ていいち日記

日々の出来事を書き込みます。

18きっぷで久留里線。。

2024年09月09日 | 旅行
2024年9月9日。
18きっぷ夏バージョンは、明日10日迄であり、2回分が余っていたので、家内と房総半島内の電車で行っていない
久留里線と総武本線の成東駅から佐倉駅の間に行って来ました。

5:33馬橋駅~5:35新松戸駅(JR常磐線)

5:39新松戸駅~6:01南船橋駅(JR武蔵野線)
6:04南船橋駅~6:25蘇我駅(JR京葉線)
6:39蘇我駅~7:10木更津駅(JR内房線)
7:25木更津駅~8:38上総亀山駅(JR久留里線)
久留里線の電車。(いよいよ念願の久留里線です。)

2両です。







電車が高校生で混雑していましたが、久留里駅で降りました。(君津青葉高等学校かな)
ここには、久留里城跡が2km先にあります。

上総亀山駅に着きました。




周りは家も少なく静かでした。


次の電車は、14時27分で5時間半も待ことになりますので、来た電車で戻ります。

時刻表は一番左の赤線です。

来た電車に乗り木更津駅に戻りました。




後部座席からです。


久留里線は、上総亀山駅からだと、線路脇は藪が多く、途中からは田園風家が広がっていました。

久留里線は無人駅でした。

木更津駅に着きました。


木更津駅から徒歩で20分ほど先にある「中の島大橋」へタクシーで行きました。
「中の島大橋は、高さ27メートル、長さが236メートルという日本一高い歩道橋」との事です。















タクシーの女性運転手さんから潮干狩りの時期には混雑するとの事でした。












何かあるとの事で行って見ました。


「恋人の聖地」。

「夕暮れ時には、富士山を背景にロマンティックな雰囲気に包まれることから、「恋人の聖地」に選定され、
橋の袂(たもと)には、かわいいタヌキのカップル像が設置されています。さらに、タヌキのカップル像の
脇にあるラブフェンスには自由に南京錠をつけることができ、永遠の愛を誓い合うことができます。
また、この橋はテレビドラマ&映画「木更津キャッツアイ」のロケ地となり、若い男女がおんぶして渡ると
恋が叶うというストーリーから「赤い橋の伝説」が生まれています。」との事です。





この近くには、魚介料理店が多く食べたいと思いましが開店前でした。残念です。
ここからは、歩いて木更津駅へ向かいました。
昼食は、木更津駅近くのパン屋さんでした。

木更津駅から、まだ、乗っていない「成東駅~佐倉駅」を通って、成田線を利用し帰りました。
12:20木更津駅~12:51蘇我駅。(JR内房線)
13:03蘇我駅~13:39成東駅。(JR外房線)
13:44成東駅~14:13佐倉駅(JR総武本線):狙っていた区間です。
14:16佐倉駅~14:29成田駅(JR成田線快速)
14:44成田駅~15:26我孫子駅(成田線)
15:35我孫子駅~15:48松戸駅(常磐線)

松戸で買い物をして帰宅しました。
今日も暑かったです。
木更津での見学以外は電車の中でした。
今日の徒歩は、13000歩でした。


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松戸第10団カブ隊夏季キャンプ。。。

2024年08月15日 | ボーイスカウト
2024年8月11日~13日。
8月11日。
カブ隊キャンプに団委員として参加しました。
場所は、千葉県長生郡にある「千葉市少年の家」です。

