関本徹生の楽園計画通信

阪神淡路大震災後、芸術で社会を元気にすると始めたアートプロジェクト「新世紀楽園計画」のあれこれ通信

ものづくりの考え方。

2006-08-29 18:42:26 | 雑記
途中からだが、昨夜、CM創りの天才、杉山登志のドラマを観た。
ドラマそのものの評価は別にして、私が小学校高学年から中学生、高校生とリアルタイムで観てきたCMは懐かしくあり、また当時、強烈な印象を受けたサンオイルのCMは、いまだ生々しく記憶の何処かに残っている・・・・。前回のブログに書いた、ダイヤモンドのようにキラキラ輝く夏・・のイメージはサンオイルのCMとオーバーラップしてくる・・・。

このドラマで何を言いたかったのか、少し散漫になっていて、わかりづらい所もあるが、私が気になったシーンはやはり、クリエーションの現場とは・・である。

=杉山がソファーで休憩している。その存在を知らずにスタッフ達は愚痴をこぼす。
「杉山さんは会社に泊まりこみ仕事をしているので、あまり言えないが、たまには日曜ぐらい休みたいし、もう少し、給料上げてもらいたい」・・・というような事を何人かでしゃべっている。

場面が変わって、弟の伝命がカメラをいじっている部屋に杉山がやってきて、遅くまで何をしている?・・と聞く。伝命曰く「カメラがオートズームにならないか考えている・・そうすればもっとスムーズに絵が取れる」・・・と。杉山一言「それが仕事だ」・・と=

若干、セリフの言い回しが違うかもしれないが、だいたいこんなものだったと思う。

そうなんです!!クリエーションの現場は時代が変わろうが、価値観が変わろうが、土・日もなく24時間営業なのだ。
たまの休みであっても、常にものづくりの事を考え、全然関係ない事をしていても、頭の片隅にそれが存在し、ヒントとなるものが少しでも出会えば、臨戦態勢となるように自分の身体を慣らしているのである。

杉山の言う「仕事」とはそういうクリエーションの仕事である。
休みも大事、お金も大事、しかし、その前に「ものづくり」をキチッとやろう・・という事である。

一応、自分の好きな仕事が出来て、それでお金がもらえるから、ラッキー・・・程度の事しか考えていないサラリーマン化したクリエイターが多いのである。

イベント会社に面接に来て、言った事が「土・日はやはり休みたいです」・・・イベント会社が土・日休んでどうするんだ!!と会社社長はぼやいていたが。

ものづくりは既成概念からはずれたところに、面白さがあり、だからこそ人に感動を与え、ハッピーになれるのです。

ドラマに関しては、もっと素直に杉山の生きざまを追求して欲しかった・・・。かなりハードなドラマになるが。
内山は私の中ではイ・ラ・ナ・イ。陳腐な青春ドラマになっている。

てっちゃんの夏休み。

2006-08-27 16:34:58 | 雑記
ツクツクボーシが鳴き始めると、夏も終りだナ・・とシンミリする。
毎年、今頃思うのだが、小さい頃、ダイヤモンドのようにキラキラ輝き、永遠に続きそうなあの夏は何処へいったのか・・・と。

ええ、おっさんやねんし、そんな感傷じみた事、言わんとき・・と言われそうだが、やはり夏はキラキラ輝きたいもんね。

幸い、私は毎年、海や川で魚達と追いかけっこしているので、一部キラキラです。
でも、今年は台風の影響で海が荒れ、残念ながら行けなかった・・・。

今年は川のみ。それも結果的にアユ専門になった・・・アユ取りといっても、網とか友釣りではなく、モリを片手に素早く泳いでいるアユを突くのである。
これは相当年季が必要で、素人は真似しないように・・誰もしないか。

アユの行動、習性、予測を見計らって、モリを放つ。これがビシッと決まるとアユ、ゲットである。

悲しいかな、少年時代と違って、寒さに耐えられん様になってきて、川の中に入っている時間がだんだんと短くなってくる・・・もっと取りたいのだが・・・。

そういう意味では、やはり海のほうが長く入れる・・川の冷たさとは雲泥の差であり、魚、貝の種類も豊富で、獲物を追いかけている時は息をするのも忘れるぐらい。

夜、見る夢も逃がした魚の夢ばかり・・・全くアホ状態である。
そんな夏休み・・・。

「宴」レポートその3

2006-08-26 15:29:15 | 雑記
「平安京・平城京 摩訶不思議の宴」バックヤードレポートその3

●12日(土)本番日・奈良です。
結局、麿さん達と2時過ぎまで、飲んでいて、寝たのが3時過ぎ、学生スタッフ達も8時半には会場に来ているので、早起きしないと思っていたが、腹がへって早く目が覚め、八木の駅に着いたのが8時過ぎ、ちょっと早いので、喫茶店に入ってモーニングサービスの朝食。

