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東京夢工房

今までに前例がない,市場もない,概念もないものへチャレンジする夢追い社長のブログ。

迷惑メール

2007-02-22 10:48:12 | 風見鶏

いつになると収まるのか?自主的な解決は無理なのか?

少ない日でも一日に40~50件の迷惑メールがくる。 いくつかのウイルスメールはプロバイダで削除してくれて大事には至らないが,受信した大量の迷惑メールは一々削除するしかない。 この手の誘いに乗る馬鹿はいないのにと,歯がゆい思いである。

流石にプロバイダーも知らぬ振りはできず,正規ルートの送信しかできぬよう通信制限をかけ始めたが,メール自体の体裁がまともなら,送信を止められない。 同じ理由で,受け側での着信拒否は不可能である。 特定アドレスからの着信拒否は,すぐに違ったアドレスで送信するので殆んど役に立たないし,こちらのアドレスを変えても,一時しのぎである。
唯一有効な迷惑メールのシャットアウト法は,大企業などで行っている手法で,全てのメールを対象に,迷惑メールで頻出する特定の語彙や文言を含むメールを自動で廃棄する荒業だ。 社用メールだから出来る話である。 個人的な意思を入れない査閲として,仕方なく認めてはいるが・・・。

一部に,インターネットの利用を有料化すれば,大量に送信する迷惑メールは激減するとの意見もある。 利用者に応分の負担を求めるとの大儀である。 そもそもインターネットの利用は只ではない。 プロバイダーが通信料金を支払って,この巨大なネットワークの維持運営費を支えている。 そこで個人サーバからの送信をゲートウエイで課金する方法も検討されている。
だが,インターネットの健全な発展は,一般の利用者には無料であることが大きな要因でもあったので,自ら枷をはめるのは自殺行為に等しいし,本来の主旨に添わない。

が,愉快犯はそんなことにはお構いなしであろう。
だが,そこはインターネットである。 世界の英知が詰まっている。 窮すれば通じるの例えの如く,必ず逆愉快犯が表れる。 そして迷惑メール撃退の名案が提供されることだろう。 それが歴史である。


虹のバク

 


漢字一文字

2006-12-28 12:39:01 | 風見鶏

恒例になった今年の漢字一字は「命」。 希望と絶望, 正に言い得えて妙。 納得して,そして思うのは,命は奇跡のリレーであり,己がその一走者としての命を全うする責任のこと。

さて,「命」が今年の世相ならば,自分の一語は何か? 
一年を振り返えると色々な漢字が浮かぶが,是といった決定打が見つからない。 日々惰性に生きた故であろうか,真剣味がないからか。
それならばいっそ,年始に一語を決めてその様に生きよう,・・・などと,本末転倒なことを考えた。

確かに年末に自分の足跡を振り返るのはいい。 そして,周りには自分を励ましてくれる人がいる,だから今日までやってこれた,と知れた。 そうだ,私の今年の漢字は「縁」にしよう。


虹のバク

 

 

 


たまには銭湯

2006-12-13 11:40:36 | 風見鶏

土曜日は銭湯に。

常連がいる。 もっぱらスポーツやギャンブル,そして地域の身近な話題であるが(政治の話は滅多に聞かない),必ず話し好きがいて傍らには聞き上手が揃うので話が弾む。 講釈師は,タクシーの運転手や左官の頭領,中小企業の社長など,40ぐらいから80歳ぐらいの長老まで
千差万別。 価値観や経験が全く異なる人が集う。 だから,ちょっとした所謂,異業種交流会の様である。

人って不思議,そして面白いと思う。 自らの交通違反の多さや車大破の交通事故を得意げに話す。 或いは,持病や病歴を誇らしく語る。 普通はネガティブで隠したい事柄が,あからさまに話題になる。 眉をひそめたくなるが,所詮は一過性,その場限りの無責任な話にする。

だから話題に乏しい小生などは,黙って聞いているだけでずいぶんと勉強になる。

・・・と余計な講釈をしなくても,あの広い洗い場と湯船があれば,もう癒し効果十分だ。 桶がぶつかり「カーン」と響く音などなんとも心地よい。 人の仕草も見ていて飽きない。 子供には良い経験になるだろう。 そういえば,子供の頃に湯船で泳いだことが思い出された。 疲れが消える一時である。

