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入社試験

2023-03-25 12:00:00 | 日記
WBC終わっちゃいましたね〜

今回もいろんなドラマが生まれましたが、
総じて印象的だったのは、侍JAPANの皆さんが、少年野球をしているかの様に真剣に楽しんでいる様子でした。

野球って楽しいんだな、と画面を通して沢山伝わってきて、
これも、メンバーの持つパーソナリティーや、チームワークの良さから来るものだと思うと、
ただ野球は面白い、野球やろうよ!という子供達へのメッセージだけではなく、
チームや組織でも目標を達成する為に必要な事は何か?を体現してくれた気がします。

それにしても、、、
沢山の努力の積み重ねとは言え、
好きな事を仕事にできている事は、なんとも素敵な生き方だと思います。

そんな私の職業はと言うと、、、
しがない会社員です。

ちょうど30年前の今日が入社式でした。

転職や、フリーランスが当たり前の時代となった今、
終身雇用はもはや死語となりつつありますが、
なんとか30年頑張りました。

正確には、3回産休・育休を取得したので、途中抜けていますが…。

今日はそんな私の入社試験のお話です。

1993年。バブル崩壊後の就職氷河期。

なりたい職業を選べる時代ではなく、
就職できるか否かという厳しい現実と向き合わなければならない、それくらい求人票の数はグッと減っていました。

当時学生課の壁に張り出される求人票は、
学校推薦と、自由応募この2つのパターンが主で、
大手と言われるところや、地元の企業は学校推薦にて、
"若干名"の募集枠に対して、学内応募が殺到する…そんな状況でした。

私たち、第二次ベビーブーム世代です。
ただでさえ人口が多いのに、学内の推薦枠を突破するだけでかなりな倍率です。

しかもそれは入社試験の権利を得ただけで、更にその先から本格的なふるいにかけられるのです。

学生時代、学祭の実行委員をしていたので、学生課は顔馴染みでした。

貼り出される学校推薦の求人票には、ほぼほぼ名前を書いてエントリーしていたにもかかわらず、決定者一覧になかなか名前が載りません。

学生課の課長に詰め寄ります。

「私結構いろいろ頑張ったつもりですけど?
なんで落とされるんですか?どこが足りないんですか?」

「まぁ待て待て、お前にはちゃんと合ったところが来るから」

一体どこやねん。。。
当てのない学校推薦を期待しても仕方ない、と自由応募の求人票を見て同時進行で就活していました。

すると、ようやく学校推薦の選定結果に名前が!

やったー!!と喜ぶのも束の間、そこには50名程名前があり…
募集は若干名です。。。

すぐさまその会社の過去の入試問題や面接情報のファイルに目を通す。

ふむふむ。一般常識のペーパーテストが一次選考で、二次選考が小論文と面接ね。

ん?小論文…珍しいな…

小論文のお題についても毎年一次試験の後に通達されていて、事前にある程度考える余地あり。

とりあえず当たって砕けろ、の勢いで一次試験に臨みます。

会議室に集められた学生、ざっと100名ほど。
採用される若干名って、何人くらいなんだろう…

一次試験、一般常識のペーパーテスト!
と思いきや、試験問題を見ると、ガッツリ大学入試レベルの国数英。
他の会社の試験とはまるで違っていました。

えっ?今までと違うやーーーん!!
簡単な一般常識じゃないの??

