東京クローバークラブ ブログ

東京クローバークラブのHPが休刊中、このブログをクラブ関係の情報交換の場といたします。

第21回OB四連本番情報

2017-07-27 23:20:20 | 日記
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《23日》



本番当日のクローバーのスケジュールは下記の如く分刻みで進行した。
9:20   1Fホワイエ集合
9:30   ホール客席で各団別に着席。合同演奏に備え全員ストレッチ&発声練習
9:55   オープニングリハ(ステージ)
10:05  合同ステリハ(ステージ)
10:20  休憩– 客席にて待機(他団ステリハ見学)
10:50  発声練習(1Fホワイエ)
11:25  単独ステリハ(ステージ)

コーラスの点検・ソリストの立ち位置など最後の調整
11:50  移動(ホール3F控室)
11:55  最終調整(ホール3F控室)
12:20  別棟の楽屋へ移動
12:30  休憩・昼食・着替え(楽屋)

昼食弁当 美味しかった @¥1,000(お茶付き)
13:25  舞台袖へ移動
13:35  オープニング オンステスタンバイ
13:45  開演(オープニング)
13:50  楽屋へ移動・待機
14:25  楽屋から3F控室へ
14:35  直前発声練習(3F控室)
14:50  移動・スタンバイ
15:00  単独本番

ステージに整列し開幕を待つ間 ベースの加藤栄嗣氏の祈祷でメンバー全員深い祈りをささげたのち緞帳が上がったおかげでメンバーの気持ちがまとまり正に「一の精神」で演奏に入ることができた

福永先生、小久保先生の渾身の指揮と最後までベストを尽くして歌ったクローバークラブの演奏をお聴きいただけましたか。アルベール・デュオパの感想もお聞きしたいです。
15:25  単独終了・3F控室待機
15:45  合同オンステスタンバイ
15:50  合同本番
16:15  終演

最後の緞帳が下りた後、お互いに慰労し合い、次回での再会を誓い合う各団のメンバー
17:30  打ち上げ開始

即完売

指揮者挨拶

指揮者挨拶を聞く同志社関係者


クローバー's パフォーマンス 小久保先生ご夫妻ありがとうございました

福永ファミリーを囲んで破顔爆笑 大ママお疲れさまでした

呉越同舟

ペナントは慶応から同志社へ 2年後の次回は幹事校同志社 会場フェスティバルホールと決まった

新幹線組 お疲れ様でした 無事帰宅できたかな?

最後に、指揮をお引き受けくださった小久保大輔先生、練習指揮者の山下裕司氏、同じく竹内正氏、直前の二日間にわたり熱いVTでパワーと自信を与えてくださった小貫岩夫氏、今回のOB四連にあたり長期にわたって運営に当たられた幹事各位、なかんずく孤軍奮闘の首都圏担当松本崇氏に深く感謝をささげます。その他、他団も含めすべての関係者各位に感謝します。
さらに、温かく大きな拍手で鼓舞してくださった客席の皆様にも感謝とともに今後とも引き続き、OB四連そしてクローバークラブを支え続けてくださることをお願いし第21回東西四大学OB合唱連盟演奏会のご報告を締めさせていただきます。本当にありがとうございました。

そして最後の最後に、アジア中から集ったオンステの皆さん、写真提供の河野賢太郎氏・豊田尚紀氏、その他声援を送ってくださった世界中のクローバーファンの皆さんに深く感謝します。

2年後、フェスティバルホールでまたお会いしましょう。

まだ大事なことが漏れていました。大友慶介氏、森本潔氏が第1回から今回まで21回皆勤の記録は続行中です。練習中もバリトンの軸となり、特に編集子は入部から60年間支え続けていただき感謝です。


写真提供:
河野賢太郎氏
豊田尚紀氏ほか

文責:下津




本番の状況報告前に

2017-07-27 11:18:27 | 日記
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本番の状況報告前に、第3ステージで登場するクローバークラブの演奏曲目に関し、プログラムに書かれた指揮者小久保大輔先生の心意気がうかがえる楽曲解説をぜひご覧いただきたい。

「Messe Solennelle~荘厳ミサ~」より
作曲:A.デュオパ/指揮:小久保大輔

楽曲解説
 大学男声合唱界で広く知られた「デュオーパのミサ」。その楽譜のはじめのページには次のように書かれている。

  オルフェオン運動から生まれた荘厳ミサ曲。
  アラス大寺院のオルガニスト兼聖歌隊長でオルフェオン運動の指導者アルベール・デュオパによる。
  ローマの最高法院に出向中のオーベルニュ公へ献呈。

