意思による楽観主義のための読書日記

面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意思に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ムダ 

今日も元気で読んでいます!


2008年1月から読んだ本について書き残してきました。読んだ内容を忘れるのは致し方のないこと、でも少しのヒントがあれば思い出すこともありそうです。今日も応援いただきありがとうございます

ボックス(上・下) 百田尚樹 *****

2013年02月28日 | 本の読後感
これは面白い、星五つに違いない。読み始めたときは高校生が主人公のスポーツモノで、成長物語にラブストーリーがちょっと絡んでいるのか、と思っていたら、ボクシングのリング上の描写が写実的であり、ちょっと感動的でもある。解説の北上次郎が解説で書いているのだが、登場人物の設定が秀逸である。

天才的な運動神経を持つ高校一年生鏑矢、中学時代からボクシングを始めていて高校入学と同時にボクシング部に入部、すでに部内でも敵う相手がいないほどの腕前ではあるが、自分の才能に天狗になっていて、練習にも力が入らない。もうひとりは鏑矢の幼ななじみで勉強ができる木樽、初めてのデートでであった級友に喧嘩を売られ強くなりたいとボクシングを始めるが、細い体に薄い筋肉、とてもボクシングに向いているとは思えなかった。

ボクシング部のコーチには昔ボクシングで鳴らした沢木、なぜか昔鳴らしたという腕前を披露もせず、コーチも力を入れすぎず、徹底したボクシングトレーニングをしているとは思えないため、天才気取りの鏑矢は尊敬する素振りを見せていない。そこに顧問として担当するのが24歳の女性教師高津耀子、電車の中で不良に絡まれているところを鏑矢に助けられる。物語は主に高津耀子と木樽の目線で語られる。

運動神経などないと思われた木樽は素直な性格で練習に励み、コーチの言ったことを忠実に実行、徐々に実力を身につけていく。その上、頭を使った観察眼で相手の癖を素早く見抜くため部内の先輩たちにも勝つようになってくる。コーチの沢木は木樽の才能をこのように表現する。「才能は地下に眠る鉱脈、見つからなければ一生日の目を見ない。木樽は努力することができる才能を持っている」、鏑矢は天才肌であるために努力よりも自分の才能に溺れるというのである。

こうした二人のライバルが同じライト級で戦う他校の稲村、超高校級でプロでも通用すると言われるほどの腕前と上達を見せる。シロートである高津耀子にコーチの沢木が説明するという形で、読者にも高校生のボクシングルールやプロとアマの違い、高校生の試合などが解説されるので、読んでいても澱みがない。筆者の百田は大阪の高校ボクシング監督に取材したというが、ジャブ、ストレートからディフェンスの技術など徐々に説明されるので後半部分では読者も一丁前にボクシング観戦ができるようになってくる。

クライマックスは木樽と稲村が戦い、そして鏑矢と稲村が戦う場面。エピローグがあって、読者に安心感を与えて終わるのも後味がいい。

読者は下巻に移るときにはページをめくるのももどかしいほどストーリーに没入してくる。それを盛り上げるのが試合の描写、凄まじいほどの迫力であり、百田尚樹の腕前である。「永遠のゼロ」と同じ筆者だとは思えないほど異なるテイストだが、エンタテインメント性はこちらが上回る。百田はラジオで「同じような設定の小説は書かないと決めている」と話していた。作品の販売数を増やしたいだけなら、柳の下のドジョウを狙いたいところだが、相当のへそ曲がり、ほかの作品もぜひ読んでみたい。



読書日記 ブログランキングへ
コメント

ベルカ、吠えないのか 古川日出男 ***

2013年02月24日 | 本の読後感
太平洋戦争のアッツ島玉砕に続くキスカ島撤退作戦、その島に取り残された軍用犬がいた。北、正勇、勝、という日本側の軍用犬とアメリカの軍用犬エクスプロージョン。その4頭がその後どのような遍歴をたどったのか。犬の物語と思ったが、太平洋戦争後にもまだまだ続いた戦争の物語であった。

