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東京夢工房

今までに前例がない,市場もない,概念もないものへチャレンジする夢追い社長のブログ。

優秀なブレイン

2008-05-12 12:28:20 | Weblog
福田首相が,国賓で来日中の中国胡錦濤国家主席から北京オリンピックの開会式に参加するかと問われ,“まだ3ヶ月も先のことで,前向きに検討する”と答えたと伝えられたが,これに苦笑したのは私だけではあるまい。

チベット問題などで中国を取り巻く情勢が不透明な背景から,福田首相としては現時点での誠実な回答なのであろうが,状況が逆で,胡錦濤国家主席なら,”御国の一大イベントですから,喜んで参加させて貰いますよ”のような具合で,相手国民の好印象を誘うに違いない。 その後の情勢変化で参加が難しくなっても,それは別途の話と割り切る。

真面目だけの対応では外交は危う過ぎる。嘘はいけないが,図太さは必要であり,時に腹芸も必要だろう。 また,日本的思考は必ずしも世界に通じない。 特に“考えておく”は,柔らかいお断りの表現に聞こえる恐れがある。 Yes,No を明確に表意して,必要ならその後に条件をつける海外の交渉手法からすれば,この発言では,北京五輪の成功を期する胡錦濤国家主席には失礼なものではなかったか。 外交辞令に外交辞令で応えていない。

普通なら3ヶ月程度先の首相の日程は確定しているはずだが,昨今の日銀総裁の人事やガソリンの道路特定財源の取り組みを見ていると,本当に3ヶ月先が読めていないのではと疑ってしまう。 真面目なトップであれば,ブレインがしっかりとその役目を担わなければならない。 これは企業も国も同じである。


虹のバク

三方よし

2007-06-18 12:32:29 | 夢追草

売り手と買い手,双方が満足できる商い,つまりWin-Winの成立が商売の常道の様に言われるが,それだけでは足りない。

最近,拳銃や薬物が絡む事件が目立っているが,入手過程で売り手と買い手双方に納得があったとしても,取引そのものが許される所業ではない。 また,未だ頻発する政治献金問題や官製談合事件などでも,当事者同士はお互いに利益を享受している。その意味では,Win-Winが成立している。
だが,ある視点が欠如しているのは明らかである。 それは,その行為が,同時に,社会に恩恵を与えるものなのかの尺度である。 少なくともそれらの事例は,公序良俗に反しないことが担保されていない。
自分たちの行動に,世間という判断視点を追加することが如何に重要かが知れる。 そうすると自ずと,Win-Winでは足らず,Win-Win-Winとなってくる。

そしてその実行は難しいことではない。
古来よりの良いお手本がある。 近江商人は,代々家訓として,「売り手よし,買い手よし,世間よし」を実践してきた。 儲けは確かでも,世間のためにならないことはしてはならないとの商売の掟,自らへの戒めである。

欧米型社会,過当競争型社会の今日,他人の迷惑や痛みをなおざりに,自分本位な行動に走りがちだが,今この時だからこそ,近江商人の心意気が求められているように思う。 否,商売上だけの指針ではあるまい。 これはまさしく生き様の問題で,人との係わり合いの規範でもある。

とすれば,この「三方よし」の精神は,近江発のグローバル規範と言って過言ではなかろう。


虹のバク



迷惑メール

2007-02-22 10:48:12 | 風見鶏

いつになると収まるのか?自主的な解決は無理なのか?

少ない日でも一日に40~50件の迷惑メールがくる。 いくつかのウイルスメールはプロバイダで削除してくれて大事には至らないが,受信した大量の迷惑メールは一々削除するしかない。 この手の誘いに乗る馬鹿はいないのにと,歯がゆい思いである。

流石にプロバイダーも知らぬ振りはできず,正規ルートの送信しかできぬよう通信制限をかけ始めたが,メール自体の体裁がまともなら,送信を止められない。 同じ理由で,受け側での着信拒否は不可能である。 特定アドレスからの着信拒否は,すぐに違ったアドレスで送信するので殆んど役に立たないし,こちらのアドレスを変えても,一時しのぎである。
唯一有効な迷惑メールのシャットアウト法は,大企業などで行っている手法で,全てのメールを対象に,迷惑メールで頻出する特定の語彙や文言を含むメールを自動で廃棄する荒業だ。 社用メールだから出来る話である。 個人的な意思を入れない査閲として,仕方なく認めてはいるが・・・。