9時にならないと施設が使えないというお役所丸出しの対応に朝から頭にくる!!
行政が国民に対する最大級のサービス機関ではないか・・・。

うだうだ言っても始まらないので、さっさと作業に入る・・なんで朝から焦っているかというと、本日は前日の春秋座と違って、映像関係の施設が皆無といっていいほどで、1300名収容できるホールにしてはお粗末。映像関係は全て持ち込みで、チェックも入れて、相当タイトな作業になるからである。そして加えて、大駱駝艦の舞台美術設置および照明シューティング、シンポジウム用照明シューティング、映像用スクリーンの設置&プロジェクターの設置、PAのチェック、これらを12時までに完了しないと、大駱駝艦のリハが出来ないのである。

結局、少しおして、リハが始まる(リハというより、時間の関係もあって、場あたり的なもの)。
9時の搬入から始まって3時間強で設置出来る。さすがはプロの仕事、つじつまを合わせる。
プロとして当たり前だが・・・この時、似たような体験を思い出した。
「WAHAHA本舗」の全国公演の舞台美術を担当した時、当日入りの当日本番、それもマチネ公演という非常にタイトな公演もあり、また美術も大掛かりなものであった為、かなり苦労した事を思い出しつつ、あれに比べれば、なんて事ないか・・と。

例によって、13時にはパネリスト達が集合、そして打ち合わせ。プランナーの松本氏からだんごの差し入れにパネリスト達は大喜び。

妖怪マネキンも無事、大阪から届き、昼食。しかしなんで弁当ってご飯の量が少ないのかなぁ~。
おかずばっかりで、ちっとも腹いっぱいにならん。

急遽、主催者挨拶で私が舞台に上がり、ご挨拶。
昨日の京都と違って、シンポジウムのからみもあって、最初に舞踏公演が開始。
下手、舞台袖で見ていたが、いわゆる暗黒舞踏系はしばらく観ていなかったので、
ずいぶんと変わったなあ・・・と。あまり内にこもったメソッドでなく、伸びやかに踊っているのが印象的。シンポジウムのオープニング映像のタイミングも昨日の京都と同じく、うまくいき、舞台袖から、ロビー廻りへ移動。

いよいよ、「平安京・平城京 摩訶不思議の宴」も終演に向かい、パネリスト、大駱駝艦舞踏手、麿さん、鎌田先生の挨拶も終え、いざお楽しみの打ち上げ会場へ。

学生スタッフ、大駱駝艦スタッフ達も後片付けを終えて、打ち上げ会場へ合流。50数名の打ち上げとなり、会場もぎゅうぎゅう詰めだったが、時間が経つにつれ、最終電車の時間もあり、減っていき、またパネリストの何人かは、この日に東京に戻ったりで、橿原のホテルに泊まる組だけが居残り、鎌田先生を筆頭に途中から話題になった「結婚と離婚」について話そうと腰をすえた時、店の終了時間となった。
仕方ないので、次の店でやり直しとなり、ダーツバーへ。
0時過ぎた頃から、鎌田先生、内藤先生、辺見先生はホテルにもどり、残ったパネリストは鏡リュウジさんだけになった・・・。
いろいろな話で盛り上がり、店を出たのが3時過ぎ・・・ホテルに戻り、おヤスミ・・・。

ハイテンションのまま、ベッドに入っているので、朝はすぐに目が覚め、日曜日は何故かいつも観ている、「ボウケンジャー」(7:30放映)を観、つづいて仮面ライダーカブトを観ようと思ったら、高校野球でやっていなかった・・・。

この日はそのまま新大阪に行き、「くろしお」に乗って、母親の初盆のために和歌山に帰省・・・。
くろしおの中で缶ビールを2本飲んだら、さすがに眠くなり、20分ほど熟睡。
「宴」の余韻を残しつつ、また違ったイベント「初盆」に突入となった・・・・。

「宴」バックヤードレポートはこれで終り・・・また何か思い出したら、番外編で。





「宴」レポートその2

2006-08-25 15:31:03 | 雑記
「平安京・平城京 摩訶不思議の宴」バックヤードレポートその2

●11日(金)本番日です。9時前には学生スタッフ達も集合し、ミーティングの後、本番作業準備にかかる。私は舞台美術担当の学生達と「豆腐小僧」狂言の美術の設置にまわる。
この狂言の舞台美術は、能や狂言の舞台にはかかせない松の木の美術(書割パネル)である。
松の木は能や狂言の舞台では神の”よりしろ”として表現されているが、ここでは松の木が「豆腐小僧」に擬人化されていて、学生がデザインし、8月の始めに制作したものである。

ロビー廻りの方も準備が整い、本番を待つばかり・・・午後から、妖怪なパネリスト達が集合し始め、一番乗りは鏡リュウジさんであった。13時からパネリスト達との打合せ、そして舞台を確認する為、劇場へ・・・ここで問題発生というか、困った注文が出てきた。
昨日も鎌田先生からの要望があった、妖怪マネキン(いつのまにやら、煩悩マネキンが妖怪マネキンに変わっている)を奈良にも欲しいとパネリスト全員からの要望があり、悩んだ末、大阪の工房に保管している妖怪マネキン・・・もとい煩悩マネキンを持ち出す事で、トランスポート、トラックの手配を済ませて、一段落。

