手と目とあたま

まずは手を動かすこと。そして、目でよく見る。頭を使って考えるのはそのあとだ。重要なのは、順序とバランス。

きんいろ

2009-07-30 | 日記
「金色」と表示されているものは、往々にして金色じゃない。
「金色っぽい黄色」ならそれは黄色だし、
絵の具の鈍い金色は金色じゃないと思う。

だから、オオゴマダラチョウのさなぎを見たときには、
とてもとても驚いた。
オオゴマダラのさなぎは、完璧な金色だ。
陽光にキラキラ光る、重厚な金色。
変化の過程の一瞬にしか現れない色。

金色のさなぎの中で、白と黒のあの大きな羽が作られるだなんて、
とても潔いと思う。
ゆらゆらと飛ぶ、くっきりとした美しいモノトーン。


焦点、照準。

2009-07-29 | 日記
大好きなものが大好きを超えると、
他の何者とも比較できなくなる。
「比較」というステージにエントリーすらされなくなる。

...んだなぁ、と思った。

「1番好き」とう表現は
「今現在、他と比較した上で最も『好き』の量が多い」
という意味で、結局のところ相対的な価値だ。
そして相対的である以上、その価値は「代替可能」ということになる。

「絶対」は「相対」の反義語ではないと思う。
絶対は相対を軽々と内包しているから。

私にとって、絶対的なものってなに?という問いに、
すぐに思う浮かぶのは3つ。
3つ(正確には1人と2つ)もあるなんて、これってなかなかじゃない?と
道を歩きながら思う。
代替不可能な、無二の価値。


最近考えていたのは、
自分は賛成だと思っていたある事柄について、
本当は全然賛成じゃないんだなぁ、ということ。
心の奥は賛成じゃないから、どう注意を払って返答しても、
表現に否定的な要素が必ず数%まざる。
そんな言葉を言う自分がいやでたまらなかった。
肯定も否定もできないことが、どうやらあるらしい。
だとしたら私にできるのは、
意見は内にとどめ、口をとざしてやり過ごすことだけなのかもしれない。


忙しいと、思考の焦点がずれる。
3つの「絶対」を軸に、キリキリと焦点をあわせなおす私。
虫眼鏡で日光を集めるみたいに。

ハキリアリについて。

2009-07-20 | 日記
ハキリアリというアリを知っていますか?

切り取った葉っぱを自分の巣に持ち込んで肥料にし、
その土でキノコを育て、幼虫の餌にするというなんともかわいらしいこのアリ。
けれども南米では「害虫」として名高いらしい。

なぜそんなに嫌われているのか?

このアリを唯一、日本で見られる多摩動物公園に行ってみて、その理由がよくわかった。
とにかく、葉っぱを切り取り過ぎだ。
自分の体の何倍もの大きさに切り抜いた葉っぱを「よいしょ」と運んでゆく姿は一見けなげだが、
しばらく見ていると、あっというまに葉っぱは丸裸にされてゆく。
もしこの植物が自分の育てる作物だったら.....と考えると、全くおそろしい。

昆虫には自我がない。あるのは「本能」という使命のみ。
休まない。あきらめない。道草も気まぐれも、なし。

自分の使命をまっとうしようとする彼らの、尽きない集中力と労働意欲には感心を通り越して気が遠くなる。

ちなみに。
なぜこのアリが日本では多摩動物公園でしか見られないのかというと、
万が一、外に逃げ出したらとんでもないことになるから、らしいです。


スケッチをもとに、版画にしてみました。

荒川土手

2009-07-10 | 日記
写真を整理していたら土手の写真がたくさん出て来た。
荒川土手。
1年半前に、私は荒川土手のそばに住んでいた。不動産屋で「駅よりも、土手に近い部屋」と言って見つけた部屋。

土手への道のり。右側に豆腐屋さんがあり、ローソンをすぎて少し行くと神社、そして左手の家の前にいるまぬけな顔のおっとり犬(毎回笑ってしまう)が今日もいるか確かめてからガードレールをまたいで急な階段をのぼると、突然「スコーン!」とひらける荒川土手。
この「スコーン!」には何度行っても慣れることはなく、いつもいつも一瞬あたまが真っ白になって胸のすく思いがしたもの。
草がしげる傾斜、犬を散歩させる人と自転車に乗った人がゆっくりすれ違う道、野球場。
その向こう側に荒川が流れ、対岸には高速道路が見える。

強風の中立ち尽くしたり、階段に座って散歩中の犬の「かわいいランキング」を頭の中でつけたり、草むらでアイスを食べたり、夜中に来てみたり、早朝に歩いたり、つまり私は土手が大好きで、土手も川もない場所に引っ越してみて改めてそれがわかった。

川。水。「流れている」ということ。

こんなにも無条件に惹かれるのはなぜ?と繰り返し考えてはいくつも理由を挙げてきたけれど、なお心は問う。「なぜ?」と。

それはきっと、本当のその答えは自分の内のもっと深いところにあって、心はその場所を示したいからなんじゃないか?
と、うっすら思ったりもする。