内風呂が当たり前になり,とんと銭湯と疎遠になっていたが,近頃は毎土曜日は欠かさず通っている。 子供の頃は30円ぐらい?だったか,今は430円。 この料金で心身ともにリフレッシュでき,おまけに無駄な情報を得られるのであるから,誠に有難いことである。

肩に力が入っている時など,まさに銭湯は天国,いや極楽である。


虹のバク


無常

2006-11-27 16:22:24 | 風見鶏

祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色,盛者必衰の理をあらわす。 おごれる人も久しからず,唯春の夜の夢のごとし。  ・・・。

どんな繁栄もいずれは没する時がくるが如く,世の中,変わらないで居ることができない無常の姿であると仏教は諭す。 それ故に,どんなに辛いこともそれが続くこともない, 自分を取り巻く状況も必ず変わるものと知り,昨今話題の自殺増加に関して,今暫く思い止まる様にと僧侶がテレビで語りかけていた。 立ち止まって感じてほしい言葉である。

変わらず同じで居ることの難しさは,逆に,弛まぬ努力を続けねばならないと教える。 現状に甘え,成功体験に頼ると平家物語の主人公だ。 平家も悪くない。良い政治をしているが,自ら滅んでは仕方ない。 その後の源氏も滅びた。 やはり,人力の及ばない無常の世界からは誰も抜け出せないのか?
そんなことはなかろう。
企業の寿命は30年と言われる中,100年以上も存続する企業もある。 彼らはその時々の状況に順応して時代を生きた。 変わらぬ繁栄を自らが変わることで手に入れた。

だから無常と恒常は表裏一体,同時に存在することになる。 他力本願に頼り,自力本願で努力すれば無常は無情でなくなる。

祇園精舎の鐘の声,諸行恒常の響きあり。



虹のバク


 


人災

2006-11-22 10:34:53 | 風見鶏

帰宅途中に電車が急に止まった。「閉まった踏み切りの中に車が止まっている為の緊急停止」とのこと。 一歩間違えば大事故に成りかねなかったし,またそんな危機一髪を体験する羽目に驚かされた。 だがすぐに,電車運行システムの安全機能が正常に働いたのだと気付いた。
2分間隔の過密ダイヤの帰宅ラッシュ時である。 ひとたび事故ともなれば,12両編成では裕に2,000人以上の人が直接の被害を被る。

事故を未然に防ぐ努力が報われた。 支えたのは巨大コンピュータシステムである。 そしてそれはハードウエア,ソフトウエアの力である。 いや,電気が止まってはシステムが作動しないので電力の安定供給も陰の力である。 ・・・と考えれば,通信,交通,電気,ガスの社会インフラはそれ自体が独立しているのではなく,全てが連鎖していると判る。 だから,どこかで一歩間違えば大惨事となる危険性に満ちていている。 今の時代,私たちは知らぬが仏,薄氷の上で生活している。

エレベータの暴走による死亡事故も,機器製造会社一社の責任とは言えまい。 保守・点検を請け負う会社もある。プール事故も同様。
昨日,考えられないような事故がまた起きた。 海上自衛隊の訓練潜水艦が浮上の際にタンカに接触した。 他船のスクリュー音に邪魔されてタンカの存在に気付くのが遅れた。 潜水艦といえば完璧の機械であろう。 だが人が関わる限り事故は起きる。

機械を設計するもの運用するのも人である。自然災害以外は全て人災と言って過言ではない。



虹のバク




複合無責任

2006-11-13 11:25:33 | 風見鶏
受験に直接関係のない教科の未履修の理由を,学習指導要綱に則していては受験に勝てないと,地方の受験高校の校長が放言していた。

これほど多数の高校で,1~2年の長期にわたる未履修であるが,生徒には責任がないとの理由で実質70単元程度の補習で卒業を認めるとの妥協策に,納得できない人も多かろう。
文部科学省の完全履修(補習)提言に,政府が妥協を押し付けた結果だが,まじめに履修した生徒の中に不公平感が残るあと味が悪い対応になった。  もしこれが,1校や2校の不祥事なら,嫌も言わさず「完全履修」となったと想像に難くない。  まさに,「赤信号,皆で渡れば怖くない」の呈である。

そしてこの問題,未だに誰の責任であったか明確になっていない。
有識者は受験競争加熱に無策な文部科学省の怠慢のつけという。 教育委員会や地方自治体はこの問題は筋違いと蚊帳の外を決め込む。  当の高校は,学習指導要綱を押し付ける文部科学省の責任といい,例の校長の暴言である。 法律が悪いから罪を犯すのは当たり前との言語道断の発想である。 これが最前線に立つ教育者の言かと,呆れ,情けない。

