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教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク

憲法に反する「君が代」条例ならびに公教育の理念に反する大阪の新自由主義的教育諸条例の廃止を求めます。

本日、控訴人第2準備書面を提出します!

2017-02-28 05:38:44 | 減給取消裁判控訴審
1月26日の控訴審第1回口頭弁論を終え、4月18日の第2回口頭弁論に向け、本日、控訴人第2準備書面を大阪高等裁判所に提出します。

提出後、当ブログにも掲載します!まずは、目次を紹介します!

第1 はじめに
第2 西原鑑定意見書に基づく主張の補充(その1、裁量権の逸脱濫用について)
1 裁量権濫用についての判例の枠組み
2 本件における減給処分を基礎づける具体的な事情が存在しないこと
3 比例原則違反及び判断過程の瑕疵
第3 西原鑑定意見書に基づく主張の補充
(その2、思想・良心の自由に対する直接的侵害)
1 最高裁判例の枠組みを超える大阪府の条例の規範構造
2 大阪府国旗国歌条例における特定思想に対する意図的攻撃
3 本件処分の背景としての大阪府基本条例27条2項
4 思想・良心の自由に対する直接の侵害は証拠上明白
5 小括
第4 被控訴人の準備書面に対する再反論
1 人事委員会の裁決についての原判決の事実誤認について
2 控訴人の卒業式参列の動機と「君が代」の起立斉唱をしなかった理由
(1) はじめに
(2)人権教育主担当として7期生(卒業生)を祝福したいという気持ち
(3)「君が代」の起立斉唱が大阪府の人権教育の方針に矛盾すること
3 「君が代」を起立斉唱できない控訴人の思想に着目した処分であること
(1)卒業式の意義について
(2)控訴人の正門警備の役割分担についての事実誤認
(3)厳粛や秩序を脅かしていない事実を無視し思想への処分がされていること
(4)原判決が「世界観を優先した」ことを処分の理由に挙げていること
第5 教員による教育の自由について(主張の補充)
1 原判決の争点判断について
2 旭川学テ事件の理解について
3 教員の責務としての教育の自由について
4 憲法26条により教員の教育の自由が保障されること
第6 さいごに


被控訴人(府教委)第1準備書面①府教委による地裁判決要旨のまとめ

2017-02-09 09:41:39 | 減給取消裁判控訴審
1月12日、被控訴人である大阪府(府教育委員会)から答弁書ならびに第1準備書面が提出されました。答弁書は形式的なものでしたので掲載は見合わせます。当方の控訴理由書に対する反論である第1準備書面を掲載します。
なお、目次にありますように23頁までは、第1 原判決の正当性として、判決要旨を記載されています。したがって、当方の控訴理由書に対する反論は23頁以降となります。まずは、府教委による大阪地裁判決の要旨を掲載します。

























控訴審第1回口頭弁論後報告集会①空野弁護士による解説

2017-01-27 16:27:04 | 減給取消裁判控訴審
2017.1.26減給取消控訴審第1回法廷後報告集会①

空野佳弘弁護士の解説

最初に、意見書をお願いしている西原博史さんから体調不調のため提出が遅れるとの連絡があり、裁判官に伝えたところ、2月23日に予定されていた次回法廷が4月18日に延期になったとの説明がありました。

その後、本裁判すなわち「君が代」不起立減給処分取消処分控訴審について、現状と今後の方針についてお話しいただきました。以下に掲載します。

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最高裁判決の枠組みによると、戒告以上の減給処分をする場合は、たんに過去に処分を受けたことがあるというような事情だけでなく、減給処分という重い処分を基礎づける相当な事情がないとできない、というのが裁量についての判断枠組みなんですね。

辻谷さんは、過去には戒告1回しか受けたことがありませんし、しかも卒業式の進行が特に何か具体的な支障が生じたということもないので、それだけだと明らかに最高裁の判断枠組みから逸脱しているので減給は取り消されなければいけない、ということになるわけですが。

唯一違うのは、その前段に場外警備の職務命令が出ていて、それにも反した。府が強調するのは、二重に違反した、そこのところだけなんですね。

事前に場外警備の職務命令が出ていて、それに違反して不起立も行ったというケースは、東京ではまったくないんですよね。今回、控訴理由書のなかで、東京の判決を全部送っていただいてこちらにプラスになるものは高裁に出して、こういう判決と比較しても減給処分は重過ぎで最高裁判決に違反している、という主張をずっと展開しているんですが。ただ、東京の事例には2つの 職務命令に違反したというのがない。結局そこがどう評価されるのか、その問題だけなんですね、減給処分が取り消されるかどうかというのは。

それで、考えてみますと、教師が卒業式に出るってことがそんなに悪質なことなのか、という基本的なことですよね。そこのところに焦点をあてて辻谷さんが冒頭陳述で述べたわけですが。

むしろ、逆にですね、不起立が予想される教員は式は入れない、それで全員起立した式を遂行させる、それが当局側の狙いで、だから起立斉唱命令と不起立の恐れのある人について場外警備を命じる、式には入れないーーこれはですね、目的と手段のふたつが緊密に結びついた、そういう当局の職務命令ですよね。結局、式に出たい教員については、場外の職務命令に違反せざるを得ない、そういう状況に追い込まれて二者択一が迫られる、今日の意見陳述にもありましたが。そこが、最高裁判決によってどういうふうに判断されるのかということです。

私は、むしろ不起立が予想される教員を排除してですね、全員起立の卒業式を遂行するということの方がよっぽど問題でそちらの方が非難されるべきで、場外警備に違反してそんなに非難される、なにも悪質とまでいわれる事情はまったくないと思っていますが。

