典虚てん手古舞

我が為の日々の記録! 74歳

記号を付けて、ノート化読み?

2019年07月15日 | 【ユーラシア西部】欧州&中東の歴史─映像&書籍
ロシア史の後、今日の午後は『バルカン史』…。

2014年12月に購入し、通読はしていませんが、その時々の関心で7回以上は開いている山川の各国史です。
別に、或国や地域の歴史を知りたいわけじゃない!今日なら、9世紀あたりからのロシアから東欧のキリスト教化の様相を俯瞰したいだけなのね。自分の頭の中で、ユーラシアの歴史教科書を作ってみたいというか。あるいは、授業ノートを綴っているというか。

だから、本の余白にバンバン書き込み、小見出しに番号…。自分のため、納得のためだけゆえ、ノートやレポート用紙は使いたくないのです。※は、自分の関心事。

第二章 中世のバルカン p.056~
1.民族移動期のバルカン
(1)民族移動のはじまり ※ブルガール、アヴァール、558年アヴァールとビザンツ同盟→アヴァールはカール大帝により滅亡
(2)スラブ人のバルカン移住
2.バルカンの中世国家 p.065
(1)ブルガリアの建国と発展 a.625年クブラトとヘラクレイオス同盟 b.ボルガ・ブルガール建国→アッバスと通商 c.680年ビザンツとの戦闘─ベッサラビアを拠点→やがてドブルジャ南部プリスカ首都 d.パンノニアにもブルガール e.ビザンツのユスティニアノス2世の帝位奪還に協力❗
f.クルムによる征服戦争→ニケフォロス(802─811)💀の杯になる。 g.オルムタグはビザンツと和平・条約、キリスト教禁止❗ f.ブルガリアの統治機構

(2)ブルガリアの改宗 a.9世紀のキリスト教は? b.ボリス(852─889)の時代→866年ビザンツの侵攻→和議の条件「うちのキリスト教に改宗せんかい!」、ミハエル3世(842-867)、強制改宗 c.改宗したものの、どうすりやいいいのさと悩むボリスやローマ教皇に質問状を送る。ローマかコンスタンチノープルか迷うボリス❗ d.独立した教会ん
を求めるボリス、コンスタンチノープル教会は、一定の自治を認める。 f.息子に譲位して、修道院に入るが、息子はキリスト教弾圧!893年ボリスは息子を廃位して、3男シメオンを。プレフラフ遷都、スラブ語公用語に。
(3)シメオンの時代(893-929) シメオンはビザンツへの追従を止めて、軍事強化。913年コンスタンチノープル包囲→娘をビザンツと婚約。ブルガリアの領土広大に。
(4)ブルガリア・ビザンツ戦争─300年に渡る
ビザンツは、キエフのスヴャルトスラフ(945-972)を味方につける🔶映画『バイキング』3兄弟のオヤジ!
1014年✴️ビザンツのバシレイオス2世に破れて、ブルガリア滅亡❗
(5)ビザンツ帝国の番号札支配
(6)第二次ブルガリア帝国の成立と発展 p.086-092

次の小見出しは「クロアチア王国の発展」なので、‘(7)’とは付けず、‘B(1)’にしました。セルビア、ボスニア、ルーマニアと続きます。

その後は「3.バルカンの中世キリスト教文化」です。そして、「第三章 オスマンシメオンの時代」で、32ページで、‘152’までだから、量的には少ない…。本文399ページです。続く第4章は「ナショナリズムの勃興と独立国家の形成」。
「第五章 ナショナリズムの展開と第一次世界大戦」「両大戦間期の政治意識」「第七章 第二次世界大戦とバルカン」「第八章 多様な社会主義の試み」「第九章 対立と相互協力の模索」で、ざくっと1999年までは…。
しかし、

さて、夜も更けました。バルカン半島の民謡でも聞きながら? でも、眠気を催す音楽じゃないのよネ!(-.-)
🆙
あぁ、そうだ‼️見出し画像は、ヒバリ屋書店に並んでいた書籍です。わたし、買いませんよ。

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