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ていいち日記

日々の出来事を書き込みます。

勝浦ひな祭り。。

2025年02月28日 | 旅行
2025年2月28日。
家内と千葉県勝浦市にひな祭りを見学に行って来ました。

馬橋駅 6:20発。
勝浦駅 8:20着。

勝浦駅。










河津桜が咲いていました。




③墨名交差点。




街中にもひな人形が。


②覚翁寺門前。
「覚翁寺は、勝浦朝市の歴史を示す定書が奉納されていて、勝浦藩主であった植村家の菩提寺。
寛永11年(1634年)勝浦城主植村泰勝が死去した時、勝浦城内にあった浄林寺をここに移し、
泰勝の幼名覚翁丸をとって出水山覚翁寺としたという。
 境内には植村氏三代泰朝、四代忠朝、五代正朝の墓宝筺印塔(ほうきょういんとう)があり、
市指定文化財となっています。また、本堂には江戸彫刻の名人といわれている通称・波の伊八(武志伊八郎信由)
の欄間が残されています。」との事です。









旅館松の家。
つるしひなやひな人形が飾られていました。




明治時代のものです。


江戸後期時代。




⓵遠見岬神社。




毎日片づけて、翌日、飾るとの事です。大変ですね。


④勝浦市芸術文化センターKuste(キュウステ)。
登り坂の上にありました。


入場料は、一人500円でした。










内閣総理大臣賞です。




江戸末期。


江戸中期。


明治時代。


大正時代。






圧倒されます。




























ここで、終わりとして街中へ戻り、昼食としました。


地魚の店まるろです。


刺身定食と金目鯛塩焼きでした。

美味しかったです。満足しました。

土日は混んでいたとの事ですが、混雑なく見学出来ました。
駅に戻り帰宅しました。
馬橋駅着 16:13 でした。
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JR大回り乗車。。

2025年02月24日 | 旅行
2025年2月23日。

「大都市近郊区間内のみをご利用になる場合の特例」を利用して、東京近郊をJRの電車を乗って来ました。
【説明】
・図のそれぞれの大都市近郊区間内のみを普通乗車券でご利用になる場合は、実際にご乗車になる経路にかかわらず、
 最も安くなる経路で計算した運賃で乗車することができます。
・重複しない限り乗車経路は自由に選べますが、途中下車はできません。途中で下車される場合は、実際に乗車され
 た区間の運賃と比較して不足している場合はその差額をいただきます。





この大回り乗車は、家内が見つけ計画しました。
家内と一緒にスタートです。
馬橋駅 8:40 発。


松戸駅 8:45 着。


松戸駅 8:50 発。  


快速上野東京ラインを利用しました。品川まで行けるので便利です。
品川駅 9:31 着。


品川駅 9:26 発。

川崎駅 9:45 着。


南部線で立川へ向かいました。

川崎駅 9:51 発。

立川駅 10:33 着。 


カツサンドを食べました。(写真わすれました)

立川駅 10:59 発。
八王子駅へ向かいました。



八王子駅 11:09 着。
ここからは、八高線11:39 に乗ります。


高麗川駅 12:26 着。


高麗川駅 12:42 発。




途中の景色。


倉賀野駅 14:20 着。


倉賀野駅 14:33 発。


浦和駅 15:59着。


浦和駅 16:08 発。

南浦和駅 16:11 着。
武蔵野線に乗り換えます。


南浦和駅 16:15 発。

新松戸駅 16:43 着。

ここで、大回り乗車は終わりです。
料金は、馬橋駅から新松戸駅の1区間で、150円でした。
8時間も楽しみました。
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茂木で彼岸花を見学。 

2024年10月02日 | 旅行
2024年10月1日。
真岡鐵道を利用し、茂木に彼岸花を見学に行きました。

6:07 馬橋駅~6:23 我孫子(JR常磐線各駅)
6:26 我孫子~7:29 友部 (JR常磐線)


7:53 友部~8:37 下館(JR水戸線)