一部に,インターネットの利用を有料化すれば,大量に送信する迷惑メールは激減するとの意見もある。 利用者に応分の負担を求めるとの大儀である。 そもそもインターネットの利用は只ではない。 プロバイダーが通信料金を支払って,この巨大なネットワークの維持運営費を支えている。 そこで個人サーバからの送信をゲートウエイで課金する方法も検討されている。
だが,インターネットの健全な発展は,一般の利用者には無料であることが大きな要因でもあったので,自ら枷をはめるのは自殺行為に等しいし,本来の主旨に添わない。

が,愉快犯はそんなことにはお構いなしであろう。
だが,そこはインターネットである。 世界の英知が詰まっている。 窮すれば通じるの例えの如く,必ず逆愉快犯が表れる。 そして迷惑メール撃退の名案が提供されることだろう。 それが歴史である。


虹のバク

 


事務方の品質

2007-02-07 11:01:18 | 夢追草

製造業の品質は,扱う製品にもよるが,安全であることと壊れないことは外せないところである。 一方,サービス業では,安心と満足感が担保されなくてはならないはずだ。 一次産業から4次産業まで形態は異なっても,求める品質に大差はないだろう。 そして,品質を外すとどうなるかは,繰り返し歴史が教えている。

品質は自然に,また,無償で出来るものではなく,製造業に代表されるように,製造に直接係わる部門によって,意識的につくり込まねば,達成できない。 だから,品質は直接部門の専売特許のように扱われるが,実は,庶務部や経理部などの間接部門にも,品質問題はある。
これら部門の品質問題は,顧客に直接迷惑を掛けることはないので,意識されないことが盲点だ。

例えば,会議である。 メンバーが定刻に集まらず暫く待つ,いつも会議が長引く,或いは,議長はいても会議をコントロールしていない,通達に終始するなどでその会議すら必要ないなど,いくらもある。 だらしない時間の使い方をする部門は,品質が悪い部門である。
無駄な時間は,必ずどこかで挽回されて,それは余計な費用を発生させる。 残業代に化けるかもしれない。 光熱費にも化けよう。 そのように商品の原価外費用として,そのつけはしっかりと原価高に貢献している。

品質は,直接部門たけの掛け言葉でなく,自らの部門にも当てはまる目標だと,まず部門長が認識することから始まる。
当社の部門長は,理解しているだろうか?


虹のバク


社訓の教え

2007-01-17 11:43:00 | 夢追草

36,500日余りの信頼が1日で崩壊。
100年の老舗不二家には雪印乳業の教訓は生かされていなかった。

洋菓子を撤去した全国の販売店に一週間で1億円規模の補償を招いた。 消費期限が一日過ぎた食材でお菓子を作った行為は,原価を抑えるどころか,結果として余りに大きな代償を強いた。 担当者はそのことに気付かなかった。
賞味期日を一日過ぎたもので食中毒になることはないだろう。 では二日過ぎたものは,・・,多分まだ大丈夫であろう。 では3日過ぎたものは,・・。 この様に考えると限がない。 だから,そのための賞味期限である。
賞味期限を過ぎたものを食べることはある。 それは消費者個人の問題で,企業では,食材の消費期限で個人の判断を許してはならないのは明らか。

今回の不祥事。 もう一つの重大過失は,国の基準を遥かに超える細菌数の洋菓子を,それと知りつつ出荷したことである。 これは一種の確信犯。 子供や老人などから,致命的な食中毒が出なかったことは幸運であったとしか言いようがない。 管理者はそのことに気付かなかった。

また,生菓子製造工場にしては衛生管理がずさんだったと伝えられる。 食品業界に限らず,製造業の品質管理は整理整頓に始まり,塵やごみにまで気を配る。 ごみが床にある工場の品質管理は推して知れよう。 とすれば,いずれこの種の事故を生むであろうことは,単に時間の問題であった。 物づくりには,ごみ一つに気を配る感性がなくてはならない。 それがプロである。 工場はそのことに気付かなかった。

今やニュースは一日で万里を走るご時世である。 ローカルで事は収まらない。 特に全国規模の企業には,誠に恐ろしい世の中である。 その100年前に,創業者は,「お客様は味にうるさい人である。悪いものを出しては会社は一日で潰れる」旨を社訓として残している。 だから実直な経営者がいれば,不幸な不祥事は防げたはずだ。 経営者はそのことに気付かなかった。

日本で初めてシュークリームを創るなど,老舗不二家が好きな人も多いはずである。 不二家はこの度の高い代償を次の100年の元肥にしなければなるまい。 社員一人一人が気づくことから始めねばならない。

