Tak's 雑記帳

更新頻度は不定期かつスパンが長く・・・
ときどき予告無く更新するときがあります。

実際に会わない/リアルタイムで無い難しさ。

2005-05-09 03:29:51 | その他
 GWにもかかわらず更新がしばらくストップ。理由は実家が農家だから。朝4時半ころには起き、夜は11時ころに寝ると言う生活だったもので、まとまった時間はほとんど手伝いに回ってしまったと言う顛末である。

 さて、タイトルにあげたもの(こと?)だが、当blog中の“コメント”を使ったやり取りを指す。それは今までに何度かコメントを頂いている姐奴の京都おみやげ歳事記の管理人である姐奴氏とのやり取りでの一幕である。
 まず5/2のblogでコメントを頂いた。その言葉尻には「言いたいこといって長くなりました。すみません。またトークしにきます。」と書いてあった、自慢ではないが当blogへのコメント数は多くない。なので気軽に何でも言ってもらった方が書いてるこちらとしても嬉しいのでその旨と、姐奴氏が“人生を豊かに暮らすこととはなんだろうか”ということを書かれていたので、それに対する自分の考えを書いた。そして自分の考えがなんだか年寄りじみた解だと思い、最後に「20代のセリフじゃない」と書いた。
 何日か後、姐奴氏から返答があった。それには「そうです。私は20代じゃありません。」と言う旨の言葉を書かれていた。初めなぜそのような返答をしてきたのかさっぱり見当が付かなかったが姐奴氏の初めのコメントとそれに対する自分のコメントを良く考えた結果、
姐奴氏は“20代じゃない”という当ブログ管理人の発言を自分(姐奴氏)に言われたものだと解釈した
のでは、と言う結論に至った。すなわち女性に対して大変失礼なことをしたことであると感じ青ざめた。コメントをさらに返しても良かったかとも思ったが、なんだかんだで姐奴氏がコメントされてから3日目にして気づいた次第でそれもどうかと思い返し、本日のblogにすることとした。
 実際にあって話すと言うことは、非常に多くの情報をやり取りすることとなる。これは音声データのみならず視覚データのやり取りもあるからだ。この場合こまごまとした修飾詞を付けて話す場合がほとんどなので誤解されることも少なく、訂正も即座に可能である。また同じようにリアルタイムのテキストベースコミュニケーションでチャットと言うものがあるが、リアルタイムである以上相手が自分の書き込みに対して間違った解釈をした場合も即座に訂正できる。しかしblogのコメントやWeb掲示板のようにいつ書き込まれるか読まれるか分からないものでの訂正は難しい。ある書き込みを見て書き込み者の意図とは違った解釈を読み取り側がして二度と見なくなった場合、訂正/弁解の場は与えられないこととなる。実際に会ったり、チャット上でのコミュニケーションとの大きな違いはそこであるような気がする。

 最後に姐奴氏へ。不快感をを与えると思われる返答、大変申し訳ありませんでした。今後ともコメントをいただければ幸いと存じます。そして本日のblogに私の意図と違う解釈を与える表現が含まれないことを願います。

民間企業とは。JR西日本の列車事故について思うこと。

2005-05-02 00:42:06 | 社会一般
新型ATS設置せず再開も 宝塚線事故でJR西が見通し (朝日新聞) - goo ニュース

 今回のJR西日本で起きた事故はいろいろな波紋を呼んでいるようだ。事故規模が大きい上に、安全と思われていた日本の鉄道での事故であることも大きいと思う。

 さて、今回の事故は民間企業のフィールドで起きた。もともと国営だったが、いまやほとんど民間会社だと思って差し支えないだろう。そこで考えたいのが優先順位だ。
 民間企業は利益を出すことを目標としている。いや目標というより基本・理念だろう。利益を望まない企業というのがあれば、それは慈善団体や公務員と呼ばれる職種ではないだろうか?利益が出なければ給料は払えないし次の仕事もできない、事業拡大だってそうである。と考えれば建前はどうあれ、一は利益、ではないだろうか?そしてJRなら2番目3番目に安全性、利便性、公共性などが来るのではないだろうか。
 こういった公共交通機関などの事故があると謝罪会見などで「安全性を最優先に考え、今後に生かす」などという場合があるが、民間企業でこの発言はおかしくはないだろうか?それは建前であり、そんな建前を聞くがため、怒鳴ってみたり訴えてみたりするのは不自然に他ならない。

 何も利益一辺倒で運営しているとは言わないが、そう言うことではないだろうか。安全性を最優先とすれば、車重は増え、速度は遅くなりダイヤは乱れるだろう。それを維持するために料金、もとい運賃も値上がりするだろう。いくら安全性に重点をおかれてもこれでは利便性が悪くなりわれわれ消費者にとって良いものとはならない。かといって安全も利便もなんて言ったらいくら運賃が上がるか分かったものではない。

 JR西日本の“日勤教育”やダイヤの超厳守とも呼べるものには疑問を感じ不適切だと思うが、『曲芸的ダイヤ』とまで呼ばれるものを組んで大量輸送や高い利便性に尽力してきたことそのものは誉められるべきだ。そしてそれによりJR西日本としては高い利益を上げることができた。ある意味、両得といえる。

 自分の身は自分で守るという言葉がある。大変的を得た言葉だと思う。長距離を安価で運んでもらえるということは今回のような危険性が低い確率ながらあることを意味している。今回の被害者は運が悪かった、というと遺族や負傷者に大変失礼であるが、客観的に見たときそう言ったことにはならないだろうか?