8:52下館駅~(真岡線)。




賑やかな車体です。


時刻表。1時間に1本。


途中駅です。


2両車です。


単線です。


乗客は5人ほどでした。




両側は草が茂っていました。


真岡駅までの間に高校生が乗って来ましたが、真岡駅で降りました。


真岡駅で2両車を1両車に切り離しました。




彼岸花。


単線。見入る位良いですね。


10:01 茂木駅に着きました。
「茂木駅は、栃木県芳賀郡茂木町大字茂木にある真岡鐵道真岡線の駅で、真岡線の最終駅です。」


城山公園(茂木城跡)へ。彼岸花が見頃との事です。






こんもりした所が公園です。




受付に着きました。


公園は彼岸花が満開でした。
























茂木城跡。

「茂木城(もてぎじょう)は、栃木県芳賀郡茂木町にあった中世の日本の城。宇都宮氏の支族であった茂木氏の
居城であった。 1180年(治承4年)宇都宮宗綱の次男・八田知家は源頼朝の蜂起に際の勲功によって、頼朝より
茂木保の地頭職に補任される。」茂木城の別名は結城城です。

本丸跡。








本丸跡。


建物跡。

案内板がありません。

「鏡が池」へ行ってみました。














この後、幻の長倉線へ。
「鉄道敷設計画。
大正13年(1924)2月。中川・長倉・野口地方は煙草の名産地であり、かつ 那珂川の砂利は無尽蔵で、石材も豊富であるが、
深刻な交通不便のため「空シク埋没セラルルノ状況ニ有」と、この危機的状況を打開すべく、起死回生の策を茂木町民は鉄道の
敷設に求めた。熱烈な「長倉線」建設運動の中で昭和3年(1928)、ついに鐵道省において大子・長倉間(長大線)の建設が決定
された。」
「太平洋戦争勃発、そして計画の中止。
昭和4年(1929)世界恐慌と昭和不況による財政難のため、長倉線の着工は延期となるが、8年後の昭和12年(1937)4月、茂木
から長倉間約12kmの工事に着手、同15年に中川村(河井地区)までの約6kmが竣工した。
このまま敷設工事は順調に進むと誰もが思っていた。
しかし、昭和16年(1941)12月8日。太平洋戦争の勃発により工事は中断。不要不急と判断されたこの路線は、その後、二度と
工事が再開されることはなかった。」





ここから、大峯山トンネルまで歩きました。






切り通しでしょうか。







真っ直ぐ道路横切る方がトンネルへの道でしたが、地図がおかしく道路側に行ってしまってロスしてしまいました。




戻りました。


小井戸切り通し。










トンネルに着きました。




この後、茂木駅近くにある蕎麦屋で遅い昼食を食べ、茂木駅から同じ電車を利用し戻りました。

途中のJR水戸線福原駅には虹が。

電車の蛍光灯が邪魔しています。




彼岸花、見応えがありました。
天候は、曇で暑くもなく歩き安かったです。
約24000歩の歩きでした。足の裏が痛かったです。

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18きっぷで久留里線。。

2024年09月09日 | 旅行
2024年9月9日。
18きっぷ夏バージョンは、明日10日迄であり、2回分が余っていたので、家内と房総半島内の電車で行っていない
久留里線と総武本線の成東駅から佐倉駅の間に行って来ました。

5:33馬橋駅~5:35新松戸駅(JR常磐線)

5:39新松戸駅~6:01南船橋駅(JR武蔵野線)
6:04南船橋駅~6:25蘇我駅(JR京葉線)
6:39蘇我駅~7:10木更津駅(JR内房線)
7:25木更津駅~8:38上総亀山駅(JR久留里線)
久留里線の電車。(いよいよ念願の久留里線です。)