さて,不二家のお菓子,久しぶりに食べてみるか。


虹のバク

 


漢字一文字

2006-12-28 12:39:01 | 風見鶏

恒例になった今年の漢字一字は「命」。 希望と絶望, 正に言い得えて妙。 納得して,そして思うのは,命は奇跡のリレーであり,己がその一走者としての命を全うする責任のこと。

さて,「命」が今年の世相ならば,自分の一語は何か? 
一年を振り返えると色々な漢字が浮かぶが,是といった決定打が見つからない。 日々惰性に生きた故であろうか,真剣味がないからか。
それならばいっそ,年始に一語を決めてその様に生きよう,・・・などと,本末転倒なことを考えた。

確かに年末に自分の足跡を振り返るのはいい。 そして,周りには自分を励ましてくれる人がいる,だから今日までやってこれた,と知れた。 そうだ,私の今年の漢字は「縁」にしよう。


虹のバク

 

 

 


たまには銭湯

2006-12-13 11:40:36 | 風見鶏

土曜日は銭湯に。

常連がいる。 もっぱらスポーツやギャンブル,そして地域の身近な話題であるが(政治の話は滅多に聞かない),必ず話し好きがいて傍らには聞き上手が揃うので話が弾む。 講釈師は,タクシーの運転手や左官の頭領,中小企業の社長など,40ぐらいから80歳ぐらいの長老まで
千差万別。 価値観や経験が全く異なる人が集う。 だから,ちょっとした所謂,異業種交流会の様である。

人って不思議,そして面白いと思う。 自らの交通違反の多さや車大破の交通事故を得意げに話す。 或いは,持病や病歴を誇らしく語る。 普通はネガティブで隠したい事柄が,あからさまに話題になる。 眉をひそめたくなるが,所詮は一過性,その場限りの無責任な話にする。

だから話題に乏しい小生などは,黙って聞いているだけでずいぶんと勉強になる。

・・・と余計な講釈をしなくても,あの広い洗い場と湯船があれば,もう癒し効果十分だ。 桶がぶつかり「カーン」と響く音などなんとも心地よい。 人の仕草も見ていて飽きない。 子供には良い経験になるだろう。 そういえば,子供の頃に湯船で泳いだことが思い出された。 疲れが消える一時である。

内風呂が当たり前になり,とんと銭湯と疎遠になっていたが,近頃は毎土曜日は欠かさず通っている。 子供の頃は30円ぐらい?だったか,今は430円。 この料金で心身ともにリフレッシュでき,おまけに無駄な情報を得られるのであるから,誠に有難いことである。

肩に力が入っている時など,まさに銭湯は天国,いや極楽である。


虹のバク


無常

2006-11-27 16:22:24 | 風見鶏

祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色,盛者必衰の理をあらわす。 おごれる人も久しからず,唯春の夜の夢のごとし。  ・・・。

どんな繁栄もいずれは没する時がくるが如く,世の中,変わらないで居ることができない無常の姿であると仏教は諭す。 それ故に,どんなに辛いこともそれが続くこともない, 自分を取り巻く状況も必ず変わるものと知り,昨今話題の自殺増加に関して,今暫く思い止まる様にと僧侶がテレビで語りかけていた。 立ち止まって感じてほしい言葉である。

変わらず同じで居ることの難しさは,逆に,弛まぬ努力を続けねばならないと教える。 現状に甘え,成功体験に頼ると平家物語の主人公だ。 平家も悪くない。良い政治をしているが,自ら滅んでは仕方ない。 その後の源氏も滅びた。 やはり,人力の及ばない無常の世界からは誰も抜け出せないのか?
そんなことはなかろう。
企業の寿命は30年と言われる中,100年以上も存続する企業もある。 彼らはその時々の状況に順応して時代を生きた。 変わらぬ繁栄を自らが変わることで手に入れた。

だから無常と恒常は表裏一体,同時に存在することになる。 他力本願に頼り,自力本願で努力すれば無常は無情でなくなる。

祇園精舎の鐘の声,諸行恒常の響きあり。



虹のバク


 


人災

2006-11-22 10:34:53 | 風見鶏

帰宅途中に電車が急に止まった。「閉まった踏み切りの中に車が止まっている為の緊急停止」とのこと。 一歩間違えば大事故に成りかねなかったし,またそんな危機一髪を体験する羽目に驚かされた。 だがすぐに,電車運行システムの安全機能が正常に働いたのだと気付いた。
2分間隔の過密ダイヤの帰宅ラッシュ時である。 ひとたび事故ともなれば,12両編成では裕に2,000人以上の人が直接の被害を被る。

