戸田智弘のブログ

ライター&キャリアカウンセラー

『新! 働く理由~111の名言に学ぶシゴト論。』と『働く理由~99の名言に学ぶシゴト論。』の違い

2019年04月07日 | 『新! 働く理由』

『働く理由~99の名言に学ぶシゴト論。』を既に読んでいる人が、『新! 働く理由~111の名言に学ぶシゴト論。』を読もうかどうか、あるいは買おうかどうかを迷ったときの参考にしてもらおうってことで、『働く理由~99の名言に学ぶシゴト論。』(以下『99』と略す)と『新! 働く理由~111の名言に学ぶシゴト論。』(以下『111』と略す)の違いというか、進化の有り様をまとめた。

 

 

名言+解説という形式は同じです。また、装丁のデザイナーは寄藤文平さんで同じです。

では、何が違うのかについて、以下のような感じです。

●出版に至る経緯

2007年に出した『働く理由~99の名言に学ぶシゴト論。』はおかげさまで22刷り、一六万部を突破した。一年目にものすごく売れただけでなく、その後もじわじわとロングテールで売れ続けて今に至っている。おまけに、2017年に出した『ものの見方が変わる 座右の寓話』もよく売れた。

そこで、「2007年から12年が経過したことだし、最近の動きを取り混ぜながら『99』の改訂版を出しませんか」という話を出版社からもらった。

原稿を書き始める前は、99の名言のうちの20か30ぐらいを入れ替えつつ、「働くこと」に関する最近の動きを取り混ぜて、4ヶ月ぐらいで書いてしまおうと思っていた。

ところが---、である。

この12年間に起きた出来事を拾ってみると、過労死、ブラック企業、格差社会、人生100年時代、副業・兼業の解禁、人手不足と転職の増加、ホモ・デウス(神のヒト)へのアップグレード、GAFAの躍進などなど、いろいろあることに今さらながら気がついた。

また、書棚にある「働くこと」に関する本を読み返しつつ、論文なんかも新しく読んでみたりしながら、最近のベストセラーである『ワークシフト』や『転職の思考法』、『働き方の哲学』なんかを読んでみると、いろいろと新しい発見があって、考えることやまとめるべきことが多く出てきた。

その上であらためて『99』を読んでみると、気に入らないところというか、直したいところというか、疑問点があれこれ出てきた。

それで、どの名言を残してどの名言を入れ替えるかを考えつつ、以前の文章を書き直したり、新しく文書を書き始める作業に取りかかった。結果として、大幅な加筆と訂正ということになり、9ヶ月ぐらいの時間がかかってしまった。

●名言の数

『働く理由』(2007年)で取り上げた名言は99です。このうちの41が生き残り、あらたに70の名言が加わって、名言の数は111になった。

ただし、生き残った名言も、そのままの名言もありますが、前後の文章を補って前のよりも長くなった名言もあります。たとえば、宇野千代の名言(『111』ではNo.40)です。

『99』では

厭々する労働はかえって人を老衰に導くが、 自己の生命の表現として自主的にする労働は、その生命を健康にする。

でした。

『111』では

「若さ」を保つ方法の重要なものとしては、私の考えでは、 一に精神的にも肉体的にも自ら進んで労働すること、 二に出来るだけ学問芸術の世界に遊ぶこと、この平凡な二箇条を挙げたい。 厭厭する労働はかえって人を老衰に導くが、 自己の生命の表現として自主的にする労働は、その生命を健康にする。 学問芸術は人に愛と美と真を指示して、人の労働に正しい目標と、 それ自らの内に満足する享楽を与える

となってます。

 No.66のモーパッサンも同じように、名言の文章量が増えています。こういうのがけっこうあります。

●ページ数

『99』は236頁、『111』は318頁というように大幅に増えてます。これでも、削りに削ってここまで何とか減らしました。

●アランとラッセル

三大幸福論と言えば、アラン、ラッセル、ヒルティです。

『99』を書いた時点(2007年)ではアランが私のお気に入りでしたが、『111』を書いた時点(2019年)ではラッセルが私のお気に入りになりました。『111』では数回、ラッセルの幸福論の中味が登場します。