2両です。







電車が高校生で混雑していましたが、久留里駅で降りました。(君津青葉高等学校かな)
ここには、久留里城跡が2km先にあります。

上総亀山駅に着きました。




周りは家も少なく静かでした。


次の電車は、14時27分で5時間半も待ことになりますので、来た電車で戻ります。

時刻表は一番左の赤線です。

来た電車に乗り木更津駅に戻りました。




後部座席からです。


久留里線は、上総亀山駅からだと、線路脇は藪が多く、途中からは田園風家が広がっていました。

久留里線は無人駅でした。

木更津駅に着きました。


木更津駅から徒歩で20分ほど先にある「中の島大橋」へタクシーで行きました。
「中の島大橋は、高さ27メートル、長さが236メートルという日本一高い歩道橋」との事です。















タクシーの女性運転手さんから潮干狩りの時期には混雑するとの事でした。












何かあるとの事で行って見ました。


「恋人の聖地」。

「夕暮れ時には、富士山を背景にロマンティックな雰囲気に包まれることから、「恋人の聖地」に選定され、
橋の袂(たもと)には、かわいいタヌキのカップル像が設置されています。さらに、タヌキのカップル像の
脇にあるラブフェンスには自由に南京錠をつけることができ、永遠の愛を誓い合うことができます。
また、この橋はテレビドラマ&映画「木更津キャッツアイ」のロケ地となり、若い男女がおんぶして渡ると
恋が叶うというストーリーから「赤い橋の伝説」が生まれています。」との事です。





この近くには、魚介料理店が多く食べたいと思いましが開店前でした。残念です。
ここからは、歩いて木更津駅へ向かいました。
昼食は、木更津駅近くのパン屋さんでした。

木更津駅から、まだ、乗っていない「成東駅~佐倉駅」を通って、成田線を利用し帰りました。
12:20木更津駅~12:51蘇我駅。(JR内房線)
13:03蘇我駅~13:39成東駅。(JR外房線)
13:44成東駅~14:13佐倉駅(JR総武本線):狙っていた区間です。
14:16佐倉駅~14:29成田駅(JR成田線快速)
14:44成田駅~15:26我孫子駅(成田線)
15:35我孫子駅~15:48松戸駅(常磐線)

松戸で買い物をして帰宅しました。
今日も暑かったです。
木更津での見学以外は電車の中でした。
今日の徒歩は、13000歩でした。


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春日山城跡見学。。

2024年06月27日 | 旅行
2024年6月27日。
春日山城跡へ、家内と一緒に行って来ました。2回目です。1回目は2019年11月7日でした。
4:47 馬橋駅~新松戸駅~南浦和駅~大宮駅。
6:52 大宮駅~上越妙高駅 JR北陸新幹線はくたか551号。

8:44 上越妙高駅~春日山駅 妙高はねうまライン。






春日山駅。


春日山駅からバスで春日山荘前に行きました。
5分ほどで着きました。


上杉謙信公の銅像。


ここから歩きです。




左側へ進みました。


謙信公銅像。春日山荘から20分。






「春日山城は、戦国の名将・上杉謙信公の城として今も天下にその名をとどろかせている春日山城は、越後守護上杉氏が
戦時のために築いた城で、今の県庁にあたる守護所(直江津駅南)から約4kmの位置にあり、関東・信濃・北陸への往来が
一目で監視でき、守護代長尾氏が守護所と連繋して守っていました。
春日山城は、石垣の代わりに、自然の起伏を活かした空堀・土塁などによって多くの郭を守っていました。また天守閣を
持たず、周囲の山々に砦を築いて、より大きな城としての機能をもたせていました。こうした城の造りは、戦国時代の
山城としての特徴をよく表しています。
天正7年(1579)に養子の上杉景勝に、慶長3年(1598)には堀秀治に引継がれました。しかし、堀氏が慶長12年(1607)
直江津港近くに福島城を新築して移ると、城としての運命を終えました。
謙信公は、享禄3年(1530)、越後守護代長尾為景の末子として生まれ、7歳のとき林泉寺に入り、名僧・天室光育
(てんしつこういく)から厳しく文武の道を習っています。
14歳で元服して長尾景虎と名乗り、19歳で兄・晴景に代わって越後守護代になりました。以後、越後統一、信濃・関東・
北陸への出兵が生涯続きます。永禄4年(1561)に鎌倉の鶴岡八幡宮で上杉姓と関東管領(かんとうかんれい)職を
上杉憲政から譲られ、上杉氏を名乗ることになります。
天文22年(1553)と永禄2年(1559)の2度にわたって上洛し、天皇や将軍に拝謁して、深く信頼されました。
武田信玄と5度も川中島で戦っていながら、かえって信玄に救援の塩を送ったり、また領土的野心で戦をしたことは一度も
無かったといわれるほど「義」に篤い人でした。
天正6年(1578)、関東出兵を前にして、突然、49歳の生涯をとじました。」との事です。
100名城です。