事故を未然に防ぐ努力が報われた。 支えたのは巨大コンピュータシステムである。 そしてそれはハードウエア,ソフトウエアの力である。 いや,電気が止まってはシステムが作動しないので電力の安定供給も陰の力である。 ・・・と考えれば,通信,交通,電気,ガスの社会インフラはそれ自体が独立しているのではなく,全てが連鎖していると判る。 だから,どこかで一歩間違えば大惨事となる危険性に満ちていている。 今の時代,私たちは知らぬが仏,薄氷の上で生活している。

エレベータの暴走による死亡事故も,機器製造会社一社の責任とは言えまい。 保守・点検を請け負う会社もある。プール事故も同様。
昨日,考えられないような事故がまた起きた。 海上自衛隊の訓練潜水艦が浮上の際にタンカに接触した。 他船のスクリュー音に邪魔されてタンカの存在に気付くのが遅れた。 潜水艦といえば完璧の機械であろう。 だが人が関わる限り事故は起きる。

機械を設計するもの運用するのも人である。自然災害以外は全て人災と言って過言ではない。



虹のバク




複合無責任

2006-11-13 11:25:33 | 風見鶏
受験に直接関係のない教科の未履修の理由を,学習指導要綱に則していては受験に勝てないと,地方の受験高校の校長が放言していた。

これほど多数の高校で,1~2年の長期にわたる未履修であるが,生徒には責任がないとの理由で実質70単元程度の補習で卒業を認めるとの妥協策に,納得できない人も多かろう。
文部科学省の完全履修(補習)提言に,政府が妥協を押し付けた結果だが,まじめに履修した生徒の中に不公平感が残るあと味が悪い対応になった。  もしこれが,1校や2校の不祥事なら,嫌も言わさず「完全履修」となったと想像に難くない。  まさに,「赤信号,皆で渡れば怖くない」の呈である。

そしてこの問題,未だに誰の責任であったか明確になっていない。
有識者は受験競争加熱に無策な文部科学省の怠慢のつけという。 教育委員会や地方自治体はこの問題は筋違いと蚊帳の外を決め込む。  当の高校は,学習指導要綱を押し付ける文部科学省の責任といい,例の校長の暴言である。 法律が悪いから罪を犯すのは当たり前との言語道断の発想である。 これが最前線に立つ教育者の言かと,呆れ,情けない。

同様の責任逃れの事件が多い。
マンションの耐震強度偽装問題も然り。 設計を請け負った元建築士の個人的な偽装が原因とされるが,建築確認をした会社や自治体,そしてその図面で建物を造った建築会社,知らずに?違法建築を販売した不動産会社など,何人もの人が関与していたのだから,その内の誰かが勇気を出して行動していればこの問題は起こらなかった。
現場の人が偽装に気付かないはずはない。 判っていても言い出せなかったのだろう。 設計のやり直しは,莫大な追加費用と建物の完成が大幅に遅れ,利益が吹っ飛んでしまう。 黙っていれば誰にも判らない,騒がないのが利口と思ったのだろう。 そこには明らかにマンションを購入する消費者のことは頭にない。

事なかれ主義がこのどちらの不都合にも当てはまる。
一社の不祥事なら,今は対応を間違うと命取りになる。 だが,複数の会社や企業,組織が絡む事業では,責任の所在が不明確になりやすい。 そこに逃げ道や甘えが生ずる。

いつ如何なるときも自分を律する態度,これが複合責任事故をなくす鍵だろう。
その様な人を育てることこそが,真の教育改革である。 自分を律する人は人の痛みも判る。 いじめも無くなる。 今まさにホットな議論を呼んでいる教育基本法の改正であるが,道徳や愛国心の文言の違いの議論に終始してはならない。


虹のバク

それは難しい!出来ない!

2006-11-02 15:13:25 | 夢追草

何かを頼まれて,「それはできない・・・」が如きの返事をしないだろうか?

