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手と目とあたま

まずは手を動かすこと。そして、目でよく見る。頭を使って考えるのはそのあとだ。重要なのは、順序とバランス。

目的とか目標とか。

2011-12-13 | 日記
「今年の目標」とか、「来年の課題」とか、
「◯◯になるのが人生の目的」「年収はいつまでにこれくらい欲しい」
「いくつまでに何をして、いくつまでには何になっていたい」とか。

そういう具体的な「何か」という目標設定が、私は昔からできない。
具体的、というのは、達成する数字であったり、目に見える達成のこと。
私が掲げる目標や目的はいつも、抽象的で漠然としていて、
けれど自分の中ではくっきりと確信している、
それなのに「私の目標はこうです」と簡単に言えるようなものではないので、
いつもなんだか明言しきれなくて、モヤモヤとした気持ちになったりしてきた。



「先にお金を借りて、負い目を背負って家を建てるのは『男の身売り』だ」

これは「鉄の家」の考案者である建築家・川合健二の発言。
「男の身売り」という表現がとても恐ろしく、ずっと頭に残っていたのだけれど、
茂木健一郎の本の中に出てくるこの一節を読んで、ストンと腑に落ちた。

「自分の人生を何らかの目的で規定するのは、人生を質入れするのと同じ」。

何が起こるかわからない状況にどんどん自分を置いて、その偶有性を楽しむことこそ人生の本質、
みたいな話の中で出て来る表現なのだけれど、
そんなふうに本来どうとでも変わり得る人生をあらかじめ縛りつけてしまうこと、
つまり川合健二の言う「男の身売り」と同じ意味だ。


それでなんとなく、どうして自分が今まで明確な目標を持たずに来たか、わかったような気がした。

「明日はどうなるかわからない」
この状況を楽しめる心を持つこと。
逆に、それを楽しめる心を持たないと、これからの世の中は辛くなる一方なんじゃないか、と思う。


明日はわからない。来年もわからない。10年後だってわからない。
でも、今の、今日のこの幸福は確かで、それを毎日積み重ねてゆく。だけ。


冬到来

2011-12-12 | 日記
この冬、初めての霜がおりました。
そうかぁ、また冬の始まりかぁ、とピリッとした空気の中、思う。

それにしても。
その季節に食べるべきものが、その季節にちょうど収穫できるということを知ったのは、
土を触るようになってからだけれど、それって本当にすごいことだ。

冬には体をあたためるもの。夏には体を冷やすもの。

少し前に収穫したショウガは、まさに「体をあたためるもの」の代表で、
長い冬を過ごす上での強力な味方。
地中でこんなふうに大きくなった彼らがいとおしくて、
スープに鍋にお菓子にと、せっせと活躍してもらい中。





記憶の検索

2011-12-02 | 日記
札幌で生まれ育ち21歳のとき東京へ。10年暮らしたあと、三重県に住む今。
そんな私が「昔」の記憶の検索を頭の中でかけるとき、
ひっかかってくるのはどれも東京の頃のことで、札幌でのアレコレは全く出て来なくなったなぁ、
ということに、この前気がついた。

一番古い記憶は札幌にあるはずなのに、検索がそこまで及ばない。

会話の中で「やっぱり北海道は◯◯なんでしょう?」などと聞かれたとき、
「うーん、そうですねぇ、どうだったかな」なんて思い出してみようとはするけれど、
一番奥の重い引き出しを引っ張り出すような面倒さがそこにはあって、
スムーズに出て来ない。

そしてそれはなんだか、いいことなんじゃないか、と思っている。



おととい大豆の収穫をしたとき、土が湿っている場所の大豆は莢の中から発芽しているものがあって、
「酸素、温度、湿り気」という条件が揃えば、
迷いなく生まれてこようとする姿勢に心が動いたのだけれど、
それは「過去」がどんどん遠くへ追いやられていくのを「いいことだ」と感じることと関係がある。

これから寒くなって枯れてしまうというのに、あの発芽の様子は希望に満ちていた。



今、今、今。
ただこの「今」に意識を集中すること。
学んだ過去は早々に引き出しにしまって、「今」に常に心を置いておく。
そして向く方向は、「前」。

黄色の旅

2011-11-29 | 日記








この秋はどうもイチョウの木が気になってしょうがなく、
陽光にイチョウの黄色がピカピカしているのを見ると、目が離せなくなる。

イチョウの黄色は、どこまでも金色に近く、まるでスポットライトを浴びているようだ。

杉ばかりの山は紅葉しないので何とも味気なく、
所々残った雑木林の色づきを見て紅葉を予測するだけだけれど、
その落ち葉にさえ放射性物質が堆積するらしいしなぁ、「落ち葉焚きで焼き芋」もしにくいなぁ、
なんて、つまらない気持ちで思う。


けれど、季節は巡る。日常はつづく。
空豆も麦も元気に発芽中だし、発芽するのは春に実るため。その意志はシンプルで確か。

そうか、と思い、来期の畑計画を思い、ピッチを上げて絵を描く日々。


正解のない問い

2011-11-04 | 日記
「それが正解!」という答えのない問題について。

福島で被災されたお兄さんの言葉を伝えたブログを偶然見つけて
読んでいたのだれど、「ボランティアの人達はありがたいけれども、
正直いって仕事として割り切ってもらった方が楽。
励ましの言葉に返すのもしんどいし、純粋な善意だとわかっていても
例えばその人には帰る家も町も家族もいるわけで、
あなたが自分と同じ状況になって同じことが言えるのか、
という気持ちを抑えられない」

ということを言っていて、サーッと血の気が引くような気分になったのは、
それは私が思いそうなことだ、と思ったから。

励ましの残酷さ。無責任さ。
励まされて励みになったことなんて、あるもんか、と思うのも事実。

けれど、励ますことしかできない自分の無力さをなじりながら、
他に術がないやりきれなさが、その励ましには含まれていたりもして、
そのこともよく、よくわかる。

じゃぁ、放っておけばいいのか?というわけでもないし、
その問いと答えの間には、
灰色の茫漠とした「空白」がポッカリと浮かんでいる。


原発について、被爆について、責任の所在と怒りについて、
どうしてこんなに誰も何も言わないの?
という気持ちがモヤモヤとあり、
一体、今なにが起こっているのか知れば知るほど、
日本という国は国民のことなんて、
ましてや子供のことなんて本当にどうでもいいんだ、
ということがよくわかり、恐ろしくなる。

自分達の利益のために原発をたくさん作り、
取り返しのつかない事態になったら
「想定外だったからしょうがないでしょ」と誰も責任を取らないだなんて、
そんなことがまかりとおるなんて、どう考えてもおかしい。

そして明らかに被爆しているのに、いまだに東京にみんな住んでいるだなんて
Are you crazy?とヨーロッパの人たちは言っているけれど、
東京のたくさんの友達に「今すぐ逃げたほうがいい」と
私からは言うことができない。


事故の4日後に、茨城県から3歳と5歳の子供を連れて
三重に引っ越してきた夫婦と話す機会があったけれど、
「何が一番大切かは人それぞれ違うから、一方的に逃げろとは言えなかった」
と言っていた。

彼らは茨城県で専業農家をしていたそうで、
土地を離れることがどれだけの痛みを伴ったか計り知れないけれど、
「自分たちには『次の世代のこの人たち』が一番重要だから」と、
移住を決断したらしい。

仕事より、根ざした土地より。

歌を唄いながらご飯を食べたりしている無邪気なちびっ子を指して
「次の世代のこの人たち」と言ったので、
私はハッとした。


今を生きるということに集中しながら、
自分に一体何ができるのか考えている。