1942年、日本海軍はアッツ島を占拠、ミッドウエイ作戦の陽動作戦であったという。アッツ島は米国領、20世紀においてアメリカ合衆国の領土が他国に侵略された唯一の事例であったが、1943年5月、アッツ島の守備隊が全滅した。日本側の守備隊員は2500名、そこに11000名の米国兵が艦砲射撃の護衛のもとに上陸、日本兵は捕虜になることを拒み全員が玉砕であった。そして隣の島キスカ島には5000名の日本兵がいた。さらなる悲劇を避けるため、全員撤収のための作戦が決行された。5200名の兵員は夜陰に紛れて撤退したのだ。そこに残されたのが4頭の軍用犬。

北は北海道犬、ジャーマンシェパードが勝と正勇、もう1頭は米国の捕虜として捕らえられたエクスプロージョンであった。その後、4頭とその子どもたちはアメリカ、中国、ソ連の軍隊に引き取られ生き続ける。

1950年は朝鮮戦争、そこには17頭の軍用犬がいた。正勇とエクスプロージョンの子供バッドニュースのさらにその子どもたちであった。犬達は国連軍によるソウル奪還のクロマイト作戦に参加した。

1960年8月、スプートニク5号に乗った犬は2頭、ソ連の軍用犬ベルカとストレルカ、その子たちが北の孫、犬神と出会う。そして北の子アイスの子孫であるギターが犬神の子孫と出会うことになる。

1964年アメリカの大統領リンドン・ジョンソンはトンキン湾の米国駆逐艦が北ベトナム軍に襲撃されたとして報復攻撃に出る。ベトナム戦争である。そこに投入されたのがバッドニュースの子たち75頭。

1979年にはソ連がアフガニスタンに侵攻する。そこに投入されたのがバッドニュースの子孫であるグッドナイト、そしてアイスの子孫ギターであった。アフガン戦争は続いた。しかしソ連のチェルネンコ書記長は1985年には死去、それにかわってゴルバチョフが登場する。

この話はフィクションなのか、そうであろう。しかし、この犬達の物語はどのようにして創作されたのであろうか。20世紀は戦争の世紀だと言われるが、その戦争の世紀を生きながらえた4頭の軍用犬とその子孫たち。犬は言葉を話さないが、人間たちの言葉を理解する。人間は様々な言語を操る。日本語、英語、ロシア語、中国語、飼い主が変われば犬達はそれを聞き分けようと努力するのである。爆弾は誰が誰に使おうと武器になる。軍用犬はどうだろう。日本語で訓練された軍用犬がアメリカ軍に使われる。そしてそれがソ連軍に使われ、中国軍にも使われる。そして死ぬのは人間であり軍用犬である。殺し合いの中で生き残るために人間の命令を理解して行動しようとする軍用犬、戦争とはなんという無残な行為だろうかと、思う。


読書日記 ブログランキングへ
コメント

シューマンの指 奥泉 光 ****

2013年02月14日 | 本の読後感
ラストで大逆転のミステリーであり、ピアノ弾きのクラシック好きには面白くて引きこまれてしまう幻想的小説である。

表紙はピアノの鍵盤に血痕、まさか自分の怪我した指で本を汚してしまったのかと錯覚するデザイン。語り手は里橋優、今は医師であるが、T音大でピアニストを目指したこともある。その優に高校時代の友人鹿内堅一郎から手紙が来る。「あの永嶺修人(まさと)」がドイツでピアノを弾いていた、それもシューマンを。彼は中指を切断したのではなかったのか。その手紙を受け取ったのは1984年、当時優は25歳だったはずだ。

現在は2008年7月、優の記憶を辿るような手記である。高校時代に優はピアノを弾いていた。そんなに飛び抜けてうまくはなかったが一生懸命練習していた。2つ下に、海外のピアノコンクールで好成績を上げた永嶺まさとがいたのだが、その彼が同じ高校に入学してくるというのだ。

いつからか永嶺まさとと一歳年下の鹿内堅一郎、そして優は友人として付き合うようになる。音楽的には圧倒的に優位に立つまさと、そんな3人だったが音楽についての書物を書こうということになり、3人で雑誌のような書物を共同制作するようになる。まさとは次のように書く。「音楽は楽譜になっている時が完璧であり、演奏されると完璧さは崩れ去ってしまう。どんなにうまく演奏されても完璧にはいかないからだ。シューマンは特にそうなのだ」と

優は3年になりT音大を目指すが最初の受験に失敗、2年目の受験課題曲がシューマンの交響的練習曲、試験日まで一生懸命練習するが、試験当日の会場で優はそこにまさとがいるように感じてしまう。そして課題曲であるシューマンをまさとに聴かせるように弾いて合格する。