三の丸を目指しました。






三の丸入口。


甘粕近江守宅阯。


小学生でしょうか。運動着を着ています。




三ノ丸阯。




上杉三郎宅阯。




上杉三郎宅阯、三ノ丸の敷地。


米蔵阯と土塁。


二ノ丸を目指しました。




二ノ丸阯。




二ノ丸阯からの眺め。


この上が本丸阯。








振り返って二の丸阯。


天守閣阯。謙信公銅像から30分。




本丸阯。




本丸阯からの眺め。


小学生が行き来するのがわかりました。
三ノ丸阯あたりの土を本丸阯まで何度も運んでいました。




今回は、春日小学校4年生が運んでいました。
この土を中学生が本丸阯の崩れた箇所を治すためと、同伴した先生からお聞きしました。
重機が入らないのでやっているとの事でした。
春日山城を皆で守っているということに感心しました。郷土愛ですね。

ここからは、春日山神社を回って春日山駅へ戻ります。






井戸丸阯。




水が溜まっていました。こんな山頂で。。












護摩堂阯。






諏訪堂阯。


毘沙門堂阯。


毘沙門堂。

こちらに移したようです。


中には、毘沙門天が。


御花畑阯。




直江山城守宅阯。








帯郭と虎口。






搦手。




空堀。




千貫門へ。




千貫門。




空堀。






御屋敷。




春日山神社に着きました。天守閣阯から55分。








階段を降りました。逆だったらバテたでしょうね。




1回目は、春日山神社から行き、本丸~二ノ丸~三ノ丸の順番でした。
今回は、その逆で、今回の方が良かったです。

ここから、春日山駅に向かいました。
途中に、100名城スタンプのある「ものがたり館」に寄りました。








春日山駅には、春日山神社から1時間ほど掛かりました。

ここから、帰ります。

12:52 春日山駅~12:57 直江津駅 妙高はねうまライン直江津行
13:01 直江津駅~14:16 六日町駅 北越急行ほくほく線六日町行
14:45 六日町駅~越後湯沢駅 JR上越線 水上行
15:12 越後湯沢駅~大宮駅  JR上越新幹線とき324号東京行
大宮駅~南浦和駅~新松戸駅~馬橋駅

天気は曇、29℃。
歩きは、21,800歩でした。







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吉田郡山城跡。。

2024年06月23日 | 旅行
2024年6月20日。
最終日は、吉田郡山城跡です。
広島駅から広島バスセンターへ路面電車で行きました。




7:45 広島バスセンター~9:26 安芸高田市役所前(バスです)
8:30 安芸高田市役所着。


近くの安芸高田市歴史民俗博物館に行き地図をもらいました。




「吉田郡山城は、南北朝時代、安芸国吉田庄の地頭頭として定着した毛利氏が、その勢力を拡大していくなかで、
一貫して本拠とした山城です。城は、はじめ郡山東南の一支尾根でありましたが、毛利元就(1497〜1571)の時
には標高約400m、比高約200mの郡山全山に拡大されました。城域は、東西約1.1km、南北約0.9kmで、南側の麓
には内堀が巡り、城内には270段余の平段や、大通院、洞春寺、常栄寺、満願寺などの寺院も建立されました。
またこの城下には、祇園縄手、家取縄手、たて縄手などの道路が整備されて、三日市、六日市、十日市などの市と
町が形成されていました。」との事です。100名城です。

