Tak's 雑記帳

更新頻度は不定期かつスパンが長く・・・
ときどき予告無く更新するときがあります。

泣いた

2008-01-29 03:55:45 | その他
 人が聞けば「なんだそんなことで。」の、一言で片付けられてしまうかも知れない。何で泣いたかは私、いや俺自身恥ずかしくていえない。ここんとこしばらく泣いてなかった、と今思う。

 人が泣くときとは、感動したとき、悔しいとき、悲しいとき、嬉しいとき。笑いすぎて涙が出るのを「泣く」とは言うけど、ここではそれは除外する。

 感動して泣いたのは「とある映画」が初めてだったと思う。それから、ドラマと、そして今回と。と、いうことで、今何かでいっぱいな状況です。その「何か」がなんだか分からないんだよなぁ、これが。



 ―どんなものでも、自分の手の上にあるとき、何となく安心してしまうものです。でも、ふとした弾みで「それ」は手の上からこぼれ落ちてしまうかも知れません。かといって、「それ」を落ちないように握ってしまうことはいくつかのものを意図的に落とさなくてはならない場合があります。さらには握るのに失敗することだってあるでしょう。その意図的な「ふるい」をふることが怖くてできない俺はまだまだ子どもなんだと思うわけです。

意思の疎通

2007-09-23 11:02:59 | その他
 他人と意思の疎通を図るのは簡単なことでない。なぜなら、“他人”だから、といってしまえばそれまでだ。同じ言葉を聞いても、それのバックグラウンドを知っているかどうか、その言葉に関する記憶、身振り手振りのボディーランゲージ、聞いたときの周辺環境などで受け取られ方が違ってしまうからである。

 以前、数人の知人と集まったとき、「テレビドラマを見て泣いた」という話しをしたら、大笑いされたことがある。私が泣くことに面白さを覚えたわけでなく、私が話したあらすじの伝え方がまずかった。
 そのドラマとは、テレビ朝日系で放送されていた「雨と夢のあとに」という番組だ。(詳細は雨と夢のあとに-Wikipediaを参照。)泣いたのは、幽霊となった主人公が「死んでしまったことを親に伝える」シーンだった。
 で、どんな風に話したら笑われてしまったのか。
 「ある男、主人公なんだけど、蝶を追っかけている人がいたのね。それで、その人が外国に珍しい蝶を捕りに行って、ついに見つけるんだけど、その最中に崖から落ちて死んでしまうわけ。ところが、その主人公は幽霊になって日本に帰ってきた。幽霊なんだけど自分の娘他数名には見える状態で。いろいろあって、親元に帰る(お盆で実家に帰った(?))んだけど、そこで「俺死んだんだ」と親に伝えるシーンがあってね、そこでブワッと涙が出ちゃってさ、久々に泣いたよ。・・・」
以上が笑われてしまった内容だ。 

 ドラマの中身を知っている人なら分かってもらえると思うが、そうではない知人の一人にはこう伝わったらしい。
「お花畑で、『あはははは』と笑いながら蝶を追っかけている(それこそ額にアホと書いてあり「まて~」などと言ってそうな感じの)人がいて、だけど崖から落ちて死んじゃった。それが両親の元へ帰って、やたらにまじめな顔して「俺死んだんだ」と言った、と。
 この前半と後半のギャップで笑ったらしい。漫画やアニメでよくあるパターンである。デフォルメされたキャラクターで通常は展開するが、突然まじめな顔になる、そんなシーンを思い浮かべたという。

 人にものを説明するとき、1から10まで全部話せば伝わるものだとしても、それでは時間がかかりすぎたり、当人にとってはどうでもいい話を延々と聞かせる羽目になる。それを防ごうと端折ったのだが、見事に失敗した例と言えよう。後日、その知人の誤解(?)は解けたのだが、私の話し方もまずかったようであった。
 私は人にものを説明するのが苦手だ。どこまで端折ればいいのか、また、どこまでかみ砕けばいいのか、その判断をするのが苦手だからだ。短く簡単に伝えようとするあまり、必要な部分が抜けてしまってあとから補足、あとから補足・・・、と結局話しが長くなってしまうときが多々ある。

 こういうクセは直しようがあるだろうか?
 何にしても、前述のドラマを見て泣いた話しをしたとき、知人にも共感してもらいたかったのだが。それは今でも悔やまれる。

0.999=?