同様の責任逃れの事件が多い。
マンションの耐震強度偽装問題も然り。 設計を請け負った元建築士の個人的な偽装が原因とされるが,建築確認をした会社や自治体,そしてその図面で建物を造った建築会社,知らずに?違法建築を販売した不動産会社など,何人もの人が関与していたのだから,その内の誰かが勇気を出して行動していればこの問題は起こらなかった。
現場の人が偽装に気付かないはずはない。 判っていても言い出せなかったのだろう。 設計のやり直しは,莫大な追加費用と建物の完成が大幅に遅れ,利益が吹っ飛んでしまう。 黙っていれば誰にも判らない,騒がないのが利口と思ったのだろう。 そこには明らかにマンションを購入する消費者のことは頭にない。

事なかれ主義がこのどちらの不都合にも当てはまる。
一社の不祥事なら,今は対応を間違うと命取りになる。 だが,複数の会社や企業,組織が絡む事業では,責任の所在が不明確になりやすい。 そこに逃げ道や甘えが生ずる。

いつ如何なるときも自分を律する態度,これが複合責任事故をなくす鍵だろう。
その様な人を育てることこそが,真の教育改革である。 自分を律する人は人の痛みも判る。 いじめも無くなる。 今まさにホットな議論を呼んでいる教育基本法の改正であるが,道徳や愛国心の文言の違いの議論に終始してはならない。


虹のバク

言葉の凶弾

2006-08-23 16:00:38 | 風見鶏
時には,何気ない自分の言葉が,相手を傷つけてしまうことがある。

例えば,「どうして連絡してこない?」。
二つの条件が重なったときが一番危ない。 一つは,自分がこれだけ心配しているのに連絡してこないとは失礼なやつだの如き,相手を咎める気持ちが少しでもあるとき,そしてそのときに,相手の状況を思い図る気持ちをも忘れているとき,その言葉は凶弾と化す。

連絡してこないのが日常茶飯事な相手でない限り,ご無沙汰には何か訳があるはずだ。多忙が故に連絡すらできない状況ならば害はないが,事情があって相手が落ち込んでいる状況下なら,それは確実に実弾となる。
必至に耐えている相手に,例え親切心からであっても,根掘り葉掘り聞くことは,引き金を引くに等しい。 聞いたところで,何か手を貸せるものでもない。 結果的に単に聞くだけであるから,相手を更に打ち負かしてしまう。

人様の状況は計り知れない。 そしてこちらに,「・・・してやっている」などの慢心がある限り,どんな言葉も凶器となる。 丁寧な言葉を選んでも同じである。
自分ではその気がないのに相手を傷つけるのは誰も本意ではないはずだ。 とすれば,最善策は,「連絡を待つこと」である。 非常識な人でない限り,必ず連絡がある。 こちらの都合もあるが,聞く前に少しだけ待てばよい。 相手から連絡があれば,それが吉報であれ,悪いニュースであれ,気持ちの整理が済んだ証である。 そのときは,思う存分聞いても失礼にあたらない。

言葉とは,実に恐ろしいものだ。 その気がない(?)のに相手を傷つけてしまう。
おごりの気持ちはもっと恐ろしい。 なまじ自分では気づかないことが反省を妨げる。 「人のふり見て我がふり直せ」の教え以外に,成長の道はないのかも知れない。


虹のバク

一病息災

2006-08-18 12:45:29 | 風見鶏

まさに名言である。

何か一つ持病を抱えていると,常日頃から養生に心掛けることで,反って大病もせずに健康で暮らせるの教えである。 因みにその逆説が,「医者の不健康」であろう。 通勤路に,軒先一杯に何鉢ものバラを育てているご老人が,数年前に心臓の大手術をしたと語ったときの言葉だ。

誠に実感である。 小生は高血圧に通風,おまけに慢性腰痛と散々だが,今のところは元気で仕事ができる。 お蔭様で三病息災である。

だがこれは何も健康面だけの専売特許ではなさそうだ。 会社事業でも社会生活においても,一つ課題を抱えている方が嫌が応にも緊張が生まれ,更なる悪化を制止するように思える。 逆に,何の問題も無く,順風満帆である方が,事故やトラブルを誘発しかねない。 適度な緊迫感は,無気力や無関心,不注意を払拭する妙薬のようなものだ。
いつ如何なるときも,一病息災は現状容認,未来志向の合言葉である。