毛利居館御里屋敷跡。






毛利墓所へ進みました。






毛利隆元公御墓所へは寄らずに真っ直ぐに進みました。












毛利元就公墓所参道。








洞春寺跡。


毛利家一族墓所。








ようやく郡山城跡登山口に着きました。博物館から30分ほど掛かりました。




本丸まで700m.












鹿がいました。




本丸へ530m。






御蔵屋敷跡。




三の丸跡。


二の丸跡。




本丸跡へ。






本丸跡。登山口から25分ほど掛かりました。




本丸跡から振り向いて、二の丸跡、三の丸跡。


戻って三の丸跡。




三の丸石塁跡。






三の丸石垣。




勢溜の壇跡。






ここから下りました。






尾崎丸堀切。




尾崎丸跡。








展望台。


見晴らしが良いですね。


振り返って展望台。


清神社。




神木が大きいですね。






下山し、振り返りました。本丸跡から35分ほど掛かりました。

城趾らしいものはありませんでしたが、山城跡を堪能しました。

ここから、安芸高田市役所前に行き、バスで広島バスセンターへ向かいました。
11:42 安芸高田市役所前~13:16 広島バスセンター。
広島バスセンターから広島駅へは、15分ほど掛かりました。
広島駅~岡山駅~品川駅~松戸駅~馬橋駅で帰りました。

この日は曇っていました。
歩きは、13,500歩です。

100名城巡りも、本州で2城だけ残っていましたが、今回、その城を巡り、北海道、本州、四国の86城を
クリアし、残っているのは、九州、沖縄のみになりましたが、難しいですね。







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備前高松城址&新高山城跡&三原城跡。。

2024年06月22日 | 旅行
2024年6月19日。
2日目は、備前高松城址、新高山(ニイタカヤマ)城跡、三原城址へ。
すべて続100名城です。

始めに備中高松城址へ行きました。
9:29 岡山駅~9:51 備中高松駅 JR桃太郎線。


備中高松城址へ向かいました。


文部省指定史跡水攻高橋城址。






史跡舟橋。




10分ほどで高松城址公園に着きました。


「備中高松城は、毛利の東の境目にあたる備中7城(境目7城)のうちのひとつだ。永禄元年(1570)頃に戦国大名、
三村氏配下の石川久式(ひきのり)が築城したと伝わる平城で、天正3年(1575)に毛利氏に滅ぼされ、国人領主の
清水宗治が毛利氏に属して城主となった。天正10年に中国侵攻した織田氏配下の羽柴秀吉は、備中7城を攻め落とし
つつ進んだが、沼に囲まれた備中高松城の要害を攻めあぐね、逆に沼を利用し堤を築き水攻めにした。戦いは持久戦
となるが、和議が成立、城兵5,000名の命と引き換えに城主、清水宗治は自刃した。」との事です。
続100名城です。





水攻めの高さ。




三の丸跡。






水攻め音頭。


備中高松城址資料館。


二の丸跡は資料館の敷地にありました。




宗治蓮。




本丸跡。






清水宗治の首塚。






清水宗治城跡と刻まれていました。








資料館に寄りました。


水攻めと現在の対比。


この後、最上稲荷の大鳥居へ行きました。








備中高松駅に戻りました。


駅には。。


瀬戸内海です。


続いて新高山(にいたか)城跡へ。
11:31 備中高松駅~11:48 総社駅 JR桃太郎線。
11:52 総社駅~12:02 倉敷駅 JR伯備線。
12:05 倉敷駅~12:48 糸崎駅 JR山陽本線。
13:16 糸崎駅~13:42 三原駅 JR山陽本線。 
13:59 三原駅~14:06 本郷駅 JR山陽本線。