ある夏の夜、優は高校の音楽室で誰かがシューマンを弾いていることに気がつく。音楽室に行ってみるとそれはまさとであり、完璧なシューマンの幻想曲だったのだ。曲を聴きに来ていたのは優だけではなかった。美術の先生であった吾妻先生、鹿内堅一郎、そして曲が終わると思ったその時、女性の悲鳴が聞こえた。黒い影が女性を引きずってプールに投げ込むのを見た優は追いかけようとするが取り逃がす。プールに投げ込まれたのは2年の岡沢美枝子、殺されていた。

犯人は誰なのであろうか。事件は謎のまま葬られた。

そして3人の仲間に末松佳美という不美人が加わった。まさとの恋人だということだったが不釣り合いだった。そして次の年の7月、まさとの誕生日に佳美の父親の蓼科にある別荘で誕生パーティーを開くことになり、吾妻先生、鹿内堅一郎、末松佳美、優と優の妹が呼ばれた。そこでまた事件が起こった。佳美がまさとをナイフで刺そうとして、まさとの中指を切断してしまったのである。ピアニストとしてのまさとは死んだはずだった。

そのまさとがなぜ5年後にドイツでピアノを弾いていたのか。プール殺人は手の込んだ殺人事件だったのか。蓼科での事件は佳美とまさとの狂言だったのか。

優の妹は優が失踪したという知らせを受け取り優の家に行って、書き残された手記を見つける。そこには優とまさと、鹿内、佳美、吾妻先生のことが綴られていた。

シューマンの音楽がどのように素晴らしいのか、バッハやベートーベンとの違いは何なのか。そしてショパンやチャイコフスキーなどのポピュラーな作曲家との大きな違いについて。BACHはCDEFGAH(B)のBACHをモチーフとして曲を作った。シューマンは恋人で妻になったクララのテーマで作曲した。音楽好きにはたまらないエピソードが満載である。


読書日記 ブログランキングへ

コメント

ひとたびはポプラに臥す(6) 宮本輝 ***

2013年02月12日 | 本の読後感
全6巻を読み終えた。6700Kmを旅した筆者たちにとっても長い旅だったであろうが、読者にとってもシルクロードを堪能できる旅行記だった。しかし、NHKのシルクロードの旅にような、西安の町から莫高窟などの名所旧跡をめぐる旅というよりも、華厳経をはじめとする仏教経典を翻訳したという4世紀の人「鳩摩羅什」の足跡を辿ることが宮本輝の旅の目的であった。

鳩摩羅什、ご存知だろうか。日本では玄奘三蔵は有名であるが、妙法蓮華経、般若経、阿弥陀経は天台宗や日蓮宗、浄土真宗で最も重要な経典とされているものであり、それらを東アジアにもたらしたのが鳩摩羅什である、ということを知った。鳩摩羅什の年譜は次のとおりである。
350年 鳩摩羅什、クチャ(亀慈)に生まれる。
354年 母、耆婆(ギバ)が出家。
358年 羅什、母とガンダーラにあったケイヒン国に行き、槃頭達多に師事。
361年 母と共に疎勒国に旅立つ、須利耶蘇摩に出会い大乗仏教を学ぶ。
363年 クチャに帰国。
370年 羅什、卑摩羅叉より受戒。
384年 呂光に捕らわれ破戒させられる。
401年 長安に入る。
402年~409年 数々の仏教経典を翻訳。

宮本輝は40日間をかけて鳩摩羅什のガンダーラへの旅路をたどった。この紀行文は北日本新聞に毎週掲載され、平成7年から11年までの203回に及んだという。しかし、この旅行記に鳩摩羅什の旅が再現されたわけでは全くない。というよりも、ほとんどそれは出てこなくて、筆者の思い出や、彼らの旅でのエピソードが語られるだけである。それでも、シルクロードの長さ、旅程の多くを占めるタクラマカン砂漠の巨大さ、天山山脈の高さ、中国の多様さ、キレイな飲み水や熱いシャワーのありがたさ、パキスタンの温かい人々、そして旅行が実行された1990年代の時代を感じることもできる。なによりも、この長い旅程を筆者たちのように車ではなく、自分の足で歩いたという鳩摩羅什と母の旅の苦難を想像した。それでも仏教を学ぶためにガンダーラに向かったのであり、帰路もあったはずである。いかほどの危険があり、それに立ち向かう勇気が必要だったのだろうか。