人様に一病息災は祈念できないが,私自身,無病息災より今の三病息災の方が有難いと思っている。


虹のバク







宝くじ

2006-06-16 14:39:06 | 風見鶏

「ドリームジャンボ」宝くじの夢は,600円のかけらで消えた。 

買わなければ絶対に当たらないから,でも,買わねば絶対に当たることはないからと思案して20枚だけ買った。 バラも連番も当たる確立は同じなら連番に限る。 前後賞も期待できるので,賞金が大きくなるのが魅力。 強欲である。
夢が叶う日,新聞の当選番号速報を見ながら判った。 当たり番号が結構バラけているのだ。 だから,連番が故に外れは一瞬で判り,夢は一瞬で消えてしまった。 その点,バラ組は,一枚一枚に期待がつながり,少しは長く?楽しめるだろう。 バラで買う理由であろうか?

ところで,全国で販売される宝くじである。 だから売れ残りの番号は予想もつかず様々なはずだが,運良く?これらが抽選で当たることがないのだろうか? 年末ジャンボなどの公開抽選で,売れ残り失効番号のためにやり直したなどの珍事はとんと聞いたことがない。 とすれば大賞が宙に浮くはず? 考えれば夜寝れなくなるが,所詮,確立ゼロの争いでは関係ない話ではある。

そもそも我々凡人は,当たる確率は二アリー・イコール・ゼロ( ≒0 )とは知っていても,そう信じないものである。 大賞が出た売り場,大安吉日,占いなどに頼ってゲンを担ぐ。 これで確率が上がり,≒ 0が ≒ 1になると信じて疑わない。
そして,抽選日を指折り数えるぐらい力を入れないのでは,神様もこちらを向いてくれないと思っているから,当たっているのに取りに行かないなど,とても信じられない所業,想定外である。

宝くじに託す夢は人それぞれである。 私はこれに社運をかけているから,これからも迷わず・・・,
”連番20枚”。


虹のバク


皆様,お疲れ様

2006-06-12 14:58:34 | 風見鶏

ラ・メール
穏やかな海の潮さえに似たそのゆったりとしたスローテンポのピアノの調べが始まると,それまで車内に満ち溢れていたガタンゴトンという規則的な音がスーと消えた。 無音の中で車窓の景色だけが変わっていく。 話をしている人もいるはずだが,まったく静寂のようにさえ感じる。 まるで映画の1シーンに迷い込んだ気分である。

アリーヌ
勇気を持てよ!自信を持てよ!と諭すかの如きしっとりとした調べにつられて,無音の中に人々の顔が見えてくる。 夕刻の下り電車であるから車内には学生の姿は少なく,勤め帰りの人で混雑している。 新聞や文庫本を読む人,携帯でメールを打つ人,暫しの睡りを取る人,その誰もが無口であるが,今日もしっかりと仕事をしたよ!って語っている。 静かな調べに誘われそんな風に思いを馳せる。

秋の囁き

物悲しい調べで始まる。 鍵盤を思いっきり叩く力強いタッチなのに
,それでいて悲しい。 そのとおりに,今日一日精一杯戦った企業戦士の疲れた姿が見えてくる。 レールの継ぎ目を通過する音も今は聞こえない。 じっと耐えているその顔は皆,明日への希望など特にないよと訴えている。 夕暮れの1シーンを想像させる暗いトーンで調べは終わる。

そして,ドランの微笑み
調子は一転する。 次第にアップテンポになる。 気持ちが次第に高ぶる。 さあ,頑張ろう!明日があるさ!君がいるから家族が幸せなんだよ! そんな励ましの言葉に似たピアノのリズムは,「皆様,お疲れ様」と言っているようである。

リチャード・クレイダーマンのピアノの調べは,不思議と余計な音を消す力がある。 映画のシーンに似せて,目前にその人だけの劇場を展開する。
私にはこんな画面が見えてくるのだが。


虹のバク



 


サイレント マジョリティー

2006-06-01 11:24:49 | 風見鶏

サイレント マジョリティー。
最近,仕事の忙しさにかまけて,ブログが疎かになっていたところ,思わぬ激励のお言葉を頂戴した。 当方のブログを楽しみにして戴いているとのことで,たいへんに有り難い。 頑張らねばと思う。 友人からは,その様な人が多いのではと間接的な檄も。

