オークの木の下で

成城7丁目の小さなお店「ティンラ成城」の日々を綴っております

チープリランド…。

2024年02月01日 21時06分00秒 | プリン
ご自宅に溜まっている瓶がありましたら是非お持ちください!
返却だけでも大丈夫ですので是非。今日も「家族皆大好きで…」と一度にこんなにたくさん瓶の返却があった、感謝。

片付けをしていると何箱あるのだろう?大量の名刺。生きていたら会えたはずの方々…生涯何人いたのかな?会ってもらいたかったな…。






彼の死は大袈裟じゃなく、この国にとって大きな損失だと思っている。彼はいつもどこの駅降りても同じ店ばかりの世の中を憂い、最後、地元に帰りお店をオープンし、育った街をもっと素敵な街にしたい、なんて言っていた。成城のお店も表情のある街を彩る一つになりたい…って常々言っていたけれど、成城の方々にとって当店とはどんな存在だったのでしょうか?

本来なら今頃、百貨店に常設店出店し、それを足がかりに全国展開。ネットスーパーの拡充。

子ども達が大学卒業するあと四年、がむしゃらに働いて、その後はゆるやかに一生働けるようにと自宅の拠点作りに勤しんでいた。

将来的には、これは私の希望…土地買って工場経営兼、北海道の『白恋パーク』をお手本にした『チープリランド』。ランドの内容はガーデン造ってカフェとティンラの原画美術館、グッズ販売スペースに親子のプリン作り体験コーナー、子どもの遊べるスペース…なんてのを考えていた。私の最終目標はプリンを売ることではなく、絵を世の中に広めることと世の子ども達が夢を持って遊び、思い出に残る場所を作ること、彼にもう一度料理人として料理を振る舞える場所を作ること。

「ガーデン造りなんて言ってるけど、草むしりや水撒きはどうせオレがやるんでしょ?」「…そうだよ、当然!」なんて言っていたっけな。

私の夢物語はともかく、彼の設計図は実現出来たことばかりだった。

もしそれでも回らなくなるほど忙しくなったとしたら?なんて聞くと、その先も見据えて業務OEM先、更に我が家には跡継ぎがいないので、最終的なブランドの譲渡先までもちゃんと考えていた。

何もかもがぶち壊され、私は突然涙が溢れ出たり…自分の感情さえコントロール出来ず、日に日に悲しみは深まり喪失感に襲われる中にいる。

どれだけ苦しくて大変な目に遭っているか、殺人犯に手紙を書きたい、と妹は言う。

仕事面での混乱ぶりや苦労は家族であっても誰にもわからない、仕事を手伝ってくれている一番近くで見ている妹にしかわからないと思う。

まともな人間の心を持たない殺人犯に何を言っても無駄だと思う。まともな人間だったら、何をおいても事故直後にまず謝罪しているはずで、どうやって償おうか考えるはずだか、自己保身しか考えていない。まともじゃない相手だと被害者は2次被害でまた1日と不快な日々は続き平穏な日々が遠のく。

ティンラという店名は新婚旅行で行ったモルジブのリゾートのレストランの名称からいただいた。

ディベヒ語で「3つの島」という意味。当時、自宅と「クロスブレッドキッチン」と成城の3つ目の我が家の島という意味で私が名付けた。そして何が何でもこの場所で成功し、家族でもう一度、本家のティンラに行こう!という思いも込めて…。

おかげさまで成城での10年は当初描いていた以上の成功だったと思う。彼の表現したかったことは成城の皆さんの価値観と良く合ったのだと思う。本当に応援し続けて下さる地元の皆さんには感謝の気持ちでいっぱい。

本家ティンラへは時間作って行く、あとは実現するだけだった。もう決して叶いませんけれど…。

生きていなければ何の意味もない。

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コメント
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