山に越して

日々の生活の記録

鷺草(さぎそう) 16-1

2017-03-07 08:26:25 | 中編小説

  一

 

 学期末試験も終わり山下裕二は高校生最後の夏休みを迎えようとしていた。一年生の時から常に学年上位の成績を修め、今回もある程度の成績が取れたことで、このまま行けば来春公立大学が受かるだろうと確信していた。また、兄は地元の公立大学工学部の三年生で、自分も同じ大学の教育学部に進学する積もりでいた。将来は学校の教員となるか、公務員として働くことを希望し、遊びたい年頃だったが、机に向かうことは嫌いではなく却って勉強している方が落ち着く性格だった。

 夏休みまで一週間を残していた。

「明日から三者面談が始まります。必ず御両親と一緒に出席して下さい。皆さんも将来のことは既に決めていると思いますが、一応この面談が最終となります。よく話し合って臨むように・・・」

 と、担任が言った。

「先生、もしもですけれど、話し合いが上手くいかなかった場合はどの様に考えれば良いですか・・・?」

「その時はそれなりの資料を用意してあります。唯、ある程度自分の成績を考えて、余り無理を言わないようにして下さい。個人別の進学ランク表は全て出来ていますが、何れにしても決めるのは君達です。今日はこれで終わりにしましょう」

 担任はそう言って教室から出ていった。

 裕二はG私立大学附属谷川高校に自転車で通っていた。ゆっくり走っても三十分で通学出来る距離である。進学校としてはそれ程有名ではなかったが、最近国公立大学への進学率も高くなり、都下の附属校としても一ランク上の印象を与えていた。

 午後から授業は無かった。家に帰るのは面倒だったが、母親が食事を拵え待っているので一度帰ることにした。

 三者面談は明日に迫っていたが、母親の朋子は、学校のことを話さない裕二が心配だった。

「試験の成績は如何でした?」

 昼食を摂りながら話し掛けてきた。

「大丈夫だと思うよ」

「R大学の教育学部が第一志望で、Q大学の教養学部が第二志望だったわね」

「兄貴と同じR大が受かると思うけれど・・・」

「期待していますから」

「うん」

「明日の三時ね、面談時間?」

「そうだよ」

「明日も一度帰って来るでしょ?」

「そうしようと思っていたけれど、また出掛けるのも面倒だし、昼飯は近くの食堂で食べ学校で待っている」

「今日はもう出掛けない?」

「うん」

「お母さん、これから用事があって出掛けますけれど、留守番お願いして良いかしら?」

「帰りは?」

「六時前には帰ってきます」

 母親は片付けが終わると直ぐ出掛けて行った。裕二は自分の部屋でCDを聴きながら勉強を始めた。兄の威彦はアルバイトに行っていたので音量を上げ楽しむことが出来た。しかし暫くすると、『大学か・・・』と、何気なく呟いた。『小さい頃から兄貴と比較され、それでも負けない程度に勉強してきた。中学、高校と、大学を目指して此処まで来たけれど、ガールフレンドもいないし、腹を割って話せる友達もいない。そして、いつの間にか十七歳になってしまった。親父もお袋も、兄貴も同じように大学大学って、俺の顔さえ見ればパクパク蛙の合唱じゃないが同じことの繰り返しだ。勉強して良い大学に入ることが良い生活を保証するってことか・・・確かに目的を見失ってフラフラしている奴や、ツッパリだけが生き甲斐の奴もいる。しかし奴らにとって、これからのことは何方でもよく、現在生きていることが実感出来れば良いのだろう。誰だって明日のことなど分かりはしないし、高校生活は大学に行く為の一つの通過点に過ぎない・・・しかし俺は、この二年半の間に何をして来たのだろう・・・大学を受ける為に学習塾に通い、中間、期末、進学、統一、模擬の試験試験で追いまくられ、自分が何を遣りたいのか、何に興味があるのか、そんな風に考える時間などなかった・・・これが高校生の姿なのだろうか・・・現在、俺の中には何もない。これまでの俺は、其処にある物を何も考えず受け入れてきた。教師の言うことを聞いて、親の言うことを聞いて、兄貴の言うことを聞いてきた。それが正しいことなのか、間違っていることなのか考えたことはなかった。俺の中には物事を判断する能力が欠けている。ツッパリにはツッパリの理由が、暴走族には暴走族の理由があるのだろう。しかし今の俺には、俺の生きている意味が分からない・・・勉強していることが本当の目標であって、大学は勉強する為の手段でしかない。そう考えれば生きている理由なのかも知れない。俺はこれまで何も感じなかった。自分の感情が激しく揺れ動くような、感動でも良い、激情でも良い、心の底から震えるような情熱や出会いはなかった。悲しみも、寂しさも知ることなく、感情の無いまま生きてきた。俺の心の中は、何も無い空っぽのカラカラだ・・・十七歳である意味は一体何だろう。夏が過ぎ、秋が過ぎ、十二月には十八歳になる。十八歳がこれまでの継続ならば、俺の心の中は何も生み出さない・・・十七歳でしか出来ないことがあるのだと思う。それとも十七歳に意味など無いのか・・・これまで、生や死に付いて考えたことはなかった。考える必要が無かったのではなく考えることさえ出来なかった。何もかも俺の側を通り過ぎていた。過ぎて行くものが何なのか、どんな意味が有るのか、捉えることが出来なかった。女の子から手紙を貰ったこともあった。時々電話を掛けてくれる女の子もいた。でも、感じることが出来なかった。しかし決して馬鹿ではない筈だ。馬鹿ではないけれど、唯それだけであって他に何もない。俺にとって、何もないことが教育だったのだろう。教育の作り出したロボット、それが俺である。何も考えず、何も思わず、飯だけ食って勉強する。その勉強さえ手段であって目的ではない。一体何だろう・・・この俺は・・・?』