「隠れファン」は嬉しい存在である。
一方で,所謂,もの言わぬ消費者,あるいは,沈黙の購買者が存在する。 メーカの不具合に声を荒げることこそないが,黙って買わないだけの本当は一番怖い消費者である。
だから企業は,見えない顧客,
サイレント マジョリティーをどう意識するかに腐心する。 昨今,クレームを,もの言わぬ消費者の代弁と捉え,見直す動きがあるが道理である。 そもそも,語彙「クレーム」には不具合を訴える日本的なマイナスの感覚はない。 まさにお客様のクレームに勝る市場調査はない。
事実,企業のお客様相談窓口などにクレームするお客様は,手間を惜しまずに連絡下さる貴重な存在である。 なによりも,隠れではなく,姿を見せて下さるお客様である。 有難いことである。  

サイレン魔女リティ??(どちらもこわ~い存在)。
この言葉を
日常生活の中で思い出してみよう。 自ずと背筋が伸びる。 だから,
「サイレント マジョリティー」は,自分を律する呪文となる。


虹のバク


エラーメッセージ

2006-05-24 15:26:47 | 風見鶏

パソコンを使っていると,まあ色々なエラーメッセジに出くわすものである。 しかし,そこに至った原因の大半が自分には責任がないことが多いから,余計腹が立つというものだ。 (が,これは今日の論点ではない。別の機会に譲る。)

パソコンのエラーメッセージであるが,極論を言えば,その殆んどは,機能不能やサービス停止に陥った不具合が如何にして発生したかの原因の説明である。 つまり,一種メーカのエクスキューズ(ごめんなさい)としての意味合いが強い?と見るのは偏見?。

そう考えれば,エラーメッセージはなにもパソコンだけの話ではないようだ。 電車が突然止まる,荷物が行方不明になる,・・・。 そしてそんなときに知らされる情報は状況説明に終始していることが多い。 しかし
エラーメッセージは,利用者の 「次の行動」を示唆するものである方がずっと価値があるはずだ。 日常,多種多様なエラーメッセージに遭遇するが,その何割が,本当に利用者のために出されているのであろう? 利用者にしてみれば,何が原因でその不具合や故障が発生したかの説明よりは,むしろ,どうすればその不幸な状況からいち早く無事脱出できるかのアドバイスの方が嬉しい。

勿論,不具合発生が利用者の責に帰するものであれば,同じ失敗を繰り返さないためにも,その原因を伝えるのは意味がある。 しかし殆んどの場合,原因を言われても対処しようのないことの方が多い。 これでは利用者は不安になるだけである。 いっそ,そんな説明は無い方が安心 ・・・である。

利用者は事故を責めるつもりはない。 だからエラーメッセージでのエクスキュースは不要である。 状況説明3割,対策説明7割ぐらいが,エラーメッセージの本来の姿ではなかろうか? 真に利用者に親切なエラーメッセージを心がけよう。


虹のバク
 


PCクラッシック

2006-05-10 09:54:44 | 風見鶏


Windows98やWindowsMEなどのオペレーションシステムを搭載した中古パソコンが,今,隠れた人気商品になっている。 そこには懐古趣味ではない理由がある。 
それは,最新のパソコンは高性能CPUに大容量メモリを搭載して価格が20万円前後もする一方で,パソコンの利用はメールやインターネットが大半であり,これならば5~6年前のパソコンで事足りると,利用者が気づいたからだ。(中古パソコン店主の言)

5~6年前の中古パソコンなら,2~6万円で容易に手に入る。 だが,Windows98のままでは使い勝手が悪いから,WindowsXPに乗せ替えるのである。 これが結構使えるのだ。 但し,メモリの増設は不可避。 当然,この種のメモリーは生産していないから中古品を探すことになり,特にPC100タイプのメモリが品薄になっている。

私もNECのPC-LB500というノートパソコン(64MBメモリ搭載)を5千円で購入,秋葉原を歩きまわって,128MBのメモリを探した。(2000円也)。 メーカが薦める256MBを下回るが,支障なくWindowsXPが動いている。 これでメールとインターネットを楽しんでいるが全く問題はない。 二台目パソコンとしては上出来である。

これだけパソコンが普及してくると,利用者も賢くなる。 メーカの中には機能限定の廉価版や使い勝手を向上させた機種を投入するなど,利用者の便を図る動きはあるが,私の中古パソコンを求める気持ちにはマッチしない。
どこのメーカが,二台目,三台目にふさわしいパソコンを最初に出すだろう?