2007-07-01 10:46:38 | その他
Wikipedia - 0.999

このWikipediaの記事を見て、久々に思い出したような気がする。
確か中学か高校の時だったと思う、これを習ったのは。
0.999…=1 という等式だ(“…”は9が無限に続くことを示す)。

何となく違和感を感じる人も多いだろう。「左辺の方が小さいんじゃあないか」と思う人もいるはずだ。しかしながら、上記の等式は正しいことが証明できる。これまでの数学が根本的に間違っていない限りにおいては、だが。


<簡単な証明>
その①
1/3=0.333…  という等式がある。これを等式と見ることが出来ない人は②へ
で、両辺を3倍する。
(1/3)×3=0.333…×3
1=0.999… 証明終わり。と証明できる。

この証明で問題なのは、1/3=0.333…であるかどうかが不確かなこと。これに疑問を持たれると、この証明は成り立たなくなる。


その②
では、代数的に証明する。
x=0.999…とする。
まず、両辺を10倍する。
10x=9.999…
で、両辺からxを引く
10x-x=9.999…-x
9x=9
x=1

すなわち、1=0.999…  証明終わり。

まともな説明はWikipedia内にあるのでそちらを参照。私には理解できない、もしくは理解しようとすると大変な時間がかかる証明もあるので、納得いかない人は行くまで見ればいい。


と、分かっているつもりなのだが、やっぱり0.999…のほうが1より小さく感じる。心のそこから納得していないと言うことだろう。Wikipedia内の記事では、電卓やらコンピュータやらがそう思わせる原因ではないかとほのめかす記述があるが…。

 久々にこういったものに触れられてわずかでも脳を動かすことができ、本当に良かったと思う。会社員となった今、こういうものに触れる機会は全くと言っていいほど無くなってしまったから。

本を買う

2006-12-19 00:05:18 | その他
 このごろほったらかしのこのブログ。にもかかわらず、わずかながら訪れる人がいるのは不思議なところ。スパム的書き込みや、トラックバックスパムあるわけでもないので、どういう経緯でこのブログにたどり着いたか聞きたいところでもある。

 さて、表題の話。2x歳という歳ながら未だマンガが大好きなのだが、最近では本屋に行くのが面倒になった。理由は、目的の本が必ずあるとは限らなかったり、立ち読み防止のため全ての単行本にカバーが掛けられていたりするからである。目的の本を購入するために、本屋巡りなんてこともしばしばだった。それでも無いときは取り寄せてもらうのだが、これがとかく時間がかかる。また、週刊/月刊誌を読まなくなった自分において、新しい単行本が開拓できない状況にもあった。

 だったらAmazonででも買えばいいじゃないか、という意見の方もいらっしゃると思う。しかしこれも問題がある。一つは、自宅に送られてくること、もう一つは一定金額以上購入しないと送料が付くことである。別にイカガワシイ本を買うわけでないから家に届くのはいい。が、クレジットカードを持たない主義のため、代引きで買うこととなるから始末が悪い。家にいればいいが、いないと後から届け直してもらうことになり面倒だ。また、1冊400円前後のマンガ本において、4冊以上買わないと送料を払うことになる。これを毎回クリアするのは容易でない。払わなくてもいいものは払いたくないからだ。また、何にしても中身がどのようなものか知ることは難しいから、1巻目は結局手を出せない。

 これを解決したのが各出版社のサイトと7&Yだ。インターネットへの接続が一般になった昨今、出版社各社はマンガの第1話や場合によっては第一巻丸々ネット上で立ち読み出来る環境を整えている。だから、どんな話なのか、どんな画風なのかをしっかり確認することができ買うものを安心して決められる。
 また、7&Yも大変便利なサービスを提供している。7&Yで頼んだものを指定したセブンイレブン店舗で受け取ることができるというものだ。幸い近くにセブンイレブンがあり、店舗で代引きにすると冊数にかかわらず手数料が0円。しかもいつ届くか、メールやWeb上で確認が可能で親切だ。

 そんなこんなで、最近は本屋にほとんど行かなくなった。時たま本屋に行くと、以前とレイアウトが変わっていたり、なかったコーナーができたりしている。ネットで買う便利さを覚えると、本屋であれこれ探すのが面倒になる。 
 私と同じ面倒さを感じた人は、利用してみるといいと思う。
 

服を買う

2006-12-03 02:47:12 | その他
 一般的に、服のサイズというとS~LL(2L)くらいまでが多いと思う。さらに、国内のメーカーが作成・企画したものは日本人のサイズごとの標準体型に合わせて作られているのが一般的だと思う。