 ここに記されていることが、この作品について現在判明している情報のすべてである。
 作曲者デュオパ自身についてはフランス国立図書館に所蔵されている作品が数点と女声合唱曲「Notre-Dame des Miracles」の出版が確認でき、その楽譜に生没年(1832-1896)が記されているが、国際ライブラリープロジェクト(lnternational Music Score Library Project、IMSLP、12万曲所蔵)にはパブリックドメインとなっているはずの彼の作品は所蔵されていない。推測ではあるが、海外における演奏の情報が見当たらないことからも、このデュオパ作曲「荘厳ミサ曲」は国際的には「忘れられた作曲家による忘れられた作品」であると考えてよいだろう。しかしながらわが国において「デュオーパのミサ」は一定の水準にある男声合唱団の重要なレパートリーとして長らく歌い継がれてきた。

 この作品の日本における伝播は、関西学院グリークラブ出身の林雄一郎氏が戦前に楽譜を入手したことに端を発する。戦時中は秘蔵され、陽の目を見るのは終戦後の1948年第15回関学グリーリサイタルにおける「Kyrie」の演奏であった。翌年1949年には第16回関学グリーリサイタルにて林雄一郎氏の末弟林慶治郎氏指揮により全曲が初演され、関学グリーではその後もリサイタルや交歓演奏会で度々演奏されるレパートリーとなっていく。

 同志社グリークラブでは、1957年の合唱コンクールにて河原林昭良氏の指揮により「Gloria」が演奏され、同年の一般の部にて日下部吉彦氏の指揮による「Kyrie」を演奏したクローバークラブと共に優勝、後の1964年には創立60年記念演奏会において福永賜一郎氏指揮によって原調による日本初の完全演奏が行われた。

 こうして「デュオーパのミサ」はコンクール、演奏会のいずれにおいても採り上げられる作品として、慶応ワグネル、早稲田グリーら四連組のみならす立教グリーや上智グリーなど多くの大学男声合唱団のレパートリーとなっていった。そして2001年、「輸入元」である関学グリーは開学100周年記念として北村協一氏指揮のもと全曲を2年がかりで演奏し、世界初の全曲録音のCD化を遂に達成した。

 日本における「デュオーパのミサ」の受容。それは、スペインで忘れ去られた聖歌「 O Gloriosa Domina」を「ぐるりよざ」として歌い継いだカクレキリシタンさながらの「演奏」の歴史である。日本において「デュオーパのミサ」への憧れを人々にもたらし、新たな演奏を生み続ける原動力となってきたのは、「作品」の力のみならず、先述のように積み重ねられたそれぞれの「演奏」の力(と物語)によるところが大きいように思われる。数多の演奏によって次第にゆるぎない名作となっていった「デュオーパのミサ」の在り方は、演奏行為が音楽の主体であること(あったこと)を宣言するひとつの碑文と言えるのではないだろうか。

 著書「演奏の時代」において作曲の時代の終焉と演奏の時代の幕開けを看破した福永陽一郎氏は「いつか遂には、“演奏”も創造行為としての主体性を失い、人間にとって、音楽行為とは“聴く”ということだけにしか意味がなくなるのかもしれません。」と述べ、そんな時代を見るより前にこの世を去りたいと結んでいる。彼の去った後の時代を生きる私たちの歌う「デュオーパのミサ」が「忘れられた作品の忘れられない演奏」という創造行為となり得るか否か。先達の名演奏に敬意を表しつつ、楽譜の向こうのアルベールとも語りあいながら、諸先輩方の胸を借りて祈りを捧げたい。
小久保大輔


プロフィール
 東京音楽大学器楽科卒業。指揮を桐田正章、汐澤安彦の各氏に、トランペットを林昭世氏に師事。在学中よりアマチュアオーケストラの指導にあたり、2000年より東京文化会館オーケストラフェスティバルにおいて新日本交響楽団を指揮。2001年、横浜カントーレ公演オペラ「毒か薬か物語」「俊寛」を指揮。同年、20世紀音楽の研究・演奏団体「ガレリア」を設立、2004年からはプロ吹奏楽団「ガレリアウインドオーケストラ」としても活動を展開させた。2009年より劇団四季において「ウェストサイド物語」「サウンド・オブ・ミュージック」「オペラ座の怪人」|を指揮。2014年よりプロ声楽アンサンブル「レゾナンツ・カペレ」と共に合唱音楽の可能性も追求している。
 現在、マルティナショナルブラスアンサンブル音楽監督・横浜ルミナスコー各常任指揮者、鎌ヶ谷フィルハーモニック管弦楽団・藤沢福音コール・東京農業大学全学応援団吹奏楽部各指揮者。