アナログとデジタル

2006-04-13 10:30:09 | 風見鶏

いつだったか,将来の時計はアナログ式かデジタル式かを議論したことがあった。
こと腕時計に関しては従来の針式の方が優勢のようだが,見回せば,一般にはアナログもデジタルもその持ち味を生かして共存している。
同様に,レコードかCDかの議論もあったが,こちらは,一部のレコードマニア向けを除いて,ほぼCDの圧勝となった。
しかしいずれも,趣味/嗜好品に於ける議論であれば,技術の優劣は二の次で良い。

デジタル技術は新しくてアナログ技術は古いとは,その技術が登場した時期で定義しただけのことであり,アナログ技術は現在も不可欠な重要な技術であることに変わりはない。 それ以上に,昨今のデジタル技術を支えているのは実はアナログ技術である,と言える。
スーパーコンピューターでも太刀打ちできない人間の脳の働き。 見,聞き,触れ,嗅ぎ,味わいのアナログ情報を元に,脳はデジタル情報処理を実行する。 工業製品もアナログである自然界の情報を正確に取り込んでこそ,狙った結果を出せる。
人の五感もそうだが,自然界のアナログ情報を処理に適したデジタル情報に変える変換技術,所謂,各種センサーやアナログ/デジタル変換機能はアナログ技術の最たるものである。

その重要なアナログ技術を持った技術者が減少している。
論理思考が中心のデジタル処理技術やソフトウエア開発とは異なって,電源変動,温度や湿度の変化,材質とその強度,電磁力や雑音なども考慮しなくてはならないアナログ開発は,実績と経験がものを言う一種巧みの世界に近い。 だから優秀な技術者を育てるのに時間がかかり,おまけにノウハウの明文化も簡単ではなく伝承も難しい。

日本から今や「ラジオ少年」は姿を消した。 そして,物づくりの面白さを実感,体験することが少なくなって,理工系に進む学生が減った。 事実,日本は先進国の中で,理工系に携わる女性の比率が最も低いとのデータがある。
最近,ある学校で,女生徒に理工系に進むよう指導していることが報じられたが,嬉しい試みである。

アナログ技術もデジタル技術も,物づくりがあってこその技術である。 元気な製造業が増えれば,より多くの技術者が必要になる。 その中で,特に意識して,アナログ技術者を現場で育てていくことが必要であろう。


サンダルの雄叫び

2006-02-02 09:36:19 | 風見鶏


厳寒の今日も,階段で女性のサンダルのあの甲高い雄叫びが響いている。 

私だけではないと思うのだが,あのパンパンというカスタネットを力一杯叩いたような音が,耳に突き刺さり,脳天を突き抜けていくかのように感じてしまうのは。 耳栓をしたいと思う程である。
今の時期はまだましだ。 夏ともなれば,階段は一種の恐怖の場と化す。 カチカチ,コチコチ,カタカタ,パンパン・・・,
あちらこちらで競い合っている。 勘弁してくれ!
履いている本人は然程に耳障りではないので,だから履いていられるのか,あるいは,ファッションとして我慢して履いているのか? 一度聞いて見たいところであるが,中年親父のお節介と無視されるのが落ちだろう。

ところがである,そのサンダルや靴でも音がしないように歩いている人がいるのである。 ちょっと油断するのか時折音がするので,彼女が気をつけているのが傍目に判る。 サンダルもつまりはその人の気配り次第で,音も小さくできるのである。

そこで考えた。
サンダルの製造メーカは,あのような甲高い音がするように設計したのだろうかと。 恐らくそうではないはずだ。 フラメンコやタップダンスの靴ではない。通勤,通学の靴である。 音はしないほうが良いに決まっている。 とすれば,あのでかい音は設計ミスか,予想外の出来事か?

甲高い乾いた音がする程,良い素材を使っている証拠とでも言うのだろうか? そうであっても音を小さくする工夫が必要ではないのか。 女性に静かに履いてくれ,歩いてくれと頼む前に,作る方の努力が必要だ。
使う人に多くを求めない。 これも製造業の製品へのこだわりと思うのだが,如何であろうか
余計なお世話とお叱りを受けるかも知れぬが。