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東京夢工房

今までに前例がない,市場もない,概念もないものへチャレンジする夢追い社長のブログ。

人の振り見て・・・

2006-01-23 09:32:08 | 風見鶏

展示会で説明員をしていると,この人の様にはなるまいと思う人に出会うものだ。
こちらの説明を聞くのも程々に,本来はこうあるべきで,
その様になっていないのはおかしいと自説を述べ,話にならないと憤慨してブースを去って行く人である。

展示会は会議の場ではない。 自説を述べるのも良いが,少なくとも情報を求めて来られたはずである。 展示会で自分に都合の良いものだけを探すとしても,そのような姿勢で本当に求めたものを見つけられるのかと疑問に思うのだが,余計な詮索であろうか。
早合点して正しく理解していないかもしれない。 また,既知の自分の知識よりも新しい情報もあるだろう。 だから色々な説明を聞いても損はないはずだ。 それをしないで気に入らないと去っては,みすみす宝の情報を前にUターンをするようなものだ。
反対に,聞き上手な訪問者にはこちらから自然と手持ち情報を話してしまう。 こちらのほうが,どんなにか得だろうに。

その唯我独尊の人はどこのブースでも,否,人生,他の場面でも同じようにやっているのだろう。 そう思えば,その人は一生の間で,どれ程の情報を見逃がすことになるのかと考えてしまう。

こちらの説明が要領を得ないからそうさせたかも知れない。
「もとはこちら」のとおり,当方の未熟さにも責任があるかも知れない。 だからあえて反論はしないでご意見を伺っておく。 そして心の中で,少なくとも自分はあの様にはなるまいと思う


2006-01-05 10:26:18 | 風見鶏

初夢から三夜連続で同じ夢を見た。始めての経験である。

人は一晩に5~6回ある浅い眠りのレム睡眠中に夢を見る。そして普段はその殆んどを忘れるものの,起きる直前に見た夢だけをおぼろげながらに覚えていることがある。

一月二日の夜に二回目覚めて二度とも同じ夢を見ていた。三日,四日も同じ夢だったので,忘れてしまった他の夢も同じである可能性が高い。であれば,三夜で通算18回も会社の夢を見たことになる。証明できればギネスものであろうか。

それも,受注,事業展開,HPやブログなど会社実務の夢である。これでは初夢として全く夢がないではないか。
一富士,二鷹,三茄子とまではいかなくても,もそっと気の利いた夢であってほしかった。さらに,夢は奇想奇天烈,支離滅裂と相場は決まっているはずが,しかるにこの夢,いやにリアルな夢であった。

事業が上手くいく嬉しい夢であるが,素直に正夢と喜んではいられない。その逆のお告げであれば最悪である。今年は絶対,事業の芽が出る番なのだ。夢が夢で終わることなく正夢として実現することを今日夢見ている。

夢を見よ,という。また時に夢は見るな,ともいう。しからば,将来に希望を持ちつつ,着実に今日を歩めばそのどちらも適えられる。そして私は今,まさにその道中にある。この世にまだない新しい商品を創り出す夢への挑戦である。これなら努力する甲斐はある。

ところで,悪い夢を食べ良い夢を残してくれる空想の動物,バク。 虹の彼方にある希望に向かってその体を虹色に染めている「虹のバク」,
どこかで見かけませんでした?

日々是好日

2005-12-28 10:10:47 | 風見鶏


毎日が学びである    

人との出会い,技術ウォッチ,映画や読書にふける,・・などなど,様々な出会いがあればそこには必ず学びがある。
思えば,学生時代の勉強は,自分の将来のためと理解するも,自発的な学びの姿勢ではなかった。 けれども今は,義務感や脅迫感からではなくて,自分を磨く学びに変わっている。 だから気負わず学べる。

学びにジャンルはない。 学ぶ程に知識が増え,知識が増えると万事心配事が減って,その分,心が豊かになる様な気がする。 視野が広がり多面の見方ができるようになって,人間がちょっと大きくなった気がするから,自分の生き様に自信がつく。 だから楽しい。

そして,知らないことは聞くことにしている。 二度聞くと嫌な顔をされ,三度聞くと相手にされなくなるが,一度ならば相手も快く教えてくれる
知らないことは別段恥ずかしいことではない。 まして専門外のことなら尚更である。
逆に,知らないのに知ったかぶりをすると,二度とそれを聞けない事実を作ってしまう。 そして一生知らないで過ごすことになりかねない。 知らないでいることは損である。 一種不幸でもある。

また,教えて貰うだけではいけない。
こちらからもさり気なく教えてあげる。 そうすれば学んだことが真に自分の力になるはずである
そう思えば,毎日が楽しく心穏やかで居られる。
  


コップ半分の水

2005-12-15 09:57:14 | 風見鶏


コップ半分の水をどう捉えるか?
もう半分しか残っていないと考えるか,まだ半分あると見るか。  

これは,現在の自分の置かれている立場や状況が悪い場合に,悲観的にならず前向きに努力することを推奨する例えである。 だから楽観的である場合はあまり引き合いに出されることはない。
しかしこの例え,物事を色々な方向から見ることを薦めているように思う。 消極的と積極的,善悪などの対極な見方よりも,対比の観察である。

ご存知忠臣蔵の発端となる浅野内匠頭の殿中刃傷事件。
脇差での必殺なら突かねばならぬところを切りかかるなど,お家断絶の覚悟にしては気迫に欠ける所業,余りにも中途半端である。 また,止めに入った梶川与惣兵衛は武士の情けを知らぬと罵倒されるが,殿中のことである,見ていればそれこそ常軌を逸している。 それでも浅野内匠頭の気迫が勝っていれば討ち果たすまで見逃していたに違いない。
更に,徳川綱吉将軍とご生母桂昌院が皇室崇拝を第一と考えている中で,勅使饗応の席を血で汚す不埒者であれば喧嘩両成敗の理屈は筋違い,・・・など,この事件,浅野の殿様に魔が差した発作的な刃傷と見ることができる。
であれば,あだ討ちは大儀を逸する。 作家井上ひさし氏が小説「不忠臣蔵」で書いている着眼点であるが,一々納得できてしまう。

物事を多面で見ることは面白い。 しかし言うは易く行うは難しである。
そこで,少なくとも一度は疑ってみることにしている。 円筒も見る角度では円や四角に見えるではないか。
真実を見誤るもっとも怖いものは,先入観や思い込み
である