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意思による楽観のための読書日記

遊郭と日本人 田中優子 ****

「遊郭は二度とこの世に出現すべきではなく、造ることができない場所であり制度である」と語る筆者。借金のかたとして身柄の自由を抑制され、厳重な監視下に置かれるという遊女たちがその中にいたから、そして病と暴力の危険にもさらされていた遊女たちの身を守るすべがなく、病気予防は運に任されるような体制だったことがその理由。また遊郭内では地位の格差が大きく、暮らしの様子は低位にとどまる多くの遊女では、飲酒などの食生活や不規則な日常生活面などで、早死にするケースが多かったという。一方、吉原遊郭は江戸文化の基盤であり、その影響は同時代の歌舞伎や芝居、新内などの娯楽、そして庶民の日常生活、年中行事にも多大であった。本書は吉原遊郭に関する一冊。

幼い時から遊郭で育てられた遊女は、禿、新造、そして花魁、と出世するに従い、その社会的地位も上昇したが、それは吉原という限られた空間でのみ通用する地位でもあった。花魁となるためには、書、和歌、俳諧、三味線、唄、踊り、琴、茶の湯、生け花、漢詩、着物、日本髪、櫛かんざし、香道、草履や駒下駄、年中行事などを学び実践、江戸時代までに培われてきた日本文化を体現するような存在でもあった。

吉原の遊郭は幕府公認、それは江戸時代初めから京で上演され始めた阿国かぶきがきっかけとなる。当初は北野天満宮で行われる男装した女性芸能人たちによる能の変形版だったが、六条柳町や四条河原で阿国かぶきをまねた傾き踊りが始まって好評を博するようになる。大坂、江戸でも流行し始めた女性芸能者によるかぶき踊りが、踊りだけではなく踊り後の食事、そして売春へとセット化されることで、街の秩序が保てなくなっていったという経緯があった。京、大坂そして江戸でも、女性だけではなく少年による芸能でも同様の動きがあり、かぶきは大人の男のみに限定された。江戸では1617年には日本橋に幕府公認の遊郭を設置することを幕府として認めざるを得ない状況となる。許可された遊郭の場所には葦が生えていたため吉原と名付けられ、柳町、鎌倉河岸の遊女たちも移住して江戸町、本柳町となり、さらに麹町、大坂、奈良、京橋などからも遊女が移り住み元吉原が形成されていく。隣には女かぶき、女舞、女浄瑠璃などの芝居小屋も移転してきた。

芸能活動から幕府により締め出された女性芸能人集団は、ほぼ同時に設置され始める遊郭へと移動することになる。遊郭は遊女、芸者、置屋、料理屋などが渾然一体となった一大歓楽地となっていった。その後、遊郭は浅草千束の現在の場所に新吉原として設置、根津遊郭とともに幕府公認遊郭となる。全国の幕府公認遊郭は、1678年時点では大坂の新町、京の島原、伏見の橦木町と柳町、大津の馬場町、駿河の府中、奈良の木辻鳴川、小網町、敦賀の六軒町、越前の三国、佐渡の相川、堺の高須、南津守、神戸の磯ノ町、播磨の室津、備後の鞆、安芸の宮島、広島の多々海、石見の湯野津、下関の稲荷町、博多の柳町、長崎の丸山、肥前の樺島、薩摩山鹿野の田町。三大都市の大坂と京、そして鉱山、貿易、港などで栄えた町に設置された。平安時代にはまだなかった遊郭であるが、遊女は船で移動しながら楽器を奏でて歌を歌い、夜は枕を並べたという。女かぶきはこれの発展形で、芸能と飲食、売春がセットになる遊郭の原型だった。

明治維新後も吉原をはじめとした遊郭は相変わらず繁盛し続けたが、大変化はペルー船籍の奴隷運搬船摘発事件から意外な展開を見せた。船に乗せられた中国人苦力たちをイギリス人公使が奴隷船であると日本政府に救出を要請、裁判となり、苦力契約が奴隷契約と認定され中国人たちは解放され帰国となる。この判決に不満を表明したペルー政府は、日本における遊郭も奴隷契約であると指摘、日本を先進国として扱われたいと考えた明治政府は翌年には「一切解放、身代金即時解消命令」である芸娼妓解放令を発した。しかし実態は、娼妓たちの身受け、解放後の職業あっせんなどが行われなかったため、妓楼などの抵抗にあうが、近代公娼制度として娼妓把握管理と梅毒検査を警察庁が直接行うこととしたため吉原の娼妓数は3448名から711名に激減、多くの娼妓は自由意志で親元に帰った。

新吉原の遊女屋は貸座敷、そして銘酒屋、矢場などと見た目と形態を変え私娼窟として生き残り、トルコ風呂、ソープランドと名を変えて現在に至る。それでも戦前の貸座敷には芸者衆もいて、三味線の音がして日本舞踊も踊られ、新内節の岡本文弥が着物を着て吉原を流した。戦後になり、300軒のカフェーが看板を掲げ、女給たちがお給して、個室を貸切る形態があった。1956年に売春防止法が成立、特殊浴場として生き残るのがトルコ風呂、そしてソープランドへと続く。2020年からのコロナパンデミックではその業態も大打撃をこうむり、一斉に廃業することになる。本書内容は以上。

現在問題になる売掛金による少女束縛は形を変えた身代金と束縛契約なのかもしれない。


↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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