私は,相手の方がその様な回答をするときは,「それはやりたくない」との断りの意思表示だと思うことにしている。
頼まれた方はそれなりの知識,洞察力から,難しい事情/理由が判って,難しい/出来ないと判断するのだろうが,頼む方はそこまで判らない。 理由を説明されてもその手の知識がない分,何故駄目なのか?の疑問が解消できない。 面倒で引き受けたくないからと勘ぐってもしまう。

頼まれた方も,「やりたくないから断っている」と誤解されるのは本意ではなかろう。 明白な理由が判るから尚更である。

「出来ません。」と言う技術者に,達成には新技術が必要で,時間も金もかかる。 0%達成なら全くの現有技術で十分だ。 とすれば,0%から100%の間のどこかに,実現できる落としどころがあるはず。 そして,その着地点を見出せるのはあなたしかいない,と言ったことがある。
答えは,達成か,全く実現出来ないかの,二者択一ではない。 頼む方も,結果として,100%完遂でなく70%程度の達成でも満足できる場合が多い。 何が何でも100%完璧と言うことは稀だ。

要は,相手の希望にどれだけ応えられるかを,アナログ的に模索する努力が必要と思う。 この視点があれば,「出来ない」の言葉は出てこない。「できない」と言えば,相手はもう,取り付く島もないと察してあげよう。

「この程度,これならできる」と少し背伸びした目標を示すことが,相手に対する真摯な対応となる。 本当に実力があれば色々な対応策が考えられるはずだ。 選択肢を提案できるのはすばらしい。 頼られるのはすばらしいことである。 そして,今日60%の地点であれば,自分のために80%への挑戦をすればよい。

「出来ない」,「難しい」と言わないでいるのは,それ程難しいことではない。


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言葉の凶弾

2006-08-23 16:00:38 | 風見鶏
時には,何気ない自分の言葉が,相手を傷つけてしまうことがある。

例えば,「どうして連絡してこない?」。
二つの条件が重なったときが一番危ない。 一つは,自分がこれだけ心配しているのに連絡してこないとは失礼なやつだの如き,相手を咎める気持ちが少しでもあるとき,そしてそのときに,相手の状況を思い図る気持ちをも忘れているとき,その言葉は凶弾と化す。

連絡してこないのが日常茶飯事な相手でない限り,ご無沙汰には何か訳があるはずだ。多忙が故に連絡すらできない状況ならば害はないが,事情があって相手が落ち込んでいる状況下なら,それは確実に実弾となる。
必至に耐えている相手に,例え親切心からであっても,根掘り葉掘り聞くことは,引き金を引くに等しい。 聞いたところで,何か手を貸せるものでもない。 結果的に単に聞くだけであるから,相手を更に打ち負かしてしまう。

人様の状況は計り知れない。 そしてこちらに,「・・・してやっている」などの慢心がある限り,どんな言葉も凶器となる。 丁寧な言葉を選んでも同じである。
自分ではその気がないのに相手を傷つけるのは誰も本意ではないはずだ。 とすれば,最善策は,「連絡を待つこと」である。 非常識な人でない限り,必ず連絡がある。 こちらの都合もあるが,聞く前に少しだけ待てばよい。 相手から連絡があれば,それが吉報であれ,悪いニュースであれ,気持ちの整理が済んだ証である。 そのときは,思う存分聞いても失礼にあたらない。

言葉とは,実に恐ろしいものだ。 その気がない(?)のに相手を傷つけてしまう。
おごりの気持ちはもっと恐ろしい。 なまじ自分では気づかないことが反省を妨げる。 「人のふり見て我がふり直せ」の教え以外に,成長の道はないのかも知れない。


虹のバク

一病息災

2006-08-18 12:45:29 | 風見鶏

まさに名言である。

何か一つ持病を抱えていると,常日頃から養生に心掛けることで,反って大病もせずに健康で暮らせるの教えである。 因みにその逆説が,「医者の不健康」であろう。 通勤路に,軒先一杯に何鉢ものバラを育てているご老人が,数年前に心臓の大手術をしたと語ったときの言葉だ。

誠に実感である。 小生は高血圧に通風,おまけに慢性腰痛と散々だが,今のところは元気で仕事ができる。 お蔭様で三病息災である。

だがこれは何も健康面だけの専売特許ではなさそうだ。 会社事業でも社会生活においても,一つ課題を抱えている方が嫌が応にも緊張が生まれ,更なる悪化を制止するように思える。 逆に,何の問題も無く,順風満帆である方が,事故やトラブルを誘発しかねない。 適度な緊迫感は,無気力や無関心,不注意を払拭する妙薬のようなものだ。
いつ如何なるときも,一病息災は現状容認,未来志向の合言葉である。