いよいよ、本番。私がもっとも、気にしていた、オープニング映像のタイミングがバッチリ決まったので、ホッとする。シンポジウムも始まり、裏方作業に。

第3部の妖怪狂言、可愛らしい「豆腐小僧」も終了し、後片付けは大学職員、学生スタッフ達にまかせて、この後の奈良ナイトツアーに参加する為、鎌田先生と奈良へ移動。
21:30に集合場所の奈良ワシントンホテルに到着。

ツアー客30名とバスに乗り込み、桜井市の大神神社へ。
日本最古の神社、三輪山そのものをご神体とする拝殿に向かい、全員「二礼二拍一拝」、鎌田先生の石笛が吹かれ、闇夜を楽しんでいる自分に気がつく。

この後、狭井神社や弁財天を祀る池、大和盆地を見下ろす小高い丘に登り、全ての明かりを消し、(注:明かりはちょうちん)鎌田先生の話と石笛に耳を傾ける。ちょうどこの時、三輪山の上にかかるおぼろ月が出てきて、自然演出は最高であった。

その後は闇夜の山の辺の道を通り、途中、草むらの中に土蛍の歓迎を受けた。
檜原神社にたどり着き、ここで鎌田先生の説明と横笛の演奏・・・この時もおぼろ月が出てきて、横笛の演奏を聴いているうちに、なんか、もう悪い事しません・・ごめんなさい・・という気持ちになってきた(別に悪い事をしている訳ではないが、何故かそんな気持ちになった)。

檜原神社からいよいよ最後のコース箸墓まで歩いている途中、イノシシが我々の前に出現。
大物主(オオモノヌシ)だな、あれは。やはり山の主も歓迎してくれたのか、それとも俗界のものはこんな時間帯にうろうろするな!の警告か、いずれにしても素敵な歓迎でした。

箸墓には、深夜0時過ぎに到着。ツアー客はバスに戻り、鎌田先生共々、ワシントンホテルに戻る。
私は別車で橿原のホテルに移動(奈良会場が近い為)。チェックインを済ませ、部屋に入ろうとした時、ホテルのオーナー(実はこのオーナーはパネリストの1人麿さんの同級生)が今、麿さんを囲んで、同窓会をやっているから、顔を出したらと言われ、ナイトツアーのおかげで喉がカラカラ、なんでも良いからビールが飲みたく、見ず知らない同窓会に突入!!
いきなり、拍手に迎えられ、大駱駝艦のプロデューサー新船さんの紹介で、ありがたくビールにありつけた。
麿さんとは初対面であったが、お互い、昔からの知り合いのような雰囲気で、「お互いええ加減な胡散臭いところがいいんだよ」・・と麿さん。

朝、10時に車で、東京を出発した大駱駝艦のスタッフがやっと深夜1時過ぎにホテルに到着し、あらためて、乾杯!!
明日・・いや今日(12日)の本番の事も忘れて、酒宴が続き、新船さんの「もういい加減にしないと明日も早いですよ」と一声で、終了。

これだから、イベントは面白いんだな。
次回は楽日のレポート。




「宴」レポートその1

2006-08-21 19:06:42 | 雑記
さあ~て「平安京・平城京 摩訶不思議の宴」バックヤードレポートその1

●10日(木)本番前日の京都会場(春秋座)で準備作業。
主に映像チェックを行うが、春秋座はシステムが揃っているため、比較的に楽な準備作業である。
15時にシンポジウムモデレーターの鎌田先生が会場入りし、PC、ビデオチェック。
オープニング映像を制作していた学生スタッフもギリギリで間に合い、映像チェック。
担当学生はここ3~4日まともに寝ておらず、オープニング映像がぎっしり詰まっているDVDに、寝たい!!とマジックで書いていた・・・気持ちはよくわかる・・ようガンバッたもんなぁ~。

2~3日前から、ステージ上に大学に保管している百八煩悩アートマネキン(12体)を並べようと思い立ち、そのうちの6体分(パネリスト達のイメージに合った?)を設置する・・・。
パネリスト達が嫌がるかもしれないが、ここは演出上必要であると説き伏せようと思ったが、筆頭がしらの鎌田先生は「ぼく、そのグリーンのマネキンを後ろに置いて」・・ときたもんだ。
そして、「これ、奈良にも持っていけないかな」・・・と、この時は予算・運び手の件もあって、丁重にお断りしたが・・・・。

再度、DVDの音響チェックして(このあたり、少し文句あるが大人だからやめておこう)、本日の準備作業は終了。学生スタッフ達はまだ個別的に準備作業をしていたが、プロデュースを補佐してくれている松本氏と帰る。

本来なら、この夜は京都ナイトツアーに同行し、京都泊だったが、定員に満たず、
中止となってしまった。問い合わせは多かったが、けっこう地元の人が多く、宿泊プランなので、残念がっていた・・・まあ京都に住んでいて、あまり京都のホテルには泊まらないよな。
しかし、夜の神社、それも異界、魔界に詳しい先生の解説付だから、面白いツアーである事には間違いない。宿泊抜きのプランも立てておくべきだったと反省。

次回に続く・・・。