途中、「はちみつ工房」に寄りました。




はちみつを無料でなめる事が出来ました。

10種類ありました。

混雑していました。


この後、自然の家へ。
着きました。


館内です。






夕食の後に活動があります。
食堂です。広いです。


夕食後、「自然環境学習センター」で活動です。






動植物が展示されていました。


動植物の中から指定された物を探します。






今日の活動は、ここまでです。
風呂に入り、休みました。

暑かったですね。
松戸より気温が高いです。

8月12日。
ラジオ体操、朝食後。
朝会です。
昨日の学習センターどの活動で優秀スカウトに記念品が渡されました。


この後、車で「常総牛久駅」へ。




ここから、小湊鉄道線を利用し「養老渓谷駅」へ。



電車は、夏休みで混んでいました。

養老渓谷駅から、養老渓谷へ。








川遊びが始まりました。


遊びものを作っていました。


これです。








川遊びは、これまでとし、昼食の弁当を食べました。

昼食後、「チバニアン」へ向かいました。
「チバニアンとは、地球の時代を分けるとき、生物の出現や絶滅など地球規模の
大きな出来事を示す化石が使われてきました。最近では地磁気(※地磁気の説明
はこのページの後半)の逆転が起こった時期もあわせて使われています。
千葉県市原市田淵にある地層は、一番新しい地磁気逆転の記録が世界で最もよく
残っているため、令和2年1月、時代を分ける境界がよくわかる地層として、世界的
に認められました。このことにより、いままで名前がなかった約77万4千年前から
12万9千年前までの時代がラテン語で「千葉の時代」を意味する「チバニアン」と
呼ばれることになりました。日本の地名にちなんだ名前が地質年代につけられる
ことは初めての快挙です。

2022年5月21日に現地の地層に時代境界となるゴールデンスパイクが設置されま
した。」
「ゴールデンスパイク」です。




「地磁気の逆転とは、方位磁針は常にN極が北を向きます。これは地球自体が
大きな磁石のようになっているからです。地球が持つ磁場を地磁気と呼びます。
現在は、北極付近がS極、南極付近がN極になっていますが、地球の長い歴史を
みると何度も逆転していることがわかっています。しかし、どうして逆転する
かはまだ明らかになっていません。」


チバニアンビジターセンターに着きました。


チバニアンガイドを頼みました。
ガイドからの説明をスカウト達が真剣に聞いていました。

養老川へ。


途中にゴールデンスパイクが設置されていました。




養老川です。


化石が多いとの事でしたが、台風での増水で少なくなったとの事です。

(チラシからの引用)


この後、宿舎に帰りました。

夕食後、キャンプファイアーと肝試し。




肝試しの後、風呂に入り休みました。

8月13日。
ラジオ体操、朝食の後、朝会です。
前日の活動で複数の優秀スカウトが出ました。


この後、クラフト室で工作の活動です。


木を切っています。


表面を滑らかにするため紙ヤスリで削っています。


鉛筆立てでした。


続いて。

芝草の種と土をペットホテル入れて頭の毛が生えたように。



土と種を入れる。




顔を作って。




ペットに入れて。


出来上がりました。


キャンプ活動はここまでです。
暑い中、熱中症に注意しての活動をカブ隊長が考えてくれました。
怪我もなく無事に 終了しました。
隊長、副長、副長補、団委員に感謝です。

3日間、暑かった。












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霞ヶ浦の蓮の花&予科練平和記念館&大杉神社&牛久大仏。。。

2024年08月02日 | 日記
2024年7月30日。
ボーイスカウトの団委員の車で行って来ました。

最初は霞ヶ浦の蓮の花へ。














珍しい蓮です。
名前です。




次に。




次に。




まだまだ色々な蓮の花がありました。
少し遅かったです。

水車。水を巡回していました。


続いて、予科練平和記念館へ。(撮影禁止でした。)
「予科練平和記念館は、阿見町にある戦争と平和に関する展示資料館です。
館内には、7つの展示室があり、昭和の少年たちのさまざまな生活の記録が紹介されています。
予科練とは、「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称で、昭和5年に教育を開始し、
旧海軍がより若いうちから基礎訓練を行って熟練の搭乗員を多く育てようとしたものです。」
「「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称で、第一次世界大戦以降、航空機の需要が世界的に高まり、
欧州列強に遅れまいとした旧海軍が、より若いうちから基礎訓練行って熟練の搭乗員を多く育てようと、
昭和5年に教育を開始しました。」
「14才半から17才までの少年を全国から試験で選抜し、搭乗員としての基礎訓練をするもので、
飛行予科練習生制度が始まってから、終戦までの15年間で約24万人が入隊し、うち約2万4千人が
飛行練習生課程を経て戦地へ赴きました。なかには特別攻撃隊として出撃したものも多く、
戦死者は8割の1万9千人にのぼりました。」との事です。