●微妙なニュアンスの違い

『99』でも『111』でも「石の上にも三年」ということわざを引用しています。しかし、この言葉を引用した後に、何をどのように書いていくかが微妙に変化をしている。

なぜ変わったか? 2007年時点(『99』)と2019年時点(『111』)では時代状況が異なっているからで、2019年時点の特徴として

一つは、売り手市場や景気がよいというということもあり、転職が当たり前になったこと。定年まで一つの会社で勤め上げようと考えている新入社員は少なくなった。副業や兼業も原則OKの時代になりつつある。

もう一つは、人生100年時代というフレーズに象徴されるように、80歳ぐらいまでいかに社会と関わりを持ちつつ働き続けるのかという問題意識を多くの人が持つようになったことだ。同じ企業の同じ職種で20歳から80歳まで勤め上げることは想像しづらい。

二つの状況の変化によって、『99』ではどちらかというと「安易に会社を辞めてはだめだよ」的な書き方が主だったように思うのだが、『111』では「安易に一つの会社、一つの職業に安住していてはだめだよ」的な書き方が色濃くなっているように感じる。まあ、ケースバイケースなのだが・・・・・・。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しい本 『新! 働く理由』が出ました!

2019年04月05日 | 『新! 働く理由』

2019年3月15日、『新! 働く理由~111の名言に学ぶシゴト論。』を上梓しました。

http://tinyurl.com/y5lqn64s

 

12年前の2007年に出した『働く理由~99の名言に学ぶシゴト論。』の改訂版というような本です。ただ、改訂版とは言っても、大幅に加筆、訂正しているので「ほぼほぼ新しい本」と考えてもらっていい。そのあたりを説明するために、「はじめに」を転載します。

---------------------------

はじめに

2007年に『働く理由』を出版した。あれから12年が経過して、今回、バージョンアップした改訂版を出すことになった。  12年間のトピックス――過労死、ブラック企業、格差社会、人生100年時代、副業・兼業の解禁、人手不足と転職の増加、ホモ・デウス(神のヒト)へのアップグレード、GAFAの躍進など――を意識しながら、どの名言を入れ替えるかを吟味し、分析や深みが足りないところを書き直していった。  結果として『働く理由』で取り上げた99の名言のうちの41が残り、あらたに70の名言が加わって、名言の数は111になった。タイトルは、編集部の提案で『新!働く理由』に決まった。「!」が入ったのは、元の『働く理由』からお世話になっているデザイナー寄藤文平さんのアイディアだと聞いている。 〈名言+解説〉というスタイルは元の本と同じである。大まかな章立ては踏襲しながらも、あらたに第1章「ただ生きること、よく生きること」、第10章「人生100年時代と自律的キャリア形成」、第11章「〈本当の自分〉はどこにいる」を加えた。 

 私たちは今、すべての人が「働くことを哲学しないといけない時代」に生きている。 まず、大前提として私たちは近代社会に生きている。近代以前の封建社会では、どういう地域のどういう階層のどういう家族のもとに生まれたのか、性別は男なのか女なのかによって、将来、どういう職業に就いて、どういう人と結婚して、地域の中でどういう役割を担うのかが、ほぼほぼ決まっていた。そこには、ほとんど選択の余地はなかった。 近代社会になると、生まれによってほとんどが決まってしまうような生き方は否定され、共同体ではなく個人が社会を構成する基本単位となった。近代に生きる私たちは自分の将来を自分で選び取り、その可能性に向かって生きる自由を手に入れたのだ。 しかし「自由である」とはよいことだけではない。「自分はどういう仕事に就くのがよいのか」「どのように生きていくのがよいのか」を考えて、自分の進路を選び取らなければならない。仕事観や人生観に関する問いには正解がない。正解のない問いについて、言葉と推論を用いて考え、納得解を模索することが哲学することだ。これがうまくできないと、自由は重荷になり、不安に取り憑かれて立ち往生することになる。