本郷駅から新高山城跡へ。




沼田川の先の山には、高山城跡があります。


沼田川を挟んで。右が高山城跡、左が新高山城跡です。













新高山城跡への入口に着きました。
駅から30分ほど掛かりました。

「新高山城跡は、小早川氏の初代である土肥実平が源頼朝に命じられて本郷の地を統轄、以後第4代小早川茂平が
高山に本城を建築した。その後、5代雅平が沼田川を挟んで西側に隣接すつ新高山に副城を建てた。毛利元就の
三男隆景が小早川17代を継承してこの副城を修築して約45年間本拠とし、瀬戸内海への進出の礎を築いた。
当時は海の水が山の麓まで入ってきており舟の発着場もあった。」との事です。





竹杖を借りました。




鐘の段。


番所跡。


匡真寺跡。


新高山城跡を守る会の碑。






景色が良いです。


中の丸(二の丸)跡。




石垣らしいものがありました。


本丸跡へ進みました。


本丸跡へ着きました。










本丸が広いです。麓から35分ほど掛かりました。


見晴らしが凄いです。




高山城跡のある山です。山頂まで行くのは厳しいですね。


詰の丸。














時間がなくなり、ここから戻ります。
中の丸、本丸、詰の丸しか見学出来ませんでした。


厳しい山道もあり、竹杖に助けられました。




続いて、三原城跡を目指しました。
16:41 本郷駅~16:48 三原駅 JR山陽本線。

三原城跡は三原駅そばにあります。
三原駅。




「三原城は永禄10年(1567年)、毛利元就の三男・小早川隆景によって、大島・小島をつないだ埋め立て地に
建てはじめられたと伝わっています。現在は天主台や船入櫓の一部しか残っていませんが、当時は、東は湧原川から
西は臥龍橋付近まで約900m、南北には約700mもの長さだったといわれています。この中に本丸、二之丸、
三之丸があり、櫓が32と城門が14もあるとても大きな城でした。特に天主台は広島城の天守閣が6つも入る
日本有数の広さです。満潮時に城の姿が海に浮かぶように見えたことから別名「浮城」とも呼ばれています。
この裾を引いた扇の勾配の美しい姿は群を抜きます。しかも余人では真似るべきではないといわれた「アブリ積み」
という特殊の工法は、古代の石積形式を400年以上経た今でも立派に伝えています。」との事です。

天守台跡に行きます。




天守台跡。




















堀を見に行きました。








今日の城見学はここまでとして三原駅から、宿泊先の広島に向かいました。
三原駅は、新幹線が停まるので、大きな駅です。


17:41 三原駅~18:07 広島駅 JR山陽新幹線こだま857号

広島に宿泊しました。
天気は良かったです。
今日の歩きは、25,500歩でした。
歩きましたね。


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月山富田城跡&足立美術館。。

2024年06月21日 | 旅行
2024年6月18日から20日までで城跡5城と足立美術館へ家内と行って来ました。
6月18日は、月山富田城跡と足立美術館へ。
4:45 馬橋駅発~西日暮里駅~5:48 品川駅。
6:00 品川駅~9:03 岡山駅 JR東海道新幹線のぞみ99号。
9:13 岡山駅~11:33 安来駅 JR山陽本線特急やくも5号。
11:40 安来駅からイエローバスで月山富田城跡の月山入口へ。
バスからの写真。


「月山富田(がっさんとだ)城は、飯梨川右岸、標高184mの月山の地形を利用した複郭式の山城(史跡)。
主に尼子氏の居城として知られ、城郭は内郭、外郭から構成され、塩谷口、お子守口、菅谷口の三つの入口があり。
周囲は断崖絶壁が多く、防衛上、軍政統治上も欠くことの出来ない立地条件を具備し、中国地方における中世城郭
の代表的な城跡として重要視されていました。
文治元年(1185年)佐々木義晴が出雲の守護として入城以来、それ以後塩冶、佐々木、山名、京極、尼子、毛利、
堀尾の各氏が歴代城主として交替。そのなかで最も栄華を極めたのが引用11ヶ国を領有した尼子氏の時期である。
慶長16年(1611年)堀尾吉晴の歿するまでの427年間、軍政上の一大拠点を築き上げていました。
現在は、往時を偲ぶ建物は一つも残っておらず、中腹の山中御殿から山頂の本丸にかけて石垣が保存されているのみ。」
との事です。100名城です。

