光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

ゲルハルト・リヒター そして映画「ある画家の数奇な運命」

2020年10月09日 | 音楽・映画

ゲルハルト・リヒター 現代アートの巨匠、ドイツ最高峰の画家などと称えられる、今年88歳のアーティスト。

私が、初めてリヒター作品の実物を見たのは、6年前の「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である」展

でした。(2014年6月 東京国立近代美術館)

 

その時の作品の一つが下の写真です。

ん? 写真? 近寄るとテレビの走査線のような横縞が・・・でも不思議に見入ってしまう何かがありました。

この作品写真からは、マチエールが分からず、良さが伝わらないのが残念です。

キャプションを見ると、赤ちゃんはリヒター本人で、後ろの女性が叔母マリアンヌ、その叔母はナチスの優生

政策で犠牲になったと書かれている。


<叔母マリアンヌ> 1965/油彩・キャンバス

キャプションから受ける刺激もあって、この作品は私の心に深く沁み込みました。

 

そのゲルハルト・リヒターをモデルにした映画の評が、10月初めの夕刊に載りました。

「ある画家の数奇な運命」、高い評価でした。 撮影監督も優秀で映像も美しいと・・・

 

10月5日(月)に近くの映画館で鑑賞。 

3時間9分の作品ですが、面白くて時間を忘れました。

日本語のタイトルは「ある画家の数奇な運命」ですが、原題は「作家のいない作品」

 

下の写真は、制作風景。 後ろ右側がドナースマルク監督、左は撮影のキャレブ・デシャネル

医師役は、リヒターの伯母を、断種対象者・生存の価値のない者と判定する婦人科教授役のセバスチャン・コッホ

映画としては、この医師が後年、リヒターの義理の父となる数奇さをメインにして展開していきますが

私としては、リヒターのアートが脚光を浴びるまでの過程に、興味がありました。

そして、あの<叔母マリアンヌ>の制作動機、状況が分かればと思っていました。

映画では、そこはちゃんと描かれていて、満足でしたが、映画全体としては、冗長なシーンが目立つのと

ラストシーンがスカッとしないなど、画龍点睛を欠くところがあり、傑作とまでは感じませんでした。

 

それでは、リヒター(映画ではクルトの名)が幼い頃、1935年にドレスデンで開かれた「退廃芸術展」を叔母

エリザベスと一緒に見ている光景です。 叔母は芸術感覚が豊かなようです。

 

クルトにも、興味を惹く作品が

 

展覧会のガイドの男性は、ここに集められた退廃作品を散々にけなします。

ちなみに、モンドリアンの作品と、カンディンスキーの作品(中央下)

叔母はクルトが芸術センスを持っていることで、可愛くて仕方ないという感じで

帰りのバスの中で、膝の上に抱いておでこにキス。

 

当時のドイツはナチスに熱狂、叔母エリザベスがナチスのパレードで総統に花束を渡すシーン

オープンカーの総統の後ろ姿が、すーっと画面を横切るのですが、うまい撮影だなと思いました。

 

とここまでは、叔母は普通の女性だと思えたのですが、家の中で叔母が全裸でピアノを弾くシーンがあり

部屋に入ってきたクルトに「目をそらさないで、真実はすべて美しい」と教え、自傷行為を・・・

その後、統合失調症として、嫌がる叔母が無理やり、ドイツ赤十字の車に乗せられるシーン。

 

 

それを見送る家族。 手で前が見えないようにするクルト、叔母は車の窓から「目をそらさないで」といってクルトを見つめ

クルトも手を下げる。  ・・それが叔母との最後の別れとなる。

 

 

クルトは、ベルリンの壁が築かれる寸前に、西ドイツのデュッセルドルフに移住。(1961年)

デュッセルドルフ芸術大学で先端のアートに触れる。

下の写真は、そこの大学教授の授業風景。  

この教授が、クルトの大学内のアトリエで、クルトの作品群を見るのですが、

「これらの作品には、君はいない」と指摘される。(この言葉が、映画の原題、”作家のいない作品”ではと推測)

 

そこから、クルトは叔母の、「目をそらさないで、真実はすべて美しい」という言葉に立ち戻り、新聞のトップ写真

(逃亡していたナチ戦犯が捕まったニュース)の、模写をキャンバスに描く。

それからはいろんな写真を描き、写真の事実を、ペインティングで表現する工夫をしていく。

その工夫の一つがスキージ(へら)で走査線のような効果を出すことだった。

下の写真がスキージで画面を掃いているところ。

<叔母マリアンヌ>に対応した、映画での<叔母エリザベス>となります。 この画面も迫力がありました。

 

ここで、もう一度、<叔母マリアンヌ>

 

そしてWebを調べていると、<叔母マリアンヌ>の原写真がありました。

うーん、この写真をそのまま描いても、スーパーリアリズムの作品になるだけで

アートとしての、ぶるっとくる何かは得られないですね。

やはり、リヒターのセンスと技に感嘆。

もう一つ、映画の中でクルトが言っていましたが、

「同じ数字でも、ロトの当選番号の数字には違う意味合いを感じる。」

<叔母マリアンヌ>でいえば、叔母の悲劇という事実が、この作品に特別な感慨を

覚える要素になっている。

この思いは、以前、米田知子の写真作品でも感じました。

 

最後にゲルハルト・リヒターの言葉を。

”神父も哲学者もいなくなった今、アーティストが世界で最も重要な人なのだ。”


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