読書日記 ブログランキングへ
コメント

信州 花めぐりの旅―とっておきのスポット23 増村征男 ***

2013年02月11日 | 本の読後感
八千穂高原のレンゲツツジ、白馬から長野へ抜ける道筋にある鬼無里のミズバショウ、乗鞍岳のお花畑、高山植物の高山帯が逆転しているという八方尾根の高山植物などなど。季節別に解説されていて、春はフクジュソウ(そういえば2月には下仁田の先にある福寿草の里も有名だが、あそこは群馬県)、初夏にはレンゲツツジやミズバショウ、それぞれが綺麗な写真付きで紹介され、JRや車での行き方も筆者の娘さんが書いたという手書き地図つきである。冬の章には雨が凍った雨氷、寒い冬の季節に本当に寒い場所でしか見られないダイヤモンドダストなども写真付きである。花を写真で撮る際のの七つ道具や撮り方も紹介されていて、信州に馴染みのある人にとっては、行ったことがある場所、これから行ってみようという場所が23箇所も紹介されるので便利。ツーリングで行くのも良し、家族連れで行ってもいい。


読書日記 ブログランキングへ
コメント

ひとたびはポプラに臥す(5) 宮本輝 ***

2013年02月07日 | 本の読後感
宮本輝が北日本新聞に連載した「シルクロードの旅」、中国の西安あらパキスタンのイスラマバード・ペシャワールまでの6400Kmを旅した。第五巻は中国の西の果てタクラマカン砂漠のさらに西にあるカシュガルから国境の町タシュクルガンから標高5000mを超えるクンジュラーブ峠を抜けてパキスタンの最後の楽園と言われるフンザの街までの旅。新聞の掲載で言えば1998年6月から99年2月までの掲載分。

一緒に旅で撮影された写真が臨場感を盛り上げる。カシュガルの老人や少女、クンジュラーブ峠にあった中国とパイスタン国境を示す石版、険しい山の中腹に家が張り付くように点在して夕方から夜を迎えようとしているフンザなど、中国からパキスタンに入ったとたん食べるものが一変するさまも面白い。

次巻はいよいよ旅の最終章、ペシャワール、イスラマバードへの旅、第六巻である。


読書日記 ブログランキングへ
コメント

神様のカルテ 夏川草介 ****

2013年02月06日 | 本の読後感
長野県松本平にある民間の本庄病院には400床のベッドを持つ比較的大規模な病院である。キャッチコピーは「24時間365日対応します」、このためこの病院に勤める医師と看護師たちの勤務は厳しい。栗原一止(いちと)は本庄病院に勤務し始めて5年目の内科医だが、ここが初めての職場でもある。大学病院の医局を選ばずに、この民間医院を選んだという、医師としては変わり者と言われているが、本人は患者に毎日直に接して痛みを和らげ、怪我を治療することに喜びを感じている。

同じ松本平には信濃大学付属病院病床数600という大病院があるのだが、栗原医師はあえて本庄病院を選んだということ、相当の変わりものであろう。医師には大狸、古狐などとあだ名されるベテラン医師がいるかと思えば、次郎という大男で一止と同じ年周りの若い医師もいる。そして看護師にも東西というやり手の看護師から、水無さんという可愛くて働き者の看護師もいる。

一止の住まいが元旅館のボロアパート御嶽荘で、各部屋には桔梗の間、桜の間などという名前がついている。そのアパートの住人は画家を目指す「男爵」、大学院で博士を目指す「学士」がいて、一止の飲み仲間である。

結婚して1年目のプロ山岳カメラマン若妻ハルがいる。ハルも元はこのアパートに住んでいた住民ではあったが、ある雨の日に飛び込んできた所を一止、男爵、学士に迎えられ、一止に優しい声を掛けられたことから3年の年月を経て結婚したのである。

こうした登場人物たちが病院に入院して闘病している患者たちと織り成すちょっと泣ける物語である。テーマはシンプル、患者のためになる心からの医療行為とは何か。薬と注射で寿命を最大限伸ばすよりも、死期が迫った患者の望みを叶えてあげること、これが本当の医療行為であるという。

