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戸田智弘のブログ

ライター&個人投資家&主夫

ウェゲティウスの名言

2025年05月04日 | 名言あれこれ

 最近、「平和を望むなら、戦争の準備をしろ」という名言を知った。調べてみたら、古代ローマの軍事作家ウェゲティウス(Publius Flavius Vegetius Renatus)の著書『軍事訓練論(Epitoma Rei Militaris)』に由来するラテン語の格言がオリジナルのようだ。

Si vis pacem, para bellum(シー・ウィス・パーケム・パラ・ベッルム).

英訳すると

If you want peace, prepare for war.

この英訳はいろんなところで使われ、軍事、政治、哲学などさまざまな文脈で引用されるという。

日本において同様の名言はないかと調べてみると

軍備が国家を滅ぼすことがある。だが無備もまた国家を滅ぼす。

             石橋湛山(元首相・平和主義者)

が知られている。では、出典は? 明確な記録を見つけることができず、彼の思想や政策から派生した要約や解釈として広まった可能性が高いとのことだ。

 さて、ここでもっともらしいことを400字ぐらいで書いてみようと考えた。まずは自分で文章をさらさらと書いてみて、それをChatGPTに投げて、校閲をしてもらったのが以下の文章です。

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 現代の国際社会には、対話や協調を重視する国々がある一方で、武力によって自国の利益を追求しようとする国も存在する。日本は、憲法に平和主義を掲げ、戦争を望まない国の一つである。しかし、地政学的に見れば、日本の周辺には軍事的野心を隠さず、力による現状変更を試みる国家や指導者が存在していることも事実だ。
 そのような現実を踏まえれば、私たちが平和を維持するためには、単に戦争を否定するだけでなく、戦争を抑止する力を備えておくことが不可欠である。防衛力の整備は、戦争を誘発するものではなく、むしろ戦争を未然に防ぐ「抑止力」として機能する。だからこそ、私たちは冷静に、しかし確固たる意志を持って備えなければならない。
 まさに「平和を望むなら、戦争に備えよ」という古の言葉が、今の時代にもなお深い示唆を与えている。
===========================

さらに、これをChatGPTに投げて「15歳の中高生でも理解できるように書き直してもらった」のが以下のバージョンです。

=========================
 世界には、戦争をしたくない国が多くあります。日本もその一つで、平和をとても大切にしている国です。でも、日本のまわりには、力で他の国をおどかしたり、自分の考えを通そうとする国もあります。そういう国がある以上、「自分たちは戦いたくない」と思っているだけでは、平和は守れません。
 だからこそ、いざというときにそなえて、防衛の力をきちんと持っておくことが大切です。それは、戦うためではなく、戦わせないためです。強い守りがあることで、相手に「攻撃してもムダだ」と思わせ、戦争を防ぐことができるのです。
 古代ローマの言葉に「平和を望むなら、戦争に備えよ」というものがあります。この言葉は、今の時代にもあてはまります。本当に平和を守りたいなら、そのための準備や覚悟も必要なのです。
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終わり

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宝くじについての名言

2025年05月01日 | 名言あれこれ

いちばん有名なのは

宝くじは愚か者に対する税金である
  
という名言だ。

どういうことかというと、確率を理解していれば、宝くじがいかに割に合わないか分かるはずということだ。

日本の一般的な宝くじの期待値は、購入金額の約45%前後だと言われている。1枚300円で宝くじを買ったとすると、平均回収額は135円くらい、ということで、65%くらい(195円分)は最初から失うリスクを抱えて買っていることになる。だから

宝くじは無知税である

とも言われる。 確率や期待値ということを知らない人が支払う税金だ、という意味だ。

また、

宝くじは自発的な税金である

というフレーズもよく聞く。ふつうの税金(所得税、住民税、消費税、自動車税など)は強制的に徴収されるのに対して、宝くじというのは自分から進んで支払う税金だというニュアンスである。