以上が前近代から近代への移行によって、何がどう変化したかという話である。これとは別に、1990年以前とそれ以降で大きく変わった点がある(第14章参照)。1990年以前の日本人には自分が従うべき「安定的な人生の標準モデル」が存在していた。ところが、1990年以降、そういう人生モデルが崩れて多様化していった。この変化は、安定で平等なシステムから、不安定で格差を含んだシステムへの移行でもあった。標準モデルの崩壊、人生モデルの多様化によって、「自分の進路を選び取り、自分の人生を舵取りしていく」ためには哲学する能力が必要になる。そういう意味で1990年を境にもう一段、難易度が上がったように思う。

さらにここ数年の変化として人工知能(AI)の台頭が挙げられる。10年から20年以内に日本で働いている人の49%の仕事がAIやロボットで代替可能になるという研究結果(野村総研レポート「日本におけるコンピュータ化と仕事の未来」)が発表されている。こういう予測は「可能性がある」とか「かもしれない」という言葉が羅列してあることから分かるように「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の類いかもしれない。しかし、そうは言っても「近い将来、自分の仕事はAIに奪われてしまうのではないか」と不安になったり、「将来的にはAIに働いてもらって、人間はもう働かなくてもよくなる」なんていう文章を読んで複雑な気分に陥ったりするのはごくごく当たり前のことだ。これまでの人間観や仕事観、人生観が根底から揺さぶられるからだ。

 われわれは今、江戸時代の人は考える必要のなかったこと、いやいや明治・大正・昭和の時代を生きた人だって考える必要のなかったことまで考えないといけない時代に生きている。まったくもって厄介なことである。そうは言っても私たちはこの時代を生きていくしかない。自分のできる範囲で考えて前に進むしかない。こういう何だかたいへんな時代の中、「働くっていうことはどういうことだろうか」についてあれこれ考えて「現時点で私はこう思うのだが、あなたはどう思いますか」というのがこの本で趣旨である。本書において、書き切れなかったことや手が届かなかったことは次作の課題としたい。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『座右の寓話』 9刷り 6万部突破

2019年04月04日 | 『座右の寓話』

『座右の寓話』が4月4日、9刷り、6万部を突破しました。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寓話ベスト3

2018年06月10日 | 『座右の寓話』

『座右の寓話』は売れ行き好調、5万部を突破しました。

寓話ベスト3をまとめてみました。

●ディスカバー21の営業部の人が選んだ寓話ベスト3

1 北風と太陽②
2 四人の妻
3 生クリームに落ちたカエル

●私の妹(50代 女性)が選んだ寓話ベスト3

1 オアシスの老人
2 大きな岩と小さな岩
3 地獄

●私の友人(50代 男性)が選んだ寓話ベスト3

1 北風と太陽 ①と②
2 天国と地獄の長い箸
3 二人の禅僧

●「この手の本を作るならば、必ずや入れなくてはいけない」と私が思った寓話ベスト4

1 六人の盲人と象
2 三人のレンガ職人
3 天国と地獄の長い箸
4 人間万事塞翁が馬

●「2人(2匹)のパターンがよく知られているんだけど、実は3人のパターンもあるんだよ。小学生には2人パターンでいいかもしれないけど、中学生以上になると3人のパターンのほうがいいんじゃないか」という寓話ベスト2

1 靴のセールスマン
2 生クリーム落ちたカエル

●77の寓話の中に登場する動物ベスト3

1 カエル(4回)
2 馬(3回)
3 キツネ(2回)
  クマ(2回)
  ロバ(2回)
  象(2回)
  ラクダ(2回)
  アリ(2回)

セミ、雁、カバ、ひばり、カマス、トンボ(ヤゴ)、ヒトデ、サソリ、サル、ヤマアラシ、鳥、亀、は一回ずつ。こうして数えてみると、ものすごくたくさんの動物が登場していることに驚く。寓話なんだから、当たり前と言えば当たり前なんだけどね。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

