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ていいち日記

日々の出来事を書き込みます。

坂川と江戸川の合流までの歩き

2020年05月27日 | 日記
2020年5月26日。
4月19日新坂川から坂川の合流を目指して歩きましたが、その続きで江戸川の合流まで歩きました。
JR常磐線を利用し松戸駅から4月19日の地点を目指しました。


10分ほどで目指した地点に。坂川と派川坂川との分岐点からスタートです。左側を進みました。



赤い橋のところが松戸神社です。

松戸神社
寛永三年(1626年)創建。水戸光圀公も崇拝した松戸総鎮守。

近くに旧松戸宿本陣跡地があるので寄ってみました。



戻って坂川を進みました。

10分ほどのところに徳川慶喜が坂川を撮影している姿の写真の案内板がありました。

この場所です。


そばに「小山樋門(こやまひもん)レンガ橋がありました。
「小山樋門は、千葉県松戸市にある3連アーチ構造の煉瓦造水門である。
1898年(明治31年)に坂川の逆流防止のため建設されたが、
現在ではその役目を終えて坂川を渡る橋として利用されている」との事です




15分ほどで外環自動車道の下を通りました。



のどかな風景が広がっていました。


10分ほど歩くと、JR常磐線で行き止まりとなりました。

迂回して住宅街を進みました。

常磐線の下を。

さらに国道6号の下を。

10分ほどで坂川と再び合流しました。

田園風景を進みました。


5分ほどで坂川親水広場。



スカイツリー。

雄大な景色に、おおらかな気分になります。

この辺りは矢切地区で矢切のネギが有名です。ネギの植え込が始まっていました。

「しなわすれぐさ」です。




30分ほどで北総鉄道北総線の下を通りました。


15分ほど進むと「柳原排水機場」が見えて来ました。江戸川との合流地点です。松戸駅から約2時間。







明治時代に造られた柳原水水関がありました。











逆側から。



坂川は、まだ先まで流れていました。

これが、さらなる坂川への出口でしょうか。


流れ出しはこれです。

旧坂川となっていました。

江戸川との合流地点を目指しました。



10分ほどで、ようやく江戸川との合流地点です。

合流地点は市川市国府台(こうのだい)三丁目15でした。


ここから、途中見学しながら戻りました。
5分ほどで里見公園。

横切りました。


5分ほどで国府台天満宮。
「天満宮は文明十一年(一四七九)、当地の鎮守として、太田道灌持資が建立したと伝えている。
明治八年(一八七五)大学校設立の用地として、周辺地域が買い上げられたとき農家と共に現在地に移されました。」
との事です。



大きなケヤキ。


20分ほど先に「栗山古墳」が。

「栗山古墳は、古墳時代(今から約1600年~1200年前)この辺りを治めていたと思われる有力者達の
古墳郡があった。人や馬などの形をした形象埴輪や円筒埴輪もかけらが見つかっている。」との事です。

目ぼしい物は見つかりませんでした。

住宅街の中に麦畑が。ちょっとビックり。


栗山古墳から15分ほど先の「野菊の墓文学碑」に寄りました。





国府台で合戦があった事が記されていました。


15分ほど先に「矢喰村庚申塚」がありました。






真向かいには、矢切神社が。
「矢切神社は、宝永元年(1704)の大洪水により矢切の村民が高台にあたる当地周辺へ移住、
当地の鎮守として京都東山の稲荷を勧請して創建、稲荷五社大明神と称していた。」との事です。




ここからは、バスで松戸駅、そして電車で戻りました。

歩行図。


曇り空で気温は20℃ほどでした。
20,000歩の歩きでした。右足の甲のところが痛く疲れました。

坂川系はすべて歩き通しました。
坂川の名の由来も知りました。
「坂のようにすみやかに水が流れる川」。
また、利根川から江戸川へ流れ込む川でもありました。




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