英語圏では、

A lottery is a tax on those who are bad at math

が有名だという。日本語に訳すと「宝くじとは数学が苦手な人に課される税金」となる。皮肉が込められたフレーズだ。

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山本夏彦の名言

2015年02月23日 | 名言あれこれ

「カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「山本夏彦」(1)」から聞こえてきた名言である。

本を読むということは、死んだ人と話すことである。

山本夏彦(作家)

文字になっていないかと思って検索したら、

本を読むということは、死んだ人と友達になるということである。

『浮き世のことは笑うよりほかなし』(文藝春秋、山本夏彦)

が見つかった。

そういえば、誰かがどこかで言っていた。

図書館はお墓である

と。

図書館に集積している本のうち、存命の人と、亡くなった人の割合はいかほどだろうか。おそらく亡くなった人の割合が圧倒的に多いのではないか。たとえ、存命中の人の書いた本であっても、実は「本は本から作られる」というように、先人の成果を踏み台にして書かれた物であるということを考えると、図書館というのは死んだ人の魂が凝縮している場所だといえる。

図書館へ行くと、死んだ人と話すことができる。

ってことか。

 

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諏訪哲史の名言

2015年02月03日 | 名言あれこれ

昔ーー正確に言うとーー二〇一〇年五月十二日に「特別講座 創作心得」(朝日カルチャーセンター 名古屋)を受講した際に、芥川賞作家の諏訪哲史さんが板書した言葉である。

文章は、文字列が音声を感じさせ、音声が文字列を感じさせなければならない。

諏訪哲史(小説家)

 このほか、「一般の人は小説を単なる視覚芸術だと思っている。聴覚芸術でもある。つまり、眼で文字を追っているとき音が聞こえてこなければならない」「朗読して心地よいものが名文である」「文章を書いているとき僕の中に音があった。そういうときは良い文章だとほめられる」というようなことを話していた。

 基本的に原稿は黙って書くけれど、推敲は音読するのがよい。実際に声を出すことが出来なくても、頭の中で音を響かせながら推敲するとよい。「文字列が音声列を感じさせているかどうか、音声が文字列を感じさせているかどうか」を確かめるためにーー。

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ヨハン・フリードリッヒ・ヘルバルトの名言

2015年02月02日 | 名言あれこれ

 8年ぐらい前から、大学生と接する機会が増えてきた。全体的な印象としては、昔に比べて真面目になった。講義を休まない。資格取得に熱心な学生も目立つ。授業とサークルとバイトでスケジュール帳はびっしりと埋まっている。忙しいせいなのか、八割の学生は新聞を読まない、四割の学生は本を読まない。おまけに、地元志向の裏返しなのか、以前に比べて海外に対する関心も薄くなっている。大学時代にしかできないことをおろそかにしてはいまいか。学校(school)とはもともと閑暇を意味するのに--。

で、こんな名言がある。

学校とは閑暇を意味する。そして、閑暇は、思弁、趣味および宗教にとっての共有財産である。

ヨハン・フリードリッヒ・ヘルバルト 

この名言を解説した文章を、『教育名言事典』(196頁、鈴木晶子が執筆)から、引用する。

 英語のスクール(school)は、ラテン語のスコラ(schola)、古代ギリシア語のスヒョレ(schole)を語源とし、もともと閑暇を意味していた。閑暇とはするべき事のない状態、要するに暇を意味していた。

 本来、学校というところは、生活の糧を得ることに汲汲としていたのではゆっくり考えられないことを学んだり、話し合ったりする場としてつくられたのだという。

 ヘルバルトは、多面的な興味や関心を養うことを教育の目的として掲げた。その興味をはぐくむ方向として、論理的思考へとつながる思弁的興味、美的感性へとつながる趣味的興味、宗教的信仰へとつながる宗教的興味という三つの柱を立てた。

 現代人は大人も子供も、孤独になる権利を奪われている。情報づけでないと落ち着けないのは、ジャンクフードづけになって味覚が失われていく過程に似ている。真の知識に対する空腹を味わう機会を奪われているのかもしれない。人間にとって--とくに子供にとって--「孤独な時間」を持ち、理由のない「退屈な時間」を持つことは健康であり、良いことである。ということで、こういう名言もある。

閑暇は哲学の母である。

ホッブズ『リバイアサン』

そういえば、古河電工時代の上司(植松さん)は

忙しいっていうのは、心を亡くすってことなんだよね。

が口癖だった。「忙しい」という文字を分解すると、りっしんべんは心を意味するので、心を亡くすってになる。

教育名言辞典
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北野武の名言

2015年02月01日 | 名言あれこれ

 時おりスポーツ選手や歌手が小中学校を訪問し、「夢を持つことの大切さ」を語るイベントが開かれる。そういうとき、彼ら彼女らはついつい「努力すれば必ず夢はかなう」と口をすべらせる。力強い言葉である。分かりやすい口上である。しかし、一般論と個別論は区別する必要がある。「努力すれば夢は必ずかなう」というメッセージは好ましくない。一般論としてそんなことは言えないからだ。「私の場合は努力したら夢がかなった」というメッセージが正しい。それは個別論だから正しい。このあたりをごっちゃにしてメッセージを伝えると、利よりも害が大きくなってしまう。

北野武がズバリ

・・・勘違いしてしまったのだろうか。努力すれば夢は何でもかなう、と。

だけど、それは間違いだ。今も昔も、物事の本質は何も変わっていない。

正しくいうなら、努力すればかなう夢もある、だ。

北野武『全思考北野武』

この本の別のところで北野武は、自分と綾小路きみまろを俎上にのせて「俺も綾小路も売れた。その陰に何人の落伍者がいたことか。一〇人や二〇人じゃない。何百人とか何千人の中の、たった二人だ」と述べている。

 スポーツ選手や歌手、アイドル、声優、芸人などの職業に就こうとする場合、学歴は問われない。学歴が問われないってことは、学校の勉強なんかしなくてもいいってことだ。勉強しなくても成功できる特別な存在としてそういう職業にあこがれる。しかし、そういう仕事に就ける人はほとんどいない。たまさかそういう職業に就けたとしても、そのポジションを維持し続けるのは非常に難しい。長くそういうポジションで活躍できる人は例外なく勉強が出来る人だ。そんなこんなは子供には分からない。

 あまりにノー天気に「夢を持つことの大切さ」だけを語ることから、もうそろそろ卒業したい。「煽ること」だけでなく「鎮めること」を、「特別な存在になること」だけでなく「フツーの存在になること」を、「自分のためにという視点」だけでなく「世の中のためにという視点」を持てるようなキャリア教育に舵を切っていくべきだろう。それは、二つの相対立する考え、矛盾するような考え方を同時に心に抱きながら、しかも正常に機能し続けられる能力を身につけていくことを意味する。

 

全思考 (幻冬舎文庫)
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工藤公康の名言

2015年01月31日 | 名言あれこれ
学び続ける理由 99の金言と考えるベンガク論。
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ディスカヴァー・トゥエンティワン

『学び続ける理由』から、こぼれ落ちた名言をメモしておく。工藤公康の言葉だ。

 プロ野球選手でも「教えてください」といってきます。そこで「いいよ」といって教える。それが本当にその選手のためになるかといえば、まったく逆であることがほとんどです。長い目で見れば、「教えない」ことのほうが選手のためなのです。
 なぜか。教えないと自分で見ようとするのです。なにをいっても教えてくれない。すると、その選手は自分の目で見て盗もうとする。そして、見ると言うことは考えるということにつながっていくのです。考えて自分でつかみとれば、それはその選手のものになります。

工藤公康『僕の野球塾 「考える力」こそ最強の武器』(講談社)

 工藤 公康(一九六三年生まれ )は愛知県豊明市出身の元プロ野球選手。所属した西武、ダイエー、巨人の三球団で日本シリーズを制覇したことから優勝請負人と呼ばれた。工藤公康の球種は主にストレート・カーブと少なかった。しかし、ストレートは一三〇km/h台後半と一四〇km/h台後半の二種類、カーブは一〇〇、一一〇、一二〇、一三〇km/h台の四種類の投げ分けていたという(ウィキペディアを参照)。

 工藤はなぜ聞くのではなく見ろというのか。まず考えられるのは、見ることで得られる情報量の方が、聞くことで得られる情報量よりも多いからである。
 ハンガリーの科学哲学者マイケル・ポラニーによれば、人間はつねに言葉にできることよりも多くを知ることができる。個人がもつ知識には、言葉で表現できる部分と、言葉で表現できない部分とがあり、前者よりも後者のほうが多くを占めている。ポラニーは、前者を形式知、後者を暗黙知とよんだ。聞くことで得られる情報は形式知、見ることで得られる情報は暗黙知である。工藤は自分の持っている技術の一部分しか言葉で伝えられない。
工藤が言葉に出来ない技術を自分の目で見て盗みにいかないといけない。

 もう一つ考えられるのは、聞きながら考える量よりも、見ながら考える量の方が圧倒的に多いからだ。これは、見ることで得られる情報量の方が、聞くことで得られる情報量よりも多いということとも関係する。しかし、それだけではない。工藤の言葉を「ふむ、ふむ、そうか」となずきながら聞いていても、自分の頭は十分に働いていない。分かったような気になっているだけだ。一方、工藤の身体の動きを見ているときは「どこに注目して見ればいいか」「なぜそういう動きをしているのか」「どうしたらそういう動きができるのか」「一連の動きをどう分解すれば理解しやすいか」「体のパーツはどう連動しているか」などを考えないといけない。考える量が少ないと知るレベルと変わらない状態で留まってしまう。考える量が多いと分かるに到達できる。知ると分かるの間には距離がある。分かるっていうのは、頭でも分かるし、身体でも分かるってことで、頭と身体のズレがない状態を意味する。

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ヴァレリーの名言

2015年01月30日 | 名言あれこれ

『学び続ける理由』からこぼれ落ちた名言を紹介する。

人間は自分が仲間とコミュニケーションできる限りにおいて、しかもそれと同じ手段を用いてしか自分自身ともコミュニケーションできない。私は自分と話すことを、私が他者と呼ぶであろう迂路を通じて学んだのである。私と私の間に媒介者として他者がいる。

ヴァレリー『ヴァレリー全集カイエ編』(筑摩書房)

 思考とは自問自答である。あたかも他人と会話するように自分と自分が対話することである。したがって、考えるためには自分の中にたくさんの他者が住んでいなければいけない。つまり自分が社会的でなければいけないのだ。別の言い方をすると、心が社会的でない限りまともな思考にはならない。心が社会的であるからこそまともな思考が出来るのである。良質な他者をたくさん取り入れる方法としては読書が一番である。

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大分むぎ焼酎 二階堂のCM の名言

2015年01月28日 | 名言あれこれ
希望の思想 プラグマティズム入門 (筑摩選書)
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筑摩書房

 
を買った。はじめにのところに「焼酎のCMで流れた」として

夢を持てと励まされ、夢を見るなと笑われる

という言葉が引用してあった。調べてみると、大分むぎ焼酎 二階堂のCMだと言うことが分かった。

「夢を持て」と励まされ、「夢を見るな」と笑われる。
ふくらんで、やぶれて、近づいて、遠ざかって…。
今日も、夢の中で目を覚ます。

である。そういえば、文章の書き方を教えているときに、「いきなり書き始めてはいけない。ネタを考え、流れを考えてから書こうね」ということが言いたくて、急がば回れということわざを紹介したことがあった。そのとき、

近道は、遠回り。
急ぐほどに、足をとられる。
始まりと終わりを直線で結べない道が、この世にはあります。
迷った道が、私の道です。

を引用したことがった。これも、二階堂のCMだった。

 

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楽観と悲観に関する名言

2015年01月25日 | 名言あれこれ

天声人語(朝日新聞朝刊、1月25日)にこんな名言が紹介されていた。

悲観主義者はすべての好機の中に困難をみつけるが、楽観主義者はすべての困難の中に好機を見いだす。
 
ウィンストン・チャーチル(元英国首相)

楽観と悲観に関する名言はいろいろあるなあってことで、まとめてみる。

悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである。
およそ成り行きにまかせる人間は気分が滅入りがちなものだ。

アラン『幸福論』

楽観主義者と悲観主義者の違いは、こっけいなものさ。
楽観主義者はドーナツを見て、悲観主義者は穴を見る。

オスカー・ワイルド

楽観よし悲観よし。悲観の中にも道があり、楽観の中にも道がある。

松下幸之助

楽観主義者は、青信号しか見えない。
悲観主義者では、赤信号しか見えない。
そして、真の賢者とは、色盲である。

アルベルト・シュバイツァー

楽観的に構想を練り、 悲観的に計画し、 楽観的に実行する。

稲盛 和夫(実業家)

 強気相場は悲観の中に生まれ、懐疑の中で育ち、楽観の中で成熟し、
 幸福感の中で消えていく

ジョン・テンプルトン(投資家)

悲観主義者は、風について不平を言う。
楽観主義者は、風が変わるのを期待する。
現実主義者は、航行を(風に)合せる。
 
ウィリアム・アーサー・ウォード(アメリカの作家)


二人の人間が同じ格子の中から外を見ている。
一人は泥を、一人は星を。

フレデリック・ラングブリッジ

 

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問題解決に関する名言

2015年01月23日 | 名言あれこれ
新版 図解・問題解決入門―問題の見つけ方と手の打ち方
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ダイヤモンド社

『問題解決入門 問題の見つけ方と手の打ち方』(ダイヤモンド社、佐藤充一)で見つけた名言

企業は解決すべき問題の集合体である。

マクドノウ

企業は解決すべき問題の集合体であり、もしも「何も問題がない」と言う人がいれば、それは「問題がない」のではなく、その人が「問題に気がついていない」だけだ。

本の中の名言を紹介する。

問題とは、目標と現状のギャップである。

佐藤充一

問題とは、目標と現状のギャップであり、解決すべき事柄である。

佐藤充一

問題解決に関するポイントを名言風にまとめてみた。

あるべき姿と現状のギャップが問題である。あるべき姿をイメージできない人には問題が存在しない。

あるべき姿と現状のギャップが問題である。当事者意識がなければ問題は存在しない。立場が決まらなければ、問題も決まらない。

みんな問題は悪いことだと思っている。しかし、問題はよいことである。なぜならば、問題を解決して現状を乗り越えることができれば組織や人は成長するからである。ピンチはチャンスということだ。

問題とは、発生型問題、改善型問題、将来型問題の複合体である。発生型問題とは、すでに起きてしまっている問題である。改善型問題とは、現状をよりよくしていきたいと思える人だけが見つけられる課題である。将来型問題とは、理念の実現に向けて長期計画を練るときに考慮に入ってくるような課題である。

問題と課題は違う。問題を解決するためにするべきことが課題である。

制約条件とは、入力の時点において存在する客観的事実で、手段と活動を制約する条件のことである。

構造化された問題を前にしたときとき、働きかけるポイントはいくつもあるように見える。しかし、問題解決に向けられる資源は限られている。したがって、小さな力で大きな変化を起こす「レバレッジ・ポイント」を探すことが重要だ。

理念とは理想とする概念、つまり「本来のあるべき姿」である。理念なき経済は罪悪であり 経済なき理念は寝言である。

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ちまたの名言

2015年01月19日 | 名言あれこれ

株式会社レガシィ様から、「平成27年カレンダー極意」(月別卓上カレンダー)を送ってもらった。以前、ここから「社員を元気にするスピーチに使ってください! ―珠玉の名言集20―」というDVDを出したことがあって、今回、その中から二つの言葉ーー偉人の名言ではなくて私のまとめの言葉ーーがカレンダーの中に紹介された。

「社員を元気にするスピーチに使ってください! ―珠玉の名言集20―」の内容は下記の通り。

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今回、名言収集家とも言うべき、戸田智弘氏に、社員を勇気づけ、元気にする名言を集めていただきました。戸田氏は合算16万部のベストセラー『働く理由』『続・働く理由』において、198個もの名言を集めました。

ひと味違う 働くための名言

「興味があるからやるというよりは、やるから興味ができる場合がどうも多いようである」「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」

さて、どなたの名言でどんな意思が込められているのでしょうか。

○朝礼・終礼・月例会に
○ちょっとした集まりに
○経営理念のヒントに
○自分自身の糧に

★使い方は無限大!

そこから生まれる精神も無限大!

【2013年8月発売】


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私が発したどんな言葉が取り上げられたかというと、

「自分の経験」という牢屋に閉じこもるな

(意味) 頭の悪い人は自分の経験からしか学ばない。頭の良い人は自分の経験だけでなく、他人の経験からも学ぶ。他人の話をよく聞くことが大事。他人というのは、自分とつきあいのある人だけに限らず、海の向こうの人、彼岸の人も含まれる。したがって、本を読むことは大事だ。

と、

他人と過去は定数、自分と未来は変数

(意味)これは他人の過去は変えられないけど、自分の未来は変えられるという名言を言い換えたものだ。

の二編である。

このカレンダーの中でメモした名言がひとつある。株式会社SYワークス 代表取締役の佐藤芳直氏の

力相応の指示

(意味)部下が言うことを聞かないのは、部下が上司の言葉を十分に理解できず、すぐに行動できるような、力相応の指示が出来ていないからである。

という言葉である。

出来そうで出来ない。

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ちまたの名言

2015年01月12日 | 名言あれこれ

新聞の投書欄に、ある人が先生から言われた言葉として紹介していた

やりたいことは、やらなければいけないことの向こう側にある。

非常に分かりやすい。似たような言葉として、『学び続ける理由』のなかで

自由になるためには不自由が必要だ。

出所:西研(苅谷剛彦/西研『考えあう技術 教育と社会を哲学する』(ちくま新書))

という言葉を紹介した。

要するに、不自由(やらなければいけないこと)を経由しなければ、自由(やりたいこと)には到達できないってことだ。

 

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ちまたの名言

2015年01月12日 | 名言あれこれ

ラジオから聞こえてきた名言である。

ありがとうの反対語は当たり前

ありがとうというのは有り難い、つまり、貴重なことを意味する。よって、反対語は当たり前になる。

呼吸ができること、目が見えること、本を読めること、耳が聞こえること、話が出来ること、歩けること、走れること、ラジオ体操ができること、テニスができること、ご飯が食べられること、パソコンができること、仕事があること、家族がいること、貯金があること、友達がいること、蛇口をひねると水が出ること、家に住めること、風呂に入れること---みんな当たり前に思ってしまう。だけど、実はこれら全部は当たり前ではなくて、有り難いことである。

そういう与えられていることが失われる可能性だってあるからだ。また、現時点において、そういうものが与えられない世界で生きている人がいるからだ。

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ちまたの名言

2015年01月07日 | 名言あれこれ

「ザ・コラム 選挙の後に 毎日が投票日かもしれない」(稲垣えみ子/朝日新聞 2015/1/3)に、ある店に張り出してあった言葉として

お買い物とは、どんな社会に一票を投じるかということ

が紹介されていた。

買い物は自分の欲しい物を手に入れる手段である。そんなふうに私たちは思っている。しかし、待てよと・・・。それだけじゃないだろう。それを作っている人や会社、それを売っている人や店を支持する行為、応援する行為でもある。一見すると、非常にささやかで取るに足らない行為に思える。しかし、継続的であるゆえに「ちりも積もれば山となる」であるので、大きな力を持つ可能性を秘めた投票行為である。

もっと端的にまとめるのならば

買い物とは、その店に一票を投じることである

ということになろうか。

 

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