 第21回東西四大学OB合唱連盟演奏会 第3ステージ プログラムより
(2017.7.23 於 人見記念講堂)



第21回東西四大学OB合唱連盟演奏会無事終了

2017-07-24 23:19:06 | 日記
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23日、第21回東西四大学OB合唱連盟演奏会は無事終了した。

それに先立ち、前日の22日、代々木オリンピックセンター小ホールでの合同演奏の練習には全国から四校のOB約400名が集った。
さすがにステージには乗りきれず。客席にメンバー、ステージに指揮者という状態で練習が行われた。
練習前後は、自校他校の別なく笑顔の挨拶がそこここで交わされ、2年に一度のOB四連の雰囲気が盛り上がってきた。

合同練習の後、クローバーは新宿スタジオに場所を移し、小貫岩夫氏から約1時間にわたりみっちりヴォイストレーニングを受けた。同志社グリー出身のプロとして、いくつもの合唱団にかかわるヴォイストレーナーとして知られているが、クローバークラブでのトレーニングはこの時がはじめてと分かりほとんどが驚いていた。冷房の効いた部屋で汗びっしょりとなり、ハンカチでしょっちゅう顔をぬぐいながらの熱こもる指導に我々も必死で続いた。

小久保先生の指揮で仕上げに入った「ミサ」についても、出だし、語尾、母音、子音、滑らかさなど、常々小久保先生からご指摘いただきながら修正しきれていない部分を小貫氏から模倣・模範演奏しながら忌憚なく指摘され、メンバーも真剣に受け止め修正に努めた。

練習後は軽く(?)飲みながら明日に備え英気を養ったメンバーが多数いたようである。
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写真提供:豊田尚紀氏
文責:下津


「岬の墓」聴き比べ

2017-06-21 23:28:01 | 日記
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前のページの + ONEをご覧の上、次をお読みください。

来る6月24日(土)早朝6:00~ 同志社グリークラブOB、現在技術顧問の伊東 恵司氏が指揮する「なにわコラリアーズ」の演奏で福永陽一郎編曲「岬の墓」がNHK FM「ビバ合唱」で放送されます。

この番組は世界の合唱の名曲や一流合唱団の美しいハーモニーを紹介する番組で格調高く、国内のアマチュア合唱団は評価の高い合唱団のみ採用されています。(ちなみに先月、福永陽一郎指揮 同志社グリークラブの「音戸の舟歌」が放送されました。)

「なにわコラリアーズ」は過去にも放送されていますが全日本合唱コンクール10年連続金賞受賞等の輝かしい実績があり、世界的にも知られた日本を代表する合唱団の一つです。

名曲「岬の墓」は元々團伊玖磨作曲の混声合唱曲ですが、今回はオリジナル版を森正指揮「東京混声合唱団」が、その後、福永陽一郎が男声合唱に編曲したものを「なにわコラリアーズ」が歌います。一流合唱団の演奏で混声版と男性版を聴き比べられるまたとないチャンスです。

特に合唱がお好きな方はお聴き逃しなきように!

詳しくはこちらのHPでご覧ください。





OB四連に向けての合宿無事終了 + ONE

2017-06-21 16:40:00 | 日記
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第21回OB四連に向けての同志社の合宿は6月17、18の両日名古屋で行われ、地元名古屋、関西、関東などの国内組のみならず、マレーシアからの参加もあり、約100名のメンバーが二年ぶりに一堂に会した。

本番まであと約一ヶ月だが、小久保大輔先生ご指導の デュオパの「荘厳ミサ」のソリストも決まり、2日間にわたる集中練習で全体のイメージが可成り見えてきた。過去60年間、グリーとクローバーで何度も演奏されてきた曲だが、今回は本番でどのような味の演奏になるか楽しみである。

今回の担当校は慶応で、昭和女子大人見記念講堂を使うが、幕開けからステージストームまで今までと違った構成になっており、客席の反応がどのようになるかも見どころだろう。各校馴染みの合同演奏曲の練習も進んでいる。

東京クローバーとしては、2002年にボストンからウィリアム・トーマスを迎えて同講堂で演奏した“Messiah”に参加した。近年改装され、どう変わったかも興味深いところである。

初日の夜は勿論、合宿の帰り道でもいろいろのグループが美酒を味わった。中には一人で名古屋の夜を楽しんだ者もいたようであるが・・・

何はともあれ本番は同志社グリーOBとして恥じない演奏で締めくくろう!


