ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧千畑町千屋を往く-2(その6)

2019年05月29日 | 旧千畑町を往く

<「本堂城回」の「星山清水」>

 

●歩いた日:2019年4月14日(日)

●歩いた所

 ・本堂城回:田町、館間、八ツ目川、本堂町、飛沢尻、馬場、若林、仲ノ町

 ・土崎  :上飛沢、松ノ木

●歩いたログ(足跡)(道のり6.4km)

(以上の地図:国土地理院)

 「仲ノ町」の日本家屋の前を通り過ぎると道はやがて丁字路に突き当たり、そこを左に折れて家々が建ち並ぶ道を南に進むと、「仲ノ町」を一周してまたY字路の交差点に戻る。改めてY字路から東方向をのぞくと左手の道脇に赤い鳥居が見える。

(「仲ノ町」の「春日神社」)

 鳥居には「春日大神」、右脇の石柱には「春日神社」とある。かなりりっぱな神社で、社殿はもとより石灯篭も冬囲いされて管理が行き届いている。調べると、「延暦年中、坂上田村麻呂が東夷征伐の折に戦勝を祈った地に神社を設け」とか、「長治2年、奈良の春日社より御分霊を奉戴。領主、本堂源七郎吉高の氏神と尊崇」などとある。「延暦」は9世紀、「長治」は12世紀の年号で、かなり古い由緒ある神社のようだ。

 神社から「本堂城回」を東西に貫く道を西に向かう。少し進むと道の左手に池跡のような構築物がある。

📷012:「本堂町」の一角

 周りに石が積まれ中は一段低くなっている。水はないがこれは明らかに池と思われる。積まれた石を覆っている苔などをみると、今だけ水が枯れているのではなく、もう何年も水が張られていないようだ。湧水が枯れてしまったのだろうか、それとも水を引くのをやめたのだろうか。真ん中に茂る一本の木も水が張ってあったらさぞ趣があろうと思われる。

 奥に古い建物が二つ建つ。右手の建物には蔵のような扉がのぞく。写真には写っていないが、池の左手奥には、これも古い大きな家が建つ。かつての豪家の屋敷のたたずまいである。

 さらに進むと、「本堂城回自治会館」と書かれた標柱があり、その上には「星山清水」の案内板があるので、そこを左に折れて奥に向かう。

(「本堂城回自治会館」)

 こちらの入口にも「本堂城回自治会館」のりっぱな看板がかかっている。大字の「本堂城回」が名称になっているだけあって通常の集落会館より大きな建物である。 会館の前を歩いて行くとその奥にある大きな案内板が目に入る。

(「本堂城回」の清水の案内板)

 案内板には「城下町の清水案内図」とあり、清水が7カ所記入されている。「六郷」の街ほどの数ではないが「本堂城回」も清水の里のようだ。清水が湧く場所であったために古くから人が住みつき、また城下町としてのまちづくりが行われたのだろう。

 図の右側には「菅江真澄」が描いた「星山清水」の絵が掲げられている。説明書きの冒頭に「星山家」の文字が見える。ひと際大きく描かれた茅葺の家が「星山家」だろうか。

 案内板の右脇に「本堂城回小学校之跡」の文字が刻まれた石柱が立つ。「本堂城回小学校」はM7年に設立され、「千屋小学校本堂分校」としてM45年建てられた木造2階建ての建物は、S44年に分校の閉鎖に伴って移築(現在の「千畑小学校」の近くに)され、「千畑郷土資料館」として現在も建物が残っているようだ。

 絵では「星山清水」はだいぶ大きな清水のように見える。その清水は案内板の左奥にある。この時は写真を撮り忘れたので、後日出かけて写してきた。

(「本堂町」の「星山清水」)

 清水の大きさは差渡し5~6mほどである。「真澄」の絵は大きさがだいぶ誇張されているようだ。奥に聳える太い木(脇に「ヒバ」と刻まれた石柱がある)は絵に描かれたものと同じ木なのであろう。少し離れて眺めると堂々たる姿の大木である。

(その7に続く)


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