2022年1月31日(月)
色素性乾皮症の少年とその一家10年の記録から、家族のありようと生きることの意味を問う(TBS-おひさま家族)より
ドキュメンタリーを見ながら、イメージして
描いてみました。
12歳で歩行困難が出現し、15歳で起立不能、16歳で車いす使用が平均的だという、その機能低下の経過を麟太郎くんもたどっている。麟太郎くんにとって「生きること」とは、死に向かってのスケジュールをたどることなのだ。言語発達も遅れが生じ、最近では補聴器なしでは音も聞き取れない。
治療方法がない難病。だからこそ家族は、記憶として残せるうちに多くの思い出を作ろうとしてきた。毎年、日が暮れてからサクランボ狩りに出掛け、祖母・文子さんは孫の生きた証を残そうと彼の言葉をつづった絵本を作った。手話を勉強する兄弟、優しく寄り添う父と母。
そして、今。17歳になった麟太郎くんは、車いすを使うことが多くなり、大好きだった新聞配達はできなくなった。家族との会話も一層困難になっている。今後、運動機能の低下が進むと、やがて嚥下(えんげ)困難、呼吸困難による気管支切開が心配される。
寄り添い続けている家族の状況も変わってきている。祖父母は老い、以前のように麟太郎くんの世話をするのが難しくなり、家の至るところに手すりが取り付けられた。兄・龍太郎くんは大学2年生、弟・道太郎くんは中学2年生となり、それぞれの人生、生活を送っている。
清さん一家は誰もが、この17年を振り返った時、「楽しかった」「幸せだった」と言う。
限られた麟太郎くんの時間。もし、生まれた時から「生きる時間」が決まっているとしたら、人は、家族はどのような人生を歩むのか。SBSが取材した10年の記録は、家族のありようと生きることとは何かを問う。
私たちの長男健は 昭和37年12月24日 イブの夜生まれました。
身体に障害のある子どもであったこと、そのため私には一度も
抱かせてもらうこともありませんでした。
8日間の命、大みそかに天に召されました。
今日の番組を見ながら、もし息子が生きながらえていたら、
りん君のお母様の様に、立派な母になれていただろうか?
それは60年問い続けてきたことでもあります。
その答えは出るはずもありませんが、番組を通して多くの
感動と共感を貰いました。
ご両親が17年を振り返り「楽しかった」「しあわせだった」
と言われた言葉に人間の気高い姿に震えが止まりませんでした。
私の保育園でも、いろんなハンディを持った子どもたちを受け
入れて 共通したご両親の姿に触れてきました。
今も数組のご両親と年賀状などで交流を続けています。
番組のりん君もまだまだこの先大きな困難と出会うことと
思いますが、ご両親ご兄弟の素晴らしいチームワークで、たち
むかっていかれることでしょう。
「つばさ」が届いた日、後程アップできればと思っています。