ところが、、です。
実は私、塾の先生のアルバイトしてたんです。
家庭教師のアルバイトも。
あ、ちなみに居酒屋のバイトもガソリンスタンドのバイトも経験ありです

と言う事で、数学の公式や英語の構文や単語がまだ比較的身近にあったので、難しいなと感じたものの、手応えを感じつつ…。

試験が終わると、皆一斉に「去年と違うやーん!」の大合唱です。

加えて、
「毎年、二次選考の小論文のテーマを事前にお知らせしていましたが、今年は当日お伝えします」

「今までと違うやーん!!」再び。

まぁ、ふるいにかけることが目的だとして、
1番体のいい理由になるべく試験問題だったな、と家に帰ると…
その日の夕方、一次選考通過の連絡が来ました。

と、同時に自由応募で就活していた興味のある会社からも、最終選考の日程連絡がありました。

学校推薦は受かれば断れない。
どちらも最終的に受かるかわからない…
迷いました。

先に試験日となったのは、学内推薦の二次選考。
集まったのは、8名…
運良く残れて良かった… 

そして、発表された小論文のテーマは、
「最近気になっている社会問題、社会的事象に対してその詳細とあなたの意見を述べよ」
というものでした。

げっ

当時社会問題として、取り上げられていたもの…
バブル崩壊後の不況、高齢化社会、カンボジアの地雷、オゾン層破壊による温暖化等々、、、思いつくのはそれくらいでした。

しかし、その詳細となると、かなり浅い知識。かつ、確固たる意見を持っているかと言えば、そうでもなく。

試験開始からしばらくは何も書けずにあれやこれや考えていました。
私が詳細を述べられるもの………

あれしかない!!!

閃いて、一気に書き上げ、良い感じに落とし所を見つけ提出。

午後の面接に備えて、居合わせた同志達とランチに行き、
「ここのランチ美味しいねー♪ 受かったらまたみんなで食べに来ようね〜」
なんて呑気に話しながら、無事面接まで終了して帰宅。

前回と同じ流れであれば、今日中に連絡が来る…はず。

そして夕方、電話が鳴りました。

「採用です。内定式については後日書面でご連絡しますので、残りの学生生活、しっかり励んでください」

あ、受かっちゃった…
と同時に、2日後に予定されていた自由応募の会社に辞退の連絡を入れねば…

ここが一つの大きな人生の選択となりましたが、
内定式に出席してみると、事務職で採用されたのは私1人。
欠員が1名出たので最初から1名の採用だったらしく、これも何かのご縁ですね。

内定式後の懇親会に出席した際、
支店長が「君の論文、面白かったよ」と言ってくれました。

実は、大学受験の二次対策でひたすら書きまくった小論文。
少しだけ自信がありました。 

でも何より、その論文を書き上げる題材となってくれた方のおかげです

そうです。
時は1992年、夏。
松井秀喜5打席連続敬遠。
甲子園がゴジラで沸いたあの年です。

以前blogでも書いていましたが、私は新聞っ子でした。
今みたいにネットニュースがある訳でもなく、その日見聞きしたテレビのニュースはその時の情報、記憶のみ。
新聞は保存できるものの当時切り抜きもしていなかったので、読んだ記憶頼み。

連日報道されるゴジラ松井の評判と評価。
そして迎えた高知代表明徳義塾との対戦。
5打席連続敬遠した結果、明徳義塾へのバッシングは凄まじいものでした。

星稜対明徳義塾の18才の高校生の…シンプルな試合ではなくなっていました。
その状況を新聞で興味深く読んでいた私は、高知からの応援バスですら、ガラ空きになってしまった事等もふまえ、
マスメディアの役割とは?という論点で展開し、正しく報道する事の重要性について書き上げました。

今回のWBCの最終回、
大谷選手が、チームメイトのトラウト選手に渾身の一球を放ったラストシーン、誰もが心から拍手を送ったのではないかと思います。

野球選手なら投手もバッターも勝負したいはずです。挑戦したいはずです。
そこに伴う"代表"という大きな看板。

代表とはいえ、そこの責任は問わず、
思う存分楽しんで、応援して、試合を満喫する事が良い結果につながる気がします。
W杯しかり、WBCしかり。

といったところで、仕事も楽しんで満喫できたら良い成果を出せると信じて、31年目も頑張ります。

大学受験、失敗したと思っていたら、
入社試験で活きてくるなんて、、、
人生無駄な事はないんですね。
子供達にも教訓として伝えると共に、松井秀喜さんのおかげで生活できているのよ〜と。

そして今日もセンバツ野球の全力プレーを応援したいと思います。

〜つながる つなげる〜


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