タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

≪ 日本相撲協会理事長 ≫

P1010785 第44代横綱栃錦の横綱在位期間は、昭和31年1月から35年5月までの四年四か月である。春場所、初代若乃花と千秋楽に横綱全勝対決となり敗れはしたが、まだ余力十分の夏場所に、初日から二連敗の後、潔く引退を表明した。
 横綱現役中の昭和34年10月、師匠の元横綱栃木山の死去により、春日野の名跡を継承し、俗に二枚鑑札といわれた。栃錦は、土俵上では闘志剥き出しの相撲をとり、マムシと綽名されたが、人柄は温厚で、人望が厚かった。
 昭和49年に理事長に就任(七期十四年間)し、昭和60年1月には、協会念願の両国新国技館を完成させた。春日野体制は八期以降も続くと思われたが、春日野理事長は、昭和63年で還暦を迎える、かつての栃若時代のライバル、二子山理事(元横綱・初代若乃花)に華を持たせるため勇退した。二子山理事は、現役時代からケチで人望が薄く、理事長の目はなかったが、春日野の温情で理事長を二期務めることができたのである。
 一代年寄・北の湖は、権力志向が強く、境川理事長(元横綱佐田の山)の後を狙っていたが、理事にはなっていなかった。間垣親方(元横綱・二代目若乃花)に先を越されることを恐れ、平成6年の理事選挙で、出羽海一門の二名の理事の一人、春日野理事(元横綱栃の海)を強引に辞退させ、自分が候補者となった剛の者である。しかし、今回の一連の不祥事に際して、十分なリーダーシップを発揮できず、理事長として器が小さいことを露呈した。私の嫌いな人物の一人である。 
 <歴代理事長の写真は、水野尚史・京須利敏『[平成18年版]大相撲力士名鑑』(共同通信社)からの転載>

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