手と目とあたま

まずは手を動かすこと。そして、目でよく見る。頭を使って考えるのはそのあとだ。重要なのは、順序とバランス。

失ったもの、そして

2016-02-17 | 日記


20年近く、気に入って使っていたマグカップが、ついに割れた。
いや、割ってしまった、私が。
数日前、いつものように珈琲を飲みながらふと、
『このカップが割れたら、同じ使い心地のを探すのが大変だろうなぁ』
と思ったのが、何かの前触れだったのかもしれないけれど。

それにしても、失うことの、あっけなさよ。
あっというまの出来事のあとは、永遠に元には戻らないという容赦なさ。

しばらく呆然としてしまったけれど、もうしょうがない。

今は、とりあえずで大体同じ大きさのカップを使い始めたけれど、
意外に、割れてしまったあの子のことは思い出さず、
平穏に日常が過ぎてゆく。
こうやってスラスラと忘れていくものなのかなぁ。
「愛着」というものを考える。

かく、かく、かく

2016-02-06 | 日記
すごく、すごぉくひさしぶりのこの場所。
まだあるのかな?なんて、
自分のブログなのに来てみたら、あった!

というわけで、またぼちぼち始めたいと思います。

近況。
子供が産まれました。
今年の味噌の仕込み、終わりました。
そして春を、待っています。
コツコツといつものように、
やっぱりやっぱり、書いて描いている私だ。

今年も、かくぞ。
どうぞよろしく。

ちびっこ、登場。

2013-04-09 | 日記


庭の三つ葉が、ものすごい勢い。
今なら摘めば摘むほど、どんどん生えてきそうだ。

一握り収穫してきて、ジャブジャブと洗い、台所のコップにひとまず生けたところで、
なにやら異物がチラッと見えた。
「何?」
慎重にさがすと、それは小さな小さなカタツムリの赤ん坊!
ここまで小さいのは初めて見る。
まだ本当に生まれたばかりのようで、それでも一心に葉を食べている。

そっと庭の草むらに戻してきた。

やってきた春

2013-03-30 | 日記




いつだって冬と春の境目はあいまいで、今年もまたいつのまにか春になっていた。

たとえば雪が積もる季節ならば、「雪がまだある」「雪はとけた」
という明確な判断基準でもって、冬と春を分けることができそうだけれど、
気温と、空気のにおいなどを頼りに、冬と春の境目を「ここだ!」と見極めるのは、
とても難しい。

春分の日を過ぎても寒い日はたまにやってきたりもして、
まだまだ油断できないな、なんて思っているうちに菜の花は満開だし、
桜もほころんで、あたりは鳥のさえずりに満ちている。

春は、やってきていた。

畑のソラマメは花盛り。
パンジーに似たクッキリとした花が、ポコポコと咲いている。