人様に一病息災は祈念できないが,私自身,無病息災より今の三病息災の方が有難いと思っている。


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役不足

2006-07-06 14:04:08 | 夢追草

役不足とは,与えられた役目に対して自分の力量が不足して十分な結果を出せない状況を卑下する表現ではなく,与えられた役目が自分の実力では軽すぎる程に自己の能力が卓越している場合を指すのだが,もし自分で役処を決めるのであれば不満はないのは道理である。

部長や課長の役職を自己申告で取得できるとしたらどうだろう。 条件は,課長以上の職位毎に決められた数量の自社株を購入すること。 金で買う形の役職の任期は,例えば1年間。
自分で志願した役職は,社内では上司,部下の両面から評価され,社外からもその実力が試される。 こんな過酷な試練にめげず成果を出せれば,その時は,役目相当の実力と認定して,更に任期を延長する。
中途,あるいは期限満了後の評価で,荷が重いと自己/上司判断となれば,もとの職位に戻す。 一切の汚点を付けない。

暫定的な役職者に人事関係を司らせるのは問題がある。 その他,できない理由はいくらでもある。 だが,ラインの部課長などへの適用が難しければ,プロジェクトチームのヘッドを自己申告で募るなど,実質的な応用は考えられよう。

それに,部課長の職位を自分で取りに行く行為は,公認の資格や技能を取得すると同じと捉えて,免許皆伝後にその職を任せるのも道理であると,突飛な考えが浮かんだ。
しかしヘッドハンティングや中途採用,飛び級も,手法は違えど同じ効果を狙ったものであるから,この考え,それ程異様でないかも知れない。
一度試してみるか。


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オンライントレード

2006-06-30 14:10:05 | 夢追草

高齢者などのパソコンが苦手な方にも,インターネットを使ったオンライントレードが簡単に行える手立てを紹介している手前,実情を知るためにネット証券会社に口座を開き,オンライントレードを体験した。

口座開設は,名前や住所,決済銀行情報などをキーボードを使って入力するのでパソコンを知らなければ難しい。 しかし,この段階では個人情報を扱うとしても,パスワードなどは後日ネット証券会社から書類で知らされるので,登録作業自体は証券会社や身内の方に頼める。
実際のオンライントレードは,操作一切は数字入力のみである。 これならば誰でも株取引ができると確信した。

今まで,株取引は無縁なものと思っていたが,これ程,簡単にあっさりとできてしまうのかと驚きである。 ただ残念ながら,株の知識がないので証券会社から提供される値上がり率ランキング表を参考に,手ごろな価格のものを買う。 その会社がどこに在し,どんな経営方針,事業規模なのか,果てはどの分野に属する企業かも知らない株主となる。 そして,値が上がれば突然姿を消す株主であるから,これで良いのかと自責の念も募る。

この経験で判った。 オンライントレードは,欲を掻かかねば,そこそこ儲けられる。 昨今,銀行に預けても利息はほぼゼロだが,1割以下の儲けならすぐに出せそうだ。 鉄則は,上がれば即売り逃げること,短期勝負に徹して,大儲けを信じて持ち続けないことである。 そのためには株価の動きを,時には分単位でチェックして売り時を外さない,所謂,デイトレードごとく集中すればの話である。

株を買う理由が,その会社の運営方針や将来性に掛ける・・・は正しくて,目先の儲けに走るデイトレードは亜流というものではない。 株が公開である以上,どの様な買い方,売り方も顧客の自由である。 企業がとやかくいう筋合いではない。それより,企業は,その様な付和雷同な株主が存在すること,今後その比率が増加するであろうことを知ることが肝要だろう。

儲け第一主義のデイトレードは,腹をくくって取り組まねばならないから会社勤めでは難しい。 一握りの特別な人を除いて,オンライントレードは,株取引の便利な手段と考える方が良い。
証券会社の店頭に足を運び,または電話で注文する人には,インターネットの利用は,自宅でできる,一日24時間可能である,手数料が割安など,なかなり魅力的なはずだ。

オンライントレードは緒に就いたばかりで,企業もユーザも学んでいる時期である。 ただ,オンライントレードは株取引を身近なもにして,ストックホルダーの25%程度を占める個人投資家の更なる増加に確実に貢献する。 今後,長期的安定株主も育ってくるだろう。
だからこそ,高齢者などのパソコンが苦手な人の参加を図らねばならない。

それにしても,オンライントレードを育むインターネットとは,何とすばらしいネットワークではないか。 生まれた当初,大学などの限られた利用者向けの特殊な情報ネットワークであったのに。


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