 で、私の体型は標準からだいぶズレているらしい。一般的な“Lサイズ”と呼ばれるサイズを基準とすると、肩幅はかなり広く、腕が長い。チェストは標準だがウェスト・ヒップは細め。ただし胴の長さはあっている。肩幅だけなら3Lサイズくらいあり、ウェストはMサイズが少々きついかな?くらいだ。Yシャツなどを買うときに、裄丈を測ってもらうと、大抵の店員は2度測る。これは、裄丈が身長に対して長すぎるらしく『測り間違った』と思うらしいのだ。そしてそんなこと(2度の測定)があると、「何か水泳とか野球などされていましたか?」と聞かれる。どっちも授業でやったくらいだ、と答えると「へ~そうですか?」と疑問形なのは毎度のことだ。

 さて、既製の服はLLサイズで我慢するとして、スーツのようなものは店員が困ることとなる。上と下で大きさが全く異なるからだ。ただ、ブランドやデザイナーの違いによって、型紙が違うため、A7くらいのスーツで合うものがある。とは言っても調整は必要となる。A7くらいの場合だと、袖は1~2㎝伸ばして、パンツのウェスト部を2㎝程度詰めてもらわねばならない。

 スーツを買うまで全く気付かなかったのだが、右腕と左腕の長さが1.5~2㎝ほど違うらしい。右の方が長いのだ。利き腕は少し長いと聞いたことがあるような気がするのだが、それでもここまでの差はないはず。なんでこんなに差が出たのやら・・・。

 見た目は普通だが、購入後にアジャスト出来る服があったらいいのにと服を買うたび思うのだ。

風邪

2006-10-13 00:21:22 | その他
 このブログを3週間ほったらかしにしている間にいろいろあった。その中の一つが、久々の「結構な風邪」だ。

 幼い頃は割とすぐ風邪を引く方であったが、中学生くらいからはずいぶんと丈夫になり、年に1、2回引く程度になった。風邪を引くといっても、37℃台前半で収まるものがほとんどであったから、軽微なものであった。さらに言えば、熱が38℃台まで出たとしても病院などには行かず、水分を多く摂りゆっくり休むことで治していた。ご飯も食べたくなくとも、無理にでも一定量以上は食べるようにすると、翌日までには全快もしくは微熱程度になった。だから、物心ついてから病院にて風邪で点滴を打ったことはなかった。

 しかしながら、今回の風邪は違った。風邪と言っていいのかどうか分からないのだが、とりあえず高熱。体温計で熱を測って、表示を見た自分が一番驚いた。39.0℃と表示してある。その割には元気なのが不思議なくらい。とは言っても寒気はするのだが。そして、その熱の高さに驚いた翌日、体中に発疹が出た。これがかゆい。さすがに恐ろしくなって、病院へ。このとき、初めて点滴を打った。
 休日診療だったため、適当な医者がおらず、見当違いの診察だったと分かったのは1週間後。薬も見当違いの薬で、最終的には自己治癒力で治ったようだ。

 なにかしらウィルスに感染したのだろう、という医者の弁であった。結局、本当のことは分からずじまい。だが、風邪を引いた当時疲れていたのは事実で、それで免疫力が落ち、普段は大丈夫なウィルスに感染したのではないかと思っている。

 休日診療にかかった医者は何とも頼りなかった。「え~と、あのくすりはなんだっけな?」などと目の前で言われると、不安を覚える。
 自分の専門外だと判断したなら、他の医者に応援を求めるか、裏でしっかり調べて対応してほしいと思う。患者を元気にするのが医者の仕事なのだから、不安にさせたのではどうしようもないと思うのだ。

水平線の彼方

2006-07-26 00:03:23 | その他
 テレビを見ていたら、予告編で水平線を映したものがあった。水平線と言えば遠くにあるイメージがある。非常に遠くに見えるために、昔の人はそこから先は崖のようなイメージを描いたのかも知れない。

 さて、それでは水平線までの距離はいかほどか、と疑問に思った。
 ここで、その計算をしてみようと思う。三平方の定理でこの問題は解ける。水平線までの距離をd、地球の半径をrとし、海抜0mから水平線を見る人間の視点の高さをhとする。このとき以下の式が成り立つ。
 d=√{(r+h)^2-r^2}       <“^2”は2乗を表す>
  =√(2rh+h^2) となる。hはrにくらべ十分に小さい値であるから、
  ≒√2rh と置くことも出来る。
地球の半径を6380Km、視点の高さを150cm(0.0015Km)とすると、
 d≒4.4(Km)となる。