76「ロバと親子」(第15章)の補遺

2018年01月28日 | 『座右の寓話』

●学生による講義の評価

 最近はどこの大学でも学生が、先生の講義や演習について評価をすることが多い。たとえば、講義や演習についての難易度、理解度、役立ち度、面白さなどについて、学生が五段階で評価する。
 私もかつて福祉系の大学で二〇名の演習クラスを持ったことがあった。その時、18人が肯定的な評価をしてくれても、2人が否定的な評価をしていると、なんだか暗い気持ちになった。二十分の二が気になって仕方がなかった。何年かやるうちに気がついた。二十人すべてを喜ばすことはできないことに--。そう、世界中の人に好かれることはできないのだ。
 もう一つ気がついたのは、講義や演習の評価は自分のパフォーマンスよりも、学生の学力やモチベーションと相関性が高いことだ。学生の学力が低ければ講義は「猫に小判」になる。モチベーションが低い学生は、どんなにすばらしい講義を聴いても「眠い、退屈、詰まらない」のである。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

71「ヤゴとトンボ」(第14章)の補遺

2018年01月27日 | 『座右の寓話』

●出典の『続・死に方のコツ 』(高柳和江、飛鳥新社)は1995年に出た本だ。私が出版社に勤務していた頃、死というテーマで本を作れないかと考え、いろんな本を読んだ中の一冊である。こういう本は色褪せない。

●理性と感性

 私たちは近代合理主義にどっぷりと浸かって生きている。インターネットが世界中を覆い尽くし、片時もスマホを離さず、グーグルで検索すれば何でも見つけられる時代に生活している。しかし、その一方で私たちは初詣に行って破魔矢やお守りを買ったり、お盆やお彼岸にはお墓参りをしてご先祖様に手を合わせたり、毎日の運勢を気にしたり、占い師に頼ったり、全国のパワースポットを巡ったり、心霊写真を面白恐がったりしながら生きている。そんなこんなは「科学的に意味ないじゃん」と心のどこかで思っていたとしても、すべての非合理的な行為をしないという人はいないのではないか。ご先祖様が見守ってくれているとか、死んだあの人が身近にいるような気がするとかいった感じは、いわば近代的な理性を越えた私たちの暗くて奥深いところに、本能的とも言える直感的な感性として備わっているのかもしれない。そういう非合理的なものにすがろうとする気持ちはより強くなっているような気がする。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

