとつの道行き、経験だと考える。失敗してはいかんと思うと萎縮する。失敗してもいい、失敗してもそれを肥やしに取り返す、前以上に盛り返すと考える。投げ出したらいかん。それが一番悪い」(土光敏夫)

「人を相手にせず天を相手にせよ。天を相手にして、己をつくし、人を咎めず、わが誠の足らざるを尋ぬべし」(西郷隆盛)

「公」の視点を持つことがバランスのいい脳をつくる

<感想>

 なぜ人間学を学ぶことが患者の回復に有効なのか? 私はこう思う。
 
+++++++++++++++++++++++++++++++
私たちが生きていて一番つらいのは、苦しみがあることではなく、
苦しみに耐えるための意味や理由が見いだせないことだ。

ニーチェ(哲学者)
++++++++++++++++++++++++++++++++
 
 患者(に限らず、現代に生きているすべての日本人)の抱えている苦しみは、生存条件に関するものではなくて、生存そのものの苦しみだからである。
 
 どういうことか? かつて人々は、貧困や病気、争いなどの生存条件の苦しみにとらわれていた。しかし、富裕化が進んだ先進諸国においては、生存条件の苦しみは小さなものとなり、生存そのものの苦しみ(アイデンティティの不安、死の恐怖、いきがいの喪失など)が露呈してきた。
 
 工学・医学・農学・法律学・経営学などの実学では、生存条件の苦しみには対応できても生存そのものの苦しみには対応できない。この苦しみに対する処方箋らしきものを示せるのは宗教と哲学しかない。

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