続いて近くにある「雄翔館」へ。
途中に「回天一型実物模型」がありました。

「回天(かいてん)は、太平洋戦争で大日本帝国海軍が開発した人間魚雷であり 、日本軍初の特攻兵器です。」

雄翔館は、雄翔園も中にありました。
「雄翔園は、予科練の戦没者約1万9千人の霊璽簿(れいじぼ)をおさめた「予科練の碑(予科練二人像)」を
正面に配した庭園です。」






雄翔館前には、山本五十六像が。

雄翔館も撮影禁止でした。
「雄翔館は、予科練戦没者の遺書・遺品約1500点を収蔵、展示しています。予科練出身者、遺族などで構成される
財団法人海原会が管理しており、1968(昭和43)年に開館しました。」との事です。
特攻隊員の特攻前の家族に対する手紙が貼られていました。手紙を読んでいると胸が痛みました。

続いて昼食を取り、大杉神社へ。
「大杉神社(おおすぎじんじゃ)は、茨城県稲敷市阿波(あば) にある神社。豪奢な社殿を擁することから
「茨城の日光東照宮」の異名がある 。あんばさまの愛称で親しまれている。古名には大杉大明神、大杉大権現、
今宮大杉大明神などがある。」との事です。

建物は立派ですね。

敷地も広いです。






トイレも面白いです。

すべてのトイレに絵が書かれていました。

続いて牛久大仏へ。




世界最大120M青銅型仏像。





釈迦弥陀二尊です。


でかいですね。


中に入りました。
デカい親指。


建築方法です。


胸のあたりの隙間から。


大仏データです。


ここを最後とし、帰宅しました。
35℃超えで暑かったです。





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退職祝い。。

2024年07月06日 | 日記
2024年5月30日。
5月末で退職しました。
1970年 商社の子会社(大型コンピュータのシステム会社)に入社しました。
1979年 56名で飛び出し別会社を設立しました。
1988年 店頭公開。(バブル時代)
1999年 他社と合併、社名変更。
2001年 客先の子会社(システム開発)に役員として出向。
2008年 元の会社に戻り子会社へ出向。
2011年 定年退職。
2011年 別会社(社長とは過去一緒に仕事)に監査役。
2024年 退職。
54年間も仕事をしました。
家内に感謝。

5月30日に、家族(家内、息子一家:夫婦。孫2人、娘と婿)が退職祝いをしてくれました。
場所は、品川プリンスホテルです。

孫から手紙をもらいました。

「じいちゃんへ
お仕事おつかれさまでした。
だいすき。」
と書かれていました。

またケーキも。

美味しかったです。

家内からは、久しぶりに家族で集まろうとの事でしたが、
退職祝いをしてくれるとは思っていませんでした。
嬉しかったです。
元気で残りの人生を楽しく過ごしたいと思いました。



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春日山城跡見学。。

2024年06月27日 | 旅行
2024年6月27日。
春日山城跡へ、家内と一緒に行って来ました。2回目です。1回目は2019年11月7日でした。
4:47 馬橋駅~新松戸駅~南浦和駅~大宮駅。
6:52 大宮駅~上越妙高駅 JR北陸新幹線はくたか551号。

