「余塵」は、『讀賣新聞』の「編集手帳」、『朝日新聞』の「天声人語」、『毎日新聞』の「余録」、『北海道新聞』の「卓上四季」に相当する、『釧路新聞』編集子の日々折々の小さな「つぶやき」である。釧路新聞社には申し訳ないが、私は『釧路新聞』を義理で購読している者であって、ブログ記事のネタ探し以外には、紙面にざっとしか目を通さない不良読者である。しかし、「余塵」は愛読している。
ゴミの不法投棄については日頃苦々しく思っていたので、「不法投棄の現場」を興味深く拝読したが、いささか見解を異にするところがあって今回のブログ記事で取り上げた。新聞記事の著作権云々については勘弁願いたい。
上掲画像5枚は、いずれも釧路町の国道44号(根釧国道)駐車帯の法面及び舗装路面を撮影した。「周囲から見えにくい場所や人通りが少ない道の脇」ではなく、車の往来が多く人目に付く場所に堂々と捨てられている。人目に付かない場所にこそこそと捨てられている大型ゴミとは別に、最近は飲食物の容器のいわゆる「ポイ捨て」が目に余るのである。走行中の車の窓からも平気で捨てる。老いも若きも捨てる。
「余塵」の筆者は「昔に比べて町はきれいになった。ほんの一握りの人たちが気を付ければもっときれいになる」と記しているが、私は、不法投棄者、特にポイ捨て者は「ほんの一握りの人たち」ではないと思っている。日本国中がまだ貧しかった昭和30年代前半までは、大型ゴミを不法廃棄する者はいなかったし、飲食物の容器をポイ捨てする不届き者もいなかった。そもそも捨てようにも物がなかったのである。
事の元凶は、昭和30年代後半以降の高度成長期における経済的発展とモータリゼーションの拡大である。豊かさを手に入れた代償に、日本人の多くがモラルを失った、と見て間違いない。加えて、日教組が牛耳った戦後民主教育の成果が「ポイ捨て」に繋がっている、と考えるのは穿ち過ぎか。問題は、ほんの一握りの人たちによる環境美化活動では解決できないだろう。