つながる つなげる

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九州しょうゆ

2022-12-17 15:06:00 | 食物アレルギー
九州のお醤油は甘口です。

福岡に住んでいる時は不思議に思いませんでしたが、関西に引っ越して、煮物の味がどうもしっくりこないなぁと感じていたら、

お醤油の違いが影響している事に気がつき、

それ以来、帰省の時にお醤油を買って帰るようになりました。

お味噌しかり。九州は麦味噌なので、麦味噌のお味噌汁を飲むとホッコリします。

これが故郷の味というものなのでしょうね。

慣れ親しんだ味が1番美味しく感じます。


さて、ご当地ポテトチップスなるものが売られているのをご存知でしょうか。

大阪は"関西だししょうゆ"味という事で、スーパーのお菓子コーナーにもレギュラーとしてラインナップされています。

出汁の味ひとつとっても関東と関西とは違うので、ブランドとして成り立つのも頷けます。
 

私は普段はシンプルな"うすしお"味が好きです。

子供の頃は兄弟で取り分けて食べていた袋菓子ですが、

大人になり、子供達も居ない一人暮らしとなった今は、自分1人でたいらげるポテトチップスはこの上ない贅沢な楽しみの一つとなりました。

そしてある日、スーパーに九州特産物の特設コーナーができていて、そこで目にした懐かしの"九州しょうゆ"味のポテトチップス!!

これは迷わずゲットでしょう。

なんでもお取り寄せできる時代になりましたが、この偶然の出会いこそが意味のあるものに変えてくれ、、、と少々大袈裟ではありますが、

足早に家路につき、荷物を片付けて心を落ち着かせ、いざ実食!

あぁ、これよこれ!この甘塩っぱい感じ。

やっぱ美味しいわぁ〜と噛みしめながら、一気に食べてしまう勢いを抑えつつ、少し食べては封を閉じ、

やっぱり無理、途中でなんか止められないわ、と閉じた封を再度開け…を繰り返し、結局その日のうちに完食。

1袋だけしか買わなくて良かった。

たくさん買っていたらもっと止まらなくなるとこだった。


かくして、ふるさとの味を堪能し、またの偶然の機会を楽しみに、今日は良い日だったわと締めくくり、、、

翌日。

朝からどうもムカムカする。

ん。これはいつものやっちゃったパターンのムカムカだな。

そうです。アレルギー食材を食べてしまった時に出てくる症状です。

そして前日食べたものを振り返る。

食物アレルギーがわかってから、食事はほぼほぼ自炊で、お惣菜を買うことも減り、アレルギー食材を使う事はもちろんありません。

…となると、

ゴミ箱をあさくり、

あった!恐る恐るポテトチップスの袋を手に取り、裏面の原材料欄を確認。

でたーーー




乳成分。

不覚でした。

ジャガイモとお醤油という勝手な思い込みで原材料の確認を怠っていました。

実は同じような事が他にもあったのです。

お蕎麦のカップ麺です。

カップラーメンは乳成分ありが殆どなので買いません。

でもお蕎麦は蕎麦粉でしょ?と疑う事なく食べ、翌日ムカムカ。

そしてまたまさかでしょう?と食べた後に原材料を確認してしょげる。。。

何事も思い込みは良くないですね。

バイアスかけてはいけない、と常日頃意識していたつもりですが、まさかの出来事2連発でした。

食物アレルギーがわかって1年あまりの中で分かった事、

その現れる症状としては、口にした量に比例している気がします。

となると、まんま摂取は危険ですが、

少しずつなら、、ダメではない?と未だ望みを捨てきれず。。。

いやはや、1袋だけしか買わなくてほんと良かったです。




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きょう はく じょう2

2022-12-10 12:48:00 | 日記
先日、娘のかわいい脅迫状?について記載しましたが、

3人兄弟の末っ子で生まれた娘は、とにかく甘えん坊で、

ママのお膝はもちろん自分専用と思っていましたし、

テーブルに座る時はママの隣! 

歩くときもママと手をつなぐのは私!とそのアピールも半端ありませんでした。

もちろん、私もそのアピールに応えるべく、娘への愛情を表現していたつもりですが、、、

娘のあーちゃんにはどうもご不満な時があるようで、そんな時にまたもや家の廊下でメモ用紙を拾うのです。

以下当時のブログより




このところ疲れやすく、仕事を終えて帰宅し、バタバタ晩御飯を作って家事をこなし、
ふっとソファに腰を下ろして気を抜くと・・・

またまたいつの間にか寝てしまっていました…

すると、またもや廊下に一枚のメモ紙が!

メモを拾うのは二度目です。

不平不満を訴えるために、すっかり定着したあーちゃんの専売特許。


「あしたのあさ すきすきやらん」


まぁなんと、朝の日課であるハグを拒否するとな。



そんなことできっこない



だって誰よりも何よりもママ大好きを連呼してくれるあーちゃんだもの。




翌朝…



いつもなら寝ぼけ眼で私の腕の中へ埋もれてくるところ、



メモがない=ママは見た



ということでハニカミながらあーちゃん起きてきました



そして、


「おはよう、あーちゃん」と両手を広げると、


“昨日はあんな風に書いちゃったけど…やっぱり無理だわっ、ママおはよう”



そう言いたげなかんじで照れながら私の元へ歩み寄り、いつもの“すきすき”は健在です。




あーちゃんの私に対する愛情表現は真っ直ぐストレートで、


母親としては無償の愛を与える立場なのに逆にいつも与えてもらっています。



どんなに私がイライラしていようが



どんなに怒り心頭な表情をしていようが



どんなに厳しい言葉を向けようが



あーちゃんは私がニコッと微笑む瞬間を哀願してじっと耐えています。



あまりにその瞳が悲しげで、切なくて、



ついつい怒っていた目は根負けして微笑んでしまうのです。



すると、「ママが笑ってくれた!」と



この上ない喜びに満ちた笑顔で返してくれます。



自分が幼かった時、そこまで母親に確固たる愛情を示していただろうか?