 CDが終わっていた。終わっていることにも気付かなかった。時間は既に五時を回っていたが母親が帰っている様子はなかった。裕二は勉強しなくてはと思いページを捲ったが手に付かず窓外に揺れる青葉を見ていた。塾は夏期講習まで休みだった。『・・・大学に行くことが本当に意味の有ることなのか・・・将来のことや、給料を貰って生活することを考えれば親父の言うように必要なことかも知れない。大学、大学院卒と言うことで初任給から差があるだろう。大企業なら大学によっても将来が違ってくる。何れにしても始めから格差、差別と言う社会に組み込まれる。従姉妹の結婚式に出席した時もそうだった。何々大学を優秀な成績で卒業して、と紹介していた。学歴に依って将来が約束されるのだろう・・・高校時代から将来が見えている。まだ十七歳で、恋も、愛も、苦しみも知らない内に全てが決まっている。将来は、未知でも夢や希望がある訳でも無く既に失われている・・・大学に行くことは将来の安定の為に、一定の条件を得る為の場なのだろう。それが生活のレベルを決めることになる。家が持て、レストランで食事を摂り、高級車に乗って、家系の良いお嬢さんと結婚して、歳を取って行く。それが幸福なのだろう。しかし俺は、山下裕二は一体何処に居るのだ。俺が選んで、俺の手で掴み取ったものでは無く全てが用意されている。これでは始めから何も無いことと同じだ。俺は将来教育者になることを考え大学の教育学部を選んだ。しかし教師になって生徒に何を教えようと思ったのだろう。単に大学で学んだことをそのまま受け売りするだけである。将来の生活の為に、職業としての教師を選んだのに過ぎない。今の教師と同じように、生徒の相談に乗るのではなく、煙草を吸えば親を呼び出し、髪を長くするな、染めるな、スカートの丈が何センチだの、校則の枠からはみ出さないように注意するだけである。教師は教師で、自分で処理出来なければ教頭に、校長に下駄を預け、校則だの、内申書を盾に取って生徒を脅しているのに過ぎない。教師は俺達の上に居て、唯、縦の列、横の列からはみ出さないよう見張っている。そして、はみ出してしまった奴はそのまま放っておかれる。枠からはみ出してしまえば、無視されるか退学するより仕方がない。教師であることの意味は、高い給料を貰って良い生活をすることだけだ・・・』

 裕二は階下で母が呼んでいることに気付き返事をした。

「同じことを何度言わせるの、下りていらっしゃい」

「はい」

「御飯よ」

「親父は?」

「お父さんと言いなさい。今日は遅くなりますって」 

「そう・・・」

「裕二、勉強進んでいる?」

「受験は大丈夫と思うけれど、何の為に大学に行くのかよく分からない」

「何を今頃になって言っているの?」

「本当はもっと考えることがあるような気がする」

「大学を出ているかいないかで将来のことが決まります。 裕二、しっかりしなさい」

「そうかも知れないけど、よく分からない」

「心配させないで」

 裕二は夕食が済むと二階に上がった。父が帰ってきたとき話しをしようと思ったが、所詮成り行きが見えるようで面倒臭くなっていた。

 同じ物を眼前に置いても人それぞれ捉え方が違う。感じるか、感じないかはどちらでも良いことであって、どの様に感じるかが問題となる。その人の一生を決めるほどの出来事になるかも知れないし、取るに足りないことかも知れない。要するに感性の善し悪し、感じ方に依って、日常的な出来事の捉え方が自ずと決まってくる。感性は個人に始めから備わっているものではなく、生きて行く過程で創られる。そして、感性は、感性そのものを止揚して行くと言って良い。状況は日々変化し、その変化する状況を、真に受け止めるとき始めて感性は磨かれる。

 裕二は未だ気付いていないが、問うことで、何れ自分自身を捉えることが出来るような感性を持つことになる。そして、感性そのものが生きることの、考えることの基盤になることを知ることになる。

 



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