69「接ぎ木をする老僧」(第14章)の補遺

2018年01月26日 | 『座右の寓話』

●類話として「ナツメヤシの種をまく人」という話がある。備忘録としてアップしておこう。ほとんど原文どうりだが、句読点を少しいじっている。

 砂漠の果ての景色の中、隠れるようにひとつのオアシスがあった。数本のナツメヤシの脇で老人がひざまずいていた。
 裕福なの商人である隣人のハキムは、ラクダに水を飲ませようとそのオアシスに足を止め、汗だくになっているエイアウを見つけた。地面を掘り起こしているようだ。
「調子はどうだい、じいさん。平和があんたとともにありますように」
「お前さんもな」。エリアウは手を休めずに返事をした。
「このくそ暑い中、シャベルを片手に何をしてるんだい?」
「種をまいておるんじゃ」。老人はそう答えた。
「何の種をまいているんだい、エリアウ」
「ナツメヤシじゃ」。エリアウは周りのヤシの木を指差しながら答えた。
「ナツメヤシだって!」。ハキムは驚き、世の中一の馬鹿話を聞かされて同情するよ、といったふうに目を閉じた。
「暑さですっかり頭をやられちまったんだな、じいさん。 なあ、 そんな仕事なんかやめて一杯やりに行こう」
「いや、種まきを終わらせなければならん。終わってからでよければ、一緒に飲もう・・・・・・」
「なあじいさん、あんたいくつになった?」
「さあな・・・・・・六十か、七十、八十か・・・・・・。もう忘れてしまった。それがどうした?」
「あのな、ナツメヤシてのは成長するまで五十年以上かかるし、大人の木になって初めて実をつけるんだぜ。俺は何もじいさんの不幸を望んでいるわけじゃない、分かるだろ。百一歳まで生きててくれたらいいよなぁ。でも今あんたがまいている種が成長して、その実を収穫できるなんて、ありえない話だよ。さあ、俺と一緒に行こう」
「なあ、ハキム、わしは他人が種をまいたナツメヤシの実を食べてきた。その人だって、自分がまいたナツメヤシの実を食べようなどとは、夢にも思わなかったはずじゃ。今日わしが種をまくのは、明日誰かにこのナツメヤシの実を食べてもらうためじゃ・・・・・・。だれぞ見知らぬその人のためだけだとしても、この仕事を終える甲斐はあるというものよ」
「・・・・・・これはいい話を聞かせてもらったな、エリアウ。ためになる話を聞かせてくれたお礼だ、銀貨一袋を進呈しよう」。ハキムはそう言って、老人の手に革袋をひとつ渡した。
「感謝するぞ、ハキム。ほれ見なされ、こういうこともあるのじゃ。お前さんは、今わしが種をまいても収穫できるものはないと言っておった。なるほどその通りとも思えたが、ほれ、まだまき終わってもおらんのに、わしは友人の感謝の気持ちと銀貨一袋を手に入れたわい」
「じいさんは本当にものをよく知ってるな。今日二つ目のいい話を聞かせてもらった。これは一つ目よりも大事なことかもしれないな。お礼にもう一袋差し上げよう」
「はたまたこういうこともある」。 二つの革袋を横目に、 手を広げて老人は言った。 「収穫するつもりもなく種をまく。だが種まきが終わる前に、一度ならず二度までも何かを手に入れたわい」
「分かったよ、じいさん。もうその辺にしてくれ。そうやっていろいろ教えつづけられると、俺すっからかんになっちゃうよ・・・・・・」

出典:『寓話セラピー ~目からウロコの51話』(ホルヘ・ブカイ著、麓愛弓訳、めるくまーる)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

63「三年寝太郎」(第13章)の補遺

2018年01月25日 | 『座右の寓話』

●中途障がい者

 中途障がい者が自分の障害を受容する--つまり自分の運命を受け入れる--のに必要なのは三年ぐらいだという話を聞いたことがある。障がい者は、時間をかけて内省し、自分の障害と向き合い、障害そのものを正確に理解をしながら、少しずつこれからの自分の未来を思索する。そして、障がいがあるからできること、自分だからできること、自分以外の人間や地域社会に貢献できることを考え始める。青年期の三年間も同じである。この内省期を経て社会につながっていく。
 それと合わせて大事なことは、そういう青年期の若者の周りの人間がどう接して、どう関わっていくかである。無理やり社会にぴっぱり出せばいいのか。人間の発達や障害には個人差がある。したがって、その発達や変化、成長を待つことが求められて当然だ。それには、覚悟をもって「どう待つか」を決め、タイミングを見極める力がなければいけない。寝太郎の場合は、三年三カ月必要だったのである。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

61「塚原卜伝と弟子の会話」(第12章)の補遺

2018年01月24日 | 『座右の寓話』

●ナスカピ族の狩猟

 この寓話の教訓は、継続するうえでは力の加減を知ることが大事であるってことだ。継続するときにもう一つ大事なのは「信じること」である。とりあえずそのまま進めば必ずよいことがあると信じて、しばらくは続けてみることである。迷い散らかして、あっちへ少し、またあっちへ少し・・・・・では駄目だってことだ。

 金井壽宏さんが本(『働くひとのためのキャリア・デザイン』PHP新書)で書いている「K・ワイクがあげるナスカピ族の狩猟の例」は大変面白い。概略は次の通り。

 ナスカピ族は狩りに出る前に必ず占いをする。その占いとは、トナカイの肩甲骨を火であぶり、その骨にひびが入った方向に狩りに出かけるというものだ。その占いに従うと、彼らは必ず獲物にありつけるという。
 もちろん、この占いに科学的根拠があるわけではない。大事なのは、ひびの入った方向に進めば、いい獲物に出会うことができるとナズカピ族の狩人が心から信じていることだ。心から信じているからこそ、獲物を手に入れるまで、最初に決めた方向に自信をもって進み続けることができるのである。避けるべきことは、どの方向に狩りに行こうか迷っている間に日が暮れてしまうことだ。

12「墨子と占い師」(第3章)では、占いを否定的なニュアンスで書いたが、ここで紹介したような意味では占いは大きな力を持つ。占いバンザイ!!

