在日二世として大阪の中津に生まれて育った許永中は、父を早くに亡くし、母の作るドブロク売りで生計を立てていた。小学校に上がったのは1953年、インテリの父の影響か永中少年は頭の回転が早かった。体の大きかった永中は小中高と喧嘩には負けたことがなかった。そして大阪工業大学に入学、そこでヤクザとのつながりを持つ。40名ほどの手下を従えて大阪でヤクザとも渡り合ったというが、その時から女性にはもてた。そして最初の妻と結婚もしてしまう。
そして在日という立場を利用して活動をしている解放同盟の西成支部長の岡田繁治や飛鳥支部長小西邦彦ともつながりを持つ。そのころ知り合ったのが関西のフィクサーと呼ばれていた西村嘉一郎、電鉄会社のリゾート開発を装って銀行や不動産業者から金を吸い上げる手法は彼に学んだという。そして西村のスポンサーが大谷貴義、小佐野賢治と並び称される大物政商である。そしてこのつながりから当時の外務大臣園田直、坊秀男などとも知り合った。こうして在日、、ヤクザという顔を使い分けながら裏の世界に手を広げていく。
そして一番長く許永中のスポンサーとなった東邦生命の太田清蔵と知り合う。太田の後ろ盾を得た許永中はKBS京都の乗っ取りを企む。そして大阪政財界の大立者野村周史を知り、そして竹下登の盟友と呼ばれた福本邦雄ともつながりを持つにいたり、闇者界の帝王と呼ばれるようになるのはこの頃である。そして3000億円を掠め取ったとされるイトマン事件が許永中を一番有名にしたのであるが、その前後にも日本レースにおける手形乱発事件やホテルニュージャパンの跡地にも手を出したという。そして石橋産業事件で特捜が許永中を探し始めると2年間姿をくらます。そして韓国のホテルで狭心症で拘束されるもまたも逃走、身柄拘束され2000年からイトマン事件と石橋産業事件の裁判が始まる。
許永中は二つの事件で合計13年の懲役を言い渡され今も服役中だという。本書には許永中に関与した人物が実名でたくさん登場する。現役の政治家や亡くなった方の名前も沢山出てくるので、本書の出版には数々の抵抗があったのではないかと想像できる。それでも本書を発刊した講談社、ある意味での決断が必要とされたのではないかと思う。森功氏、本書の著者はあらゆるつてをたどって取材をしたと思われるが、多くの公務員も取材対象としていたのではないかと想像される。そうした際に、国家の機密、外交上の機密などを漏らしたとみなされると、いま議論されている「機密保護法案」によれば処罰対象となる。このような法制度はこうした取材を阻害しないだろうか。「ホワイトアウト」という現役公務員による内部告発的な小説が評判になっているが、こうした書物を発刊することに躊躇するようなことにはならないだろうか。いくら取材の自由、国民の知る権利を守る、と唱えられていても心配になる。
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