日本のメディアは北朝鮮への制裁に関する国連決議の話題でいっぱいですね・・・
ロシアがどうのこうの、中国がどうのこうの、アメリカがどうのこうのと・・・
それを見ながら、じゃあ「ロシアのチェチェンに対する蛮行は?」「中国のチベットや東トルキスタンに対する蛮行は?」「アメリカが世界中で他国の人々の命を奪い続けていることは?」
日本だって・・・
つい数日前にイスラエルのパレスチナの人々に対する暴力行為に関する国連決議に反対したくせに・・・
結局どの国も自国の都合でしか物事の善悪を判断することができない・・・とうことなんだね。
ロシアがどうのこうの、中国がどうのこうの、アメリカがどうのこうのと・・・
それを見ながら、じゃあ「ロシアのチェチェンに対する蛮行は?」「中国のチベットや東トルキスタンに対する蛮行は?」「アメリカが世界中で他国の人々の命を奪い続けていることは?」
日本だって・・・
つい数日前にイスラエルのパレスチナの人々に対する暴力行為に関する国連決議に反対したくせに・・・
結局どの国も自国の都合でしか物事の善悪を判断することができない・・・とうことなんだね。
「人殺しをしてはならない」は法の中では非常に重要な法ですが、人類の課題は「戦争をしてはならない」を非常に重要な法として認識することですね。
戦争における人殺しは戦争によって正当化されるという論理はまさに異常です。
一人訴えても声は空しく空に消えると思うと思いますが、決してそんなことはありません。
その一人が訴えることをやめることの方が問題です。
人を殺すエネルギーを人を生かす力に転換しましょう。
狂った思考に味方しないようにしましょう。
まさにその通りだと思います。
私にもそう聞こえます。
戦争を肯定する人々が、「戦争は政治の延長」だとか「外交の手段のひとつ」などと言うのをよく耳にします。
でも、私は違うと思う。
「戦争(殺し合い)をしないように努力するのが政治と外交」だと思うし、政治家や官僚たちにはその努力を最後までしてほしいと思っています。
「戦争(殺し合い)」を始めてしまった時点で「負け」なのだと・・・「勝利」を放棄したのも同然なのだと・・・認識してほしいです。
いえ・・・そもそも政治や外交に「勝ち負け」を求めること自体が間違っているのかも知れません。
「理解」「共存」「譲り合い」こそが「平和」への一番の近道なのかも・・・
(ちょっと奇麗事すぎるかな・・・)