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手と目とあたま

まずは手を動かすこと。そして、目でよく見る。頭を使って考えるのはそのあとだ。重要なのは、順序とバランス。

today is another day.

2012-07-20 | 日記









ようやく暑くなって、植物の成長するスピードがものすごい。
支柱を立てたり、周りの草を刈ってあげたり、
間引いたり脇目を摘んだりしているうちに、新たな種をまく時期も迫ってきて、
どんどん育ちたい彼らの要求と、次のシーズンへの準備とを
同時に考えなければならないこの季節は本当に忙しい。


元は一粒の種だったキュウリ。
元は一粒の種だったカボチャ。
元は一粒の種だったオクラ。

どうしてこんなに大きくなることができて、
どうしてこんなに沢山の「実」をつけられるのか?

このことは永遠に謎だ。

『不思議だなぁ』と思うことは、思うままに置いておく。
そして不思議だからこそ、尊敬と畏怖を持って対する。

目に見えないもの

2012-06-12 | 日記
「目に見えるものは、目に見えないものでできている。」

この1文がずっと頭にひっかかっていて、けれど田んぼと畑で忙しくなってから、
考えを深める時間を持てないままだった。
今日はやっと、落ち着いて考えることができる。

目に見えないもののこと。

多分、今までよりもっと自覚的に、
このことを意識しながら生きていかなければいけない時にさしかかっている、
と、ここのところ強く感じている。

土におろした種の発芽と成長に、私はいつも「希望」を見る。
けれど、芽が根をはり、光合成を行い大きくなるその成長の実際の過程は、ほとんど目に見えなくて、
私たちが見ているのは、その「結果」でしかない。

つまり、私が見る「希望」は、目に見えないもので成り立っている。


希望とか、気力とか、自由とか、夢とか。
風とか、気配とか、空気とか。


数値や数字、形や物質といった「目に見えるもの」を全面的に頼っている現在だからこそ、
目には見えない重要なものたちのことを、全力で信じなければいけないんじゃないか。


目に見える「わたし」は、目に見えない心でできている。
目に見える「からだ」は、目に見えない内臓で動いている。
目に見える「樹木」は、目に見えない根を地中にはっている。
目に見える食事は、目に見えない未来につながっている。

森に還ろう

2012-05-18 | 日記
ふと思いついたように気まぐれに降る雨のあとで、
草たちの勢いに目をみはる。

とにかく、どんなことをされてもどんな場所にでも
どんな状況であれどんなやり方でも、
草は、はえてくる。

ひたひたと静かに押し寄せる潮のように、
人に気付かれないスピードで確実に確実に自分達の生きるスペースを広げる
その躊躇ない意志は恐ろしいほどだ。

人間が、地球保護とか自然を守れとかジタバタしてる間にも、
彼らは淡々と自らの生命をつないでゆく。

砂利を敷きつめようがアスファルトで覆おうが、
あらゆる方法で種がやってきて発芽することを誰も防げない。


つまり、この世界の仕組みは、最初から「森に還る」ようにできているのではないか。

雨の後

2012-05-03 | 日記




とにかく雨が降り続いて、今朝ようやく雨粒は落ちて来るのをやめた。
雨が降ると、外の仕事はできない。
家の中での「お楽しみ」をたくさん持つ私にとってそれは、ある意味「恩恵」でもあるのだけれど、
さすがに何日も雨が降り続くのはいい気分じゃない。

それでも、雨が上がれば。

雨が上がれば、この季節の植物の様子は激変している。
地に落ちた水分を丸ごと吸い上げて、吸い上げた分だけそのまま大きくなったかのようだ。
ものすごい成長力。
カボチャやウリの種も雨のさなかに発芽していて、
あぁ、もっと沢山、種をまかなくちゃ!と地表が乾くのを待っている。


まきおわった種。
カボチャ、ウリ、冬瓜、キュウリ、トマト、ナス、ピーマン、トウガラシ、ゴボウ、エダマメ

これからまく種。
オクラ、モロヘイヤ、空芯菜、ゴーヤ、キュウリ第二弾、ゴマ


「夢見つつ、深く植えよ」

パンのつづき

2012-04-16 | 日記



日本で一番美味しいパンが食べられるのは、東京・富ヶ谷の「ルヴァン」だと思っている。
たまに、あたかも恋するような気持ちで
「あぁ、今ルヴァンのメランジェが食べたいなぁ」なんて思う。
そう、その気持ちは主に、4月から5月にかけての、さわやかな晴れた日の遅い朝にやって来る。

けれど、今は東京から離れたので、行きたいけれど、行けない。
行って買うことができないのなら、答はひとつ。作るしかない。

ずっと前に買ったルヴァンのレシピ本を出して来て、慎重にゆっくり気長に酵母を起すこと、
2週間。やっと元気のいい酵母が育ったので、今日一日かけてパンを焼いた。
もちろんルヴァンには及ばないけれど、私の「ルヴァン欲」をなだめる効果はあった。

そしてこの本にもあったとおり、いちから自分で「育てた」パンのかわいいこと!
「パンがかわいい」なんて、なんだかおかしなものだけれど、
手と心とをかけて作り上げたものは、一様に独特のいとおしさ。

それにしても。
「時間のかかる」ことが、どうしてこんなにも好きなのか?
パンにせよ、銅版画にせよ、ペン画にせよ、畑にせよ、
なにしろとにかく時間がかかる。

...と、考え始めて、はたと気付く。
「時間のかかることが」好きなのではなく、
「かけた時間そのものに価値があると思えることが」好きなんだ。


正しいと信じたものに、今生きているこの「時間」を惜しみなく使えること。
全ては、そのため。