+ ONE

今回のブログ原稿仕上げに際し、OB会HPのGLEE SALOON VOL92で前回のフェスティバルホールでの第20回OB四連関係の記事を参照したあと、「MESSAGE from Keishi Ito」を見つけた。編集子としては皆様にぜひお読みいただきたい内容だと思い掲載させていただく。すでにご覧になっておられる方は素通りしてくださっても結構です。


25年が経過したということ

同志社グリークラブ 技術顧問 伊東 恵司(H2年卒)
同志社グリークラブ110周年記念演奏会に、実に25年ぶりに足を運んでくれた人物がいました。今回は、そのことについて語っておきましょう。ちょうど25年前の私は、学生指揮者として85回目の同志社グリークラブの定期演奏会の舞台に緊張して立っていました。人数の充実と、声の充実と、福永陽一郎の音楽の充実と、結果としてそのステー ジが福永陽一郎の最後のステージになったということで、恐らく近年(近代)の中では特に重要な演奏会として語り継がれているステージです。それを客席で聞いていた一人の中学生がその人です。

彼が、去年の同志社グリークラブの110回目の定期演奏会を実に25年ぶりに聴きに来てくれていたのです。25年前、当時トランペットを吹いていた中学生は、吹奏楽の顧問の先生と一緒に「ザ・シンフォニーホール」の客席におり、福永陽一郎の指揮する「岬の墓」の演奏を聴いて大きな感動と自分の音楽の道が開けていくのを感じました。しかしそれ以上の衝撃として、隣の客席で演奏を聞きながら号泣する大人がいたらしく、その姿が「ある種の尊い人生と音楽の謎・・」のようなものとして引っかかっていたそうです。

そこまで突き動かすものは何なのか、演奏中に泣けるということはどういうことなのか、という問いが25年間胸を離れなかったということでした。25年後、当時の中学生は,今は音楽家になっているのですが、110周年の同志社グリークラブの演奏会のチラシを見かけ、そこに福永陽一郎の名前があり、「十の詩曲(ショスタコーヴィチ作曲)」のタイトルがあることを理由に東京から京都まで新幹線に乗って足を運んでくれたのです。実に25年ぶり2回目の同志社グリークラブの定期演奏会です。

演奏会後、かつての中学生は私の楽屋に来てくれました。彼は、委嘱新曲「帆を上げよ、高く」があることを意識せずにはるばるやってきた同志社グリークラブの演奏会で、彼は、その委嘱曲の2曲目(春愁のサーカス)を聞いて思わず号泣してしまったこと、25年前に自分の隣の席で号泣した大人のように、不意にあふれた涙を堪えきれなかったことを伝えに来てくれたのでした。この人のことをご存知でしょうか? かつての中学生は、本当は来たかった病床の祖母(福永暁子さん)にメールをしていました。

25年ぶりに、同志社グリークラブの定期演奏会に足を運んでくれたかつての中学生とは今は指揮者、音楽家として東京で活躍されている福永陽一郎のお孫さんの小久保大輔さんでした。

「春愁のサーカス」を含む「帆を上げよ、高く」の演奏は、当初から予定されていた信長貴富作品集のCDに急遽加えられることになり、この6月にジョバンニレーベルから販売され「ハーモニー誌上」では特選をいただいています。この6月、名古屋の老舗男声合唱団である「東海メールクワイヤー」の定期演奏会で、福永陽一郎没後25年、生誕90年の特別オール福永陽一郎プログラムが組まれ、開催されました。

小久保大輔さんはもちろん、福永先生の奥様も名古屋までならということで来ておられました。私は、ありがたいことに、会長の都築氏から請われて「日本の歌」と「黒人霊歌」(ともに福永陽一郎編曲)と、私にとって思い出の深い「岬の墓」の3ステージ分の指揮をさせていただきました。

もうすでに死後25年経過している訳ですから、このグリーサルーンの読者のうちでも福永陽一郎を知らない世代が随分増えたということにもなります。もちろん同志社グリークラブは福永陽一郎の合唱団であったわけではありませんが、そこから与えられた影響はあまりにも大きかったのだな、ということを改めて感じます。あの強烈な個性と、そこから受けたインプレッションを整理して言語化することは今の私には難しいです。

私は、師匠を失ってから合唱指揮者としての活動を始めたわけですが、恐らく最初の5年くらいはそこから離れられず、その後の10数年間はようやくそこから離れ、独自の勉強を重ねての活動を続けてきました。そうして、最近再び福永陽一郎の残した作品や演奏と向き合う機会を得ており、その偉大さや本質に触れる教えの数々を思い出しております。同志社グリークラブが福永陽一 郎のアレンジした曲を歌うにはまだ声と数が足りません。いつの日か、潤沢な声と人数で、リヒャルトシュトラウスの歌曲集やチャイコフスキーの歌曲集を演奏出来る日を夢見ています。

文責:下津