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風n

山の美しさに魅かれ登山を始めてまだ間もない未熟者、沢山の人に色々な山の事教えて頂いたり、日々のつれづれを♪

イモ洗い? 編~

2008-10-19 | 鎌倉

 

   失礼!

       そう、ここは有名な銭の亡者~じゃなくて~銭洗い弁天

        (それは誰かでしょう)

 

                  奥の院ですよ~

 

    

          何だか本当に願いが叶いそう~信じる者は救われる

 

                 しっかり洗いましょ

 

           これが何倍になるのかな~ニヤリッ!2・3・4~

 

           ♪ この実~なんの実~気になる実~

 

 

               銭を洗ってここへ直行じゃ意味ないと思うのでした  

                  ~  終わり ~


化粧坂 (けわいざか) 編~

2008-10-17 | 鎌倉

  そう前回、鎌倉古道で紹介した中の一つ、大変重要な切通しなのです

  俄然、ハッスル! 

  鎌倉から武蔵方面へ通じるもっとも重要な道で、新田義貞の鎌倉攻めの      

  元弘3(1333年)古戦場ともなったところです

  また上杉禅秀の乱でも主戦場となったのです応永23(1416年) 

  

   化粧坂 変わった名前ですね                     

   名前の由来は昔、平家の大将を討ち取った際に首に化粧をして検分した

   とか、又この付近に美しい遊女が住んでいた~ともいわれているのです

   

   

 

   入り口からはいきなりの急峻な道ですが~

   険しい坂という説もありましたが本当に岩むきだしで、ここを馬に跨って

   あの重い鎧を着て戦ったのかと・・・

   感傷にふける間もなく~ほんの80m程の坂道あっという間ですが・・・

 

  

    ここに凝縮された物語があるのです  「曽我五郎時致の悲恋物語」

  この美しき遊君のいる里を慕い通い詰めた中の一人梶原景時の(長男)景季が

  ある時心ないことで遊君を傷付け、悲しみに打ちひしがれ人前に出なくなった

  遊君に事実を知らされないままに、深い情愛を持っていた曽我五郎時致は

  辛い胸の内を歌に添えて手紙を置いて帰るのでした

     「逢うと見る夢路にとまる宿もがな、つらき言葉に又も帰らん」

  五郎時致の添えた歌に遊君は一層心を痛めてしまい出家してしまうのです

  二度と逢う事無く 修行の後大磯の虎街前に住み天寿を全うしたと・・・ 

    

 

       時代は変われど男女の機微は変わらずと言うのでしょうか・・・ 

        

      ほんの数分登って頂ければ源氏山公園です

 

        頼朝の祖先、源(八幡太郎)義家が三年の役で奥州に向う際

        源氏の象徴である白旗を立てて勝利を祈願したとされる山

                   ~  源氏山 ~  

  

              ~ 遠く見つめて何思うかな ~ 

                    ~ つづく ~


花より団子 編~

2008-10-16 | 鎌倉

             久しぶりにメインストリートへ出かけました

                     鶴岡八幡宮

 

             連休のせいか小町通りのみごとな人混み 

                   いえ、何時もです~

            それにもめげず、皆さんの目は土産物屋へ

       

              見て見て~可愛いいじゃないですか 

          

 

              見てるだけでも楽しいのが土産物屋                 

           骨董品~う~ん  なんかそそられちゃいます

        でも結局、食べ物でお腹一杯になってな~んにも買わず

        花よりだんご編でした 

                      ~ つづく ~


鎌倉の古道

2008-10-12 | 鎌倉

           鎌倉切通しの中で一番長い距離で残っている

                 朝比奈切通し

  以前から一度は行きたいと思っていた古道です

  名越切通しへは以前歩いて、本当にアットいう間に通り過ぎてしまい今ひとつ

  感激が薄れてしまっていたのですが、やはりここは違っていました

  金沢八景から鎌倉行きのバスに揺られて10分程、朝比奈で降ります

  3分位歩くと直ぐに、この道かな~と思える方向にそびえるイチイの老木

             ここから物語は始まっていくのです

    鎌倉幕府以前からの道ともいわれ、所説を述べる自信はありませんが

    やはり、仁治2年4月から鎌倉幕府執権、北条泰時が命じて作らせた

    切通しと (鎌倉十二所~横浜市金沢区朝比奈町を結ぶ)

 

  また伝説には和田義盛の三男で巴御前を母に持つという、朝比奈三郎義秀

  が太刀で一日一夜にして切り開いた道であるという伝説も

          

鬱蒼とした小道への入り口に立てられた道標

  熊野神社とは切通しを掘削した時の守護神として熊野三社大明神を

  祀ったのが始まりだそうです

                    入り口に庚申塔

       見上げれば高速道路、なんとも云いがたい時代の錯誤を感じます

                        いたる処に「落石注意」

        確かに! この断崖は凝灰質砂岩ぼろぼろと剥れ落ちてきそう

       この辺が要塞としての役割を垣間見る崖岩です

 六浦港は対岸の房総からの塩や物資輸送には欠かせない金沢六浦津から鎌倉

 へ抜けるこの道は軍事的経済的にも重要視した路線攻め入る敵を両岩から防御

 も出来るのですね

     頭上の岩盤に掘られた岩穴、何かを供養する為なのか櫓なのでしょうか

 この道標の左方向に熊野神社があります  険しい岩石の勾配の道を

 暫らく歩けば嘗ての武将達もここを歩いたのかと・・・・

 

                ちょっと登りたい気分ですが

             ここは重要史跡道です!絶対いけません!