8:44 上越妙高駅~春日山駅 妙高はねうまライン。






春日山駅。


春日山駅からバスで春日山荘前に行きました。
5分ほどで着きました。


上杉謙信公の銅像。


ここから歩きです。




左側へ進みました。


謙信公銅像。春日山荘から20分。






「春日山城は、戦国の名将・上杉謙信公の城として今も天下にその名をとどろかせている春日山城は、越後守護上杉氏が
戦時のために築いた城で、今の県庁にあたる守護所(直江津駅南)から約4kmの位置にあり、関東・信濃・北陸への往来が
一目で監視でき、守護代長尾氏が守護所と連繋して守っていました。
春日山城は、石垣の代わりに、自然の起伏を活かした空堀・土塁などによって多くの郭を守っていました。また天守閣を
持たず、周囲の山々に砦を築いて、より大きな城としての機能をもたせていました。こうした城の造りは、戦国時代の
山城としての特徴をよく表しています。
天正7年(1579)に養子の上杉景勝に、慶長3年(1598)には堀秀治に引継がれました。しかし、堀氏が慶長12年(1607)
直江津港近くに福島城を新築して移ると、城としての運命を終えました。
謙信公は、享禄3年(1530)、越後守護代長尾為景の末子として生まれ、7歳のとき林泉寺に入り、名僧・天室光育
(てんしつこういく)から厳しく文武の道を習っています。
14歳で元服して長尾景虎と名乗り、19歳で兄・晴景に代わって越後守護代になりました。以後、越後統一、信濃・関東・
北陸への出兵が生涯続きます。永禄4年(1561)に鎌倉の鶴岡八幡宮で上杉姓と関東管領(かんとうかんれい)職を
上杉憲政から譲られ、上杉氏を名乗ることになります。
天文22年(1553)と永禄2年(1559)の2度にわたって上洛し、天皇や将軍に拝謁して、深く信頼されました。
武田信玄と5度も川中島で戦っていながら、かえって信玄に救援の塩を送ったり、また領土的野心で戦をしたことは一度も
無かったといわれるほど「義」に篤い人でした。
天正6年(1578)、関東出兵を前にして、突然、49歳の生涯をとじました。」との事です。
100名城です。

三の丸を目指しました。






三の丸入口。


甘粕近江守宅阯。


小学生でしょうか。運動着を着ています。




三ノ丸阯。




上杉三郎宅阯。




上杉三郎宅阯、三ノ丸の敷地。


米蔵阯と土塁。


二ノ丸を目指しました。




二ノ丸阯。




二ノ丸阯からの眺め。


この上が本丸阯。








振り返って二の丸阯。


天守閣阯。謙信公銅像から30分。




本丸阯。




本丸阯からの眺め。


小学生が行き来するのがわかりました。
三ノ丸阯あたりの土を本丸阯まで何度も運んでいました。




今回は、春日小学校4年生が運んでいました。
この土を中学生が本丸阯の崩れた箇所を治すためと、同伴した先生からお聞きしました。
重機が入らないのでやっているとの事でした。
春日山城を皆で守っているということに感心しました。郷土愛ですね。

ここからは、春日山神社を回って春日山駅へ戻ります。






井戸丸阯。




水が溜まっていました。こんな山頂で。。












護摩堂阯。






諏訪堂阯。


毘沙門堂阯。


毘沙門堂。

こちらに移したようです。


中には、毘沙門天が。


御花畑阯。




直江山城守宅阯。








帯郭と虎口。






搦手。




空堀。




千貫門へ。




千貫門。




空堀。






御屋敷。




春日山神社に着きました。天守閣阯から55分。








階段を降りました。逆だったらバテたでしょうね。




1回目は、春日山神社から行き、本丸~二ノ丸~三ノ丸の順番でした。
今回は、その逆で、今回の方が良かったです。

ここから、春日山駅に向かいました。
途中に、100名城スタンプのある「ものがたり館」に寄りました。








春日山駅には、春日山神社から1時間ほど掛かりました。

ここから、帰ります。

12:52 春日山駅~12:57 直江津駅 妙高はねうまライン直江津行
13:01 直江津駅~14:16 六日町駅 北越急行ほくほく線六日町行
14:45 六日町駅~越後湯沢駅 JR上越線 水上行
15:12 越後湯沢駅~大宮駅  JR上越新幹線とき324号東京行
大宮駅~南浦和駅~新松戸駅~馬橋駅