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

60「生クリームに落ちた三匹のカエル」(第12章)の補遺

2018年01月23日 | 『座右の寓話』

●二匹と三匹

本書では三匹のバージョンを紹介した。一匹目を省き、二匹目と三匹目だけの話の方がよく知られている。

●豆知識

 生クリームの中には脂肪が含まれている。その脂肪はうすい膜で囲まれているので、強く振ると、膜が破れ、脂肪同士がつながる。さらに振ると、脂肪と脂肪がつながってホイップクリームになる。この状態からさらに振り続けると、水分が離れ、もっと脂肪同士がくっつく。バターのできあがりである。
 ちなみに、どんな生クリームでもOKというわけでもない。食品表示の種類別の欄に「クリーム」と書いてある生クリームを使う必要がある。「乳又は乳製品を主要原料とする食品」や「植物性脂肪」のものではバターはできない。

●知性と笑い

 ユダヤ人に脈々と伝わってきた寓話は非常にレベルが高い。大切な教訓を含みながら、話の骨組みがしっかりとしており、同時に笑いの要素がしっかりと含まれているという点においてである。本書をまとめる初期段階において、「なぜユダヤ人のつくる寓話はレベルが高いのか」を不思議に思っていた。この寓話を引いた『ユダヤ商法』という本を読んで納得した。その要点を紹介しよう。
 ユダヤ人に対する日本人のイメージは、神に真剣に仕える「聖書の民族」、真面目に勉強する「本の民族」である。しかし、その一方で、笑いが重んじられるのは不思議である。一見すると、真面目と笑いは真逆のような気がする。しかし、真面目さと笑いは矛盾しない。それどころか、関係が深い。その前提として、ユダヤ人のジョークは、粗野な笑いではなく、知的な笑いであることをまずはおさえておきたい。「ジョークは知性の砥石」であるという言葉があるぐらい、ジョークは知性を高める訓練になるという。それに加えて、どんな苦難に見舞われても、希望を失わないこと、勇気を奮い起こすという力をジョークは持っている。
 笑いの構造を研究したケストラーという人によると、ジョークは無数の構造の中から二つの構造を結合させることで発生するのである。つまり、一見違った現象の中から構造を見つけ、他の構造と結びつけた時に笑いが生まれるのだ。ユダヤのヘブライ語では叡智とジョークは同じホフマという言葉なのだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

59「空を飛ぶ馬」(第12章)の補遺

2018年01月22日 | 『座右の寓話』

●空を飛ぶ象

『深夜特急』(新潮文庫)で知られる沢木耕太郎はエッセイの中でこんなジョークを飛ばしている。

-------------------------------
たとえば、象が空を飛んでいるといっても、人は信じてくれないだろう。しかし、四千二百五十七頭の象が空を飛んでいるといえば、信じてもらえるかもしれない。

沢木耕太郎『象が空を』(文藝春秋)
----------------------------

 単に数字を示せばいいいう話ではない。細かい数字を示すところが味噌である。「4000頭の象」では信用性は得られない。「四千二百五十七頭」だからこそ「ちゃんと数えたんだな」ってことで信用されるのである。

 広告の世界では、あえて細かい数字を出すことで信憑性を増そうとする手法がよく使われる。「多くのお客様が満足と答えています」よりも「98.4%のお客様が満足と答えています」の方が、「業界第1位 高いリピート率を誇っています」よりも「業界第一位 93.7%のリピート率を誇っています」の方が、「販売累計数 20万個達成」よりも「販売累計数 22万1098個達成」の方が信用性は増す。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

