先祖は廻船問屋だったという。
関東大震災までは海に面した小山の上に宅を構えていたとのことで、
今でもそこは石段などの跡が見られる。
ここで事業をはじめようと色々な人の手に渡ってきたが、一つとして
成功したものはなく、今はUSJ銀行の所有地になっているらしい。
その下に今は別荘にされている大きな家があるが、その横には当時からの
小さな稲荷が海を向いてある。立派な陶器の稲荷様。
そして、更に海に向かって見下ろすと、地元では「長根」と呼ぶ岩が出ている。
海岸道路が出来る前その手前は、それは立派な石畳の船着場だったとのこと。
この「長根」潮が引くと渡れるのだが、当時は今ほど砂はなく、周りには
もっと岩がゴロゴロしていた。その岩の下に手を突っ込んっで、モクズガニを
獲ったものだが、今はそんな光景はこれっぽっちもない。
最後に獲ったのは20歳の頃。大学の後輩がサーフィンに来たとき、波が
なくて暇つぶしに、何気に手を突っ込んだらいた!といったものだった。
その他にも潮吹き貝や波の子がいっぱい付いていたし、格好の遊び場だった。
今でも長男を連れて行くと、磯辺ガニ獲れたり、潮だまりにメジナの子が
いたりする。
関東大震災までは海に面した小山の上に宅を構えていたとのことで、
今でもそこは石段などの跡が見られる。
ここで事業をはじめようと色々な人の手に渡ってきたが、一つとして
成功したものはなく、今はUSJ銀行の所有地になっているらしい。
その下に今は別荘にされている大きな家があるが、その横には当時からの
小さな稲荷が海を向いてある。立派な陶器の稲荷様。
そして、更に海に向かって見下ろすと、地元では「長根」と呼ぶ岩が出ている。
海岸道路が出来る前その手前は、それは立派な石畳の船着場だったとのこと。
この「長根」潮が引くと渡れるのだが、当時は今ほど砂はなく、周りには
もっと岩がゴロゴロしていた。その岩の下に手を突っ込んっで、モクズガニを
獲ったものだが、今はそんな光景はこれっぽっちもない。
最後に獲ったのは20歳の頃。大学の後輩がサーフィンに来たとき、波が
なくて暇つぶしに、何気に手を突っ込んだらいた!といったものだった。
その他にも潮吹き貝や波の子がいっぱい付いていたし、格好の遊び場だった。
今でも長男を連れて行くと、磯辺ガニ獲れたり、潮だまりにメジナの子が
いたりする。