 ちょっとがっかりだ。“水平線の彼方”が4.4Km先にしかないとは。車で5分とかからない距離とは結構近い距離である。数式からも分かるとおり、地球の半径と視点の高さをかけているため、視点の高さが上がれば当然d(水平線までの距離)は大きくなる。展望台などで海抜30メートル位の展望台から見ると、水平線魔での距離は20Kmくらいまで伸びる。が、それくらいだ。
 実際は空気の影響やその他諸々のノイズがあるが、それらはこの結果に大きく干渉するものではない。

 ふと思いついた事だったが、意外な結果になった。“やっぱり人間は小さい”と言うことを再認識した。

オートマチックトランスミッション

2006-07-23 01:00:12 | その他
 現在日本で売られている乗用車カテゴリに属する車は、大半がオートマチックトランスミッション(AT)車だという。理由は、操作が簡単なこと、それに伴って長距離運転も楽なこと、燃費もマニュアルトランスミッション(MT)車との差が小さくなってきたことなどが挙げられよう。
 MT車の運転は確かに大変だ。車速や周りの状況に応じて自分でギアを選択しなければならないし、発進時に半クラッチやアクセル操作を誤るとエンストする。短距離だと、「車を運転している!」という感に浸れると思うが、ちょっと旅行に行って長距離を運転するとAT車よりは疲れるように思う。渋滞に捕まると、もう最悪だ。

 現在、私はAT車に乗っている。値段で買った中古車、文句は言えないのだが、中古車市場も大半がAT車である事に購入時の検索にて初めて気付いた。こんなにもAT車が多いのかと、驚いたものである。MT車はスポーツカーや軽トラックに多く、会社へ行くのに軽トラックは無いし、スポーツカーは高価すぎた。それゆえ、AT車となっている。
 AT車自体に今のところいくつか不満な点がある。一つはエンジン回転数と速度が正比例しないこと。AT車はトルクコンバータ(トルコン)という機構をMTで言うクラッチの代わりとして使って変速しているが、ここでは回転をトルク(回す力)に変える働きをすることがある。これがエンジン回転数と速度の正比例関係を壊す。もう一つもトルコンが関わってくるのだが、エンジンブレーキが効きづらいことだ。トルコンを使う上ではどうしても出てくる事なのだろうとは思うが。また、山道などでギアを上げたり下げたりを頻繁に繰り返すのも好ましくない。番手の低いギアで加速し、一定のエンジン回転数となったので上のギアに変速すると途端にパワーが無くなり、減速してしまう。そこで再びアクセルを強く踏み、キックダウンをせざるを得なくなる。とにかくパワーが必要なところでは、AT車は好きになれない。

 F1のセミATのようなものが、安い車にも取り付けられる日はないかと思うのだ。これならレスポンスの悪さや燃費も改善できるし、ATでも「運転してる!」と言う感覚を覚えられるのではないかと思う。

つばめ

2006-06-16 23:39:14 | その他
 つばめと言っても、年上女性の愛人や九州新幹線のそれではない。鳥のつばめの話。余談だが、調べたところ、つばめはスズメの仲間らしい。

 我が家は農家のため、大きめの小屋がある。母屋を改築する際に一時的に住んだほど(今となっては考えられない、考えたくもないが・・・)である。そこには毎年つばめがやってきて、卵を産み、雛が生まれ、そして巣立っていく風景が見られる。何とも心が和む風景だ。
 つばめがその年初めてやってくると、「また今年も帰ってきた」と言う表現を使う。つばめに発信器をつけたり、区別できるような印を付けているわけではないので、本当に去年巣立った、もしくは子育てをしたものかどうかは定かではない。しかしながら、近年は同じ巣を継続して使い、毎年“増築”するのだ。さらにここ数年、つばめ同士で三角関係が発生しているようで、つがいにちょっかいを出す1羽がいる。そんなこともあって、同じつがいか、その子どもが帰ってくるのだろうと考えるわけだ。
 今年は巣の増築度が希に見るほど高く、下から巣を見上げても親鳥や雛がいるのかどうか分からない位だった。だから、いつ卵を産んだかわからず、いつの間にか家周辺で飛び方の練習をする雛を見ることとなった。
 つばめの雛は、飛べるようになるとまずは巣の周辺で危なっかしく飛び方を練習する。ある程度上達すると、山の方へ向かう。何をしているか定かではないが、恐らくえさの取り方でも習得するのだろう。親はそれらを教えるとまた巣に戻って、再び卵を産む。多いときで、3回産んだことがある。そうやって夏の終わり頃には、南下を始める。