天気は曇、29℃。
歩きは、21,800歩でした。







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吉田郡山城跡。。

2024年06月23日 | 旅行
2024年6月20日。
最終日は、吉田郡山城跡です。
広島駅から広島バスセンターへ路面電車で行きました。




7:45 広島バスセンター~9:26 安芸高田市役所前(バスです)
8:30 安芸高田市役所着。


近くの安芸高田市歴史民俗博物館に行き地図をもらいました。




「吉田郡山城は、南北朝時代、安芸国吉田庄の地頭頭として定着した毛利氏が、その勢力を拡大していくなかで、
一貫して本拠とした山城です。城は、はじめ郡山東南の一支尾根でありましたが、毛利元就(1497〜1571)の時
には標高約400m、比高約200mの郡山全山に拡大されました。城域は、東西約1.1km、南北約0.9kmで、南側の麓
には内堀が巡り、城内には270段余の平段や、大通院、洞春寺、常栄寺、満願寺などの寺院も建立されました。
またこの城下には、祇園縄手、家取縄手、たて縄手などの道路が整備されて、三日市、六日市、十日市などの市と
町が形成されていました。」との事です。100名城です。

毛利居館御里屋敷跡。






毛利墓所へ進みました。






毛利隆元公御墓所へは寄らずに真っ直ぐに進みました。












毛利元就公墓所参道。








洞春寺跡。


毛利家一族墓所。








ようやく郡山城跡登山口に着きました。博物館から30分ほど掛かりました。




本丸まで700m.












鹿がいました。




本丸へ530m。






御蔵屋敷跡。




三の丸跡。


二の丸跡。




本丸跡へ。






本丸跡。登山口から25分ほど掛かりました。




本丸跡から振り向いて、二の丸跡、三の丸跡。


戻って三の丸跡。




三の丸石塁跡。






三の丸石垣。




勢溜の壇跡。






ここから下りました。






尾崎丸堀切。




尾崎丸跡。








展望台。


見晴らしが良いですね。


振り返って展望台。


清神社。




神木が大きいですね。






下山し、振り返りました。本丸跡から35分ほど掛かりました。

城趾らしいものはありませんでしたが、山城跡を堪能しました。

ここから、安芸高田市役所前に行き、バスで広島バスセンターへ向かいました。
11:42 安芸高田市役所前~13:16 広島バスセンター。
広島バスセンターから広島駅へは、15分ほど掛かりました。
広島駅~岡山駅~品川駅~松戸駅~馬橋駅で帰りました。

この日は曇っていました。
歩きは、13,500歩です。

100名城巡りも、本州で2城だけ残っていましたが、今回、その城を巡り、北海道、本州、四国の86城を
クリアし、残っているのは、九州、沖縄のみになりましたが、難しいですね。







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備前高松城址&新高山城跡&三原城跡。。

2024年06月22日 | 旅行
2024年6月19日。
2日目は、備前高松城址、新高山(ニイタカヤマ)城跡、三原城址へ。
すべて続100名城です。

始めに備中高松城址へ行きました。
9:29 岡山駅~9:51 備中高松駅 JR桃太郎線。


備中高松城址へ向かいました。


文部省指定史跡水攻高橋城址。






史跡舟橋。




10分ほどで高松城址公園に着きました。


「備中高松城は、毛利の東の境目にあたる備中7城(境目7城)のうちのひとつだ。永禄元年(1570)頃に戦国大名、
三村氏配下の石川久式(ひきのり)が築城したと伝わる平城で、天正3年(1575)に毛利氏に滅ぼされ、国人領主の
清水宗治が毛利氏に属して城主となった。天正10年に中国侵攻した織田氏配下の羽柴秀吉は、備中7城を攻め落とし
つつ進んだが、沼に囲まれた備中高松城の要害を攻めあぐね、逆に沼を利用し堤を築き水攻めにした。戦いは持久戦
となるが、和議が成立、城兵5,000名の命と引き換えに城主、清水宗治は自刃した。」との事です。
続100名城です。





