意思による楽観のための読書日記

帰らざる夏 加賀乙彦 ****

昭和48年に書かれた本、僕も大学生の時に読んだのだがあまり印象に残っていない。著者は陸軍幼年学校時代に刷り込まれた神国日本、天壌無窮の皇国、忠心報国などの信念が8月15日の天皇によるラジオ放送「ポツダム宣言受諾」で一気に瓦解する、という経験をした。当時著者は13ー17歳であり、思春期を迎える中で大人から教え込まれた日本不敗を信じ、自らも死んで国に尽くす、と思いこんでいた、それが一瞬のラジオ放送で変わってしまうという「価値観の瓦解」について綴られている。

先の2.26事件では逆臣となり処刑された青年将校たちの心情が良く理解できた、という幼年学校時代の著者の身代わりである鹿木は、8月15日の天皇による受諾宣言も「君側の奸による謀略」だと考えてしまう。阿南陸軍大臣は自刃した、という報道に、自分たちも死ぬべきなのではないかと考えてしまう。しかし、矛盾も感じるのは、アッツ、キスカ、レイテ、サイパン、硫黄島で「死んで国を守れ、生きて虜囚の辱めを受けず」と命じていた天皇が、なぜ今になって、国民は生きて新しい日本を再建して欲しい、などと言うのかが理解できないと感じる。もしそうなら、死んでしまった玉砕戦死者は浮かばれない、何のために死んだのか分からないではないか、と思う。大人たちはどう感じているのかが理解できないのだ。

幼年学校の教官たちの間でも意見は分かれるが、大勢は「生きて日本を再建するのだ」となり、主人公の鹿木は、そういう意見変更が軽々しくできない。同時に、昨日まで「日本不敗、大和魂」などと言っていた教官たちの変節が理解できないでいる。13ー17歳の価値観確立時に刷り込まれた考え方と、大人になって軍国時代を迎え、それに自分を適合させていったその上の世代に世代間ギャップがあるのだ。

終戦時、10歳以下の人は、そこまでの価値観の瓦解はなかっただろう。24歳以上であれば、開戦時には自我の確立ができており、どのように開戦を迎え覚悟を決めたか、人それぞれであるにしても、覚悟の決め方があり、終戦を受け入れることもできたのではないか。著者がいうのはその間の世代、11歳から22ー3歳の価値観確立世代が、どのように敗戦を受け止めるのか、それもエリート中のエリートであった陸軍幼年学校の生徒の自分はどう消化するべきなのかが分からなかったという。本にしたのが昭和48年、戦後28年経過しなければ本にはできなかった、と言うことからも著者の苦悩が伺われると思う。

1945年当時、11ー22歳だった人は2009年には75ー86歳、加賀さんのような当時のエリートでなければここまでの苦悩はなかったのかもしれないが、人間、自分の価値観を根こそぎ書き換えることは相当な苦悩を伴うことは想像できる。それも17歳のエリート少年にとってはどうだったのか、それが「帰らざる夏」のメッセージである。今、このメッセージに共感できる人、世代はどのくらいいるのだろうか。国が負ける、などという価値観の大転換は、そうそうあることではない。受験失敗、会社の倒産、失業、配偶者の死、友人の裏切り、信じていたものに背かれる、こうしたときに人間がどのように振る舞えるのか、これらは価値観の上にのっかている状況理解である。価値観はそうした判断基準を根底をなす物、ここまで思いを巡らすことができるか、読者の理解力と想像力が必要である。

今、再読してみて、強く心を動かされる。「永遠の都」を読んだあとなので、小暮裕太として描かれていたあの少年が鹿木青年になったと、位置づけられたこと、自分の今の年が著者が本書を書いた年齢に達したこともあるだろうが、日本が高度成長時代を経て、アメリカと条約を締結し、世界の中での日本の位置づけを意識できるようになったことも大きいと思う。戦争が持つ意味と世界の中での外交と戦争の働きをである。マッカーサーが占領軍で日本に来たときに、「日本は12歳」と言った、その意味がわかる、その上でこの本を読む、そうすると価値観の瓦解に至る経緯と、それを本という形にして書く気持ちになった著者の心の移行が感じられるからである。単なる幼年時代の思い出物語、として読む話ではないだろう。
帰らざる夏 (1973年)

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