<「毘沙門」の「神明社」>
●歩いた日:2025年2月2日(日)
●歩いた所
・川 口:下千本野、千本野、北川口、北千本木町、幅、毘沙門、中村、北田、松葉、清水川、清水川尻、松葉尻、田屋野
・永 代:沖台、西田、雷
●歩いたログ(足跡)(道のり7.8km)
(以上の地図:国土地理院地図に加筆)
(📸013から)引き続き西に進む。工場のような大きな建物の前を過ぎて少し行くと、大字が「永代」から「川口」に代わる。「川口」の「毘沙門」で行く手を望む。
📸014:「毘沙門」の一角
道端に木が立ち並んでいる。少し離れたところから見た時は、幹や枝が伐り落された、茂っていた木(最近よく見かける)と思ったが、近くで見ると立て並べられた太い棒である。中の土地にはパイプハウスが見えるので、防風網を取り付けるために立てたようだ。
私が立っている右手奥(北側)には、こんもりと木が生い茂っている一画があり、木の間からログ地図に示されている小さな社が見えている。
道の右手に見える高い杉木立のところまで進む。
📸015:「毘沙門」の「神明社」
雪で境内の中へ入って行けないので、神社の名称が分からなかったが、「地名へのいざない」を開くと「神明社」とある。
ここに「毘沙門天」(北方を守護し財宝を守る、インド古来の神)が祀られており、それがこの地域の地名になった、とある。
神社の前にひと際大きな木が聳え、その根元に柵が巡らされている。その近くに行ってみる。
(「毘沙門様」の「大モミ」)
鳥居の脇からのぞくと、木の脇に白い標柱が立つ。よく見ると、ほかのところでも見かけた「大仙市指定文化財」の標識で、「毘沙門様の大モミ」と書かれている。この地域の人々は「毘沙門様」と呼んでいるようだ。高さはそれほどでもないが幹の太さはさすがである。
さらに進むと「県道50号」と交差する十字路がある。そこを右折して北に向かう。この辺り、県道の左(西)側は「中村」である。「中村」は、文字通り地域の中心の「ムラ」の意で、この辺りが「毘沙門」とともに「川口」の中心集落になるようだ。
少し行くと、除雪された道が西に延びているので、左折してその道の行く手をのぞむ。
📸016:「中村」の一角
「中村」のうちでも、この辺りは田んぼの中に家が点在している感じである。その家々をつなぐように延びる道を道なりに、西、そして南へと進む。
しばらく行くと、「毘沙門様」のところから県道を突っ切ってまっすぐ西に延びる道に出る。右折して少し西に進んだところで振り返る。
📸017:「中村」の一角2
道奥左手に見える、青っぽい壁の家の手前を左からこの道に出て来たところ。
「中村」の家々は、多くがこの道沿いに建ち並ぶ。この道が昔のメイン道路のようだ。
左手(南)にカーブする道を少しだけ進むと十字路に至る。十字路から北東を望む。
📸018:「中村」の風景
左手の道から出て来たところ。前述したように出て来た道が昔の道で、右手の道が後で整備された道のようだ。
奥の家々は「中村」の家々。中央左寄りのベージュの壁の家は、前掲写真にも写る家。
(⑥に続く)
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