 つばめは基本的に益鳥ではあるが、巣を作るために泥を活用して家や小屋を汚す点や、雛が生まれたときの驚くほどフンの量が多いこともあり、あまり歓迎されない場合が多い。水田のそばに建てたある家は、軒下をぐるっと泥だらけにされ、網を張って寄りつかないようにしたくらいである。我が家も昔はそうであった。巣は雛が一度巣立てば取り壊し、出来るだけ寄りつかないようにしていた。が、私や弟が生まれつばめが来ることを大変喜んだのか、今では好きにさせている。フンが落ちる巣の直下にはちょっと厚めの紙を敷き、コンクリートにフンがへばりつくのを防いでいる。あくまで農作業をするための小屋なので、やたら綺麗にしてもすぐ汚れてしまうため、ある程度綺麗であればよい。だから、つばめが来るのを許している面もあると思う。
 つばめのすごい点はいくつかあると思うが、小屋に入るときが私はもっともすごいと思っている。つばめがもっとも楽に入れるのは、シャッターなり扉なりが大きく開いているときだ。だが、家から人が不在になるときに開けっ放しは何かと不用心。そこで、窓を開けておくのだが、幅にして10センチもないところをぶつかることなく、何度もすり抜けるのだ。これが結構なスピードで、「すごい!」の一言。巣を作るための泥や、雛へのえさなどを口にくわえ日に何度も行き来する。

 今年の雛第一期生はもう巣立った。おそらくもう少しすると、親つばめは再び卵を産みに来るだろう。たくさんの子どものうちどれだけ、来年帰って来るか分からない。それでも嫁さんか婿さんを引き連れ、また我が家の小屋に来てもらいたいと思うのである。

さくらんぼ

2006-06-14 23:38:44 | その他
 そろそろさくらんぼのシーズンだ。市場にもだいぶ出回っているが、山形県産の佐藤錦はこれからということになる。今のところ多いのは佐藤錦以外の品種だ。
 「さくらんぼと言えば佐藤錦」と言うくらい有名な品種であるが、他にも“紅さやか”や“紅秀峰”、“ナポレオン”などがある。これらの品種は粒が大きかったり、甘さが強かったりと(当然ながら)佐藤錦と違った特性を持つ。人気はなくとも、佐藤錦よりもナポレオンの方が好みという人もいるくらいだ。要は好き好きなのだ。

 さて、さくらんぼはその金額もあってか、「贈り物」として取引されることが多い。実際に我が家でも(父親を中心として)作っているが、注文の大半は贈答用である。これは、他県ではほとんど作られていないからであろう。さくらんぼのおよそ7割は山形県産だ。県内では1キロ3000円程度(送料別)が相場だが、県外では4~5000円にまでふくれあがる。また、県内の人間はさくらんぼを“買って食べるものだ”と言う意識が薄い。隣近所からもらったり、自分の家で作っていたりするからである。先にも述べたとおり、我が家ではさくらんぼを作っている。私はこれが大好きで1日で1キロ食べることも珍しくない。さすがに近年は食べる量が減ってきたが、それでも1日2000円程度食べる日はザラにある。
 県内新聞である山形新聞に面白い投稿があった。「県外の人はおいしいさくらんぼを食べられるのに、県内の人間は幾分ランクの落ちたものを食べている。これは、価格が高いせいだ。県外へ贈答した人には、半額くらいで分けてもらえないだろうか」という内容であった。作り手の立場から言わせれば、ふざけるなと言いたい。確かに価格が高いのは認めるが、希少価値のみならず、良いものを作るため多額の投資を行い、九州・四国など遠方へ出来るだけ翌日に届くように朝暗いうちから働く大変さがある。さくらんぼというヤツは、鮮度の落ちが他の果物に比べ著しく早い。だから、早く大量に捌く必要があるのだが、この果物、衝撃にも弱い。乱暴に扱うと、すぐだめになってしまう。神経をとがらせ、寝る間も惜しみ、その上においしいさくらんぼが出来る。半額で出したら、泣くほかないわけだ。

 実際丸一日手伝うだけで、イヤになる非常に大変な仕事だ。価格は高いが、そこのところを良く理解してもらいたいと思う。