これに関連して、これまでの裁判例を考えてみると、このことを述べている最高裁の判事がいるんですよね。ピアノ判決で反対意見をかいた藤田宙靖、行政法の専門家ですが。

教員個人の思想・良心の問題以外に、こういう公の式で全員が一致した行動を取らなければいけない、そのことに懸念を表明するという、そいういう問題があるのではないか、それもひとつの思想良心の自由で、その面の侵害があったかどうか判断すべきだということで、破棄差し戻しすべきだ、という反対意見を書いています。

まさに、今回の当局は、統一した、全員起立した式を遂行するために2つの職務命令を出したわけでしょ。そこに直接焦点をあてると、藤田裁判官がいうように、まさにそのことの是非が問わなければならない、そういうことになると思うんですね。

そこに焦点を当てると、卒業式・入学式が慣例上の儀式だというような議論は吹っ飛んでしまいます。関係ががなくなる。そうすると間接的制約とか直接的制約とか、そういう議論も吹っ飛んでしまうんですよ。

で、その後の、慣例上の儀礼的所作、間接的制約という最高裁判決が相次いで出ていますが、そのときに、藤田裁判官の意見がどういうふうに評価されたかというと、最高裁も意識していて、その点はね、個人の思想・良心に付随して述べられているので別途審議する必要はない、と。だから個人の思想・良心の自由だけ判断すればいい、という。オミットしてごまかした、で、ずっとごまかし続けて来ている、そういうのが今の経緯だと思います。

だから、そこに焦点をあてて控訴審で書面を出すつもりですが、西原意見書を読み、その内容によって控訴審で争っていくつもりです。


控訴審第1回口頭弁論:冒頭陳述

2017-01-27 00:03:04 | 減給取消裁判控訴審
本日、「君が代」不起立減給処分取消訴訟控訴審第1回法廷がありました。控訴人として、冒頭陳述をしました。下記に掲載しますので、お読みいただければうれしいです。

私が本裁判で最も訴えたいことを述べさせてください。

「君が代」を歌わない教員は卒業式に参列してはいけないのでしょうか。
卒業式で「君が代」を歌うことは絶対的なことなのでしょうか。
いったい卒業式は何のためにあるのでしょうか。

枚方なぎさ高校第7期生の卒業式を私はどうしても諦めたくありませんでした。
7期生は私が担任することに決まっていましたが、学校長から人権教育推進委員長に任命され、担任としてではなく人権主担として3年間かかわりました。入学生オリエンテーションでは、「あたらしい憲法のはなし」を引用し、いろいろな立場の人がいろいろな思いを抱えていることを知ってほしい、先生も生徒も、違いを認め、支え合うことを大切にしていきたい、と話しました。

その7期生の卒業式を諦めてしまったら、私が語ってきた「おかしなことがあったら、それをおかしいという勇気が必要だ」ということが嘘になってしまう。私は7期生の卒業を見届けたいと思いました。それが教員としての務めだとも思いました。

あの時、私が選べる道は2つに1つ。ひとつは職務命令が出たからには、たとえそれが人権を侵害するものであれ命令に従う。もうひとつは、命令されても、処分されるとわかっていても、務めをまっとうする。そのどちらかでした。

前者を選んだところで誰も私を責めないでしょう。しかし、条例に基づき出された命令によって、7期生の卒業式を諦めるなんて、それで自分は恥ずかしくないの、という気持ちがありました。これまでかかわってきた生徒たちに顔向けできないとも思いました。私は卒業式に出ようと決めました。しかし、教員席はすべて座席指定になっており立ったままではあまりにも不自然です。私は椅子を持って式場に行きました。管理職をはじめ誰からも何も言われませんでしたし、同僚もまったく気に留めませんでした。
 
式中、3年間のいろんなことが頭をよぎりました。答辞を朗読した生徒の、「なぎさで学んだことで無駄なことは何一つなかった」という言葉を聞いた時、こみあげてくるものがありました。

彼女とは文化祭を前にしたある日、2人だけで話をしたことがあります。それは、リハーサルのアピールが差別につながるおそれがあると担任団で問題となり、私に指導の依頼があったからです。生徒に悪気はなくても、当事者や第三者から見た場合問題のある表現、というのは学校では少なからずあります。彼女自身がそのことに気づいてほしいと私なりに精一杯話しました。彼女は、まっすぐ私の方を向き、わかった、と答えてくれました。

卒業式からどんなに排除されても、諦めなくてよかったと心の底から思いました。

ところが一審の判決では、「式場内に勝手に立ち入り」だとか、「許可を得ず」だとか、「自らの世界観を優先させた」とか、私が卒業式に出たことが到底許されないことのように書かれており、卒業式の意義だとか、私が卒業式に出た理由については全く斟酌されていませんでした。

それどころか、信じられない事実認定の誤りがありました。
「人事委員会が処分承認との裁決を行った」と書かれているのを見た時、いくら何でもこんな間違いを裁判所がするはずがないと思いました。

しかし、それがやはり誤りであるとわかった時、唖然としました。裁判ってこんなにいい加減なものかと驚いたのです。他にも事実認定が誤っているところはいくつもありました。なぜこれほど杜撰な判決になったのか、と考えた時、思い当たることがあります。証人尋問の際の裁判長の質問に、私は、まるで自分が犯罪人のように扱われていると感じました。最も重要である筈の事実審査抜きに、「君が代」起立斉唱の職務命令に違反することは悪である、という内藤裁判長ご自身の考えから、導き出された判決ならば到底承服できるものではありません。

裁判長、
地裁における証言、証拠を再検討してくださいますようお願いいたします。
そして、客観的な事実認定に立ち、地裁判決をお糺しくださいますようお願い致します。