水攻めの高さ。




三の丸跡。






水攻め音頭。


備中高松城址資料館。


二の丸跡は資料館の敷地にありました。




宗治蓮。




本丸跡。






清水宗治の首塚。






清水宗治城跡と刻まれていました。








資料館に寄りました。


水攻めと現在の対比。


この後、最上稲荷の大鳥居へ行きました。








備中高松駅に戻りました。


駅には。。


瀬戸内海です。


続いて新高山(にいたか)城跡へ。
11:31 備中高松駅~11:48 総社駅 JR桃太郎線。
11:52 総社駅~12:02 倉敷駅 JR伯備線。
12:05 倉敷駅~12:48 糸崎駅 JR山陽本線。
13:16 糸崎駅~13:42 三原駅 JR山陽本線。 
13:59 三原駅~14:06 本郷駅 JR山陽本線。

本郷駅から新高山城跡へ。




沼田川の先の山には、高山城跡があります。


沼田川を挟んで。右が高山城跡、左が新高山城跡です。













新高山城跡への入口に着きました。
駅から30分ほど掛かりました。

「新高山城跡は、小早川氏の初代である土肥実平が源頼朝に命じられて本郷の地を統轄、以後第4代小早川茂平が
高山に本城を建築した。その後、5代雅平が沼田川を挟んで西側に隣接すつ新高山に副城を建てた。毛利元就の
三男隆景が小早川17代を継承してこの副城を修築して約45年間本拠とし、瀬戸内海への進出の礎を築いた。
当時は海の水が山の麓まで入ってきており舟の発着場もあった。」との事です。





竹杖を借りました。




鐘の段。


番所跡。


匡真寺跡。


新高山城跡を守る会の碑。






景色が良いです。


中の丸(二の丸)跡。




石垣らしいものがありました。


本丸跡へ進みました。


本丸跡へ着きました。










本丸が広いです。麓から35分ほど掛かりました。


見晴らしが凄いです。




高山城跡のある山です。山頂まで行くのは厳しいですね。


詰の丸。














時間がなくなり、ここから戻ります。
中の丸、本丸、詰の丸しか見学出来ませんでした。


厳しい山道もあり、竹杖に助けられました。




続いて、三原城跡を目指しました。
16:41 本郷駅~16:48 三原駅 JR山陽本線。

三原城跡は三原駅そばにあります。
三原駅。




「三原城は永禄10年(1567年)、毛利元就の三男・小早川隆景によって、大島・小島をつないだ埋め立て地に
建てはじめられたと伝わっています。現在は天主台や船入櫓の一部しか残っていませんが、当時は、東は湧原川から
西は臥龍橋付近まで約900m、南北には約700mもの長さだったといわれています。この中に本丸、二之丸、
三之丸があり、櫓が32と城門が14もあるとても大きな城でした。特に天主台は広島城の天守閣が6つも入る
日本有数の広さです。満潮時に城の姿が海に浮かぶように見えたことから別名「浮城」とも呼ばれています。
この裾を引いた扇の勾配の美しい姿は群を抜きます。しかも余人では真似るべきではないといわれた「アブリ積み」
という特殊の工法は、古代の石積形式を400年以上経た今でも立派に伝えています。」との事です。

天守台跡に行きます。




天守台跡。




















堀を見に行きました。








今日の城見学はここまでとして三原駅から、宿泊先の広島に向かいました。
三原駅は、新幹線が停まるので、大きな駅です。


17:41 三原駅~18:07 広島駅 JR山陽新幹線こだま857号

広島に宿泊しました。
天気は良かったです。
今日の歩きは、25,500歩でした。
歩きましたね。


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月山富田城跡&足立美術館。。

2024年06月21日 | 旅行
2024年6月18日から20日までで城跡5城と足立美術館へ家内と行って来ました。
6月18日は、月山富田城跡と足立美術館へ。
4:45 馬橋駅発~西日暮里駅~5:48 品川駅。
6:00 品川駅~9:03 岡山駅 JR東海道新幹線のぞみ99号。
9:13 岡山駅~11:33 安来駅 JR山陽本線特急やくも5号。
11:40 安来駅からイエローバスで月山富田城跡の月山入口へ。
バスからの写真。