                 この岩肌、刀で削りだしたのか?

  北条泰時が寝る間も惜しむ程に人馬一体となって自ら、この切通しの土石を

  運び指揮していたと、それ程に重要な道であり早急に切り開かねばならなかった

           

      金沢方面を 振り返り丁度峠付近、前方に流れ出る湿地帯の道

     太刀洗川に平行している為か 湧き出る和泉

        崖岩に挟まれた要塞の古道を歩いていると

       やはり、思い起こすのは新田義貞の鎌倉攻めですよね

      千葉貞胤小山秀頼と合流し鎌倉を攻め入るのですが

     幕府軍の金沢貞将は何とか味方につけたかったのですが失敗し

    上、下総の軍勢と鎌倉を出た武蔵国鶴見で戦いそして破れるのです

 失望した貞将は鎌倉に戻ったのですが、その時の軍勢が六浦を経由したそうです

    これは私の想像ですが、そのときこの古道を通ったのではと・・・

  何故なら、この先に梶原景時上総介千葉広常を討ったとされる場所がある

    のです ~    私は因縁を感じてしまうのですが・・・           

   

      この景時頼朝の命により広常を討ち落とさなければ・・・

       どの様な嫌疑をかけられたかは長くなりますので~     

     道の両側に溝をつくり道への流失を分散させるためか、それにしても

     金沢側から鎌倉への分岐からは土壌の違いがよくわかりますね

            あれ~?・?れ?

              湧き出る水の勢いに、そうどの辺になるのだろう

            梶原太刀洗水はと・・・?・?

            気が付けば下りへの道に・・・

          う~ん 戻るべきか~ わからない程小さな場所?!

              結局、梶原太刀洗水を通り過ぎてしまった~

   頼朝挙兵の際に功績のあった筈の上総介千葉広常頼朝からの

   疑いが晴れずに 討ち落とされてしまった重要な場所(私にとっては)

   そう、寿永二年十二月梶原景時広常を討ちし後にその太刀を洗ったと

   戦国の世は常に味方であっても、いつかは敵となる事を予期しながら

   守り抜かなければならなかった。親であろうと兄弟であろうと。

   悲しい時代背景に胸が篤くなるのです 

  金沢方向を振り返り、色濃く残るこの古道を歩いていると歴史上の武将や

 切通しに携わった人々、苦難な時代背景の裏で織り成す、それぞれの人間模様を

 想像すると思いはタイムスリップ 

    三郎の滝  伝説の切通道を切り開いたとされた朝比奈三郎義秀

 の名前にちなんで付けられた滝名ですここで朝比奈切通の古道は終了します

    そして、後に鎌倉滅亡1333年(元弘三年)の道へと辿るのです

         果樹園を左手に道を歩いていくと住宅の中の道へ

        やがて滑川沿いの道路へと導かれますがっ!!

        鎌倉幕府の滅亡までの歴史を記憶のある限り回想していると

    小道を降りて来た辺りで~「 うぉ~っ!! へ・へ・へ・び・で・す~! 」

             ~  平成の現実へと戻ります  ~

           動揺してカメラがブレてますがごめんなさい

   丁度この先は十二所なんですが、やはりこれは私にとっての関所?!かっ?

    気を取り直して遊歩道を歩いていると川には可愛いカモ達や少し歩くと

   小魚も~思わず釣りしたら何匹釣れるかな~なんて    長閑です

 この辺りは五大堂・明王院~ そして浄明寺奥に浄妙寺この辺から一路

 八幡宮方面へと杉本寺辺りから雪ノ下裏通りへ行くと丁度若宮大路(段かずら)

 この辺りに出ます   人ごみに合わずに小町通りの土産屋に出れます

            私の定番はお漬物は季節毎ですが

            和菓子は日影茶屋の日影大福とあぶずり餅

    お土産を買いながら、こんな幸せな時代に生まれたことを感謝します

     (私は何度も行っているので今回は行きませんでしたが)

    雪ノ下町辺りから東勝寺跡へと辿ると古跡巡りが完結するのではと     

  北条高時が追われ数百名もの一族朗等と残った手勢を連れて滑川を渡り

  東勝寺に火を掛け、崖下のやぐらにて自害した史跡はあまりにも閑散とし

  薄ら寂しい場所ですが。鎌倉幕府の滅亡跡にふさわしいかのようです。