58「カエルの登山」(第12章)の補遺

2018年01月21日 | 『座右の寓話』

●無責任の二つの意味

「他人の無責任な言葉」という表現について考えてみる。無責任には二つの意味がある。一つは、責任を取らなければいけない立場にいるのに、責任を取らないこと、責任を自覚しないこと。もう一つは、責任がないこと、責任をとれないこと。親子や夫婦などの関係を除けば、人は基本的に他人の人生に責任を持つことはできない。自分の人生に責任を持てるのは自分だけである。したがって、他人の言葉がけは無責任ってことになる。

●マジック・ジョンソンの名言

『働く理由』(戸田智弘著、ディスカヴァー21)の中で、マジックジョンソンの名言を紹介した。参考までに引用しておく。
 
「お前には無理だよ」と言う人のことを聞いてはいけない。
もし、自分で何かを成し遂げたかったら、
できなかった時に、他人のせいにしないで、自分のせいにしなさい。
多くの人が、僕にも「お前には無理だよ」と言った。
彼らは、君に成功して欲しくないんだ。
何故なら、彼らは成功できなかったから。
途中であきらめてしまったから。
だから、君にもその夢を諦めて欲しいんだよ。
不幸な人は不幸な人を友達にしたいんだよ。
決して諦めては駄目だ。
自分のまわりをエネルギーであふれた、
しっかりした考え方を持っている人で固めなさい。
自分のまわりをプラス思考の人で固めなさい。
近くに誰か憧れる人がいたら、その人のアドバイスを求めなさい。
君の人生を変えることができるのは君だけだ。
君の夢が何であれ、それにまっすぐ向かって行くんだ。
君は、幸せになるために生まれてきたんだから。

マジックジョンソンリベイロ,ジョージ著『マジック・ジョンソン―エンドレス・マジック』(TOKYO FM出版)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

54「空の茶碗」(第11章)の補遺

2018年01月20日 | 『座右の寓話』

●忠言耳に逆らう

『ことわざで働き方を考えよう』(戸田智弘著、TOブックス)でも、素直についてあれこれ書いた。引用しながら、復習しておく。

取り上げたことわざは「忠言耳に逆らう」というもので、その意味は「忠告の言葉は、聞く者にとっては耳が痛いから、素直に受け入れられにくいということ」である。

類語としては

諫言耳に逆らう/金言耳に逆らう/苦言は薬なり、甘言は病なり/薬の灸は身に熱く、毒な酒は甘い/良薬は口に苦し

がある。

 素直な人は伸びる。素直でない人、つまり強情な人や頑固な人は伸びない。また、素直じゃない人間は好かれない。好かれないと、よいアドバイスがもらえないし、いい仕事が回ってこない。これは学生が勉強するときにも、社会人が仕事をしていくときにも当てはまる。以前に在籍した職場で実感したことである。素直なAさんと素直でないBさんとでもておこう。

 Aさんが出した企画に対して私が「こうした方がいいんじゃない?」とアドバイスをしたとする。「なるほどそうですね。じゃあここを少し変えます」とか、「それいいですね。そのアイデアを頂きま--す」という。Aさんは良いものはどんどん受け入れていく。
 一方、Bさんが出した企画に対して私が「こうした方がいいんじゃない?」とアドバイスをしたとする。BさんはAさんと違って「・・・うーーん・・・でも・・・」とまったく人の意見やアドバイスを聞かない。時に「言承け良しの異見聞かず」で、よい返事をするものの実際には私のアドバイスを聞き入れない。

●頭がよいか悪いか--素直かそうでないか

 頭の良い人と悪い人、素直な人と頑固な人という軸で世の中の人を分類してみる。形式上、素直で頭が良い人、頑固で頭が良い人、頑固で頭が悪い人、素直で頭が悪い人の四つに分類できる。しかし、実際に存在するのは、素直で頭が良い人、頑固で頭が悪い人の二種類しかない。素直でないと頭はよくならないからだ。

●素直の反対語は?

