「今年の目標」とか、「来年の課題」とか、
「◯◯になるのが人生の目的」「年収はいつまでにこれくらい欲しい」
「いくつまでに何をして、いくつまでには何になっていたい」とか。
そういう具体的な「何か」という目標設定が、私は昔からできない。
具体的、というのは、達成する数字であったり、目に見える達成のこと。
私が掲げる目標や目的はいつも、抽象的で漠然としていて、
けれど自分の中ではくっきりと確信している、
それなのに「私の目標はこうです」と簡単に言えるようなものではないので、
いつもなんだか明言しきれなくて、モヤモヤとした気持ちになったりしてきた。
「先にお金を借りて、負い目を背負って家を建てるのは『男の身売り』だ」
これは「鉄の家」の考案者である建築家・川合健二の発言。
「男の身売り」という表現がとても恐ろしく、ずっと頭に残っていたのだけれど、
茂木健一郎の本の中に出てくるこの一節を読んで、ストンと腑に落ちた。
「自分の人生を何らかの目的で規定するのは、人生を質入れするのと同じ」。
何が起こるかわからない状況にどんどん自分を置いて、その偶有性を楽しむことこそ人生の本質、
みたいな話の中で出て来る表現なのだけれど、
そんなふうに本来どうとでも変わり得る人生をあらかじめ縛りつけてしまうこと、
つまり川合健二の言う「男の身売り」と同じ意味だ。
それでなんとなく、どうして自分が今まで明確な目標を持たずに来たか、わかったような気がした。
「明日はどうなるかわからない」
この状況を楽しめる心を持つこと。
逆に、それを楽しめる心を持たないと、これからの世の中は辛くなる一方なんじゃないか、と思う。
明日はわからない。来年もわからない。10年後だってわからない。
でも、今の、今日のこの幸福は確かで、それを毎日積み重ねてゆく。だけ。
「◯◯になるのが人生の目的」「年収はいつまでにこれくらい欲しい」
「いくつまでに何をして、いくつまでには何になっていたい」とか。
そういう具体的な「何か」という目標設定が、私は昔からできない。
具体的、というのは、達成する数字であったり、目に見える達成のこと。
私が掲げる目標や目的はいつも、抽象的で漠然としていて、
けれど自分の中ではくっきりと確信している、
それなのに「私の目標はこうです」と簡単に言えるようなものではないので、
いつもなんだか明言しきれなくて、モヤモヤとした気持ちになったりしてきた。
「先にお金を借りて、負い目を背負って家を建てるのは『男の身売り』だ」
これは「鉄の家」の考案者である建築家・川合健二の発言。
「男の身売り」という表現がとても恐ろしく、ずっと頭に残っていたのだけれど、
茂木健一郎の本の中に出てくるこの一節を読んで、ストンと腑に落ちた。
「自分の人生を何らかの目的で規定するのは、人生を質入れするのと同じ」。
何が起こるかわからない状況にどんどん自分を置いて、その偶有性を楽しむことこそ人生の本質、
みたいな話の中で出て来る表現なのだけれど、
そんなふうに本来どうとでも変わり得る人生をあらかじめ縛りつけてしまうこと、
つまり川合健二の言う「男の身売り」と同じ意味だ。
それでなんとなく、どうして自分が今まで明確な目標を持たずに来たか、わかったような気がした。
「明日はどうなるかわからない」
この状況を楽しめる心を持つこと。
逆に、それを楽しめる心を持たないと、これからの世の中は辛くなる一方なんじゃないか、と思う。
明日はわからない。来年もわからない。10年後だってわからない。
でも、今の、今日のこの幸福は確かで、それを毎日積み重ねてゆく。だけ。