くすりと釣りと白衣と海

薬家の道を選んでから、とうとう人生の半分を過ぎてしまった。
けれど、海で遊んでいられるうちは子供の時のまま。

我は海の子3

2009-06-18 | 生い立ち
先祖は廻船問屋だったという。
関東大震災までは海に面した小山の上に宅を構えていたとのことで、
今でもそこは石段などの跡が見られる。
ここで事業をはじめようと色々な人の手に渡ってきたが、一つとして
成功したものはなく、今はUSJ銀行の所有地になっているらしい。
その下に今は別荘にされている大きな家があるが、その横には当時からの
小さな稲荷が海を向いてある。立派な陶器の稲荷様。

そして、更に海に向かって見下ろすと、地元では「長根」と呼ぶ岩が出ている。
海岸道路が出来る前その手前は、それは立派な石畳の船着場だったとのこと。

この「長根」潮が引くと渡れるのだが、当時は今ほど砂はなく、周りには
もっと岩がゴロゴロしていた。その岩の下に手を突っ込んっで、モクズガニを
獲ったものだが、今はそんな光景はこれっぽっちもない。
最後に獲ったのは20歳の頃。大学の後輩がサーフィンに来たとき、波が
なくて暇つぶしに、何気に手を突っ込んだらいた!といったものだった。
その他にも潮吹き貝や波の子がいっぱい付いていたし、格好の遊び場だった。
今でも長男を連れて行くと、磯辺ガニ獲れたり、潮だまりにメジナの子が
いたりする。

釣りとは?

2009-06-16 | 釣り
釣りとは、サカナが針に掛かるまで9割の運と1割の技術。そして、
掛かったサカナを獲り込むのに9割の技術と1割の運だと思っています。
さて、私のイメージトレーニングに要した時間ははどれだけあったことか?
これを1割とすると9割の運というのはどれだけ莫大になってしまったのだろう?
う~ん、これ以上のイメージトレーニングは、やめたほうがいいのかもしれない。

我は海の子2

2009-06-16 | 生い立ち
サラリーマンの父親は釣りと麻雀が好き。
週末に限らず夜に出掛け、翌朝の風呂場を覗くと収獲が転がっている。
黒鯛、メジナ、スズキ、伊勢海老…うなぎなんてときもあった。
魚と名前が一致しているのだから、よほどの回数で見ていたと思う。
蔵のあった家の記憶だから、やっぱり2~3歳の頃の記憶。

夕方、カンの虫の居所が悪いと、カブという単車のハンドルにしがみつかされ、
近くの堤防に連れて行かれたものだ。
体裁よく子守と称して出掛けたのであろうが、半袖の季節だったから、
黒鯛、キス、スズキ、そして伊勢海老の見回りだったにちがいない。

30歳になって自動二輪の免許を取り、しばらく乗っていなかったものの、
昨年、ピアジオの3mp250ccという、三輪車スクーターを購入した。
そして先日、長男を乗せて、地磯へ釣りに行ったりしたが、このときの
父親の姿に憧れていたのかもしれない。

我は海の子

2009-06-16 | 生い立ち
神奈川は西のはずれ、温泉街から降りてきた海岸近くの薬屋に生まれた。
幼少の頃の記憶がとても鮮明である今のうちに、記録しておこうと思ったのが
このブログの切っ掛け。
記憶と家族の話をすり合わせると、どう考えても2-3歳の頃から覚えてる。
だから忘れる前に綴っておきたい。

海が近いと言っても両親は共働きで、日曜しか出掛けなかった。
父親の肩の上で、波が割れる瞬間を目の前で見た記憶を覚えてる。
そして初めての潜水…いや、波乗りと言ってもいいのかも?
突然、大きな波が来て、父親の肩から放り出されグルグルグルっと。
水面の泡を見たと思った瞬間に父親の顔、母親の顔…
それでもキャッキャと騒いでいたんだからアッパレアッパレ!

海が好き、波が好き。

保育園で見た絵本に、波の子の絵があったのを見たことあるかな?
水しぶきが子供になっていて、とても楽しそうに戯れている絵。
波打ち際で、そんな波の子を一生懸命探していた。そんな幼少時代。