その物語の中に、地域医療が抱える問題、大学病院の医局が抱える問題、終末医療の問題、そして人間の夢と希望について。これを地方病院である本庄病院を舞台にストーリー展開する。患者をめぐる小さなエピソード、一止とハル、次郎と水無さんの恋のエピソードなどが彩を加える。

書店員が選ぶベストtenにはいった作品である。


読書日記 ブログランキングへ
コメント

ひとたびはポプラに臥す(4) 宮本輝 ***

2013年02月05日 | 本の読後感
シルクロードを西安から西に向かってパキスタンのペシャワール、イスラマバードまでの長い旅、第4巻はそのうち天山山脈の南、タクラマカン砂漠の北の端をクチャからアクス、カシュガルを経由してヤルカンド、そしてパミール高原へと向かう旅路である。

筆者はクチャの街で知り合いに手紙を書く。その中でアメリカの南北戦争の南軍の総司令官ロバート・リー将軍が戦闘の度につぶやいた言葉を参照している。「川を渡って木立の中へ」ここで川とは目前の戦闘であり、木立とはひと時の休息である。人それぞれに戦いの場である川と休息の場が必要であり、自分に合った「木立ち」を見つけなければならない。この自分のシルクロードの旅では、木立とは文字通りオアシス、ポプラの木立であり、人生では家族であり、家そのものである。この旅行記のタイトルも、そうした考えに由来するという。

1700年前に亀慈国と呼ばれた地クチャを通過した鳩摩羅什は、なにを「木立」としたのだろうか。そして宮本輝の一行が車で旅するこの同じ道筋を9歳の少年だった鳩摩羅什とその母は歩いて旅したはず、一体何日かけて旅をしたのだろうかと思いにふける。

北日本新聞の1997年10月から98年6月まで毎週連載されたというこの旅のエッセイ、次巻からはいよいよ中国タシュクルガンからクンジュラーブ峠を通ってパキスタンのフンザへと進む。


読書日記 ブログランキングへ
コメント

史上最悪のウイルス(下) ***

2013年02月04日 | 本の読後感
2003年に中国から感染が広がったSARS、その発端から終息までをドキュメンタリーで描いた作品。実名で登場するWHOのマーガレット・チャンやCDC(米国防疫予防センター)の疫学部長ケイジ・フクダ、今は東北大学で教授の当時WHOアジア局に席をおいていた押谷仁など、2009年のH1N1新型インフルエンザ流行時にも活躍したメンバーが登場する。

中国における野生動物食の習慣が、インフルエンザやSARSなど人獣共通感染症の温床となること、これは疫学や学習などでは防ぎきれない感染症拡大の原因となっている。そして中国における情報管理、よくわからない情報はまずは隠蔽して国家や組織への悪影響を吟味する、という官僚や役人などにより、感染症はさらにその勢いを増しているようだ。

SARSは患者が発生した当初は新型インフルエンザと疑われたが、クラミジアという診断もあった。患者を取り扱う前線にいる医師にとっては病名もわからず、感染経路も媒介する動物も、感染環境も分からないという最悪の状況での対応を迫られた。

SARSのケースは884人の死者をだし、感染者は分かっているだけでも8400人を超えたが1年ほどで患者の発生は収まった。しかし、それは人から人への感染が野生動物が狭い環境の混在し、そこに人間もいるという状況は、今でも中国だけではなく東南アジアではそこここに存在する。2003年以降、2004年にはH5N1の感染者と死者が報告され、パンデミックの危険性が叫ばれた。鳥固有の感染症であったインフルエンザが変異を起こし、感染した鳥は口や肛門などあらゆる開口部から出血を見て2日で健康な鳥を肉の塊に変えてしまうH5N1の致死率は3割以上とも言われた。死者は2005年までに100人を超えた。

中国には140億羽の家禽と13億人の人間がいる。世界の2割の家禽が世界の2割の人間と共存しているということである。2013年には政治体制が変わったが、2003年のSARS拡大の一因が政治体制交代に伴う情報統制にあったということを考えると、今年も感染症隠蔽の危険性はあった、もしくは今でもある、ということ。致死率が3割にも達する感染症が拡大してしまっては政治体制もなにもあったものではないはずである。中国の防疫体制と政治家の自覚が10年前撮り少しでも進歩していることを心から祈りたい。



読書日記 ブログランキングへ
コメント