話は変わりますが

ギターやゴルフを趣味にのんびり暮らしています。ド田舎でのなんてことない日々を綴っています。

No,558『願い』

2015年01月02日 | 思想・雑感
アクセス頂きありがとうございます。

日本に昔からある祭り事、行事、神事、風習、習わし等々。
めんどくさいことや大変なことも多い。

よって、廃れてしまったものもあるだろう。

それらの行事には色んな決まりごとがある。なぜその日にするのか、なぜそれを供えるのか、なぜその数なのか、なぜその形なのか…恐らくそれぞれに意味があってそうなっている。
共通するのは一種の『願い』ではないか。

豊作、子供の成長、商売繁盛。

何かを得るためには、神にもすがるほどの強烈な願いと、それらを目で見える形で現し、神からの判定を待つ。
凝ったものが多くなるのは当然であるし、
『それは無理やり過ぎるだろう』
と、こじ付けに近い縁起物の類が多いのも、願いが形を変えた物なのだと思う。

軽薄になりつつある文化。
それは、願う気持ちに比例している気がする。

ああなりたい、こうなりたいと思うだけは、やっぱり軽過ぎる。
昔の人はきっちりやることやって、夢を追いかけ、更に有り余る気持ちを神にも伝え、その上で結果を待ったのだ。

きっと願うというのは、口先だけでは到底足らないものだと思う。

話は変わりますが、
今日とあるお店で、どこかでお会いしたことがある人を見た。
全然名前が分からないし、どこでお会いした方なのかも全然思い出せない。
しゃべる程の仲なのか、そうでもない仲なのかも分からないし、なかなかのモヤモヤ感。
記憶するのは得意な筈なのに、最近こういうことがよくある。
脳が、ヤバイ。

終わり。