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誰の上にも青い空

たからもの12

塾を辞めた直後

4年生の夏休みに

妻の実家へ行った

義父に「塾を辞めました」と報告をした


その後

義父は酒に酔うと

「おい、源次郎、医学部に行きなさい!」と

机を叩きながら怒鳴るようになった


妻が

「どうしてそんなに医者にさせたいの?」と聞くと

義父は

「医者以外ないね、医者が最高だ!」

と吐き捨てるように答えた



夏休みが過ぎて秋になり

源次郎は保育園時代から続けていた

「HIPHOPダンス教室」と「スイミング教室」を辞めた

様々な意欲を失っていた


そして冬になると

「今日、学校へ行きたくない」

と頻繁に言い出すようになった


妻は朝早く仕事へ出かけるので

少し遅くまでいる

ボクと源次郎との

「朝バトル」が幾度もあった



ボクも仕事があるので

「いいから行けよ!」と怒鳴ったりして

無理矢理に学校へ行かせたこともあった


4年生の冬(1~3月)だけで

20日ほど

学校を休むことになった

源次郎の不登校が始まった

コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

tochika
私も息が詰まって、視野が狭くなっていました。

当時は、とても苦しい日々でした。

今は少しだけ解放されました。
utawowasuretakanariya
>息が詰まる生活をさせていたと思います。

いえいえトチカさん、
トチカさんだって息が詰まりそうになりながらも、
源次郎君と共に一生懸命になってここまで来たのだと思います。
tochika
@utawowasuretakanariya VIVAさん、コメントありがとうございます。

保育園時に源次郎がやりたい、と言った習い事を続けさせていました。

中学受験する子たちは、習い事を5年生になる前までに辞めていく事が多いようです。

源次郎の場合、好きで続けていたものが塾の宿題疲れで

まるっきりやる気が無くなってしまいました。

水曜日の放課後にダンス1時間、土曜日の午前中にスイミング1時間に通っていました。

日祝は休息日にしていましたが、塾の宿題はありました。

勉強が楽しいと思える子(ほとんどいないと思いますが)以外は

息が詰まる生活をさせていたと思います。

ホントに情けない父親です。
utawowasuretakanariya
「HIPHOPダンス教室」と「スイミング教室」

つまり源次郎君には、
それまでぼーっと出来るような自由な遊び時間やひと時が
なかったのでしょうか・・
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