いつも自分に置き換えて考えてみますが、



あーちゃんはいつも私から愛されたくて、愛されたくて、必死な様子がみてとれます。



あーちゃんのようにストレートに表現できる子は実はとても貴重で、



大抵の子は婉曲表現したり、あまのじゃくだったり、



うまく言えないもどかしさに右往左往してしまうのだと思います。



そういう意味で、私があーちゃんから学ぶことは、日々数々溢れています。



身をもって示してくれる・・・これぞまさにあーちゃん道





我が家で拾った2枚のかわいい脅迫状。

全くひょんなことを考える娘だわ、と当時私の母にそのいきさつとメモの件を話しました。

「あーちゃんね、拗ねてこんなメモ書いてたのよ~」

言った途端に私の母大爆笑。。。

「やっぱり親子ね~!!っていうか、そんなとこまで一緒かねっ」

はっ!?そんなリアクション、期待していたのと違う・・・

全く見当つかず、ど、どういうこと!?

「お母さんも昔不平不満のお手紙あなたからもらったよ。多分家のどこか探せばあるよ」

へっ!?

脅迫状の発想は私譲り?

寝耳に水とはこのことだろうか・・・


全くもって記憶になく、

聞けば、小学生の時、修学旅行から帰ってきたら、

友達のお母さんは学校まで出迎えにきてくれていたのに

私の母はお友達と出かけていて、家は鍵が閉まっていて入れず・・・

家の周りを一周して、

ようやく小さな高窓の鍵が開いているのを見つけ、

身一つ入るか入らないかの隙間をよじ登り、かいくぐって入室に成功

(この時点で私のお転婆ぶりも相当ですが・・・)

娘が楽しい土産話を持って修学旅行から帰ってきたのに、この仕打ちは何よっ!という恨みつらみを

手紙にしたためて書置きしていたらしい。。。
(私は速攻遊びに出かけていました・・・)

あーちゃんって・・・

という共感を想定しての話題提供が、まさか自分のエピソードを引用されることになろうとは・・・

私が書いた手紙、出てこない事を祈ってます。。。
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勝たせてあげたかった

2022-12-08 08:51:29 | 日記
W杯、いよいよベスト8の試合が始まりますね。

回を増すごとに盛り上がりを見せていますが、

30年前のJリーグ発足時には、日本代表がドイツ、スペインを破って決勝リーグに一位通過で行くなんて、
想像もしていませんでした。

当時はまずはファンを増やすことから始まり、観戦チケットの招待券がどこからか回ってきて、

とにかくスタジアムに足を運んでくれと頼まれ、応援グッズもたくさんいただきました。

それが今や技術は既に世界に追いついて、日本魂が選手にもファンにも浸透し、称賛されるまでになっていて。

120分の死闘がPKで決まってしまうという酷な結果となりましたが、ピッチでの選手たちの様子、監督の振る舞いを見て、

これほどまでに勝たせてあげたかった、、と思ったシーンはなかったのではないでしょうか。


勝敗をつけるスポーツにおいては、常に勝つことを意識し、それが目標であり、モチベーションになっていて、

その為に努力し、いろんな犠牲を払い、自分を信じて臨んでいて、

その姿を見ている家族、チームメイト、周囲の人皆が、”どうか神様勝たせてください”と

祈りながら応援しているのだと思います。


我が家の子供たち3人も既に成人していますが、それぞれ小さい時からいろんなスポーツをしてきました。

怪我で苦しんだこともあれば、キャプテンというプレッシャーを背負って臨んだこと、

試合を決定づける時担わなければいけない役、あと一つ勝てば全国・・

そういうタイミングで強く祈っていても、願い届かず、

「勝たせてあげたかった」と幾度となく思ってきました。


残念ながら勝利を手にすることができなかった時、

相手のほうが何枚も上手だった、

自分の努力が足りなかった、

相手のほうが勝ちたい気持ちが上だった・・・

十分に準備してトライしたけれど、謙虚に受け止めて次を目指す。


もちろん対戦相手も同様にこの一瞬にかける強い思いは変わらず、、、


娘は高校から親元を離れ、寮生活を送りながらスポーツに打ち込んできました。

大学生となった今も、目標は大きくパリ五輪です。

先日、初めて大きな大会で入賞を果たしました。

娘が目指す世界を応援すべく、ただただ勝った時の笑顔を見たいがために大会にも毎回全国どこでも応援に駆け付けました。

日頃のメンテナンスなど何もサポートすることができず、私ができることは応援することだけなのですが、

それでも会場に響きわたるくらい声を張り上げて応援しています。


そして毎回思うのです。

どうか神様、勝たせてあげてください、と。


なかなか願い通りにいきませんが、勝てなかった時は、まだそこから学ぶことがあるはず、、という気づきを与えられているのかな、と

やはり謙虚に受け止める日々です。

でも・・・勝たせてあげたかった・・・いつも勝ってるならたまには譲ってくれ~とちょっと思ったりもします。

笑顔で表彰台に立てますように。まだまだ応援の日々は続きます。













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