手と目とあたま

まずは手を動かすこと。そして、目でよく見る。頭を使って考えるのはそのあとだ。重要なのは、順序とバランス。

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黄色の旅

2011-11-29 | 日記








この秋はどうもイチョウの木が気になってしょうがなく、
陽光にイチョウの黄色がピカピカしているのを見ると、目が離せなくなる。

イチョウの黄色は、どこまでも金色に近く、まるでスポットライトを浴びているようだ。

杉ばかりの山は紅葉しないので何とも味気なく、
所々残った雑木林の色づきを見て紅葉を予測するだけだけれど、
その落ち葉にさえ放射性物質が堆積するらしいしなぁ、「落ち葉焚きで焼き芋」もしにくいなぁ、
なんて、つまらない気持ちで思う。


けれど、季節は巡る。日常はつづく。
空豆も麦も元気に発芽中だし、発芽するのは春に実るため。その意志はシンプルで確か。

そうか、と思い、来期の畑計画を思い、ピッチを上げて絵を描く日々。


正解のない問い

2011-11-04 | 日記
「それが正解!」という答えのない問題について。

福島で被災されたお兄さんの言葉を伝えたブログを偶然見つけて
読んでいたのだれど、「ボランティアの人達はありがたいけれども、
正直いって仕事として割り切ってもらった方が楽。
励ましの言葉に返すのもしんどいし、純粋な善意だとわかっていても
例えばその人には帰る家も町も家族もいるわけで、
あなたが自分と同じ状況になって同じことが言えるのか、
という気持ちを抑えられない」

ということを言っていて、サーッと血の気が引くような気分になったのは、
それは私が思いそうなことだ、と思ったから。

励ましの残酷さ。無責任さ。
励まされて励みになったことなんて、あるもんか、と思うのも事実。

けれど、励ますことしかできない自分の無力さをなじりながら、
他に術がないやりきれなさが、その励ましには含まれていたりもして、
そのこともよく、よくわかる。

じゃぁ、放っておけばいいのか?というわけでもないし、
その問いと答えの間には、
灰色の茫漠とした「空白」がポッカリと浮かんでいる。


原発について、被爆について、責任の所在と怒りについて、
どうしてこんなに誰も何も言わないの?
という気持ちがモヤモヤとあり、
一体、今なにが起こっているのか知れば知るほど、
日本という国は国民のことなんて、
ましてや子供のことなんて本当にどうでもいいんだ、
ということがよくわかり、恐ろしくなる。

自分達の利益のために原発をたくさん作り、
取り返しのつかない事態になったら
「想定外だったからしょうがないでしょ」と誰も責任を取らないだなんて、
そんなことがまかりとおるなんて、どう考えてもおかしい。

そして明らかに被爆しているのに、いまだに東京にみんな住んでいるだなんて
Are you crazy?とヨーロッパの人たちは言っているけれど、
東京のたくさんの友達に「今すぐ逃げたほうがいい」と
私からは言うことができない。


事故の4日後に、茨城県から3歳と5歳の子供を連れて
三重に引っ越してきた夫婦と話す機会があったけれど、
「何が一番大切かは人それぞれ違うから、一方的に逃げろとは言えなかった」
と言っていた。

彼らは茨城県で専業農家をしていたそうで、
土地を離れることがどれだけの痛みを伴ったか計り知れないけれど、
「自分たちには『次の世代のこの人たち』が一番重要だから」と、
移住を決断したらしい。

仕事より、根ざした土地より。

歌を唄いながらご飯を食べたりしている無邪気なちびっ子を指して
「次の世代のこの人たち」と言ったので、
私はハッとした。


今を生きるということに集中しながら、
自分に一体何ができるのか考えている。