典虚てん手古舞

我が為の日々の記録! 74歳

日本書紀も現代史だった!/日本古代史

2024年02月27日 | <歴史>
 ついに『天武朝』まで行ってしまいました。(;´∀`)
 本置き部屋の隅っこやサンルームには、紐でくくった新書の束や束以前が廃棄を待っておるんですね。
 ミネルバを少し止めて、中公新書『天武朝』を取り出しました!「第4章政治の統括的段階」190ページからスタート❗(^-^)v
 後少しで、第4章終了だけど、疲れました!今PM2:53で、240ページ!
 686年に天武が死んだところです。大津皇子が殺されたのは1ヶ月後だったんちゅうのは、すっかり忘却の彼方でありました。(;´∀`) 強いられた自害自殺は“殺された”です。ハラスメントで、死にたくなっての自殺は「殺される」でして、そう考え「殺されてたまるか!」で踏みとどまっても、トラウマが残ります。( ̄▽ ̄;)
 
 
 さて、二上山は晴れてりゃ、いやよほどの悪天でない限り、椅子に座っていても見える!でも、登った記憶が?いや、登りかけたけれど、外に登山する人がまったくおらんかったので、引き返していますね。(*⌒∇⌒*) 山の独歩はしませんね。二上山の博物館へ行きました。
 親父が古墳や史跡めぐりに子どもを連れ歩いていた理由は、「もしも」を常に念頭におく男だったからでしょう。
 「プラットホームは前に立つな!道は前をしっかり見て歩け!ペン✒️箸も傘も武器になる」と仕込まれとんの。💼かばんは「盾」でありますぞ。(*⌒∇⌒*)

 今はもう夕暮れて、6時半!目の疲れを考えて、『天武朝』の続きは明朝に!( ̄- ̄)ゞ

 

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