 一般的に、素直という言葉の反対語は頑固や強情、独りよがりである。『生きる力 森田正馬の15の提言』 (帚木蓬生、朝日選書)という本の中に「頑固やひとりよがりも素直の反対側にはあるんだけど、今ひとつ対立語としては迫力がない。<素直>の反対語は<いいわけ>だ」というようなことが書いてあった。そして次のようなエピソードが紹介されていた。

 著者の帚木蓬生が八十歳になる三味線のお師匠さんに聞いた。「上手になるのは、もともと才能と素質がある人ですか、それとも、よく稽古をするですか」と。すると、「素直な子」ですとお師匠さんは答えた。そして、頑固な子、ひとりよがりの子は、こちらの言うことを聞かないから、どんなに練習しても下手な道を突き進むだけだ、と話を続けた。

なるほど、素直な子は上手な道を突き進み、素直じゃな子は下手な道を突き進むのか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

53「半分の煎餅」(第11章)の補遺

2018年01月19日 | 『座右の寓話』

●要するに継続は力なりということである。ただし、ただ単に続けるのではなく、日々改善しながら継続する方が優れている。

才能の差は小
行動の差は中
継続の差は大
改善の差は極大

という名言がある。

●複利効果

百万円を投資信託で運用したとしよう。一年間で30%の運用益が出る投資信託Aと40%の運用益が出る投資信託を比べてみる。この10%の違いはたいしたことがないように考えがちである。しかし、複利効果を考えると、その差はすさまじい。

投資信託A:130万円→169万円→219万円→ 285万円→ 371万円→ 482万円→ 627万円→ 815万円→ 1060万円→ 1378万円

投資信託B:140万円→ 196万円→ 274万円→ 384万円→ 537万円→ 752万円→ 1054万円→ 1475万円→2066万円→2892万円

十年後には2892万円-1378万円=1514万円もの差が出る。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

49「コスタリカの漁師とアメリカ人旅行者」(第10章)の補遺

2018年01月18日 | 『座右の寓話』

●類話として「椰子の木とアメリカ人旅行者」という話が有名である。たぶん、「椰子の木とアメリカ人旅行者」をもとに「コスタリカの漁師とアメリカ人旅行者」が作られたのではないか。

「椰子の木とアメリカ人旅行者」

 南の国を旅行で訪れたアメリカ人が、椰子の木の下で昼寝をしている男をつかまえて説教を始めた。
「怠けていないで、もっと働いてもっと金を稼いだらどうだ」
男はジロリと見あげて言う。
「金を稼いでどうするんだ」
「もっと広くて立派な家に住める」
「俺はこの家で十分だ」
「じゃあ、稼いだお金で株にでも投資して増やせば、大金が手に入る」
「大金が入ったらどうする?」
「別荘でも買ったらどうだ」
「別荘を持ってどうするんだ?」
「庭の椰子の下で昼寝でもするよ」
「俺はもう椰子の下で昼寝をしているよ」

●アッパー系の食品とダウナー系の食品

 食品にはアッパー系の食品とダウナー系の食品の二種類がある。アッパー系とは脂や糖や塩なんかが多い高カロリーの食品である。ハンバーガーやフライドポテト、フライドチキン、豚骨ラーメン、ケーキ、クッキー、ポテトチップスなどがこれに該当する。アッパー系の食品は、脂、糖、塩の三要素から成り立っており、舌に乗せたときに一瞬で味がわかるような濃い味つけになっている。じっくりと味わう必要もなく、すぐ飲みこめてしまう。人間は噛むことで脳に「食べた」記憶を植え付けるため、胃は満足できても脳は満足しない。また、アッパー系の味は脳が興奮して、食べれば食べるほど、もっと欲しくなるという特徴があり、お腹がいっぱいになっても食べることを抑えられない。
 一方のダウナー系とは、素材そのものの旨味が引き出された薄味の料理である。昆布やかつお節、煮干し、干しシイタケ、野菜、貝類などを素材に作られた筑前煮やあさりの酒蒸し、お吸い物、みそ汁などがその典型である。こういう食品を口にすると、脳の興奮が抑えられ、深い充実感が得られ、自然に食べ過ぎを抑えることができる利点がある。
 脂や糖、塩にまみれたアッパー系を美味しいと感じる味覚から、うまみを効かせたダウナー系をおいしいと感じる味覚へ変えるのがコツ。充足感を得ながら食べ過ぎを防げるはずなのです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする