S県で炭焼き職人をめざして修行中のBさんからメールをもらった。事業は一進一退のようではあるが、海の幸と山の幸を楽しみながら、家族共々まあまあ元気にやっているようだ。読書についての質問が来た。
●質問
戸田さんの読書量の多さと内容の濃さに日ごろから感服しています。また相当なスピードで読まれているのだろうなあと想像しています。
戸田さんはフォトリーディングなど速読技術に関心をもったり特別に学習された経験はありますか? あるいは長年の読書経験の中で独自に編み出されたのでしょうか?
私自身、仕事関係で読まねばならない本が増え、なかなか趣味の読書(小説、ノンフィクション)が出来ない状況です。先日本好きの友人と食事した際、経営書なんて読むなよ。小説などもっと読むべき本はあるだろといわれてしまいました。
確かに今のままでは人生味気ない。できれば仕事関連の本は速読でこなせればなあ・・・と夢想しております。
どこかで立花隆氏は、多読速読のコツを尋ねられ、「とにかく速く読むこと・・・」
と、一言答えたとか。まあ、そりゃそうなんですが・・・。
何かお知恵があればご教示いただけ幸甚です。
●答
速読についての本は読んだことありません。自分の知力以上の本(難解で内容の濃い本)を脳みその中に効率的に注入するための画期的な方法があるとは思えません。あるのかなあ? ないよなーー、たぶん。
方法として考えられるのは、書き込みをしたり、ノートに書きうつすことじゃないかな。これは遅読ですね。
先日、この本を買って難解な本の読み方について勉強しました。少しだけノウハウを吸収できました。
基本的に小説以外の本を読む場合、シャープペン(B)で書き込みをしながら読みます。キーワードや対概念、「第1に、第2に、第3に・・・」を○で囲み、同意できないところは?を入れ、気になったところは文章の横に線を引きます。また、最重要なところ(「なるほど、そういうことか! ここは是非とも自分のものにしたい箇所)はページの上にチェックマークを入れて、後でノートに筆写します。時間のあるときにこのノートを読み直します。原稿を書くときなんかにも参考にすることが多いです。読み直して気がつくのは、忘れていることです。筆写しても忘れてしまうのですから、筆写しないことはもっと忘れてしまうでしょう。
速読が役にたつのは、自分のレベルと同等、あるいは自分のレベル以下の本を上手に読む技術--どうでもいいところは読み飛ばし、ポイントだけを掬い取る技術--じゃないでしょうか。
一冊の本をいかに早く読むかということではなく、あるテーマについて一通りの事を知ろうとした場合、いかに必要な情報を効率的に得るかは方法論があると思います。
たとえば、グリーンツーリズムについての基礎知識を学ぶ必要があるとしましょう。まずは、図書館や本屋で30冊ぐらいの本をリストアップする。そのあと、片っ端から本を読んで、メモを取っても効率的ではありません。次にやるのは、目次を眺めつつ、中身をぱらぱらの見る。良さそうな本を何冊か(3冊~5冊)選ぶ。読む順番を決める。一回目はただ読む。2回目はメモを取るために読む。巻末に載っている参考文献や引用文献を参考にしながら、情報源を広げていく。そんな作業が必要でしょう。
友人の言葉--「経営書なんて読むなよ」は同感です。経営書やビジネス書はピンキリですね。こういう本のパターンは同じですよね。水戸黄門のように同じパターンの話をさくさくと読んで、「うんうんその通りだよな」と頷きつつ、安心感を憶えるのはどうなんでしょうか。お経のようなものとして読めば、精神は落ち着くかもしれませんが。若いうちはともかくある年代になるとあまり読まなくてもいいかなと思う。
「ベストセラーは読まない」は同じです。(『もしドラ』は買いましたが・・・)。あとテレビへの露出が多い人の本は読みません(一部の例外はありだが・・・)。異常なペースで本を出し続けている人(一年に3冊以上が目安かな)の本もだんだん読まなくなります。対談本は99%外れですね(読みやすいのでついつい手に取ってしまうのですが・・・。養老孟司の対談本は例外的に面白い。)。
ビジネス書についていえば、翻訳本も要注意です。洋画よりも邦画の方に厳しくなる傾向があるのと同じで、同じレベルの本でも日本の著者が書いていると見向きもしないくせに、外国人の著者が書いているとひれ伏してしまうという事がありますよね。どうしてもアメリカやヨーロッパのCEOが書いているだけで、なんかものすごくレベルが高くてオリジナリティのあることが書いてあるように錯覚してしまいます。もうそんな時代ではないですね。
読書家の経営者(例えば資生堂名誉会長の福原義春さん)がお薦めする本は読む価値があるでしょう。
以前、ひふみ投信の藤野英人さんが推薦していたので
『ストーリーとしての競争戦略』
を購入しました。内容の濃い本でした。3000円の価値はありましたね。
外山滋比古さんは
読書の必要を訴える声はしばしば耳にするけれども、多くそれは量的読書である。質的に見れば、ただ知るだけのAの読み、既知の延長線上の未知を解釈するBの読み、さらにまったくの未知に挑むCの読みという三つは、はっきり別のものである。
と言ってます。
速く読める本ではなくて、速く読めない本を手に取るべきじゃないかな。速読ではなくて遅読です。何を言っているか分からない本、著者が何にこだわってこんな本を書いているのかが分からない本を読むと良い。自分の知力の外側にある本です。
あと、テクニック的なところでいうと、
1)読書のナビゲーターを何人か抱えておくこと。友人や知人のほか、有名人でもかまいません。
2)常に読むべき本を絶えず5冊から10冊ぐらいはキープしておくこと
3)家以外の本を読む場所はいくつか持っておくこと。図書館とか、お気に入りの喫茶店とか、電車とか。私も家ではなかなか本が読めません。
小説を速読する技術はあるのでしょうか? ないですよね、たぶん。これは無意味でよね。
面白い本であれば、速読したいとは思いません。逆にゆっくりと味わって読みたい。まだ別れたくない。もう少し一緒にいたい。「もうこれだけしか残っていないのかあ。もっともっと読みたいのに」というように名残惜しさを感じるのが普通です。司馬遼太郎の長編作品『龍馬がゆく』がちょうどそんな感じでした。