12:15 月山入口(安来市立歴史資料館)から進みました。


千畳平へ進みました。








千畳平。


千畳平からの眺めです。




尼子神社。


トイレ。


山中鹿介像。












空が綺麗ですね。


山頂が見えて来ました。


花ノ壇復元建物。








山中(さんちゅう)御殿へ向かいました。




多門櫓跡。


山中御殿。




雑用井戸。




櫓跡。


菅谷。








相坂階段コースを進みました。


振り返って。


親子観音。




七曲り。






山吹井戸。






西袖ケ平(にしそでがひら)。




三ノ丸。






二ノ丸。


本丸へ進みました。






本丸。




山中鹿介幸盛記念碑。




勝日高守(かつひたかもり)神社。








ここから戻りました。






振り返って。




安来市立歴史資料館に戻り月山入口からイエローバスに乗り足立美術館へ向かいました。


足立美術館。
展示品は撮影禁止でした。
外の庭園は撮影出来ました。










額縁のように。


滝が。










手入れされた庭園で見応えがありました。

ここから、足立美術館専用のシャトルバスに乗り安来駅に戻りました。
16:23 安来駅~18:47 岡山駅 JR山陰本線やくも24号岡山行。
岡山に宿泊しました。
徒歩:16,500歩でした。

天候は晴でした。松戸は大雨のようでした。





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札幌&室蘭。。。

2024年04月26日 | 旅行
2024年4月22日~23日。
札幌在住の家内の母が、4月20日に亡くなり、4月22日のお通夜と23日の告別式に
我々夫婦と息子と娘とで行って来ました。
家内と娘は24日まで残り、息子は23日に帰ります。
私は、室蘭在住の高校時代の同級生(親友でした)が11月24日に亡くなったが、
葬儀には出られなかったので、他の同級生に声掛けし24日に室蘭へ。
息子は帰る時間に余裕があったので、一緒に札幌市内を見学しました。

まずは、時計台へ。
時計台を横から写しました。


そして表面から。


二人でツーショット。


そして中へ。入場料金は200円でした。



中へ入ったのは初めてでした。

大通公園は八重桜が満開になりはじめていました。


続いて北海道道庁へ。

まだ工事中でした。

ここから札幌駅へ。

ここで息子と分かれました。

2024年4月24日。
札幌在住の同級生の車で室蘭に向いました。
室蘭に着きましたが、時間に余裕があったので、高校時代の母校に行ってみました。
「北海道室蘭栄高等学校」です。


続いて地球岬へ。




地球岬灯台です。


ここから、亡くなった同級生の千葉さん宅へ。

途中、白鳥大橋を通過しました。

(写真を拝借しました)



私を含め5名が自宅の仏壇でご焼香しました。
若かりし時の話や亡くなるまでの話を聞きました。
ここから、納骨堂に行きますが、奥さんの実家はお寺さんで、その納骨堂に納骨されていました。
亡くなった24日と同じ日だったので月命日でした。
奥さんのお兄さんから本堂と納骨堂でもお教を上げて頂きました。
この後食事を奥さんにご馳走になり、更に、この後、近くの喫茶店へ。
話がつきませんでした。
この後、奥さんを自宅に送り、同級生の車で、札幌に戻りました。
ホテルに着くと20時を超えていました。