「月山富田(がっさんとだ)城は、飯梨川右岸、標高184mの月山の地形を利用した複郭式の山城(史跡)。
主に尼子氏の居城として知られ、城郭は内郭、外郭から構成され、塩谷口、お子守口、菅谷口の三つの入口があり。
周囲は断崖絶壁が多く、防衛上、軍政統治上も欠くことの出来ない立地条件を具備し、中国地方における中世城郭
の代表的な城跡として重要視されていました。
文治元年(1185年)佐々木義晴が出雲の守護として入城以来、それ以後塩冶、佐々木、山名、京極、尼子、毛利、
堀尾の各氏が歴代城主として交替。そのなかで最も栄華を極めたのが引用11ヶ国を領有した尼子氏の時期である。
慶長16年(1611年)堀尾吉晴の歿するまでの427年間、軍政上の一大拠点を築き上げていました。
現在は、往時を偲ぶ建物は一つも残っておらず、中腹の山中御殿から山頂の本丸にかけて石垣が保存されているのみ。」
との事です。100名城です。

12:15 月山入口(安来市立歴史資料館)から進みました。


千畳平へ進みました。








千畳平。


千畳平からの眺めです。




尼子神社。


トイレ。


山中鹿介像。












空が綺麗ですね。


山頂が見えて来ました。


花ノ壇復元建物。








山中(さんちゅう)御殿へ向かいました。




多門櫓跡。


山中御殿。




雑用井戸。




櫓跡。


菅谷。








相坂階段コースを進みました。


振り返って。


親子観音。




七曲り。






山吹井戸。






西袖ケ平(にしそでがひら)。




三ノ丸。






二ノ丸。


本丸へ進みました。






本丸。




山中鹿介幸盛記念碑。




勝日高守(かつひたかもり)神社。








ここから戻りました。






振り返って。




安来市立歴史資料館に戻り月山入口からイエローバスに乗り足立美術館へ向かいました。


足立美術館。
展示品は撮影禁止でした。
外の庭園は撮影出来ました。










額縁のように。


滝が。










手入れされた庭園で見応えがありました。

ここから、足立美術館専用のシャトルバスに乗り安来駅に戻りました。
16:23 安来駅~18:47 岡山駅 JR山陰本線やくも24号岡山行。
岡山に宿泊しました。
徒歩:16,500歩でした。

天候は晴でした。松戸は大雨のようでした。





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サボテンの花&近隣の花。。

2024年06月11日 | 日記
2024年6月10日から12日。
6月10日。
サボテンの花が咲きました。
前回は、2022年6月9日に咲きました。
6月10日7時30分頃の状況です。




18時30分頃の状況。




6月11日7時30分頃の状況。
咲きました。




18時30分花がしぼみ始めました。


12日7時15分。
1日しか持ませんでした。






続いて、我が家の花。
ダリアです。娘が母の日のプレゼントでしたが、水のやり方で失敗し枯らしてしまいましたが、
また、咲き始めました。


紫陽花。これも娘からのプレゼントでした。


近所の花。
柏葉紫陽花。


黄色い百合のようなカサブランカ。


紫陽花。


青色の紫陽花。珍しい色の紫陽花です。


ここから、散歩に。

紫陽花。


坂川遊歩道に咲いていたタチアオイ。




ここから馬橋駅西口公園へ。
この紫陽花を見たくて行きました。


見事ですね。


帰る途中のヤマボウシの花。


一万歩ほど歩きました。
天気が良く暑かったです。
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西新井大師へ。。

2024年05月01日 | 日記
2024年4月30日。
西新井大師へ厄除け祈願に行って来ました。
毎年、2月~3月に行っていますが、今年は遅くなってしまいました。

西新井大師の敷地内にあるぼたん園は、芍薬(シャクヤク)が咲いていました。




いろんな芍薬が咲いていました。










山門を潜り本堂へ。


途中に「延命水洗地蔵尊」がありました。




そして、「塩地蔵」。




両方とも、この場所には無かったです。

本堂です。


御護摩祈願が終わったら気持ちがスキットしました。
また、1年間、家族一同、元気に過ごせることを祈願しました。
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