ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧千畑町畑屋・旧六郷町六郷東根を往く(その5)

2022年10月22日 | 旧千畑町を往く

<「寺村」の風景>

●歩いた日:2022年9月4日(日)

●歩いた所

 ・金沢西根:善知鳥坂、観音下、南外川原、寺村、元屋敷

 ・六郷東根:妻の神、上中村、上関田、中関田、筑後屋敷

●歩いたログ(足跡)(道のり5.5km)


 

(以上の地図:国土地理院)

 (📷012のところの)分水工の傍らから南東を望む。

📸012:「寺村」の風景

 奥の家並は「丸子川」沿いに連なる「寺村」の家々である。「地名へのいざない」によると、「寺村」は文字通り寺のある(orあった)村、もしくはテラ=平らな村の意味とある。ここはどちらだろう?。結構大きな集落で古い集落でもあるようだ。

 分水工のところに「畑屋分水工」の看板がある。

 用水路沿いのあぜ道をまた進む。

📸013:「寺村」の風景2

 車を停めたところの橋から西に延びる道沿いに建ち並ぶ家々で、ここも「寺村」である。

 高い木立は橋そば、「元屋敷」の神社。

 さらに進んで、「丸子川」沿いの車道に出る。左折して北に少し行ったところで振り返る。

📸014:「寺村」の風景3

 白いカードレールの見えるところが「田沢疎水」に架かる橋。右手からその橋に出てきて、手前に来たところ。

 左手前の建物は集落会館で、「善元寺」の看板がかかっていた。しかし、ログ地図には「善元寺」という地名は見えない。少し考えて、これはきっと「善知鳥坂」、「元屋敷」、「寺村」の先頭の一字をつなげた3地区の総称のようだ、と思いつく。きっとそうだ!!。

 さらに北に進むと十字路がある。そこからは、前回のブログ、「畑屋を往く−5」で立ち寄った「元屋敷」の神社が目の前である。十字路を突っ切って少し行くと、神社の木立で遮られていた北西側の視界が大きく開ける。

📸015:「元屋敷」から北西方向を望む

 写真を見ると、手前に広がる田んぼの向こうはかなり低くなっており、その先の家並はもとより、奥に連なる「西山」の麓もほとんど見えない。立っているところはだいぶ標高が高いことが実感できる。

 田んぼは実りの秋を迎えて、穂がだいぶ傾いている。

 十字路に引き返し、左折して「丸子川」の橋を渡って車に戻る。

 いつもの航空写真をご覧いただく前に、今回歩いたところの一部を「真昼岳」から望んだ写真(2019年9月21日撮影、「2019秋、真昼岳」と題して9月24日からブログ掲載)があるので、それをもう一度ご覧いただきたい。



 中央の家屋が密集しているところが「六郷」の街である。左下に、「仙北平野」側からは見えない、「善知鳥川」沿いに拓けた田んぼと集落が写る。

 下段の小高い丘陵の間から「丸子川」の一部がのぞき、川のすぐ向こうにある「元屋敷」の神社の木立と、前回の「畑屋を往く-5」で立ち寄った大きな屋敷(「丸子川」の字の右上の大きな木立)が見える。

 「田沢疎水」の大きな用水路も確認できる。その用水路が左に折れてすぐのところにあるこんもりとした木立(「田沢疎水」⇓のすぐ左)から左に長く延びる家並が「筑後屋敷」である。そして、その「越後屋敷」のすぐ奥に、📸009:「中関田」、「下関田」の風景に写っていた、キノコのような形をした一本の杉の木(ピンクの➡)がちゃんと写っていた。地上から見た一本の木が、「真昼岳」の頂上から撮った写真に写っていたことは、なぜかうれしい気持ちにさせてくれる。

(その6に続く)


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