2024年4月25日。
朝から雨だったので、市内見学をせず、早めに千歳空港に行き、のんびりと空港内を見学し帰って来ました。
千歳空港。


空から。

東京は晴れていました。

三泊四日。
疲れましたが、焼香出来て良かったです。

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松坂&伊勢志摩&熊野③。。。

2024年03月15日 | 旅行
2024年3月11日~12日。

3月11日。
奈良県を見学する予定でしたが、三重県を巡る事に変更しました。
始めに、丸山千枚田へ向いましたが、鬼ヶ城の看板が出ていたので鬼ヶ城に寄りました。
「鬼ヶ城は、地震による隆起や風化と波の浸食によって造り出された大岩壁です。国の名勝・天然記念物に
指定されるほか、「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されています。岩壁には約1キロに
わたって遊歩道が整備されており、大小無数の洞窟や奇岩奇勝を楽しむことができます。
山頂には、戦国時代の城跡があり、熊野古道・松本峠と連結するハイキングコースが整備されています。
鬼の見晴台といわれる展望台からは、熊野灘が一望できます。」との事です。

鬼ヶ城は赤線です。








ここからが始まりです。




下にいると崩れそうで怖いです。




鬼ヶ城伝説、坂上田村麻呂に征伐されたとの事です。




鎖が付いていますが、怖いです。














ここから戻りました。


この後、予定していた丸山千枚田へ向いました。

「丸山千枚田(まるやませんまいだ)は、紀和町丸山地区の斜面に幾重にも描かれた棚田で、日本の棚田百選にも
選ばれています。この棚田がいつ頃造成されたかは不明ですが、西暦1601年(慶長6年)にはすでに2,240枚の田が
あったという記録があります。しかしながら、昭和40年代半ばから始まった稲作転換対策による杉の植林や
昭和50年代以降の過疎・高齢化による耕作放棄地の増加によって、平成初期には530枚までに減少してしまいました。
地元住民たちは、「自分達の代でこの貴重な文化遺産を無くすわけにはいかない。素晴らしい景観と農耕文化を後世に
残し伝えていかなければならない。」と立ち上がり、平成5年に丸山地区住民全員による丸山千枚田保存会を結成し、
丸山千枚田の復元と保全活動が始まりました。」との事です。


(パンフレットから)



















この後、熊野古道を少し歩きたいと二人で考えていたら、鬼ヶ城の山の上から松本峠に歩ける事が分かり、
鬼ヶ城に戻ることにしました。

途中で赤木城跡の案内板があったので寄って見ることにしました。

赤木城跡に着きました。
「赤木城は、三重県熊野市にあった城。築城の名手・藤堂高虎によって作られた、中世と近世の築城法を併用した
平山城で、近世城郭の萌芽ともいうべき城郭機能が兼ね備えられています。」との事です。
(続100名城です)


(パンフレットから)







鍛冶屋敷跡。










東郭・問跡










虎口。








主郭。




主郭・北部。






石垣を一回りしました。


大きさの異なる自然石を積み上げた野面乱層積で築かれているとの事です。












西郭。




柱跡でしょか。



井戸でしょうか。


いやいや。寄って良かったです。見応えがありました。

鬼ケ城に戻りました。
青線を歩きます。




熊野古道松本峠を、ここから歩きました。


ヒガンザクラでしょうか。




急峻な山道でした。


頂上に着きました。


鬼ヶ城跡でした。


展望台です。


松本峠へ。






展望台からの七里御浜が見えました。






松本峠に着きました。








ここから石畳です。(パンフレットに出ています)








きれいな石畳でした。(パンフレットとおりでした)


大泊側登り口に着きました。














ここから鬼ヶ城駐車場へ戻り、宿泊先の松坂へ。
レンタカーを返しました。
天候は晴。
25,500歩の歩きでした。疲れました。

2024年3月11日。
松坂駅から来た時とは逆に帰りました。
最終日は雨でした。
途中、小田原駅で降りて足湯を楽しみました。
疲れが取れました。
パプニングもなく相方のお陰で順調な旅行でした。
次は8月でしょうか。

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